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『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第16棚

第16棚・閉店時間「本の下僕(しもべ)」


ブックスあだち無双店を辞めてから3カ月ほど経っていた。
リストラといっても円満退社のつもりでいたので、何の遠慮もなく、通い慣れた書店に本を買いに行く。そう、今日はブックスあだち無双店のお客さんなのだ。何も臆することなく、お客さんなのだ。
駅ビルのエレベーターを上がって、レジカウンターに向かう。
相変わらず、忙しく真面目に働いている書店員たちの姿。今日のレジカウンターはメガネ先輩とツン先輩だ。何だか懐かしく思える。たった3カ月しか経っていないのに……。
「お久しぶりでーす」
「あ……いらっしゃいませ」
3カ月も会っていないとツン先輩の人見知り具合が全開だ。
すると、オタク店長がものすごく必死な形相で私の元へ飛んできた。
「魚住さん、ちょっといいかな?」
店の端に誘導された。「何事か?」と思うほどの勢いに押されたが、オタク店長は意を決したように私にこう告げたのである。
「今度、ブックスあだちを辞めることにしました」
「それは、また別の支店に転属ということじゃなくて?」
「会社自体を辞める」
「今後どうするんですか?」
「とりあえず、実家に戻る。親の体調もよくないし、職業訓練センターに通って、違う技能を学ぼうと思う……」
……驚いた。
頭の中で「書店の店長としてのキャリアがもったいない」「親の介護があるなら仕方がないか」「実家の近所にある他店に転職できないのかな」といういろんな思いがぐるぐると回り、結局のところ、良いはなむけの言葉は何一つ思い付かなかった。
「……今までお疲れ様でした」
それが精一杯だったが、頭がぐるぐるした一番の原因は「何故、アルバイトの、それも辞めちゃった私にそんなことを報告するんだろう」ということだった。
後日、嵐リーダーから聞いた話だ。
私が辞めた後のブックスあだち無双店に、本部から「テコ入れ要員」が送り込まれて来たという。
50歳代女性。彼女はパートとして、ブックスあだちの支店で働き始め、そこから正社員へ、そして店長へとのぼりつめた精鋭。売り上げが落ちた支店に送り込まれる「テコ入れ要員」の代名詞のような社員らしい。
「本部の命令とはいえ、いきなりやって来た新顔に、店長を差し置いて、我が物顔で采配されたら……頑張っていたのにやる気は失せるよね」
「でも、その人はうるさく口出しするわけじゃないよ」
嵐リーダーが言う通り、出しゃばってガミガミ注意するタイプではないかもしれないが、オタク店長としては「店長は誰だよ!」と少なからず思っただろう。
今まで長年、自分のプライベートをすべて犠牲にしてまで頑張ってきたのは「一軒の書店を任されてきた店長のプライド」があったからではないだろうか。
私には、とても頼りになる店長さんだった。
「もし、私が彼の立場だったら、やっぱり辞める」
「……そう」
それほど本部は彼の人生を踏みにじったのだ。
こうして、オタク店長は退職してブックスあだちを去って行った。
オタク店長とはそれきり会っていない。
最後ぐらい、二人で居酒屋に飲みに行けばよかった。
連絡先は聞いたが、何を話せばいいかわからず連絡はしていない。

そのまた数カ月後のこと。嵐リーダーから連絡があった。
「復帰しない?」
人手不足のため、バイト募集をかける前に私を思い出してくれたようだ。店長は「テコ入れ要員」がそのまま繰り上がったカタチらしい。
店長が替われば店の規則もいろいろ変わる。
まず引っかかったのは「アルバイトの服装が決められたこと」だった。制服が支給されるのであれば嬉しいが、そうではないようで、自分で用意しなければいけないらしい。上は襟付きの白いシャツ、下は黒いパンツに黒い靴。持ってなければ自分で購入しなければならないし、もちろん自腹だ。ジーンズとスニーカーは禁止。
そんな金銭的な余裕はない。制服っぽく見せたいのなら制服を支給すればいいのに……。
それよりも本部から押しつけられたよくわからない規則を何でも聞いていたら、そのうちもっと無理難題を押しつけられそうな気がする。
嵐リーダーからのお誘いはありがたかったが、断ってしまった……。
どうして、みんな私の編集者やライターとしてのキャリアや人脈を利用しようとしないのだろう。売り上げを伸ばすための企画にいくらでも協力したのに……。
結果的に残念な去り方になって寂しさは感じていた。
だが、たまに本を買いに行って、先輩たちの顔を見たり、挨拶していたので、その寂しさにあまり実感を持っていなかったのも事実。ブックスあだち無双店はまだあったからだ……。

