テスカトリポカ
感想というよりは鑑賞したいという気持ちがある。作者さんの言っている意味を推測しながら読んでいきたい。
まず、最初の章のコシモの母親についての話だが、これは見事にカルテルを外側から見た時の印象を表している。コシモの母親ルシアは、カルテルに翻弄される貧乏な一般市民の一人だ。昔ネットニュースなどで見た一般市民の死体を裸で土下座した状態で打ち捨てておくといった、残虐なギャングの印象を感じた。カルテルの残虐さは、書かれなければいけない部分だったはずだ。そうしなければ、後々出てくるバルミロをはじめとしたキャラクター達の妖しい魅力によって、悪は肯定されてしまいかねない。
ルシアの日本までの逃避行を追っていた本筋はコシモがある犯罪を犯し、少年院に入った辺りで一転し、舞台は現代のメキシコに移り、もう一人の主人公、バルミロに焦点が合う。あまりに暴力的な展開を、作者さんは見事に乾いた、しかし、過剰なグロテスクさを伴わない筆致で描き出す。バルミロの暴力は、目を覆いたくなるようなものばかりだ。しかし、そこを除けば、知的で「仕事熱心」な、極めて成熟した人間にも見えなくはない。
人に注目するのがこの作家さんの描き方で、人間の背景や持ち物、様子などを書くことで物語がリアリティを持ち始め、マイクパフォーマンスによってリングに立つ姿が際立つプロレスラーのように、登場人物一人一人が鮮やかに舞台の上に浮かび上がってくるのがすごい。すぐに舞台から退場してしまったキャラクターではあるが、バルミロがいると対抗組織に思われて襲撃を受けた店に不運にも居合わせてしまった老夫婦と孫を、その持ち物によって際立たせることで、この国では犯罪や死が日常と隣り合わせなのだと思い知らせてくる筆者の、その力量がすごい。
また、バルミロの逃避行は、あまりにも凄絶で、緻密な計画的なもので、それは、この作品の特徴をノワール的と名付けるに十分な、国際的な犯罪のためのルートを辿っていく。全てが作者さんによって調べられた現在の犯罪に絡むルートであり、人間はそこまでして富を求めるのかと思うと驚きを隠せなかった。加えて、一章のほとんどを占める、バルミロの祖母から父、四兄弟の家族の物語。…この話が直木賞を受賞した時、もう、この物語だけでも小説の一大テーマになり得るとも言われたこの物語の力強さには胸を打たれる。バルミロという人間の、純粋なまでの妄信と、悪の資本主義が噛み合ってしまったが故に、バルミロの行く手で悪夢のような暴力と資本主義が展開されていくのだから。バルミロの逃避行を見ているうちに、彼の狂っているとしか思えない暴力性の下に隠された緻密な計画性、用心深さ、頭の良さに、悪党に抱くには不自然な好意を抱いてしまった。
私の中で、「どうしてテスカトリポカの登場人物は悪役にも関わらず魅力的か」という謎がある。同情してしまう点、ピンチの時、手に汗握りながら応援してしまう点。三島由紀夫が語った、悪党についての言葉。たしか、佐藤さんのインタビュー等を追っていて知った言葉。なんと言ったか。思い出せないが、あれに尽きるかも知れない。ただ、私は、シートン動物記の「灰色熊の一生」を思い出した。生きることに忠実なバルミロの姿、その他の悪党たちの群像が、孤独で性格のわるい、しかし、限りなく力強い灰色グマと重なったのである。登場人物の魅力に触れながら、以下、本作のあらすじをなぞっていきたいと思う。
やがてインドネシアのジャワ島北西部、ジャカルタへやって来たバルミロは、様子見のためにやっていた屋台とクラックの売買を通して末永という日本人に出会う。末永は最初は本名を明らかにせず、バルミロも距離を置いていたが、やがてある事件がきっかけで、末永はバルミロを頼り、バルミロは末永の野望を聞いて一緒に事業を進めようとするのだが、そこで明らかになるのは、ジャカルタを背景にしてこれでもかと展開される、人間の欲望だ。薬物への欲望。末永の、人間として特別な力への欲望。欲望を餌にあらゆる闇の組織が利益を吸い上げているという、東南アジアの現状。欲望が繋ぐ、黒い資金回しの絆。それは、私たちからそう遠くない所にあるのだと思った。少しでも道を踏み外せば、例えば、海外にきたからと羽目を外して薬物でもやってみたらば、もしくは、金に困って海外で臓器を売ったりしたらば、それは海外の暴力団に資金を渡していることになるのだ。
また、ブラッド・キャピタリズムという言葉には、本当に衝撃を受けた。後に体の各部分がいくらするかという描写もあり、読んでいて、自分の肉体には生きている時の推定生涯年収より、死後の方が値がつくのだと理解した時は、頭を殴られたような衝撃を受けた。と同時に、この作品をもっと読みたい、平気で人の命をやり取りするバルミロと末永の行く末を見てみたいと思ったものだ。これはもう、悪の美学だ、と思った。末永の性格は一貫して冷徹である。自殺した兄にはそれほど思い入れがないように見えるし、自分が轢き殺してしまった少年にも一欠片も申し訳ないとは思わない。彼はどんな原動力で生きているのか、気になるキャラクターの一人だ。人間の死の間際にもプロテイン・バーを齧りながら立ち会える、こんなにも冷酷な人間はどこへ行き着くのか、知りたいと思わされた。末永を見たとき、私の中で、この作品が忘れられないもの、何度も読むに値するものになるという確信が湧き上がった。
