再掲)寄付ってなんだろ
けっこうな数の記事を消していたりするのですが、使えそうな記事はもう一度掘り起こそうかと思った次第です。
使えないのって、なんだよ!って感じですが、とりとめの無い内容だと判断したものだと考えて頂ければ結構です。
2022年6月25日
この1週間に3件の寄付の依頼がきました。それほど、対した金額を寄付できるわけではありませんが、快く承諾しました。私としては、寄付をすることは対価を得るものではないという考え方があり、昨今の日本の寄付文化をみていると、もやもやすることがしばしばあります。もやもやの顕著な例としては、「ふるさと納税」です。商品+節税とゴリゴリに本来の意図から脱線できてしまいます。泉佐野市の一件からみても、金に対する人の欲望が浮き出ていて、私的にはドン引きでした。説明不足から始まり、性善説のごとき純粋にシステムを使われると考えていた総務省。財政難の地域はシステムの隙間を狙って金儲け。どっちも違うしもやもや。お金さえ集まれば、どんな形であろうが寄付してるんだからいいじゃないかという考え方は否定しませんが、継続的な支援を必要とするところには、何かで釣って寄付金を集めるというのは無理があると考えます。
寄付をしようかと考えましたが、私はやめました。
大きな理由としては、世界遺産であること。観光ビジネス化が顕著になっていること。この相まみえぬ点から見送りました。
寄付している人の内容を見ると、全力応援の方が結構多くいらっしゃってなんか良かったって感じです。
世界遺産であること、と書きましたが、世界遺産であるには登録された施設、または無形の文化などは維持できることが前提となります。世界遺産登録は、無形、有形の遺産を維持管理し、後世に残していくものであって、本来、観光ビジネスとは一線を画すべきものです。自力で維持が困難とした法隆寺の今回のクラファンは、そうした一件から崩壊の糸口が見えたのではないでしょうか。
法隆寺が歴史的な価値をもった施設だということは重々承知をしております。伽藍の配置、金銅、仏教美術など大きな価値を持っています。
しかしながら、主にこれらを維持していくのに、観光収入(主に修学旅行)であることが、今回のクラファンにつながっており、世界遺産登録は観光を促進するという面でしか捉えられてないという結果が観光強国(県)で起きたのだと考えます。維持費の捻出のための下鴨神社のマンション建設の一件や、観光に期待した石見などにも通ずることですよね。
残念ながら、今の日本における寄付文化は未熟でしかないと考えます。純粋に寄付して何か特があるかと言われれば、無いかもしれません。でも、これで誰かが、何かが助かっているのであればうれしい気持ちにはなります。どこかで困っている何かを支えていくことは、自分自身が支えてもらってきたからこそできることで、巡り巡っていくことなのだと考えています。
クラファンは上手く活用できれば日本の寄付文化に一石を投じられるかも知れませんが、まだまだ釣らないと立ちゆかないのかなと。
少し前ですが、ある施設が改修を余儀なくされ、畳一枚分の寄付をしました。返礼品が欲しかったわけではないのですが、このクラファンを知るきっかけがまさにこれで・・・。
以上。