* * * *

それからまた4年ほどが経った。
湿気と暑さがまとわりつく季節。駅までの長い一本道の先に濃い紫色の塊が見えた。
——足立区のセンスって……。
私が住んでいる地域の公立中学校のジャージの色は紫。上下のジャージ姿で移動している集団を遠目に見て、一瞬足がすくんだ。
(暴走族の特攻服かと思った……)
横目でチラチラと普通の中学生たちの表情を見ながら、集団を追い越す。
私は未だに東京都足立区に住んでいる。
2010年春に引っ越してきた頃、よそ者にとって足立区はまだスラム街の雰囲気が少し残っていた。
駅のホームで煙草を吸う中学生二人を、大人たちは怖がって誰も注意できなかった。
ノーヘルのうえ、上半身裸で原付をニケツするヤンキー。それを真似て、チャリをニケツし奇声を上げながらついて行く中学生。コンビニの店先にウンコ座りする二人連れ。
——何じゃ、こりゃ……。
東京の下町、とひと口に言ってもそれぞれ違った雰囲気があり、街の色が全然違う。
私は、足立区に引っ越す前は台東区に住んでいた。台東区にある下町は今でも大好きだ。
じゃあ、台東区に住んでりゃいいじゃない、って?
いやいや、いろんな雰囲気の街があるのなら実際に住んでみたいではないか。
そう思って、今まで12回も引っ越しをしてきたのだ。
最初、怖かった足立区は年々静かになっていった。都心に勤めるサラリーマン層のベッドタウンとして大きなマンションが増えていくと、若いファミリーが足立区を侵食していく。区役所に行くと、ロビーに「足立区の犯罪件数が○%減少して○○件になりました!」と大きな垂れ幕が掲げられている。心の中で(今までどんだけ多かったんや!)とツッコむ。自治体の努力の賜物。もうすっかり毒気が抜かれて、おとなしくなり、今ではしれっと観光地みたいな顔をしている足立区。
いやいや、外観をきれいにしても紫の特攻服みたいなジャージは隠せない。
それにやっぱり地元民の元ヤンがまだまだデカい面して残っているから面白いではないか。愛すべき足立区なのだ。
駅ビルの4階にあるブックスあだち無双店に向かう。
二度目の別れもまたまた突然やってきたのである。
——2018年7月1日、ブックスあだち無双店は完全に閉店した。
売り上げの問題でも万引き被害の増加が原因ではなく、書店が入っていた駅ビルが解体工事に入るからだ。ただの老朽化による改装工事ではなく、駅ビルをぶち抜き、通路を作るためだという。
ブックスあだち無双店が閉店する7月1日に「最後だから」と店に別れを告げに来た。
ツン先輩曰く「駅ビルが新しく完成してもブックスあだち無双店が復活するかどうかは今の段階ではまったくの白紙状態」とのこと。
知っている書店員もツン先輩とメガネ先輩だけになってしまった。19歳だったツン先輩は20歳代半ばになり、大人っぽくなっている。
「店がなくなったら、この後どうするの?」
「1カ月ほど休む。その後は何も決めてない」
「最後だから書店内の写真を撮らせてもらっていい? シュリンカーの写真も撮りたい」
「いいんじゃね?」
ツン先輩はそう言って微笑んだ。年齢的には自分の子どもぐらいのツン先輩。人見知りでいつも怒ったような表情は何年経っても変わらない。
ツン先輩を見ていたら泣きたくなってきたので、慌てて店内写真を撮りに回った。
最後の店内巡回。これで見納めだ。
様々な出来事が頭を過ぎる。
この通路で小学生がランドセルを枕にして寝転んで本を読んでいたこと。
その書棚の角あたりでおばちゃんがしれっと時刻表を書き写していたこと。
児童書コーナーには音の出る絵本があり、子どもたちが叩いて遊ぶため、見本がすぐに壊れてしまったこと。
BLが大好きな常連客の女性は毎月欠かさず、BL系のマンガとラノベを大量買いしていく。それも無表情で。なぜだかそれがとても好感が持てたこと。
車椅子に乗って来店する常連客も多かった。うまく声が出せないから欲しい本や雑誌のタイトルをメモ書きしてきて、それを渡される。彼らが一番好きだったのはSMAPだった。ブームは嵐に移っていても彼らが大好きなのは変わらずSMAP。レジカウンターを出て雑誌を手渡すと、よく動かない手で雑誌を抱きしめる。とても嬉しそうだった。それを見ている私たちも嬉しかった。お客様の欲しい本や雑誌を探す喜びがそこにはあったのだ。
2レジは一人で任されるのが嬉しくて、喜々として張り切ってやれたこと。
毎回、文庫本の帯と表紙カバーを捨てさせる年配の客がいたこと。
元旦に出勤してお年玉をもらえたこと。
夜シフトに入って、店を閉めた後の真っ暗な書店が怖くて面白かったこと。
——さよなら、ブックスあだち無双店……。
 
