【短編小説】孤独の飼い方
「――ああ、君でしたか」
古びた扉を開けた先には、細身で中性的な顔立ちの「その人」が立っている。「彼」なのか、「彼女」なのか、もしくはそのどちらでもないのか。「その人」のことを、わたしは何も知らない。
便宜上、「その人」のことを、わたしは「オーナー」と呼ぶことにしている。ここは恐らく何かの店で、オーナーはここの主人だからだ。
* * *
「孤独を、取り出したい?」
カウンター席の回転椅子に腰掛け、くるりと一周まわったあと、「うん」とわたしは答える。
オーナーは、先刻から小さな試験官を磨きつづけている。時折、キュッ、キュッとガラスが擦れる音が響く。
「取り出して、どうするんです?」
オーナーの手つきを見つめながら、カウンターに両手で頬杖をつく。胸が、チクチク、小さく痛んでいる。
「……だって、いらないじゃん」
「いらない?」
「いらないよ。こんな、だって……つらいよ」
オーナーは手を止めて、わたしの瞳をじっ、と見つめる。
「いらない?」
瞳を見つめたまま、オーナーは繰り返す。吸い込まれていきそうな、すべてを見透かしていそうな、色素が薄い、茶色の瞳。
「……だって」
この瞳に見つめられると、わたしはことばが途端に不自由になる。
「さみしいのって、つらいでしょう?」
ようやくそうことばにすると、胸が一層強く痛んだ。
「取り出すことは、できますよ」
しばらく間があいたあと、何でもないことのようにオーナーがつぶやいた。試験管は最後の一本が磨き終わるところで、丁寧に紫色の布で拭き上げると、オーナーは満足そうに試験管を天井の照明に照らして微笑んだ。
「この、試験管に」
わたしは頬杖をついていた手をあごから離す。
「その、試験管?」
「そう、この、試験管」
オーナーは穏やかな笑みを浮かべてうなずくと、わたしの目の前に試験管を差し出した。
「ここに、君の孤独を閉じ込めることができます」
「嘘でしょ?」
「いいえ。ほら、ご覧なさい。試験管が入っていたケースに、注射針が入っているでしょう? これで、吸い出すんです。人の孤独を」
確かに、オーナーが指し示したところには、鈍く光る注射針が臙脂色のクッションの定位置に収められていた。
「そうして、この試験管に入れて、蓋をするのです。そうすれば、君はもう孤独に耐えずに済むでしょう」
「じゃあ、」
「でも」
二人の声が重なって、しばらくお互いに口を閉ざす。
かち、こち、かち、こち。
今までは気にならなかった古びた壁掛け時計の秒針の音が、規則正しくリズムを刻んでいる。
「その代わり、君は人を愛せなくなるかもしれない」
オーナーは微笑を止めて、わたしに言う。
秒針の音が、鳴り止まない。
胸の痛みも、治まらない。
オーナーは、再び笑顔を戻して、
「何か飲みましょうか。フルーツがあるので、生搾りのドリンクにでもしましょうか。それとも、あたたかなココアの方が、いまの君には適しているでしょうか」
そう、何事もなかったようにことばをつづける。
わたしは、弾かれたように
「ねえ、待って。その注射器と試験管、いくらなの?」
と身を乗り出す。
「やめておきなさい」
オーナーは穏やかに、それでいて毅然とした調子で答えると、試験管をすべてベルベットの指定席に戻し、ぱたんとケースの蓋を閉める。
「その孤独は、君が君の中で飼い慣らしなさい。孤独なんて、観察するようなものではないよ。内側に閉じ込め、共存していくものでしょう?」
淡々と、オーナーは言う。ケースを陳列棚に戻すと、
「さて、では、何か飲みましょうか? サービスしますよ」
と振り返って微笑んだ。
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