魚水

本と美術とその他いろいろについて。

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最近の記事

読書記録|『御馳走帖』

百閒先生には、いろいろなこだわりがある。 たとえば毎日の食事はこんな感じ。 朝はまず、おめざに果物を一、二種類と葡萄酒。 そのあと、郵便に目を通しながら朝ごはん。 この朝ごはんについて書いてあるところが好き。 つぎはどの形を食べようかな、と選り分けながらビスケットをかじる姿、思わず頬がゆるんでしまう。 お昼はお蕎麦。 盛りかけ一つずつを半分食べる。 夏は早起きなので、お腹がへるから盛り二つを一つ半くらい。教師時代からの習慣だ。 そして、ようやくいちばんの楽しみ、晩のお

    • 百閒をたずねて

      いつか内田百閒の生地、岡山を訪れてみたい。 長らくそう思っていた。 内田百閒が岡山で過ごしたのは20年くらいの間。それからは東京に居を移し約60年、気がつけば東京暮らしの方がからだに馴染んでいたそうだ。 それでも一度、百閒が過ごした地を見てみたかった。 そこでゴールデンウィークも明けた頃、内田百閒ゆかりの地をたずねて、ひとり岡山へ行ってきた。 ほんとうは阿房列車よろしく電車でゆったり行きたかったけれど、あまり時間もなかったので今回は空の旅。列車の旅はまた今度。 岡山駅

      • こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ

        『こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ』岡田淳(理論社)が、第69回産経児童出版文化賞・大賞を受賞したそうだ。 こそあどの森シリーズは全12巻で完結していて、これはその番外編にあたる。本編が完結したあと、それでもやっぱりまたこそあどの森の住人に会いたい、という声がたくさんあったのだそうだ。私自身そのひとりで、発刊されたときは"またこそあどの森の住人に会える"とうれしくなった。 記事を見たのをきっかけに、今日あらためて読み返してみた。 こそあどの森に住むおとなたちは

        • 読書記録|『ひかりごけ』

          人の肉を喰らった者にしかあらわれない光の輪があるという。 それは、ひかりごけのように光を反射し、発光する。 その者に異端者のしるしを刻み付けるかのように。 実在の事件をもとにした表題作「ひかりごけ」は、食人というショッキングな主題が据えられていることにまず意識がいく。 でも、本当の意味での主題は、そこにはないのかもしれない。 船長は、同乗していた船員を喰らうことを決めたときも、食人の罪で裁判にかけられたときも"我慢して"いたという。 言うに事欠いて、“我慢している”とは。

          読書記録|『ぼくのおじさん』

          自分の子どもの頃、"おじさん"というのはどんな存在だったっけ。 ときどき遊びに来ては旅行のお土産をくれたり、好きな本の話を聞いてくれたり、身内ではあるけれど普段の日常の外側から来る人、そんな印象だった。おじさんが遊びに来る日にはいつもよりちょっといいおやつが出されるなんていう恩恵もあり、それなりにたのしみなことだったように思う。 でも、おじさんがいつも自分の家にいて、日がな一日ゴロゴロしていたら? 雪男くんのおじさんは、週に8時間だけ大学の非常勤講師をしている。お金がな

          読書記録|『ぼくのおじさん』

          春を見つける

          実家に戻るといつも散歩をする。 コースはだいたい決まっていて、1時間くらいで行って帰ってこられるくらいの道のり。 おきまりのそのコースを歩いていると、人には全然すれちがわない代わりに、季節ごとに移り変わる生き物や植物に出会う。 歩いていたら、白鷺が二羽、田んぼの真ん中に陣取っているところに通りかかった。 絶妙な距離感を保ちつつ、お互い同じ方向を見てじっとしているのがなんだかおかしい。 ひととおり巡って家に戻ったら、たまに遊びに来る猫がいないかパトロール。残念、今日はいな

          春を見つける

          青いストライプシャツ一枚で、

          昨日のこと。 急に気温が上がってあたたかな陽気。 むしろちょっと暑いくらいかも。 ちょっと悩んで、クローゼットから薄手の青いストライプシャツを出して着る。 このシャツ一枚でも十分過ごせそうだ。 なんとなく、青いストライプ柄は春のイメージ。 春の日射しのなかで見ると、淡い色味のあふれるなか、この青が爽やかでいいなと思う。 上着を着なくていいと、からだが身軽になって、ついでに気分も軽くなる。 そして、いつもよりすこしだけ活動的になるのだ。 最近あまりやる気が出なくて後回し

          青いストライプシャツ一枚で、

          春は模様替えから

          今日はめずらしく平日の休み。 ちょっとした所用があるほか、これといってやることはない。 とりあえず、いつもと同じように朝ごはんを食べて洗濯物を干す。 一段落してコーヒーを飲みながら、久しぶりに模様替えでもしようかなと思い立つ。 模様替えといっても、飾っているポストカードを掛け替えてみたりするだけなんだけれど。 いま置いているのは、ドアノーの写真3点とレッサー・ユリィの《夜のポツダム広場》のキャンバス。どれもお気に入りで、しばらくレギュラーメンバーだった。 いままでのは