店長……あなたが守ってきた書店が閉店しました。
街のランドマークがなくなります。
子どもがクレヨンで描く街並みには本屋さんが必ずありました。
懐古主義と言われそうですが、どんな街にも本屋さんが必要です。
足立区の子どもたちの図書文化は10年遅れるかもしれません。
ネット通販が発達し、電子書籍もあるなかで書店がある意味って何なんでしょう。
本の中身を確認してから買えるから? 待ち合わせに便利だから? 立ち読みして時間をつぶせるから?
店長は知っていたはずです。
本の売り上げが年々落ちていたのはネット通販のせいでも電子書籍のせいでもなかったことを。
世の中にはそれでも頑張っていろいろな工夫をして売り上げを伸ばしている書店もあることを。
街には「本屋さん」が必要です。なくなって初めてわかったことでした。
そこにあって当然でしたね。
来店する人は別に本を買いに来たわけじゃなくてもいい。立ち読みだけして帰ってもいい。本が好きじゃなくてもいい。雑誌の付録目当てでもいい。ただ涼みに来ただけでも、待ち合わせのためでもいい。
そこに立ち寄ってもらえるだけの存在。ただ、そこにあるだけでもよかったのですよね。
知らない街に来て書店を見かけるとホッとして入ってしまいます。癒やしの存在なのです。
店長、私たちは「本の下僕(しもべ)」でしたね。
他人から強要されてではなく、喜んで「本の下僕」でしたね。
何故、こんなにも本やマンガ、そして書店のことばかり考えているのでしょうね。

今はもうここには居ないオタク店長を思った。
駅前を歩いていて、見知らぬ人から突然、声をかけられた。
「あ、本屋のおねえさんじゃね?」
先日もファミリーレストランで店員さんから同じように声をかけられた。
「あ……はい。どうも」
急に話しかけられると人見知り全開だ。
私はもう本屋のおねえさんではない、と言いたかった。
(魚住さん……僕はもう店長じゃないですから)
ブックスあだち無双店で最後に会った時、店長はポツリとつぶやいた。
「本屋、なくなっちまったなあ」
驚いて顔を上げると、そこには元ヤン・ファミリーがひと塊でそこに居た。
なんだ、こいつら……。
「駅ビルの本屋、いつ復活すんだよ!」
何故、いつも家族全員で移動するんだよ、おまえらは!
「私が知るワケないじゃないですか!」
何で本が嫌いなんだよ、ヤンキーって!
「本屋がないと困んだよっ!」
威嚇すんじゃねーよ、センスゼロのクセに!
(え、今……困ってるって言った?)
私はマジマジと元ヤンの顔を見てしまった。
「だからよぉ、パソコンの本は何買えばいいんだよ。全然わかんねーんだよ!」
あれから何年経ってると思ってるのだ、コイツは。
その間、スマホで調べることだって、アマゾンで買うことだってできるし、もちろん他の書店にも行けるし……どうなってるのだ、コイツは。
「まだ買ってないんですか?」
「バカにすんじゃねーぞ!」
しょーがねーなーもう! だから元ヤンって……。
「だからぁ、パソコンのOSは何か、バージョンはいくつか、パソコンを使って何をしたいのかハッキリさせてからまたお越しください!」
元ヤンはニヤッと笑った。
「しょーがねーなあ! また本屋に行ってやっか!」
名も知らぬ元ヤンと私は、道端でゲラゲラと笑い合った。
後ろ髪だけ伸ばした小学生が不思議そうな顔をしている。

——また本屋に行ってやっか!

本の神様が呆れて、肩をすくめている様な気がした。
やれやれ……。

(『ヤンキー多発地帯・足立区のたたかう書店員』第16棚・閉店時間「本の下僕(しもべ)」了)

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