お金は目の前ではなく先にある
お金が好きだ。でも、稼ぐのは好きじゃなかった。
物欲はそれなりにある。だから、お金は必要で、「生きていけるだけあればいい」とまでは達観していない。ノストラダムスの予言の話を友人としながら、「恐怖の大王じゃなくて札束降ってきたらいいのにね」と言っていた小学生だった。結局、札束はもちろん恐怖の大王も降ってはこなかったけれど。
いつだって、やりたいことやなりたい職業がお金と結びつけられなかった。「こういうことやりたいんだよね」と口にするたび、母は「でも、それでは食べていけないだろうから、何らかで食べていけなきゃね」と言った。カウンセラーに興味を抱いたときに引っかかったのは、「でも、お金をもらって話を聞くのはしっくりこない」だった。
対価としてのお金は、今でも本当にむずかしいことだと思っている。特に、やりがいを感じられる仕事であればあるほど。仕事に対する考え方が、お金よりやりがいに傾きがちな人ほど。だって、そうはいっても、食べていけなければならないわけだから。
「NPO法人で働けばいいんじゃないの」と母は言った。お客さんからのお金が利益のすべてではないから、という理由だった。払える力がそこまでないけれど、話す相手や助けが必要な人はいる。そんな人に届けられるような仕事をしたかった。
「やりたいことが職業に結びつかない」がその当時の口癖で、フルタイムバイトをしながら創作をしたりブログを書いたりしていた。「仕事はお金のためと割り切って、創作にやりがいを求める考え方もあるよ」というのは、これもまた母の言葉だ。
「やりたいこと」を仕事にしたはずなのに、病んでしまった人を知っていた。父だ。やりたいことが職業にあり、かつその職につけたからといって、万々歳とはいかないものなのだなという感覚は昔からある。だから、興味があることが職業にならないのなら、「お金を得る」手段は割り切ってもいいのかもしれないと思っていた。
最近、「やりたいこと」に近い仕事ができるようになってきた。今、わたしがやらせてもらっている仕事は、最終的に届けたい「読み手」がただで読めるものばかり。でも、書き手のわたしはお金をいただける。もしかしたら、どこかの誰かのためになるかもしれないことができて、それが仕事になる。こんな形があったのだ。
この仕事に行き着いたのは、行きがかり上でもあった。「自宅でやれるらしい」がスタートで、「書くことは昔から好きだし、やってみよう」程度のチャレンジ精神だった。
そのときはまだ、この仕事で果たして何ができるのかなんてことは考えられなかった。先に読み手がいるという意識だけはあったけれど。(だから、「こんなこと書くと読み手がこうなっちゃいません?」と引っかかることがあれば、クライアント側に尋ねるようにしている)
いろんな仕事があって、その中にはメディアもあれば、メディアではない「書く」仕事もある。メディアも多種多様で、わたしが「職業にはならないよね」と思い込んでいたものに近い題材を取り上げているメディアもある。
……ということは、今のわたしは、そこで仕事ができるように努力を続けて挑戦すればいい。わたしだけでは仕事になり得なかっただけで、仕事にできるチャンスは、きっとたくさん転がっているのだろう。
お金は好きだ。でも、「結果的にお金がついてくる」のが理想だ。
甘いことを言っているのはわかっている。先立つものがなければどうにもならないのだから、がむしゃらにならなければいけないときがあることだってわかっている。
だけど、「稼ぐ」を掲げて仕事をするのは、やはりあまり向いていない。読み手であったり、依頼してくださる人たちであったり、そこにいる「誰か」のためになったり、喜んでもらえたりするためでないと、モチベーションを保ちにくいタチらしい。
そして、今の仕事は、自分のモチベーションを保てる仕事を選べる。(声をかけていただけると、よほど不適なジャンルでない限り「お役に立てるなら!」と受けるタイプなので、「選ぶ」のは応募側のときだけですが)
「生活のためだけに不本意な仕事をし続けたくない」と考えて飛び込んだこの世界。
あの頃より、昔抱いていた「やりたい」に近づけ、さらに結果として収入も上がった。ありがたいことだ。
「やりたい」に近づけるよう努力し続けたい。お金は、結果的に金額に反映するようになれたらいい。それだけの価値を自分の仕事に見出せるよう、今日もわたしは仕事をする。
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