夏草のひとりごと #25 相手が嫌だって言ったなら、思ったならまずは謝りなさいよ
なんか……もうこればっかりは最近そういうことが職場で見かけたのでということで書いている。
〇〇ということがあって困ってます、という事例が吸いあがって、その事案の要因となってしまった相手が「それは……」と弁明から始まる。
気持ちはよく分かる。
けれどもまずは「そういう風に悩ませてしまって申し訳ない」という一言があっていいだろうと僕は常々思っている。
いやいや、そんなもんいちいち気遣っていたらやってらんないよという心境なのだろうか?
これだけ沢山の情報が溢れて価値観が揺さぶられる現代において人が人の神経を逆なでしてしまうことは避けられないと思う。
言葉は無敵じゃない。
だから間違えることばっかりだ。
謝ったってダメな時はダメだし、理由があったって許されないことも当然ある。
それでも分かり合うのを諦めたくなかったら、歩み寄る必要がある。
その一歩が、嫌だって言ってるんだから謝りなさいよ!という非常になんとも単純でありながら感情むき出し感あってやりたくないのか、そんな対策ではないかと思った。
何故、こういうケースの際に謝るのが難しいのか?
プライドなのかなともしばしば思うが、違うのかもしれない。
引くに引けなくて勢いで言ってるとか、まあ背景は様々。
ああ、でも――嫌われてもイイよあんな奴、のパターンもあるのか。
自由だから、否定はできないけれど、排他的過ぎる気がしてしまう。
こっちから願い下げだわと人と人との関りを避けていると自分と社会(世界)の高低差が測りずらくなり、自己肯定感が下がるか反対に上がり過ぎて迷走していくような気がする。
それはきっと辛いことなのだと、想像してしまう。
自分を含めてもっと心の奥底の素直さが前に出せるといいのだけれど。