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『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第11棚

第11棚「刃物を持ったお客様」


「だから、魚住さん。怪しい客がいても自分で声をかけたり、追いかけたりしないでください。危険ですからね」
「店長! 私は声もかけてないし、追いかけてもないんですよ!」
オタク店長にまたまた注意されてしまったが、そもそも私は何もしていない。
店内巡回していて、書棚の角を曲がったら、立ち読みしていた男子中学生と目が合い、その途端、彼はものすごい勢いで逃げ出したのである。驚いた私は、オタク店長に声をかけた。身体の大きな男子中学生は店長がいるレジカウンター前を横切り、あっという間にブックスあだち無双店を出て行った。
追いかけたオタク店長が戻ってきて(見失ったらしい)、中学生がいたあたりの書棚を確認した。
「いや、何も盗られてないよ。本当にその子は万引きしていたの?」
そして、冒頭のようなお小言をいただく。
彼は何故、急に走り出したのか?
「ああ、もう! 紛らわしいなぁ。私を見るなり急に走り出したんですよ。私から声なんてかけてないですから!」
「じゃあ、何で急に逃げ出したの?」
「知りませんよ。私が聞きたいぐらいですよ!」
ブックスあだち無双店の書店員たちは私の不満に対して、何も答えず、表情も変えずに仕事に戻ったが、なんとなく読めた。
(魚住さんが怖いから逃げ出したんじゃね?)
みんな、なんとなく内心ニヤニヤしている感じもする。
何度も言うが、私は「立ち読み」に対しては寛容なのだ。そこのところはわかっていただきたい!
「あ! シュリンクは私にやらせてくださーい!」
何も悪いことはしていないのにムシャクシャする。ここは気分を変えるために、好きなシュリンク作業をすることにした。
シュリンクとは、コミックスなどを包んでいる透明フィルムのこと。立ち読みできないように、もしくは汚れ防止のために包装されている。
専用のプラスティックフィルム(コミックスより少し大きめのサイズ)に入れて、シュリンカーと呼ばれる機械に通し、熱によって収縮させる。この、ぴっちりサイズに包装する作業のこともシュリンクと呼ぶ。
まず、コミックスは発売前日に入荷される。この時点で見つけて買いたがる客もいるが、絶対に売らない。週刊マンガ誌も紐で縛っていると「買いたい」と声がかかる場合があるが、絶対に売らない。インターネットがある時代、何があるかわからない。油断してはいけないのだ。
コミックスをシュリンク専用のプラスティックフィルムに一冊ずつ入れる。フィルムのサイズはいろいろあるが、ほんの少しだけ余裕のあるサイズがベストだ。入れたら全部積み重ねて並べておく。
そして、ここからがシュリンカーの出番。コミックスの入ったフィルムの開いている方の端っこを持ち、シュリンカーの入口に入れる。
シュリンカーの中はベルトが回っていて、入れられたコミックスはベルトで送られて、高熱でフィルムがぴっちり縮んだものが後方出口から出るというわけだ。
このシュリンカーという機械、かなり熱くなるのだが、この店で使っている機種は非常に古くて、熱が上がるのに時間がかかる。
作業開始の何分か前にスイッチを入れておかないと、温度が低くてうまく収縮しない。何度もシュリンカーに入れなくてはいけなくなるのだ。上の天板部分も熱いので、シュリンカーに通した後、その部分に置くこともある。
この作業は夏期においては地獄の暑さだ。
ブックスあだち無双店は駅ビル内とはいえ、書店員が作業をするバックヤードは労働環境としては最悪の位置にある。
「夏は暑くて、冬は寒い!」
「梅雨は湿気がものすごくてジメジメだよ!」
「とにかく空気の通りが悪いよね」
古い建物内での接客業経験がある人はよくわかると思う。バックヤードってそんなものだよね。
だがしかし、私は実はシュリンク作業が結構好きなのだ。
可愛い可愛いコミックスちゃんたちをキレイにしてあげて、「明日からみんなの元に行ってらっしゃーい!」という気持ちでシュリンク作業をしている。可愛い我が子……いや、可愛い生徒たちを送り出す教師の気分なのである。
「どんな子が手に取って買っていくのかな?」
「いい人に読まれるといいね」
コミックスのコーナー担当はメガネ先輩なので、自分では陳列はできないが、前日送り出しの気分はまるで卒業式だ。

