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05:海藻系男子会(わかめの章)

「ここかな?」
 森下海斗(もりしたかいと)は会社に程近いマンションを訪れ、その一室のドアチャイムをそっと押した。
 会社の先輩である平原(ひらはら)が都心のビジネス街に住んでいたことも意外だが、デスクの上にひらりと一通置かれていた彼からの「招待状」にも驚かされた。
 平原は物静かで目立たない地味なタイプだ。時折、領収書片手に「この経費は必要ない」と年長者を追い込んでいく冷徹さを発揮する時のみ「鬼の平原」と恐れられている。
 そんな平原から届いた深い緑色の封筒。
 中に入っていた「招待状」にはひと言「下記住所においで下さい。歓迎します」とだけ書かれていた。その住所を辿ってきて、まさに「←今ココ」状態なのである。
「俺、何かしたかな?」
 海山商社に入社して五年目。確かにモーレツ社員ではないし、出世街道を突っ走るタイプでもないが、ヘマをした覚えもない。
 一瞬、いろんな疑問が頭を渦巻いていたが、森下はいろいろ考えずにココを訪れることにした。
「どうぞ。開いてるよ」
 ドアフォンから平原の返事が聞こえた。森下は恐る恐るドアを開けてみた。
 その瞬間……。パーンとクラッカーが鳴った。
「ようこそ! 海藻系男子会へっ!」
 玄関先で平原と三人の男たちがニコニコと歓迎してくれていた。
 呆気にとられたが、ふと我に返った森下は思わず、平原に向かって叫んでいた。
「こないだの宮城への出張経費、おちるんですねっ!」

    * * * *

「森下海斗くん、私が君をココに招待したのは経費の事じゃない。君に我々の会を知ってもらって、入会してもらおうという我々からの好意なんだよ」
「会?」
 広いリビングの一角の畳敷きに置かれた大きなコタツを囲み、平原は森下に静かに語り始めた。
 コタツを囲んでいるメンバーは平原の他に三人。
 身長が低いことがコンプレックスらしく負けん気が強い富津(ふっつ)。プレゼン能力の高さには定評がある。
 社内でも有名な時代小説好きの常滑(とこなめ)。いつも愛想笑いを浮かべてはいるが、目の奥はこれっぽっちも笑っていない。彼は時代小説といっても「池波正太郎」作品と「山本一力」作品にのみ、そのオタク力を発揮する。幕末には一切興味がないし、戦国武将ファンや歴史ファンとも一線を画すのだ。まぁ、最近は「食べ物が出てくるおいしそうな時代小説」は他にも読むようになってはきたが……。
 社内一巨漢の穂村(ほむら)は太ってはいるがただの大食いではなく、かなり舌が肥えた男だった。穏やかでおっとりしながらも取引先担当者の心を掌握する食文化の知識、そして絶対的な舌の感覚を持っている。彼の接待にかかれば難攻不落なスポンサーでさえ、意のままになる。いや、胃のままというところか。女性以外は……。
 そして、最年長の平原。普段から目のクマが痛々しく感じるが、今日はあまり濃くない。
 会社では個性的だが、かなりのスキルを持ったメンバーだ。実績も上げている。
 森下はコタツを囲んだ面々を眺めながらふと気がついた。
(変わり者だけど仕事ができる人たち……友達いないだろうと思ってたらこんなところで集まってたのか……)
 森下は頭の中で彼らの名前を一人ずつ確認していった。
(ひらはら……ふっつ……とこなめ……ほむら……揃いも揃って、力の抜ける音……)
「怪しい新興宗教団体じゃないよ。そんな怖がらなくても大丈夫だ。不審な会ではない」
「自分で怪しくないっていうのが一番怪しかったりして〜」
 富津が茶々を入れたが、平原はそれを華麗にスルーした。
「我々は『海藻系男子会』。目的は社内外の情報交換と労り合い。規則正しい食生活とストレス回避・解消。とかく不摂生しがちの一人暮らしの男性社員に明日への活力と希望を見出してもらう健康的なクラブだ!」
 富津が急に膝を正して、コホンと咳払いをひとつ。
「入会条件は我が海山商社の男性社員。独身・一人暮らしであること。半年間、じっくり観察させてもらったが君は条件を満たしていた!」
「俺、観察されてたんですか?」
「そう、じっくりね!」
「ふ〜ん。まぁ、独身だし、昨年から一人暮らし始めたから……。でも、そんなの多いと思うけど……」
「入会費は不要。月の会費は食材費用含めて二万円。注意事項はキッチリ守ってもらうぞ。この会の存在は秘密。他言無用である。これは厳守だ。もちろん、女を連れて来たりしたら即刻退会! 」
 常滑が急に大声をあげた。
「ここでの寝泊まりは厳禁! 昼・夜の食事時しかこの部屋に来てはならない。ただし、拙者だけは特例。月の会費も五万円払っているからな!」
「あらぁ〜! 家に帰りたくないだけじゃないですかぁ〜」
 穂村がおっとりと笑いながら反論した。すると、富津が森下に耳打ちする。
「常滑さんは実家住みなんだ。だから、本当は入会条件に当てはまらないんだけどね。でも、仕事は毎日遅くまでかかるし、不規則になりがちだろ」
「確かに、通勤に片道二時間は大変っすね〜」
 同情的な森下の意見に常滑が思わずこぼした。
「そ、そうなんだ。残業が続くと翌朝の五時起きは辛くてね。いや、電車に乗ってる間は読書ができるからいいんだが……」
「森下くん。この人ねぇ、それで悩んでたのぉ〜。通勤時間の問題だけでもないみたいなのぉ〜」
「というと?」
「聞くも涙語るも涙……我が家は狭小住宅なり! 拙者の兄弟は誰も実家を出ようとせん。拙者が出るしかなかろう。だが、都内の家賃は高い!」
「いい機会だからちょっと声かけてみたのぉ〜」
 チェシャ猫のような笑い方で富津が常滑を指差した。
「そしたら、この人さー、本棚ごと引っ越して来ちゃってさ。ちゃっかり一室占領なんだよー」
「キレイに住んでるし、うるさくするわけじゃないから構わないよ。月会費も多めに払うし、ね」
「宝物を実家に置いて出るわけにはまいらんだろう。勝手に捨てられるのは明白である!」
「まぁ、休日に銀座や下町に出かけて、池波正太郎ゆかりの名店でおいしいもの食べるのがもうひとつの目的でしょ。今までなかなか出来なかったからね」
「そ、そこまでお見通しか……」
「そういうワケで、君も入会しないかい?」
「こ、この流れで誘うーーっ?」
「火付盗賊改方である! 神妙に、海藻系男子会の縛(ばく)に付けぃ!」
「と、常滑さん……?」

