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名乗る覚悟

ライターには免許がない。わたしが片足を突っ込んだとき見た記事には、「書いて名乗ればライター」という言葉があふれていて、「え、そんな」と思ったものだった。

雇用されないフリーライターなら、確かに名乗ってしまえばフリーライターなのだろう。けれども、わたしは自分のことを「ライターです」とはなかなか言えなかった。

少年ジャンプに、「アクタージュ」というマンガが連載されている。女優への道をひた進む少女(と、最近出番がないけれど映画監督)の物語だ。

先々週号は、「プロの役者と素人との違いは何だ」というのがストーリーの肝だった。

ひょんなことから、巨匠・巌(いわお)の舞台に抜擢された主人公の夜凪景(よなぎけい)。まだ無名な彼女の配役に、ほかの役者たちから疑問の声が上がる。そのときに、「この子、素人でしょ?」という発言があったのだ。

巌は、「役者には免許はない。なら何をもって素人とプロを区別する?」と問いかけた。

「経験値」「売れているかどうか」役者たちから出される答えに、巌は「なら子役は素人か」「なら売れていないお前は素人じゃないか」と切り返す。

ここで、人気舞台俳優の阿良也が言う。

「役者を名乗る覚悟があるかどうかだよ」


夜凪は、以前「わたしは役者よ!」と宣言したことがある。オーディションでも、「役者」だと名乗った。

しかし、彼女は思い返す。「あれは覚悟じゃなかった」「自分の存在意義にしがみつきたかっただけ」と。

そうして、こうも思う。「今は違う。ひとつの作品のために、あの喜びのために、わたしは——」。


今でも、「ライターです!」と堂々と名乗れるかと問われれば、躊躇いを感じながら、といったところが本音だ。玉石混交のなか、「玉」に意識がいってしまい、自分を省みると「いやいやいやいや」とブレーキがかかってしまうのだ。

ただ、名乗ることで生まれる意識や覚悟もあるよなあ、と今は思っている。

わたしが控えめながら名乗れるようになったのは、取材案件を受け始めた頃からだろう。取材相手に「ライターの卯岡です」と名乗らねばならない必然性が、それを後押しした。

それまでも適当に仕事をしていたわけではないし、向き合っていたつもりだ。果たして、何が変わったのだろう。

きっと、そのひとつが、必然性に差し迫られて名乗るようになったことなのだと思う。名乗るようになって、名乗れるようになった。何だかごちゃごちゃだけれど、名乗りを繰り返すことで、どんどん小さな覚悟が積もってきたのではないかと思っている。

まあ、もちろん、名乗っているだけではダメで、仕事で示さなければならないわけだけれども。

「アクタージュ」でも、役者のひとりが「覚悟とかどうこうよりも、大切なことがあるでしょ」と言い、演技をして見せろと迫ったように。


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卯岡若菜
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