須藤廉花展をみて
しぶしぶ書き終わる。嫌なわけじゃ無い。私にとっては非常に書きづらい出来事だったから。こんにちは。
須藤廉花展ってどんな感じ?と概要だけ知りたい人には、この記事は不向きなことをお伝えしておきます。
書くか書かないか少し悩んだ。適当に流して書くなら意味は無いし、誰かが似たことを書くだろう。どこまで踏み込んで書けば理解してもらえるのかの線引きがわからない。もし、何かありえないことが起こって多く読まれることがあれば消すかもしれないことは、断っておく。
先日に上田を訪れた際に、無言館に寄っている。寄っているというより、ここが目的だ。ここは戦時中(15年戦争、主にアジア太平洋戦争期)に、戦争によって夭折した画家の作品や遺品が収蔵され展示されている、少し特殊な美術館。数年前にも訪れているが、入館料が1000円と固定されていた点以外は特にかわりはない。
ここに展示されている作品は戦争末期のものが多く、痛みが激しいものも多い。経年劣化によって傷んでいる作品も多く、また画布や画材などの質の悪さも感じる。
展示されている作品の多くは20~30歳前後で戦争によって夭折した画家によるもの。適正年齢のため徴兵されたり、学徒出陣で文系教育を受けていた学生が兵役猶予を待たず繰り上げ卒業を強制され、戦地に向かうことになった画家も多くいます。そうした、死というものにリアルに直面した状態で、画家は何を描き残したのかをここで見ることができます。
ただ、画家といっても必ずしもプロであったり、芸術的な感性と作品を見せたりなどということは少なく、どちらかといえば未熟な、発展途上な作品が多く並びます。しかし、彼らは描くことに命を燃やしてきており、その作品がを一同にみると、思いの丈の一片を感じ取れるような気がします。
なぜ、無言館の話をしなければならないのか。これは「夭折」とは何かということを知らないと、これから書くことが読み解けないのではないかと考えたから。夭折とは「年が若くて死ぬこと。わかじに。」(日国)とあるが、「夭折」という言葉を使用する場合は言葉通りに単純に、簡単には使われていない場合が多い。説明するのが非常に難しいが特殊性を帯びていうというか帯びさせているようである。ただ、迫り来る死に対して、少なくとも彼らは生というものを確実に第一義に考えていただろうとは作品をみて言える。
須藤康花 ―光と闇の記憶―
須藤康花1978~2009年
夭折した画家として、HPやポスターにある。
私は、松本市美術館にくるまで彼女のことは知らなかった。全部、初見。
12歳ごろで、この絵の完成度。《北海道・赤トンボ》は子供らしさもあり、かわいらしさを感じるが、模写に至っては大人顔負けだろう。絵を描くことが、本当に楽しかったのだと思う。
しかし、彼女の画風は、母の死と自身の病気と立て続けに襲われることで一転してしまう。
《集眼》をみて、靉光《眼のある風景》を思ってしまった。彼もまた、同じような画家。
全体的には、鴨居玲のような、息が詰まる感じ(方向として違うが)。
彼女の作品をみていて非常につらかった。私みたいなアウトサイダーというか、ドロップアウトした人間が果たして生きていて・・・・と思うことは、いくらでも出てくる。ただ、文字に起こせないし、怖い。生きながら消すことはできない記憶、忘却できない過去は今を襲う。
長野県麻績村に移住した先での風景を描いている。彼女の画力があれば、なんでも、どうやっても描けたと思う。残された作品の中では、誰もが見やすい作品。
光と闇を描いたと、各所の解説になってますが、私の受け取り方は少し違う。光は、無くてはいけないもの、絶対的に、生きてるんだから。そこを覆うようにして闇が襲ってくる。どうしようもなく襲ってくる。描きたい光が失われていく。どうにか、光を伸ばしたい。
光と闇の対比ではないと思ってる。ただただ、無慈悲に浸食してくる闇と、生きる理由として残されたかすかな光を独立させて画面に落としているのだと思う。理解しがたいかもしれないけど、そんな気がする。そう思って・・・。
良くも悪くも、正しいも間違いでもアウトプットしていくと言う精神でnoteを始めたこともあり、書かないのは逃げてると思う節もあり、書ける範囲で書いて見た。
こうした、強烈なインパクトを残していることは(受け手による)、彼女の画業と、この展覧会に意味を感じることができた。芸術というものは、誰かに、その時々に訴えかけることで成功したといえる。深く刺さりました。死というものは無情に襲いかかってくる。どうにもならない。やさしい世の中にはなっているのだと思うが、生きやすいとは感じない。
最後に、夭折した=才能があるような受け取り方はしないでほしい。年齢と才能は関係が無い。近代では小倉遊亀、片岡球子、現代で堀文子と長生きをした画家も多く存在する。草間彌生氏だって長寿だし、昨年亡くなられ、無言館の運営に関わりのある野見山暁治氏も長く生きた。
夭折した方は、果たして才能のすべてをだしきれたのであろうか。出し切る前で評価してしまっていないか。
「夭折」という言葉は嫌いかも。一人歩きするし、どこか死を美化している。その儚さを・・・少し、少し好きじゃない。