    * * * *

「今夜は『わかめのしゃぶしゃぶ』だよぉ〜」
 穂村が嬉しそうにキッチンから土鍋を運んできた。
「わかめで、しゃぶしゃぶ?」
「あら? 森下くん。初耳ぃ〜?」
 鍋の中にはだし汁に木綿豆腐と長ネギ、エノキ茸が入っただけの簡素なものだった。別皿に生わかめがどっさり用意されていた。
「『海藻系男子会』ってそういうことですかぁ〜!」
 平原は相変わらず冷静な様子で正確な情報を繰り出す。
「海藻に限らないよ。基本的には魚介類。肉類は嫌いじゃないが、リスクを避け、健康管理を追求すると魚食に行き着くんだよ」
「そうそう〜! 海藻はダイエットに向いてるから毎日出てくるけどねぇ〜」
「ダイエットが必要なのは穂村さんだけじゃないの〜?」
「隠れメタボって怖いんだよぉ〜、富津さん」
 調理担当は主に穂村と富津だ。このコンビのキッチン漫才はほぼ出オチ。掛け合いの内容はさして面白くはない。
 ただ、この二人の……穂村の食文化知識、富津の栄養情報は特筆すべきものがあった。
 穂村の解説が始まった。
「いい? 新鮮な獲れたての生わかめは洗っておいて、茎の太いところは取り除いておくのぉ〜。あ、捨てちゃダメだよぉ〜。ここも細かく刻んでお味噌汁に入れるとおいしいんだからぁ〜。柔らかいところは……そうだなぁ〜。15センチぐらいにザクザク切ってねぇ〜」
「この、粟田口国綱にて斬ってくれるわ!」
「常滑さん、何でも鬼平犯科帳に結びつけるのやめてぇ〜」
 すると富津が代わりに口を開く。
「土鍋にだし汁用意して、豆腐と長ネギ、きのこ類を入れて、アクも取りながらちょっと煮て、スタンバイOK! 魚とかエビのすり身はメインの後だからね」
「さぁて、お立ち合い〜。いよいよ主役の登場だよぉ〜。この新鮮な生わかめを沸騰してる鍋に投入〜。はーい、しゃぶ! しゃぶっ!」
 ひとつまみ箸に取ったワカメを鍋のだし汁に「しゃぶしゃぶ」とくぐらせた途端……鮮やかな緑色になった。その間5秒……森下は思わず子供の様な声を上げた。
「わぁ〜! 色が変わった! きれいですね〜」
「キレイだし、おいしいよ〜。大根おろしとかポン酢で食べてねぇ〜。ゆず胡椒もあるよぉ〜」
「はい、森下くんもやってみ! レッツしゃぶしゃぶ!」
 森下は興味津々で目を輝かせながら箸で生わかめをつまんだ。
「しゃぶ……しゃぶ!」
 ひとは何故、食材を湯にくぐらせながら「しゃぶしゃぶ」と言ってしまうのか……永遠の謎である。
「旨いっ! こ、これ、めちゃくちゃ旨いっすよ! これは目からウロコっ!」
 ひと口食べた森下は夢中になった。他のメンバーも一斉に「しゃぶしゃぶ」しまくる。
「ねっ、おいしいでしょ〜。豆腐やエノキも食べてね。このお鍋にはお肉は合わないの。やっぱりお魚なんだよぉ〜。そして、最後に残ったスープにご飯を入れて雑炊〜! これ、テッパンなのぉ〜!」
「穂村さんね、これでオレンジ社の接待やって、契約取ってきたんだよ」
「うわ! 知ってます、それ! オレンジ社との取引ゲット……伝説になってたけど、『わかめのしゃぶしゃぶ』接待だったとはっ!」
「うん、先方さんはかなりのグルメでいろんな料理食べ尽くしてたからぁ〜。かえってあっさりシンプルなものの方が驚くかな〜と思ってさぁ〜」
「ドンピシャ!」
 富津が嬉しそうに解説を始めた。