一方で、主人公コシモを取り囲む、日本の物語もきちんと進行して行く。宇野矢鈴という変わった名前の保育園の従業員がいて、やはり麻薬の繋がりで、野村という闇医者にスカウトされ、表向きは自動保護を謳ったNPO法人の職員となる。その法人は、バルミロと末永の始めたビジネスに必要な無戸籍の子供を集めて来るのだが、宇野は、その組織の表向きだけを信じて仕事を始める。宇野の人間として特徴的なところは、その二面性にあるだろう。自分を特別と思い、今置かれている状況を不当と認識しているが、同時にひどい劣等感に悩まされてもいる。そういう、現代人の闇のような所がある。現代っ子に多いタイプだと思うのは、私は宇野より若干年上だが、この世代から下は、物質的に恵まれた環境に育ちながらも、自分だけで何かを成し遂げた経験がない人間も少なくはないからだ。遠いとは思えない憧れに身を焦がしながら、他人が敷いてきたレールからは逃れられず、どこかでそれを身分相応と思っている…そんな共通点が、自分と宇野の間にある。慈愛に満ち、使命感を追った女性と、自堕落で社会性のない人間が、ひとりの人間の中に同居している。だからこそ、彼女が最終的に自分に打ち克つという課題を自らに課すところは感動的なのだが、私は読んでいて、彼女こそ読者に1番近い登場人物なのだと思わざるを得なかった。恐らく、誰もが宇野のように、犯罪の片棒を担いでしまう可能性は、あると思った。
コシモは父親を殺し、その後弾みで母親を殺害してしまい、少年院送りになるが、刑事や司法官などからの目線でコシモのことが語られ、コシモの出自がやはり特異であることが示される。コシモは、父親譲りのけだものじみた暴力性と戦闘センスを持ってはいるものの、自分が危害を加えられない限り、その暴力性を発揮しないという性格である。それはまだ、いいことと悪いことの区別が付かない幼な子のような、ある意味純粋な情動と結び付いている。このような、善にも悪にも染まらない主人公の像の型は、他の登場人物、特に、悪事に手を染める人物にも当てはまる。後に出て来る伊川や、バルミロもそうかも知れないが、幼いうちから自分を取り囲む世界の残酷さに染まってしまっただけなのだという悲しみがそこにはある。たまたま、残虐な生き方しか知らなかったという事情が、このひどく戯画化された人間たちに、聖性すらもたらしている。
戯画化というのは、「普通に考えてこんな人間はゴロゴロいたらたまらない」という意味であり、文藝春秋のオール讀物の当時の本書の評で誰かが書いていた言葉でもあるのだが。伊川などは、私の目から見ても、逆に邪悪すぎて笑えてしまう、非現実的な存在である。ただ、伊川がモンスターに育ってしまった背景を考えると、急に「漫画的・符号的キャラクター」では済まなくなってしまうというマジックがある。この作品は、評で伊集院さんが言っていたような作品だと、私は思わない。資本主義社会が生み出した極端に道徳のない人間たちの内面を扱ってはいるが、だからといって、不道徳ではないと私は信じている。そういう、道徳的な片鱗が、伊川というキャラクターの背景からも垣間見えると思っている。
コシモは、その暴力性、そして器用さから、バルミロの組織に目を付けられ、そして、あることをきっかけに、バルミロの「ファミリア」として迎えられ、殺し屋として育てられていく。バルミロの考え方として特異なものが、家族(ファミリア)に関する考え方である。そこに愛情は少なく、もっと特殊な感情、いや、感覚と呼んでいいほどにドライなものがある。バルミロの考えるファミリアは、互いを裏切らない。また、日本で言うファミリアは、暴力性や冷徹さを共有しており、自分を裏切らないという程度のものであり、かなり胡散臭い。どちらにせよ、ファミリアが死んだらその報復を考えはしても、バルミロは悲しんだりする様子はない。そこに、一種異常な感じがする。
人は、いつか滅びる物、自分の元を去る物には執着しなくなるだろう。バルミロが身に付けてしまった家族への態度は、幼少期に父を殺されたことによる諦めではないのか。そうして、バルミロの中で復讐心だけが膨らみ、自分の兄弟や妻子が死んでも悲しむことは一切なく、鋼の意志で相手への復讐を望み、それが自分の「神」に忠実であることと信じて疑わない狂信者が生まれ、日本という舞台に於いて、死と災厄のキャピタリズムを作り出す様は圧巻である。バルミロが作り出したファミリアは、伊川をはじめとした、死を何とも思わずに撒き散らせる人間たちで構成されている。そこへ否応なしに、コシモも巻き込まれていく。日本でバルミロたちが壊滅させるゼブブスを襲うシーンが凄絶だ。のちに309ページを読んだ時のバルミロの資本主義論に対しては、バルミロと自分が見ている資本主義を同じものと考えたくなかった。
