秋の漂い⑩ 軽井沢高原文庫をたずねて
軽井沢駅に降りると、澄んだ空気を感じました。
ホームからは、アウトレットの建物が見えます。
バスで、軽井沢駅から塩沢に向かいます
軽井沢高原文庫は、沢山の木でおおわれ、木漏れ日が差し込み、すがすがしい空気と小鳥のさえずりの中に佇んでいました。
夏期特別展「生誕110年 立原道造展」が開催されてました。
立原道造は、詩集『萱草に寄す』『暁と夕の詩』を刊行するなど、詩人として活躍。また将来を嘱望された建築家で、浅間山麓に構想した芸術家コロニイや小住宅・ヒアシンスハウスなどの設計思想は、多くの人々に愛され、今日まで語り継がれています。
実際の設計図を目の当りにして、繊細で精密さを感じました。
堀辰雄山荘は、「幸せを呼ぶ世界の蝶と蝶ことば」の開催に向けた作品の入れ替え中だったため、ゆっくり見ることは出来ませんでしたが、雰囲気は感じることが出来ました。
堀辰雄山荘は、堀辰雄の没後には、深沢紅子夫妻が住まわれ、後に軽井沢文庫に移築されたそうです。
野上弥生子は、北軽井沢大学村で一年のほとんどを過ごしました。山荘の離れ「鬼女山房」を軽井沢高原文庫に移築されたものです。
野上弥生子は野上豊一郎と学生結婚でした。
野上豊一郎は、第一高等学校及び東京帝国大学英文学時代の夏目漱石の教え子であったことから、野上弥生子は漱石の指導を受けて作家として成長していきました。
「浄月庵」は、父の没後に有島武郎が譲り受けた三笠の別荘です。
雑誌記者波多野秋子と情死した場所で、現在は軽井沢高原文庫に移築保存されています。
1階はカフェ「一房の葡萄」が、二階が展示会場に使われています。
軽井沢を訪れ、愛し文筆活動した文学者は沢山いらっしゃいます。
軽井沢を愛する、軽井沢の魅力がわかるような気がしました。
避暑地として有名ですが、秋を迎えても避暑地としての役割を果たしているようです。
軽井沢は、何度行っても再発見のある素敵な避暑地でした。
御室文美子
一部、軽井沢高原文庫ホームページ参照