「プリンを食え」 その人は言った。
人より少しばかり余分な向学心を持ち合わせていたばかりに5年ほど大学に通い、卒業するも定職にも就けず、かといって何かを起業するでもなく。
毎日を「出来の悪い」DTPオペレータのアルバイトとして過ごすことで口に糊していた20世紀の終わり。
そのころのアルバイト先は、梅田にある口紅の形を模したビルに2フロアを構えていて、100人を超える若者を抱た大所帯。親会社の関係もあってなのか、自社・他社を問わず多数の紙媒体のDTP制作をしていた。
当時はまだ各種のタウン誌や中古車情報誌、結婚情報誌などが花盛りで、最寄り駅の駅前には個人でやってる本屋が残っていた。
テレビを点ければJ-PhoneのCMに藤原紀香が出ていて、世間ではKENWOODの携帯が流行り、Nokiaのちょっと厳ついデザインの携帯に憧れるも手に入らないといった頃。
そもそも「ケータイ」にはカメラなど付いておらず、電話とメール以外の機能に乏しいもので、特段にやり取りする相手が居ない私はと言うと、家に帰ればテレホーダイでいつものサイトを巡回する、と、いうような日々。
毎日口紅の底面あたりにある警備室横の裏口から入ってエレベータに乗り自分の席へ。
席についたら、Macの電源を入れてアイコンパレードを眺めてからQuarkを立ち上げ、キャビネットの上に置いてある原稿入れからA3が余裕で入る大きな封筒をピックアップし、その日の仕事、開始。
タウン誌
情報誌
旅行パンフ
チケット誌
封筒内に入っている材料を元に、決められたレイアウトに決められた素材を流し込み印刷、校正へ。
私はどうにも集中力がなく、また、生来の粗雑さから提出したものに大量の朱書きが入って返却される率が高く、出来が悪い、とされていた。
しばらくして、組織の再編に伴って作業を担当する媒体が固定された。
なんでも、東京の事業所で作成した仕組みを使えば、たとえどんなに粗雑であっても相応に効率的に作成できる、と、偉い人たちが踏んだらしく、月刊と言うには少し短いサイクルで2種色違いのものを作る、とのことだった。
実際に仕事が始まると、予想外・想定外多く。
そもそも自動処理で完了するはずとされていたことが実現せず、どうにか処理されたと思われたデータも歪なものであったことから、すべてに手直しが必要といった有様。
次第に6名のチームは殺伐としはじめ、残業とミスが増え始める。
ある日、下版が終わって少しだけ余裕があった。
その日、隣のチームは大きな変更を喰らったらしく、猖獗を極める状態。
リーダの一言により、6名のチームのうち4名を投入しての火消し。
実際に作業することなく「助かった」と言われたリーダは何故か自慢げだった。
またある日、社員旅行のような行事があるとのことで、自動処理の部分を握っていたリーダとエースとも言えるメンバがおらず、3名で作業をせねばならなかった。
傍目にも状況が破綻していることは明らかではあったが、若者が多い職場ゆえなのか、思いやりがないのか、何なのか。どこからも救いの手はなく。
先だって火消しに参加したチームからは「大変ですね。お先です」と。
見かねたリーダの同期が連絡を取り、納期の調整と手伝いを申し出たが、
「働いたから旅行の権利があるのであって、それがなくて残ってるメンバに関しては、その程度仕事は自分たちででしてもらわないと困ります。」との回答であった、と。
つまるところ、棄民。
自動処理による下地づくりが叶わなかったその日、初めて朝3時まで作業をし帰宅。
翌9時より、作業再開。
このような状況が2度ほど繰り返し、その日もまた終電が出てしまい同様に繰り返すのかという時。
リーダも居ないので、作業から離れるために誰も居ない喫煙室で目を閉じて休んでいると、作業技術上の師匠となる方に声を掛けられる。
曰く、
「プリンを食え。買いに行くぞ」
と。
警備室横の裏口から外へ出て、AM/PMに入りチルドケースの前に連れて行かれ、
「選べ」
と。
疑問符いっぱいのままひとつ選び手渡すと、師匠は同じものをもうひとつと、ペットボトル2本を持ってレジに。
先を歩く小柄な師匠のあとを追いかけ、警備室横から中へ。
席に戻ると自分の分のプリンとペットボトルを袋から抜き出した師匠が、私の眼前に残りのプリンとペットボトルの入った袋を突き出して言う。
「誰もおらんし、まずは黙って食え」
言われるがまま、プリンを食べていると椅子をこちらに向け、先程までとは違い、少し柔らかい口調になり
「行き詰まってどうしようもないときは、コンビニにプリンを買いに行け。
そして、まずは食べろ。仕事はその後」
「なんでプリンなんですか?」
「まず、コンビニに行くことで目の前の作業から離れることができる。次に、プリンは何種類か必ずあるから、それを選ぶことで作業を頭から追い払える。甘いものでリフレッシュできるし、何よりも。両手を使わないと食べることができないから、たとえ席で食べたとしてもマウス使えないから仕事ができない。」
結局その日も3時まで作業したが、少なくとも孤独ではなかった。
その後もしばらく続けたが、粗雑であることは改善されなかったことや、大小のミスが続いたこと、業務の仕組みが改善されなかったこと、媒体の変化、そもそも職場との折り合いが付かなかったこと等々あり、などからそこを離れる。
師匠の教えである
「行き詰まってどうしようもないときは、プリンを食え」
を胸に。
惜しむらくは、この教えをくださった師匠が自らその教えに背き、両の手でものを食べることをせず、机から離れることなく無理を続け、そしてその結果。数年に一度、プリンを供えに行かねば会えぬ人となってしまったこと。
だから、私はこれからも。
師であるあなたに成り代わって席を離れ両手を使ってプリンを食べ続ける。
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