そもそもシュリンクなんて昔はなかった。コミックスはそのまま並べられて、いわば裸のむき出し状態で売られていた。昭和の終わり頃までは立ち読みし放題だったと思う。シュリンクされるようになったのはいつ頃からだろう。
私が高校生だった時は、コミックスの立ち読みは異常なくらい丁寧に扱って読んでいた。ページを開く時もぐいっとはせず、そおっと半分ぐらい開ける感じ……。だから、シュリンクされて、立ち読みができない状態が主流になってきた時は少し寂しい気持ちがしたものだ。まぁ、しょうがないか……、と。
書店員になってからは、シュリンク作業が「楽しい送り出し行事」になったので、キレイにシュリンクできると嬉しかった。自分で買う時もシュリンクがちょっとでもよれてシワになっていると嫌なものだ。
シュリンクは大切な作業。
そんななかで、やはり許せないのは万引きだ!
いきり立つ私に、冒頭のようなオタク店長の忠告は当然なのである。
何故ならば、最近の万引き犯は刃物を持っているからだ。
やつらは持参したカッターナイフなどで、シュリンクしたプラスティックフィルムを破る。
こういう危険なやつらには、コミックスを古本屋に売ったり、フリマアプリを使って転売するのとは別の目的がある。
アイドルグループの写真集に挟まれているカードだけ欲しいのである。
また、別の万引き犯は、雑誌の付録のブランド物ポーチだけが欲しいのだ。
写真集に挟まれているカードは何が出てくるかは買ってみないとわからない。推しのカードが出てくるかなんて確率的にかなり低い。だから、写真集のシュリンク部分を端からカッターナイフで切り裂いて、カードだけ抜き取っていくのだ。
もう、こんなやつらは万引き犯ではなく、窃盗犯と呼びたい。おまけに刃物を持ち歩くなんて軽犯罪法で取り締まりの対象だ。
やつらは「本を盗んでいるわけではないから万引きじゃない」と、犯罪意識は低いかもしれないし、書店側にも被害はないと思っているかもしれない。
しかし、書籍や雑誌、コミックスに付録が付いていた場合、「付録(おまけ)を含めて一つの商品」なのである。付録が盗まれてしまった商品は、書籍や雑誌が無傷でも返本はもうできない。ビリビリに破かれてしまった雑誌が返本できないのと同じ状態なのだ。一番被害を受ける書店だけでなく、本やマンガを作っている人全員に謝ってほしい。
そんなやつらが全国各地の書店を廃業に追い込んでいるのだ!
ブックスあだち無双店にも防犯カメラが付いている。でも、万引きGメンにお願いしたり、防犯カメラに一日中張り付くような人件費はない。近所の古本チェーン店に協力を呼びかけてはいるが、いつも無視されている(買い取りで持ち込まれたコミックスがキレイすぎた場合、なんか対策してくれてもいいのに!)。
防犯カメラに万引き現場がバッチリ写っていた場合、その画像をプリントアウトして、バックヤードに「指名手配犯」のように貼っておくのが関の山だ。
「おはようございまーす!」
ある日出勤すると、オタク店長が暗い顔をしていた。
「……また、やられたよ」
「なんですと! くっそー! 何を盗られたんすか?」
「ファッション雑誌の付録だよ。ブランド物のポーチだけ盗まれた……」
歯ぎしりして、悔しそうなオタク店長の手には盗まれた残骸の雑誌とビニール紐があった。
「店長……よく見ると、これって、カッターで切られた痕じゃないですか?」
ビニール紐の端は刃物で切られたことが一目瞭然だった。
「監視カメラに……映っていたよ」
オタク店長がプリントアウトした静止画像を差し出した。
そこには……制服姿の女子高生が、書棚に挟まれた通路を堂々と歩いている画像だった。全身が映っている。
彼女の左手には「戦利品」のブランド・ポーチが……そして、右手には刃先を目一杯出したカッターナイフが握られていた。
途端に、鳥肌が立った。ぞおぉーーーっとした。
まるで、彼女一人のファッションショー。
猟奇的なランウェイ……のように見えた。

(第11棚「刃物を持ったお客様」了)

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