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あの線路のマーチングバンド

 がたんごとん路面電車が行く。
 隣の背(とプライド)の高い男は俺の肩に頭を乗せていた。くまが薄っすら浮かぶ目を伏せ死んだように眠っている。
 眠りが浅かったはずだがたんごとん。揺れても起きることはなかった。
 いい歳したおっさん二人が公衆の面前で何を。しかし周りの人間はこちらを気にしていない。
 これが都会かがたんごとん。寛容か無関心かがたんごとん。どちらでもいいや。気にしないならいいや。
 肩が凝る。こちらの気も知らないで気持ち良く寝やがって。 

 街路樹が植わっているところに出た。窓の外は針葉樹と空のストライプが続く。明るく、暗く、明るく、暗く、断続的な陽の光。揺れと合わせて明滅する車内。
 明滅どちらにも傾けられないのは辛い。はっきりしないのは悪い癖だとは思うがたんごとん悪いことでもないとも思う。
 どうせ最期は死ぬのだから。左肩に乗った頭の思考がうつった。そういう考え方は好きではないがたんごとん嫌いでもない。まただ。どうでもいい。いつか夜は来る。夜ならいつでも影の中だ。自分で判断しなくていいのは楽だ。 

 がたんごとん路面電車が行くがたんごとん。行くがたんごとん。行くがたんごどこに行くんだ?
 空が赤い。夕焼けは好きだ。どちらでもないから。
 赤く染まるくまのある顔。この赤が自分を起因とするものであればいいのに。そう思うと夕焼けに妬けて好きではなくなる。あの赤い猫はいつから車内にいる?

 緩いカーブに傾く身体。やや押したが彼は目覚めなかった。
 もしかしてこの死にたがりの男は死んだ男になったのかたんごとん。
 空の赤が濃くなるにつれ不安も濃くなる。だらりと落ちた大きな手を右の人差し指で触る。体温は死人のそれではなかった。途端に腹立たしくなって、肩に乗った頭に頭を乗せてやった。
 頭の下に頭があって、肩があって、座席があって、がたんごとん路面電車は線路を行く。 

 にゃあと聞こえた。猫が眠る男の足に纏わりついている。
 残念ながたんごとん起きないよ、こいつは。きっと疲れているんだ。何に? 何で?
 がたんごとん。がたんごとん。乗る前はどこにいたっけ。二人でいたはず。
 やめてくれ。がたんごとん。俺のなんだ。がたんごとん。あっちへ行け。がたんごとん。
 赤い猫はまたひと鳴きすると消えた。

 空が暗くなってきた。いまは何時? 時計を見ようにも大男がもたれかかっているせいで身動ぎできない。
 気持ちよさそうに寝やがって。何時間寝てやがる。何時間寝てやがる?
 がたんごとんこの揺れがたんごとんこの音がたんごとん猫の声がたんごとんなぜ起きない。がたんごとん俺がたんごとん触ったのにがたんごとんなぜ起きない。がたんごとん眠りのがたんごとん浅い男がたんごとん起きない理由がたんごない。 がたんごとん。がたんごとん。がたんごとん。路面電車は行く。


がたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんなあがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとん起きてるんだろ?がたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんバレました?がたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとん


がたん


ごとん


 音がしなくなった。駅に止まったのだろうか。しばらくこの男の顔を見ていたから気付かなかった。
 足音を聞き顔を上げる。目の前に立っていたのは、子どもの頃に参列した葬式で見た顔だった。
 ねえ、なんで死人の体温知ってるの。肩に乗った頭は薄く目を開けて言うと、薄い唇の片側を上げる。また猫の鳴き声。
 出口に向かう人影。ちゃりんちゃりんと小銭を運賃箱に入れて降りていく。
 ここはどこ? どこでもいいじゃない、と笑う声。さっきから脳内を読みやがる。起きているなら頭を上げてくれないか。肩が凝る。こちらの気も知らないで。
 誰もいない。猫の声が聞こえた。誰もいない。音もしない。にゃあ。硬い髪が頰に刺さる。そうか、俺が頭を乗せているから顔を上げられないのか。
 みんなどこへ消えた。外は暗い。何も見えない。ついに夜が来た。夜ならいつでも影の中だ。自分で判断しなくていいのは楽だ。
 腕を伸ばし薄い腰と腕を掴む。音は無かった。頰の感覚が固い髪から柔らかい肌に変わる。唇が首筋にあたりこそばゆい。いいんだよね? 答えは無かったが唇が少し動いた気がした。このままひとつの影になっても夜に搔き消えることができる。

 動くな路面電車。続くな線路。このまま夜のままひとつのままでいさせてくれ。
 思い出した。降りていったあの男は棺桶に入っていた。
 夕焼けに焼かれて、夕焼けに妬いて。このまま火葬場で一緒に焼かれて一緒の骨壷に入ろう。首に顔を埋め、薄く笑いながらは男は言った。そういう考え方は好きではないが嫌いでもない。
 俺のこと好き? 嫌いじゃない。そうか、ありがとう。これはいつの会話だ。
 この路面電車にはいつから乗っている。
 あの猫はこの男の飼い猫だった。
 あの人も、あの人も、あの人も、みんなどこへ消えた。
 この線路はどこへ続く。
 天の川が近い。
 どこに着く。
 確かなのはここに感じる体温だけだ。


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