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上滑りしていく足を地につける、夜

エネルギーが弱まってくると、夜のほうが何かと捗るようになる。

子どものワアキャアいう声に、わたしはいともたやすく侵食される。前までは踏ん張っていられたようにも思うのに、今や抗うすべなく思考回路はショート。一挙に睡魔が襲ってくる。まるで気絶か充電切れかを起こすかのように。

わたしがめっきり弱くなってしまったのか、はたまた子どものエネルギーが増強されているのか。まあ、両方なんだろう。

わたしのエネルギーは静かな青色で、子どもたちのエネルギーはすべてを飲み込むような音を立てて燃える赤だ。静かに燃え立たせておきたいわたしのエネルギーは、子どもたちの勢いの強すぎるエネルギーに巻き込まれ、そして力を失う。

わたしにはわたしのテンポがあって、早歩きを強要され続けると途端にへばってしまう。子どもたちのほうが、おそらくわたしよりも歩幅が大きく、また常に全力疾走しているんだろう。

わたしは、せっかちで短気だ。おまけに早口でもある。お世辞にもおっとりなんかしていないし、落ち着きもない……と思う。

だけど、短気が芽を出しはじめると疲れを感じる。手綱を握っていられなくなる感覚があって、そうなると体と心がちぐはぐになる。短気だけれど、短気なペースはわたしにとって最適な速度ではないのだろう。

ゆっくり考えごとをするゆとりは、わたしにとってとても大切なものだ。思考が上滑りしていく状態を、決して長くは続けられない。何かに追われ続けている感覚は、だからきっと健全ではないのだろう。追われるよりも、追っていたい、みたいな。

自分のペースを取り戻して、自分を再確認する。がたついた体と心を噛み合わせるために、本を読んだり漫画を読んだり映画を観たりする。ひとり夜中に起きているのもいい。夜はいつだって静かで、わたしのことを邪魔しない。


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卯岡若菜
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