「わかめはミネラルたっぷりなんだ。まず、代謝を活発にするヨウ素。これは精神を安定させ、心身を元気にしてくれる効果があるんだよ。それからカルシウムが多いから骨を丈夫にしてくれるし、イライラも防止。貧血を防ぐ鉄分、便秘解消のために食物繊維。カリウムは、血液をキレイにしてくれるから血圧の降下作用がある。それにわかめ特有のぬめりって、食物繊維のアルギン酸なんだけど、小腸でナトリウムと結合して余分なナトリウムを出して、高血圧を防いでくれるんだ。それから腸内の余分なコレステロールも体の外に出して、高脂血症とか動脈硬化も防ぐし、すごい働き者なんだぜぇ!」
「定食の添え物になってる味噌汁の具だけじゃもったいな〜い〜」
 穂村がヘンな節を付けて歌った。
「僕はまだまだ太っちょだけど、これでも魚食一筋に切り替えてから20キロは落ちたんだよねぇ〜」
「この人は基本、運動不足……仕事と料理以外動きたくないんだって」
「いや、こんなに旨いものを作れるんだったら十分動いてますよ。これはスゴイ」
「あっ! 森下くん、いい人なのお〜」
「それに富津さんの知識もすごいですよ。まるで栄養データベースだ!」
「森下くん、マジ入会してぇ〜」
 穂村と富津が気持ち良くなっているところに常滑が水を差した。
「富津さん、わかめの栄養の効果……ひとつ失念してはおらぬか!」
「まだあるんですか?」
 常滑は、自分と平原の頭を交互に指差しながら「ほら、月代(さかやき)……月代!」と立ち上がった。
「分かってるよ……。髪だろ、髪の毛……そんなのわざわざ言わなくても……」
 富津はムスッと口を尖らせた。
「イノシトールっていう物質が抜け毛を防ぎ、髪の成長を促す働き……アルギン酸にも老化防止作用があって、これが髪にいいっていわれてるんだ」
「あっ! そういえば皆さん、ヤバイ……だから、『海藻系男子会』なんですか?」
「それだけじゃないっ!」
 途端に全員が立ち上がった。
「すべての生命の源は海にあり! 人類の遙か昔の祖先……人類に進化する以前は海にいたんだ。海のものは人間に合っている。魚介類は身体にいいんだ!」
「ダイエットに一番ピッタリなんだよぉ〜!」
「肉食系だの草食系だのはもう古い! 男はこれから海藻系なんだ!」
「そして、薄毛を何とかしたいんだよ〜!」
 これは常滑だ。いつもの侍口調から普通の嘆きに戻っている。
 それに対して、富津が諭すように言った。半泣きだ。
「わかめを食べたら必ず髪がふさふさ生えてくるわけじゃないよ。そりゃ、髪の毛にはいいし、食べないよりは食べた方がいいけど……その程度なんだ。それに、海草類に含まれるヨウ素の摂りすぎには要注意という発表が出てる……」
「な、なに? おお、髪よ!」
「ヨウ素の過剰摂取が長期間続いた場合、甲状腺機能が低下を招く恐れあり、らしい。でも、通常の食生活では問題はないんだけどさ……」
「神(髪)食材がぁ〜」
 「悪あがき」……そんな言葉が森下の頭をよぎった。
「あの〜、俺を誘ってくれたのって……将来的に有力候補だからですか?」
 我に返った面々が森下に向いた。
「いや……その……別の理由なんだが……」
 クールな平原が口ごもった。言いづらそうだ。
 だが、意を決したように口を開いた。
「ハッキリ言うよ。森下くん、東北の食材担当になっただろう」
「はい……こないだ初めて宮城の牡鹿半島を回ってきましたけど……」
 森下は、東北食材買い付け担当として、つい先日初出張してきたばかりだ。
 宮城県の牡鹿半島。その浜のひとつでワカメの種付け作業が始まったのだ。
 収穫は翌年の3月。これは絶対に旨いに決まってる。
 森下は、浜の人たち総出の種付け作業を見学して、「立派に育てよ〜!」「たくさん食べるぞ〜!」と声をかけて、浜の人たちに笑われてきたばかりだ。
「ああ、鈍いな〜。海藻系男子会のメンバーとして今後は出張のついでに東北のおいしいものをたくさん買ってきてほしいんだよ!」
