それ、かっこよくないよ。
子どもは無垢ではない。大人が無垢で純粋だと思っていたいだけだ。
平気で嘘だってつくし、小狡いことも早々に覚える。大人に褒められるであろうことを、あらかじめ理解したうえで実行に移すことだってある。
かわいいと思ってもらいたい。
かっこいい自分になりたい。
その想いだけは純粋だ。「認めてもらいたい」に繋がる、まっすぐな欲求なのだと思う。
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かわいい自分になろうとする子がとる言動は、褒める類のものが多い。計算された建前としての言動であることもあるけれど、「かわいい〜!」「おいしい」「楽しい」「嬉しい」とポジティブな言葉の連発は、少なくとも誰かを貶めるものではないだろう。
一方、かっこいい自分になりたいのであろう我が子は、何かを否定的に見ることで「かっこいい自分」を演出して見せることがある。笑いながらわざと吐くような真似をしてみたり、キモいと言ってみたり。そんな類のことだ。対象は弟や女の子全般であることが多い。
本人には悪気はないのだと思う。半分おふざけなのだろうとも感じている。女性蔑視、なんてところに行き着いているわけではない。ただ、たとえ悪気がなくても、「〜なんか」と他者を落とすことは決して格好いいものではないのだ。
「それ、女のおもちゃじゃん」とか、「女なんか〜」という言葉が出るたび、「そういうこと言うの、格好悪いよ」と言い続けている。「え、ママも女ですけど」と添えて。加えて、男女で好きになるものを分ける必要はないことも伝えている。自分で自分の首を絞めなければならない理由なんて、どこにもないよ。
長男は自己肯定感がおそろしく低い。比較して育ててきたつもりはないから、本人の気質でもあるのだろう。ダメな自分も含め、全部をまるっと受け入れられないと、自分を立たせておくために自分より「下」を作ろうとしてしまうのかもしれない。
あいつよりはマシ。女子よりは強い。あの人よりは偉い。あの人より、あの人より、あの人より。
自分の力を誇示する必要は、本当はどこにもない。ましてや、他者を貶めてまで誇示したい力なんて全然素敵じゃないし、格好よくもない。上だとか下だとか、本当に小さなことだ。そして、小さいのに呪いになってしまうものだ。
小型犬ほど、よく吠える。幼い頃見た図鑑に書かれていた。自信がある大型犬は、ムダに吠えないらしい。犬を飼ったことはないから、本当のところはわからないのだけれど。
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誰かを見下したり、否定したり、貶めたりしなければ保てない自分の存在価値に、意味なんてない。そんなことで作り上げた見せかけだけの格好よさは全然格好よくなんかないし、どんどん自分の首を絞める鎖になるだけだ。
何かや誰かを否定して自分を肯定するのではなく、ただ自分の感情を素直に表現していればいい。自分の弱さを受け入れることは、決して負けなんかじゃない。格好悪いことを受け入れられることこそが格好いいことだと、わたしは思う。
言葉はその人の価値観を作る。だからこそ、我が子のおふざけの言葉にも、わたしは不快だと言い続ける。かっこいい人になれたらいいね。