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「まあいっか」と「しょうがない」

気づけば、「しょうがない」が口ぐせになっていた。実際に声に出すわけではないけれど、心の中で、たびたび「しょうがないよね」とつぶやいている。

大人は「まあいっか」でできているといったのは、「ソラニン」の芽衣子だ。はじめて読んだとき、わたしはまだモラトリアムな学生(休学直前)だったのだけれど、「うわあ」と思ったものだ。「まあいっか」で受け流せる姿が、なんだかリアルで。

そこから約10年が経ったけれど、わたしには「まあいっか」精神はあまり育たなかった。むしろ、「まあいっか」ができないから、しんどくなることも多いんだろうと思う。

ただ、「しょうがない」も、同じく一種の「大人」なのかもしれない。良くも悪くも。いや、悪いのかな。「まあいっか」の方が、少しポジティブなだけましかもしれない。「しょうがない」は、耐えている雰囲気が感じられるから。


「しょうがない」ことは確かにある。けれども、「しょうがない」を自ら刻み込み続けるのは、なんだか悲しい。「しょうがなくない」ことだって、きっとたくさんあるはずなのに。

飄々と生きていける人を見ると、「ああ、大人だなあ」と感じる。本当にその人が飄々としているのかどうかも知らないくせに。

そういう人はジタバタなんてしない。(ように見える)ストレスとの向き合い方もうまい。(ように見える)無意識に比べてしまうわたしは、すぐに心がぐらつく人間だ。

だからこそ、ぐらつきを阻止したいがゆえの「しょうがない」なのかな。

過度な「しょうがない」は、心が乾く。本音と向き合えていないから、心が軋む。

芽衣子は悪い意味で「大人は“まあいっか”でできている」といったけれど、「しょうがない」で出来上がるよりも、「まあいっか」の方がまだいいような、そんな気がしている。


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卯岡若菜
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