【卒業制作】デザイン倫理を、禅で問う。質疑応答編 #304
前回の記事では、私の卒業制作についてご紹介しました。「禅をデザインに取り入れる」をテーマに設定し、New York Zen Centerでのフィールドワークから得られた学びを「Paradoxical Prototyping」というワークショップでデザイナーに伝えたというものです。
その後、Takram NYでの公開イベントやACTANTの社内イベントで私の卒業制作を共有する機会をいただいています。そこでの質疑応答でいただいたコメントがどれも的を射ていて、卒業制作の立ち位置や意義を明確にするために役立っています。
そこで、noteにもその内容を記載することで、前回の卒業制作を説明した記事の補足とします。すべての質問を一言一句覚えているわけではないので、あくまでも私の記憶に残っているものから抜粋してみます。
質疑応答
・「Paradoxical Prototyping」の中で「言葉の意味をひっくり返す」ことの意図は?
言葉について 1. 単語の意味は他の単語との違いによって定義される、2.
単語選びにはすでに発言者の価値観が含まれている、という2点に気づくきっかけになれば嬉しい。
たとえば、「ダークパターン」と言う言葉には、デザインにはユーザーに特定の行為を誘導させるものとそうでないものがあり、誘導させるものは「倫理的ではない」という意味が込められている。ダークパターンという命名自体に、命名者の主観が透けていることなどに気づけるだろう。
・「ひっくり返す」には他の軸もあるのではないか?
人、文化、時間軸などによって評価が異なるというように、別の軸をもとに「ひっくり返す」ツールを考案することもできるだろう。ただし、今回は「反転させてみよう」という最もシンプルな投げかけにとどめた。
・倫理的なデザインかどうかは、文脈依存ではないか?
そのとおり。ただ、今回は「自分のデザインは倫理的である」という思い込みに気づくトリガーとなることをまずは目指した。そのため、サービスやプロダクトが単体で絶対に良いとは言えないと気づいてもらえたならば、狙い通りと言える。文脈ごとにデザインの良し悪しを評価するのは、このワークショップの次の段階となるだろう。
・ビジネスにどう活きるのか?
そこまで想定してはいない。追加のツールを考えていくことでビジネスでも活用できるフレームワークにできるかもしれないが、卒業制作としてはデザイナーが自らの倫理を疑うきっかけづくりに専念した。
・結局、倫理的なデザインとは何なのか?
「わからない」というのが結論。もしも私が「この条件を満たせば倫理的なデザインです」と定義してしまえば、私の思い込みを他人に押しつける恐れがあると思った。私自身が禅について学びをさらに深めれば、新たな提案ができるようになるかもしれない。
また、哲学や倫理は結果ではなく思考の流れを追うことに意味があるとも考えている。Transdisciplinary Designでも結果が求められるのではなくプロセスからの学びが重視されていた。「自分のデザインが倫理的なのかを疑え」という結論は凡庸でありきたりかもしれないが、そこに至るまでの過程とその学びを実体験から得たことに価値がある。
以上のような質問がありました。こうした質問に答えていく中で「倫理とは何か?」をあらためて考えてみた結果、「倫理とは『これが倫理的です』と定義するものではなく、『これは倫理的なのだろうか?』と問い続けること」というのが今の私の結論です。
一方で、大人になるとは、何が倫理的なのかを決められない状況においても決断を下し、その決断に責任を持つことだとも思います。「何が倫理的かは決められない」といって立ち尽くすことなく、「それでも、これが倫理的だと(今は)信じて行動する」までを考えていきたいです。
留学生活は終わらない
Transdisciplinary Designの学生以外の人に卒業制作を披露する機会があることをありがたく感じました。「Transdisciplinary Designの学生は何を学んでいるのか知らなかったけど、卒業制作の内容を聞いて理解できた気がする」という感想もあり、こうした機会を設けていただけたことにあらためて感謝したいです。
私の卒業制作は、即効性のある完成品を求める人にとっては期待はずれに感じるものだったのかもしれません。デザインの現場に詳しい社会人にとっては、「そんなことはすでに分かっている」「現場ではそうはいかない」「学生風情が理想を語りやがって」と思われたことでしょう(被害妄想?)。
一方で、「デザインと禅というまったく異なる分野を融合させようと挑戦し、それを一つの形に仕上げただけでもすごい」と言ってくれる方もいました。マイケル・ファラデーが電磁誘導の発見について「それは何の役に立つのか?」と質問された時に「生まれたばかりの赤ん坊が、何かの役に立つと思われますか?」と返したという逸話を思い出します。『Paradoxical Prototyping』だって、デザインと禅から生まれたばかりの「赤ん坊」。何の役に立つのかはわかりませんが、何かが生まれたことだけは確かなのです。
『Paradoxical Prototyping』はこれからも成長していくことでしょう。まだ完成ではありません。「倫理的なデザインとは何か?」という問いへの答えを私の人生をかけて更新していくことになりそうです。
また、この卒業制作はTransdisciplinary Designでの学びの集大成なわけですが、「Transdisciplinary Designとは何か?」という問いへの答えは2年間のカリキュラムを終えても最後まで教えてくれませんでした。卒業制作の発表会でも、卒業式でも、その答えは分からずじまい。
でも、こうした一生かけても答えが出ない問いに出会えたことが、留学生活での何よりの収穫です。答えが見つかれば終わりですが、問いを見つけたならばこれからも続いていく。Transdisicplinary Designでの学びは大きな宿題を残したまま。帰国してからも留学生活は、まだ続いています。
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