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種
久しぶりに実家に帰った。あれもこれもうまくいかないことが続き、何とか支えていた最後の一本の柱も、つい先日ぽきんと折れてしまった。
どうしようもなくなって実家に戻ってきたけれど、一昔前のニュータウンには何もない。子どもたちはすでに成長し、大半がここを出て行ってしまった。ぼくもそのうちのひとりだ。……今となっては、「だった」だけれど。
「ゆっくり休みなさい」だなんて優しい言葉をかけてくれるわけもなく、今日も母親は「醤油と米、あと玉ねぎを買ってきて」と言う。心配する素振りすら見せない。のろのろと立ち上がり、母行きつけのスーパーに向かった。
幼い頃からあるそのスーパーには、レジの付近にガチャガチャがある。母親に連れられて来ていた頃、ぼくはよくガチャガチャをやりたいと言ってはあっさりと断られていた。十年以上ぶりに訪れた今日も、やっぱりレジ付近にはガチャガチャが六台並べられている。表示されている価格は、300円や400円。記憶上の金額よりも値段が跳ね上がっていて、目を瞬いた。100円でやらせてもらえなかった幼いぼくがこの時代にいたら、一度もあのレバーを回す感覚を味わさせてもらえなかったに違いない。
今時のガチャガチャの中身が気になって見ていると、そのうちのひとつが妙に気になった。白い紙に、ただ「種」と書いてある。写真もイラストもない。何の種かもわからない。一回500円と、妙に高い。収入が途絶えている今、こんなものにお金を使っている場合ではない。でも、どうしても気になって、ぼくはそのガチャガチャを回して、中身の見えない黒いガチャガチャを持ち帰った。
家に帰ってきたぼくを見て、母親は「お疲れ」と言った。ありがとうくらい言えばいいのに、昔から母親はありがとうが言えない。
ガチャガチャの中には、表示通り種が入っていた。それだけだ。育て方が書かれた説明書も、品種名がわかる紙も、何も入っていない。ただ、小指の爪くらいの大きさの種が、ころんと入っていただけだった。
植物を育てるなんてガラじゃないから、とりあえず庭先に種を埋めておいた。そしてそれっきり、種の存在を忘れていた。
「ちょっと、何これ!」
いつも通り二度寝を決め込んでいたら、母親の大声が聞こえてきて目が覚めた。居間に行こうと部屋を出たら、玄関扉を開けた母親が、そのまま外を向いて棒立ちになっていた。
「なに……?」
サンダルをつっかけて母親越しに外を見ると、見慣れない木が生えていた。二階の窓に達しそうな高さのその木は、昨夜までは確かになかったものだ。そして、その木には肉がぶら下がっていた。何を言っているのかわからないかもしれない。ぼくも自分が何を言っているのかわからない。けれど、確かに見間違いではなく、その木には肉がぶら下がって──正確に言うと”実って”いた。
「何、これ」
母親が言う。
「何だろう」
ぼくも言う。いや、確かに何がなんだかわかっていないのは本当だけれど、これだけはわかる。あれは、ぼくが植えた種だ。木が生えているその場所は、ぼくがあの種を埋めたところだったのだから。
この肉、収穫して食べられるんだろうか……なんて悠長なことを頭の片隅でぼんやり思いながら、ぼくは茫然とする母親の後ろで、肉の木を見つめている。
【今回のお題】「ガチャガチャ」「肉」
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