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死ぬまでに、あといくつ箱を開けられるのだろう

久しぶりに、小説の赤ん坊を書いていた。

小説の赤ん坊とは、プロットにすらなっていないメモレベルのもののこと。セリフであったり、一文であったり、ただのキーワードでしかない単語であったり。そんな、形になるのかすらわからない、言葉の集合体だ。

目の前に、「はい、どうぞ」と箱を置かれ、ほんの少しだけ開けてみた、そんな状態。とりあえず、まずは中身を覗いてみて、見えたものをメモってみました、といった感覚だ。

「ネタ」というけれど、わたしにとって、箱の中身は「種」だ。育つかどうかは、植えてみないとわからない。


「ハチミツとクローバー」で、はぐちゃんが「残りの時間で、どれくらいの数の箱を開けられるだろう」と想像しているシーンがある。

彼女の目の前にもたくさんの箱があって、ひとつ開くたびに、新しい感情であったり技術であったりが飛び出してくるのだ。そのシーンの直前、彼女は作品集に載っている大理石の彫刻作品を眺めていた。「大理石はまだ彫ったことがないなあ」と心の中で呟きながら。


残りの人生で、いくつの箱が開けられるだろう。「やりたいこと」「やってみたいこと」を、いくつやり切れるのだろう。

一週間が本当に早くて、気が滅入りそうになる。時には無性に死にたくなって、一瞬で老後に飛ばないかとすら思うことがあるのに、暴風のように過ぎていく時間の流れが手の中にないことが、とても怖い。勝手な話だね。

植えてみた種のすべてが成長するわけではない。わたしは、残りの時間で、あといくつの種を育て上げられるのだろう。

種が入った箱を届けてくれたのは、ある曲だった。今はこの曲を繰り返し聴き続け、種に水をあげようと思う。


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卯岡若菜
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