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夏草のひとりごと #12 ささやかな幸せは色褪せやすい

家に眠っている脳関連の書籍を最近漁った。
4冊ほど「これはよく読んだな」というものをピックアップして改めて読んでみたがどうも欲しい情報が書いてない。
(何を読んだかはいずれ別の記事で載せたい)

今回の記事の主題になる脳信号の馴化について説明したかったのだ。
記憶を頼りに作図してみた。

脳≒神経細胞の外界からの刺激に対する応答

こんな風に神経細胞が発達して脳という器官がある生物は、外界からの刺激を処理している旨が書いてあったはず。

主語を生物から人間にする。
図より、人間は新しい刺激に対して1度目と2度目では反応性が違うことが示される。
(ここまでは何かの脳の本で事実として書かれてたはず……)

これを読んで僕は、日常の出来事で置き換えると、例えばとてもおいしいものを食べて一生忘れられないくらいうまい!と思っても2回目は1回目ほどの感動にはならないといったことの1つの根拠になるのではないかと考えた。
何故なら、2回目の活動電位のピークが弱まっているから。

他にもあの人に酷いこと言われた!というストレス刺激に対して、毎度真に受けてられないから……と似たようなことが起きても反応薄い理由になりそうだなと思ったり。

もし本当にこういった仕組みになっているとしたら、人間の欲に底が無いのも頷けちゃう。感動の方面で言えば新しい刺激に応答できるように以前の刺激に対する反応が鈍くなるんだから。

そういう訳で僕は日々こんなささいなことで、ささやかな幸せが得られんだと発見したら、それ以降このことを思い出し鈍くならないように意識してる。
嫌なことはどんどん鈍くなって良いと思ってるけど、ささやかな幸せが感じられなくなるのは嫌だ。

癖をつけてからは忘れることはないと思ってたんだけれど、どうにも人間関係に限ってはそれが難しい。

家族、友達、恋人、会社の人……まあ色々な形があるけど少しずつ相手への理解を深めあっていくことはすなわち刺激が減ってきて慣れてくることになる。
だから昔その人から言われてウンウンと頷けたことが素直に聞けないとか、学習することがかえって裏目に出てるのかなと解釈は出来ていても、自分の気持ちを無視はできなくて。

人に対して冷めて、絶対にあったはずのその人とのささやかな幸せは色褪せる、とは言わないまでも色褪せやすいということは認めざる得なかった。

それでも誰かと一緒にいたいなんて不思議だよね。

味わいたくないからずっと1人でってことも考えた。
友達付き合いとか、パートナーがどうたらとかさ。
唯一家族はそうなってもどっちでもいいやだから居れるんでしょう。

難しいね、人って(チャン、チャン!)


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