バルミロの生き方の背景にあるのが、タイトルにもなっているテスカトリポカをはじめとするアステカの神々である。アステカの神たちは、戦争と生贄を必要とする獰猛な神々であり、バルミロを通して、コシモにもその考え方は受け継がれる。コシモはアステカの神々に惹かれ、バルミロとの時間を、失われた自分と父親との時間と重ね合わせる。バルミロもまた、「ジャガーの戦士」を思わされるコシモを特別視している。
二人が家族を演じている様子は、私にはドライなものとして映った。コシモの方はともかくとしてバルミロの家族へのドライさをわかっているから。バルミロは、コシモのように未熟ではない。しかし、家族への感情さえ、極端に薄い。それでも、コシモにとっては初めて誰かに自分のためだけに語ってもらえる体験があって、少しは読み手にとっても救いではあった。
バルミロはファミリアに引き込んだ者の裏切りを許さず、それがファミリアの壊滅を促進していく一因でもあるのだが、彼の、ファミリアがファミリアであるために、敵を外に作り、生贄を捧げることが組織の内部崩壊を防ぐことなのだという考え方は、常に血に飢えたアステカの神々とも共鳴する、非常にラジカルで、かつ希望のないような考えではある。人間には暴力が必要だという前提のアイデアだ。
それと対立していくコシモの考え方は、聖書の一節から来ている。工房での師匠であり、もう一人の父親的存在、パブロの言葉である。コシモは、心臓売買の被害者になるはずだった少年がテスカトリポカの謎を解いたことで、バルミロさえ知らないことがあるのだということを発見し、そこから、バルミロのしている行為を疑い始める。こうして、バルミロとコシモという、ファミリアとして一旦一つにまとまった二人は、再び分裂を始めていく。
バルミロの行為を神を知らぬものではないかと疑いながらも、自分の行為についても神に叛逆しているのではないかと疑わざるを得ないコシモの幼さは、痛々しいものがある。もしも普通というものを知っていたらば、コシモは闇の儀式や社会に取り込まれることはなかった。選択肢はなく、もしもそのような道があるとしたら、それはコシモをコシモたらしめている要因が欠ける時であるくらいに、犯罪とコシモの生きる環境は密接である。そういう立場にいる少年少女は日本にどのくらいいるのだろうか。
コシモは、幼さ、若さを象徴するキャラクターでもあり、彼の髪が伸びていくのを見ても、テスカトリポカの分身を思わせる。また、作中唯一の、テスカトリポカ神を幻視した人間でもある。その心理のあり方は、最後まで子供のようで、善悪を区別してはいないように思われる。しかし、幼いからこそ、恐ろしいが魅力的なキャラクターでもある。限りなく死を近づけない強さ、若さ、そして悪と善を分からない無垢さは、神の性質に近い。だからこそ、コシモは、自分の心臓に忠実に生きた時、テスカトリポカを見ることができたのではないのか。
最後に、この話は怒涛の結末を迎えて、終わる。読み終えて、私が思ったのは、組織が壊滅する要因は、裏切りを徹底して許さない態度だということだ。許しこそ人間が持つ尊い感情であり、それを持たなかったバルミロの組織は自重で壊れていった。資本主義を徹底すると何が見えてくるのか。私はバルミロの言ったことを、そのまま信じるほど(かつてのコシモのように)幼くもない。行きすぎた資本主義はたしかに暴力の側面を持ちかねないが、人間には、行き過ぎを抑える力があると思っている。それが、パブロがコシモに教えたことではないかと思うのだ。
しかし一方で行きすぎた主義に走ることも、そこまで難しいことではない。人は必ず、許す力を持てるわけではない。自分を許せずに麻薬に走ったり、自分や家族を傷つけて殺した者を許せない。それどころか、侮辱を受けただけで相手を殺すという極端さを、人間は身につけうる。そのことを、この作品は教えてくれた。
また、この作品を読んで考えたのは、非日常や「悪」は、意外とすんなり我々を飲み込むかも知れない近さにあるということ。「怪物的な面を誰しもが持っている」とは、佐藤さんの掌編「くぎ」の中で主人公が考えることだが、そういうことも、特に宇野のエピソードから感じさせられた。
余談;
作者さんの他の作品も読んだ。奇しくも、最新作から順に処女作へ向けて読んでいく形となり、源流へ向かえば向かうほど露わになるのは、暴力性と愛情の、裏腹な関係性をこの作者は描きたいのでないかという、私の推測だった。QJKJQでは愛着が生み出す家族の物語がドグラ・マグラ調に織りなされてその凄さに舌を巻いた、アンクでは、人間の進化の謎を解き明かしつつ、ラストは主人公の家族の愛憎が話と絡みあっていて、はっと胸を突かれたように、私は泣いた。
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