          春は模様替えから

          ミロ展へ

          久しぶりに渋谷に来た。 人と建物とがひしめき合う、独特な空気感。 自分にはなんとなく馴染まないような感じがして、普段はあまり訪れない街。 でも、ひとつだけ度々足を運ぶところがある。 それが渋谷Bunkamura。 目当ては、地下1階の美術館。 人の波をくぐり抜けてここまでくると、ようやく少しだけ息がつける。 今日見に来たのは、ミロ展。 すこし前、堀江敏幸の『定形外郵便』を読んだときにミロのことが書かれていたのが記憶にあって、あのミロの展覧会か、と気になったのだ。

          ミロ展へ

          読書記録|『見えない都市』

          フビライ汗の統治する元の国。 マルコ・ポーロは、彼が旅をする中で遭遇した数多の都市を、フビライ汗に語って聞かせる。 ある都市では、前の日の残り滓はすべて葬り去られ、日々新しく造り変えられる。ごみは都市の外へと運ばれて、うず高く積み上がり、いつ崩れるともわからない。しかし、都市はなお、ごみを吐き出しつづける。(「連続都市1」) またある都市は、調和をもたらすようにと占星術師が綿密に計算したとおりに建設された。しかし、都市には不具の者ばかりが生まれる。占星術師らは、彼らの計算

          読書記録|『見えない都市』

          古畑任三郎第1シリーズ

          TVerで古畑任三郎第1シリーズが配信されていた。 再放送というと《ファイナル》をやることが多いので、第1シリーズというのは嬉しい。 古畑任三郎の好きなところは、“なぜ、犯人はそうしたのか?”という心理を鋭く見抜いてしまうところ。 たぶん、心理的な違和感→物的証拠という流れで解を導くタイプの探偵が好きなんだと思う。 そして、やっぱりあのキャラクター。 人を見透かしたような物言いに、相手を煙に巻く饒舌さ。妙なこだわりがたくさんあって、意に沿わないとすぐにへそを曲げる。できれ

          古畑任三郎第1シリーズ

          案外すんなりとカウンターデビューをしたこと

          すこし前のこと。 久しぶりに研修でグループワークというものをした。 初対面同士、お互いのいいところをひとつ挙げてみるというのがあって、私は「聞きながら頭の中で分析して組み立てたうえで話している感じがする」「説明の流れがわかりやすい」などというコメントをもらった。 予想していない方面からの褒めポイントだったので、内心えっ、と思ってしまった。 話を聞きながら頭の中であれこれ考えている、というのはたしかにそうかもしれない。ただ、それらを順序立てて話す、というのはむしろ苦手だ。

          案外すんなりとカウンターデビューをしたこと

          ポアロか、ポワロか、微妙に迷う

          『ナイル殺人事件』を観たあと、ポアロシリーズはどの辺まで読んだんだっけ、と思って作品リストを見ていた。 一作目の『スタイルズ荘の怪事件』から『邪悪の家』くらいはなんとなく読んだ記憶があるけれど、ストーリーはほぼ覚えていない。読んだの中学生くらいだものな。 あとは有名どころの『オリエント急行殺人事件』『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』くらいだろうか。 いちばんミステリ熱の高まっていた中学生の頃、第一作目から読んでいこうと思い立って読み始めたものの、あれだけ巻数があると順番

          ポアロか、ポワロか、微妙に迷う

          『ナイル殺人事件』を観た

          『オリエント急行殺人事件』に続く、ケネス・ブラナー版名探偵ポアロの2作目。 『シラノ』とどっちを観るか迷って、今日のところはこちらにした。 今作は、〈愛〉がテーマだったもよう。 ポアロもずいぶん人間らしい描き方をされていた。 過去のエピソードなど、オリジナル要素はケネス・ブラナー流解釈というところかな。『ナイル殺人事件』は原作未読なので、細かいところは比較できないけれど。 ひとつ言うなら、謎解きのシーンはもうちょっとじっくり見せてほしかったかなあ。 それにしても、ケネス・

          『ナイル殺人事件』を観た

          図書館で短編を拾い読みする

          週の真ん中にぽつんとある祝日は、何をするかちょっと迷う。 とくに予定はないけど、家に一日いるのもつまらない。 そんなときはとりあえず散歩に行く。 歩きながら、図書館に寄ってみようか、と思い立つ。 図書館は、遠くもないけれど近くもない。だから、散歩がてらにふらりと立ち寄るにはちょうどいいのだ。 さて、来てみたはいいけれど、いま読みかけの本があるのだった。借りていくとそちらを先に読まないといけない気分になるし。なんとはなしに、文庫本コーナーで短編集を物色してみる。 装丁が

          図書館で短編を拾い読みする

          日々をめぐることば

          うすぼんやりと霞がかった写真。 そのなかに、よくよく目をこらすとあらわれる文字。 『だいちょうことばめぐり』 今日読んでいた、朝吹真理子のエッセイ。 朝吹真理子さんは、以前トークイベントで拝見したことがある。そのとき、ことばをひとつひとつ、自分のうちから拾い上げてゆくように話すひとだな、と思ったことを覚えている。本書を読みながらゆっくりと文字をたどっていくと、その姿が重なってくるようだ。 うつくしい雲母に魅入って、その鉱石をそっと口に含んであじわった幼いころの記憶。

          日々をめぐることば