百閒をたずねて
いつか内田百閒の生地、岡山を訪れてみたい。
長らくそう思っていた。
内田百閒が岡山で過ごしたのは20年くらいの間。それからは東京に居を移し約60年、気がつけば東京暮らしの方がからだに馴染んでいたそうだ。
それでも一度、百閒が過ごした地を見てみたかった。
そこでゴールデンウィークも明けた頃、内田百閒ゆかりの地をたずねて、ひとり岡山へ行ってきた。
ほんとうは阿房列車よろしく電車でゆったり行きたかったけれど、あまり時間もなかったので今回は空の旅。列車の旅はまた今度。
岡山駅へ降り立ち、岡山城の方向へ30分ほど歩く。
街中を抜けると広がるのは百間川…ではなく、旭川。
百間川は、この旭川の放水路として造られたそうだ。
旭川を辿っていくと、内田百閒記念碑があるらしいので、まずはそれを目指していく。
歩いていくと、道路脇のちいさなスペースに記念碑が佇んでいるのを発見。
ぐるりと旭川を一周したら、そのまま街中へと逆戻り。
住宅街のなか、句碑がひっそりと佇んでいる。
句はよく読めなかったが、あとで調べたら
『木蓮や塀の外吹く俄風』
と書いてあるらしい。
そして、今度こそ内田百閒の筆名にも用いられた百間川へ。
そろそろ歩き疲れたなあ、と思いながら路地を抜けていくと、ふと目の前に土手が広がる。
ついに、百間川だ。
野球やテニスに精を出す学生がたくさん。
掛け声を聞きながら、緑道を辿ってみる。
観光地というわけでもなくて、今は地域に住む人たちの当たり前の生活の一部になっている、そんな風景。
内田百閒が暮らしていた時代の面影はきっとないのだろうけれど、この川の近くで過ごしてきたのだな、と思いを馳せるとなんだか感慨深い。これから百閒の随筆を読むとき、きっとこの風景を思い出すだろう。
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