シェア
岡田泰紀
2021年6月4日 21:51
煙草の臭いがする。サキは刹那の部屋に上がると、その乾いた埃っぽい残香に、なんとも言い難い不安を覚えた。それを聞こうかどうか、心の中で躊躇した。二つに一つだ。刹那が誰かを部屋に上げた。その場合、親しい友人がいるとは思えない娘には、男の影を疑いたくなる。もしくは、刹那自身が喫うということ。自分が知る限り、今まで喫煙体験を持たない刹那がそれを選択したということは、決してポジティブな行動
2021年6月7日 00:06
その日、絆を保育園に迎えに行くと、刹那は保育士の先生から声をかけられた。「実は…」ちょっと苦笑いを浮かべて話したのは、些細なことですというポーズかもしれない。「昨日きずな君が、気のある女の子にキスをしたみたいで、まあ、キスというよりはほっぺにチューみたいなもののようで、女の子から聞いて本人には注意したんですね。でも、今日もまた同じことになって、女の子が嫌がって、少しきつめにお話させても
2021年6月13日 23:05
「どうやったら、刹那を納得させれるかな?」ほうれん草のムースをかけた鰆のソテーを配膳しながら、サキは田辺に聞いているのだけど、多分自分が期待した答えは返ってはこないだろうと思っている。サキは、最低限の買い物と絆の保育園への送迎以外は社会との繋がりを断ち続けている刹那に危機感を覚えている。ただでさえ、あまり人との関係を欲しない娘が、犯罪加害者家族となったことでストレスを抱えているにもかかわ
2021年6月19日 22:33
「地獄への道は善意で固められている」と、刹那は聞いたことがある。しかし、今感じているのは、それが偽りですら、微塵の善意も存在していない孤絶した道程だという惨めさだ。世の中には、そんな自分よりも辛く悲惨な境遇の人たちが星の数ほどいて、その中の数多くの人たちが、その境遇をバネに力強く生き抜いている。でも私は、そんなポジティブな人生を望む気持ちにはなれない。自棄になっているのではない。そも