見出し画像

メンタルケアの日

一日中、霧雨が降ったり止んだりしていた。朝からうっすらと頭痛が続いていて、YouTubeを見る、ばっかり続けていた。

ただ、今日は月に2回行っているカウンセリングの日なので、外に出なければならない。

カウンセリングには今年の夏から通っていて、ずっと抱えていた自分の苦しみを少しずつ整理している。
自分の気持ちについて話すというのはとても難しくて、つっかえながら話して、毎度泣いている。厳しく何かを言わられるという訳ではなく、話してると自然と涙がこぼれてきてしまう。
辛い話をしているから、という単純な理由はしっくり来ない。問題に関わる内容とはいえ、何気ない内容について話しているつもりでも、涙が出てくる。スッキリとした涙だ。受け入れて貰えた、みたいな安心感はあるのかもしれない。そのために流れた涙、のような気はしている。でも未だ、分からない。

整理しなければならない問題はたくさんあって、それでも今、いい方に向かうことが出来ている実感もある。
カウンセリングは決して優しいことを言われ続けるわけではなく、話を聞き、必要なことには時に鋭く尋ねられる。話したあとはいい気持ちでいるのだが、いつも行く前は緊張するし、構えてもいる。
今日は雨だったから余計にちょっと沈んだ気持ちでカウンセリングへと向かった。

いつもカウンセラーの方は自分から話すのではなく、「どうぞ」とだけ言って、私が話し始めるのを待ってくれている。その初めの一言はいつも緊張する。だけど、そのあとは時に促されつつ、時間いっぱい話が続いていく。時に返される言葉にどきりとしながら。

いざ終わってから外に出ると、やっぱりスッキリとしていて、なんだか外の空気も澄んでいるような気がして、足取りは軽い。頭の中で今日のカウンセリングの内容を反芻し、自分のノート(このnoteではない)へと書き留めたりする。話したことと、その時の気持ち。

緊張するけれど、この時間は私にとって大事な時間だ。家からはそれなりに遠いし、安くはないけれど。もちろん早く私が変化して、終われたら、という気持ちはある。それでも、いまの私には必要だと感じている。私が私として立つことが出来る、芯を得るまで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?