 呆れた富津が抑えきれなくなって自分たちの要望をぶちまける。平原はまだ遠慮がちにおずおずと上目遣いに森下を見た。
「実はそうなんだ。仕事の買い付けとは別に……ついでに、この『海藻系男子会』の食材も買ってきてくれないか。会費からちゃんと先払いして預けるから……」
 やっとこさ全てを理解し、腑に落ちた森下。急に肩の力も抜けた。
「なぁんだ、そんなことですか。お安いご用ですよ」
「えっ、いいのかい〜。ありがたいなぁ〜。嬉しいなぁ〜!」
「でも、何だと思ったんだい?」
「てっきり俺も将来ハゲるのかと思って……」
 森下は力を抜きすぎただけでなく、気も抜きすぎた。何気なく……NGワードを口走ってしまったのだ。
 途端に浴びる集中砲火……。
「ハゲって言うなーーっ!」
「ただの……薄毛だ」
「ならないようにぃ〜食生活から改善してるんだよぉ〜」
「森下くんはそこそこ二枚目だから我々の気持ちが分からないんだっ!」
「すっ、すみません」
 慌てた森下が謝ってももう遅かった。
「ひ、否定……しないのかよ〜」
「森下海斗よ、教えてやろう。日本には謙遜という美しい習慣があるっ!」
 すでに険悪な空気が部屋の中に充満している。
 この雰囲気を何とか元に戻そうと、森下はわざと脳天気な口調で懐柔作戦に打って出た。
「でも、そうですよねぇー。皆さん、今さら髪増やして女にモテたいなんて思わないですよね」
「い、今さら……?」
「謙遜のくだり……聞いてないし……」
 懐柔作戦……あまり上手くいってないようだ。
 そこで次の一手を繰り出す。持ち上げ「ヨイショ」作戦だ!
「だって、こんなに知識も豊富で仕事ができる方々ばかりですよ。そんな俗なこと考えないですよね」
「ま、まあな……この集まりは高尚なんだ。そして、我々は非常にストイックなのだよ」
「お……女なんて興味ねーし!」
 よしよし……ちょっとノッてきたぞ。
 持ち上げ作戦はなかなかスムーズだった。
 そろそろ本題に入るぞ〜。
 森下はトボけた口調は変えずに一気に畳みかける。
「やっぱり……じゃあ、合コンとか全然興味ないですよね〜」
「あ、当たり前だよぉ〜。行ったことな……いやあ……興味ないよぉ〜、そんなもん〜」
「我々はチャラい男、ガツガツした男どもとは一線を画す!」
「嗚呼、汚らわしい! 現代の女子などうるさいだけ。笑止千万!」
 よし! 紛れもなく、女にモテない集団だ。
 カノジョが欲しいけど、どうしていいのか分からない人たち……。これは意固地に合コンを否定するだろうな。
 だが、これも作戦のうち!
「そっか……残念です」
 森下はワザと肩を落としてガッカリした様子を四人に見せつけた。
「え?」
 「海藻系男子会」の面々は森下のひと言に動きを止めた。ストップモーションのまま、森下の表情に集中している。
 さあて、仕上げだ。鍋でいうと「雑炊」にあたる部分。これで、ご飯を投入して、出汁が染みていい味になる。
 森下は、最後の一手をついに繰り出した!
「実は俺の幼なじみがナースでして……合コンしようって誘われてるんですよ。向こうは二〇代前半のナースが五人。人数的にはバッチリだと思ったんですけど……他をあたった方が……」
 あきらめ気分の演技……ため息混じりだ。
 刹那っ!
 「海藻系男子会」の四人は一斉にガタッと立ち上がり、森下にすがりつくような必死の目で訴えたのだった。
「つ……連れてってくれっ!」

(わかめの章 ◆ 終)
表紙イラスト:布施月子(日本画アーティスト)

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