家出をした
家を飛び出した。
たぶん、これはやってはいけないことだった。それでも、あのまま家にいたら自制心が吹き飛びそうだったのだ。
「あのとき、わたしはわたしなりにあの子を守った」
そう詫びながら言ったのは、マンガ「愛してるぜベイベ☆☆」に出てくる5歳の女の子、ゆずゆの母親だ。
夫を亡くし母子家庭になった彼女は、精神に異常をきたし、ある日娘をひとり家に残して失踪する。ゆずゆは叔母の家に保護され、高校生の従兄妹が面倒をみることになる……というストーリーだ。
連載当時中高生だったわたしは、ゆずゆの母親の気持ちがわからなかった。いくら辛かろうが、それだけはしちゃダメだろということをした母親だと思っていた。
でも、自分が母親になった今、思う。「わたしができる方法であの子を守った」の意味を。
おそらく、彼女はあのままゆずゆとふたりで暮らしていると、ゆずゆに害を与えてしまう恐怖があったのだ。精神的なものか肉体的なものかはわからないけれど、虐待に走ってしまう怖さがあったのだと思う。
幼い娘を置いて行方不明になってしまったこと自体も、ゆずゆにとっては深い傷をつける行動だ。精神的な虐待のひとつだろうと思う。でも、生きていれば取り返せる、ともいえる。取り返しがつかない事態からは、確かに彼女は娘を守ったのだ。
これはあくまでも親側から見ただけの「事情」だ。子どもの気持ちは介在していない。ただの言い訳、弁明であり、「正しい」親から見ると、とんでもない「悪」だ。
親だって人間だ。この言葉を自分においては「言い訳」だと感じてしまう。「だけど親でしょ?」の言葉はわたしの中で大きな位置を占めていて、だから、苦しい。
守らなければならないのは子どものはずだ。子どもを守るためには自分のことなんて二の次三の次にできるものだと思っていた。……現実には、そんなことなかった。わたしの心身が守られているという前提がなければ、わたしは子どもをきちんと守ることすらできない。
手を出しそうな自分、口汚い言葉が溢れ出しそうな自分を遠ざけるために、家を飛び出る。家には深夜から早朝までゲームやサッカー観戦で起きていた夫が寝ているから、とりあえず大人は家にいる。大丈夫かどうかはわからないけれど、彼は父親なのだから、食事の用意くらい何とかするだろうと思う。
問題はわたしだ。気晴らしに出てきたのではなく、どうしようもなくなって飛び出てきてしまったから、頭も心もぐちゃぐちゃだ。
楽しい気分にはなれそうもない。助けてと言いたい気持ちがありながら、誰に?とも思う。ただわたしがダメなだけで、同情票は集められても味方はいないだろう、そんな気持ちでいっぱいになる。呆れられて、好意を抱いてくれていた人にすら嫌われるのではとも。自分のことを自分で浮上させられなくて、何が大人だ、とも思う。
自分を粗末に扱いたくなる悪い癖が出そうで、だから酒も飲めない。あまり酔えないこともあり、肉体の限界まで飲んでしまうからだ。
言葉が紡げているから大丈夫。きっとまだ大丈夫。馬鹿みたいに繰り返しながら、指を滑らせて文章を綴る。このままどこかへ消え失せたくなる自分を何とか踏みとどまらせようと、何度も深呼吸をしている。
「正しい」方向に向かおうと、不満を閉じ込めていたのかもしれない。でも、その結果がこのザマか。
大変情けないことに、店舗の屋内駐車場に逃げ込んで、車内で涙を流しっぱなしにしている。何がどういっぱいいっぱいなのかもわからない。子どもがややこしい時期だからなのか、夫のことがあるのか。今は頭を空っぽにしたいのに、うまく空っぽにできない。精神的に甘えられる場所がほしくて、でもそんなことを言っている自分が情けなくて。
それでも、どこかでわたしはわたしを正当化させようとしている。本当、馬鹿みたいだ。
あのマンガを描いたとき、作者はまだ20代だったのではと思う。子どもはおろか、結婚もされていなかったのでは。あの作品を描かれたことをすごいなと思う。
ネタバレになるけれど、ゆずゆの母親は精神的な支えを得られたから、もう一度立て直せたのだよなと思う。脆い人間には、複数でもいいから支えが必要なのだろう。じゃあ、支えがなくなってしまったわたしは、どうすれば乗り越えていけるのかな。
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