12月19日の手紙 グリ シャーネル 「銀色の情欲」
拝啓
空気が冷たい、でも、これくらいの方が息ができます。
数日前の空気のぬるさは、打ち捨てられた水槽の水のように澱んでいて、ぬめりがあり、このまま、身体に白い斑点でもできてしまうのではないかと思うほどでした。
腹を見せて浮かぶ前に、
ようやく12月らしい空気になって、本当にホッとしています。
この中でこそ、ちょうどいい香りというものも存在するからです。
基本的に、持続性が少ない、プチプラな香水、フレグランスが身の丈にはあっているのですが、
時々急に思い立って,
ニッチフレグランスや有名フレグランスを購入してしまうことがあります。
切迫感のようなものに苛まれて、
ショップへ足を運んだり、
NOSESHOPのホームページを繰り返し眺めた結果、数分前までは予想もしていなかった香水、フレグランスにお金を払ってしまうのです。
今年は数度そういうモードになってしまったことがありました。
あの切迫感は何でしょう。
ジリジリして、今すぐ買わないと無くなってしまうかも…とじっとしていられなくなるあの感じ、何かに突き動かされているように、財布を取り出すあの瞬間は、独特のものです。
一体、何をそれほど焦っているのだろう、と平時では思うのですが、あのモードになってしまうと、買うまでおさまりません。
どうしてそこまで切実になるのか、と考えると、
フレグランス、香水は、「消えてゆくものだから」だと思います。
消費され、消えていくことがそもそもの存在の意義であると同時に、
おそらく今もてはやされているも香りのほとんどが、100年後、50年後、もしかすると10年後にも残っていない可能性があり、我々と同じくらい有限であることが理由です。
今購入しなければ、
跡形もなく消えるかもしれません。
そもそも、15年後に、今と同じように海外ブランドの香水が購入できる国である保証はありません。
一方で、宝石や鉱物には最近、気後れしてしまいます。死後、これらはどこにいくのだろうと思うのです。一市民が持っている、さほど価値があるわけでもない、宝石や鉱物を買い取ってくれる店などあるのでしょうか。
数万年かけて形になって、最後が、ゴミ処理場などというのは、無常がすぎると思ってしまうのです。
その点、香水は、揮発していくだけです。消えるのは同じでも、申し訳なさがないのです。
消えるべくして空気の中へ消えるのと、価値があるものがゴミの中で燃えたり埋もれたりするのは意味が違います。
少なくとも、個人的には。
さてわ今回は持っている数少ない、プチプラでない香水、特に今年購入した1つをレビューをしたいと思います。
プチプラだからいいとか、高いからブランドだからいいというものでもありません。
最近は特に、香水も「出会いだ」と感じます。
それぞれの人生のそれぞれのタイミングでしか手に入らない香水があると思います。
来年には、こんなのどうして買ったのか!と驚くことになるんでしょうね…。
bdk Parfums GRIS CHARNEL
グリ シャーネル 「銀色の情欲」 10ml
NOSESHOPの香りのDM便という、ハガキにムエットを添付送ってくれるサービスを利用して、嗅いだ上で購入しました。
もともとお目当ては違う香水だったのですが、グリ シャーネルの鮮烈さにノックアウトされました。
そもそも、フィグ、いちじくが食べ物として、ものすごく好きなのです。晩夏には、スーパーで見つけては、せっせと買って食べています。
個人的には、どの食べ物よりも、夏を感じる果物です。
いちじくにしかない固有の、ややパウダリーなあの香り、表皮を割いて、出てくる、白い液体、その内側から現れる、赤いつぶつぶとした花(我々が食べているのは花!らしいです)、その周囲の白い果肉がきちんと再現されています。
「香水で、こんなにちゃんといちじくが表現できるのか!」と衝撃を受けました。
透明なガラス瓶に入った、薄灰色の液体は見たこともない不思議な色で、それだけで、魔法の薬のようです。
「すごく甘い!濃い!まごうことなくいちじく」というのが第一印象です。
お裾分けした相互さんにもそうお伝えしたのですが、「いやいや、むしろ辛味を感じますよ」と言われて、頭に大きなクエッションマークを掲げていたのですが、ここ数日、自分の肌が甘いのだということに気づいて納得しました。
おそらく、夏の暑さ、もしくは、この肌の甘さと混じると、非常に甘くなるということでしょうか。
単体で嗅ぐと、確かに辛い!ほんの少しの煙たさの向こうにある、カルダモンやバーボンベチパー、サンダルウッドの方が強調されているような気がします。
またプチプラフレグランスに慣れているとグリジャーナルは「濃い」ですね。
3プッシュは多すぎです。
顔から離れたところに1プッシュがおすすめです。
持続性が高いので、1日中香りますので、
物足りないくらいがちょうど良いです。
足りないと思って追加すると、自ら酔います!
さて、
NOSESHOPでの紹介は以下のようなものです。
え?!そんな話なのですか???と叫んでしまうくらい、
このストーリーが、香りから、浮かばないのです。
ダンスも公園も銀色の月も一夜の戯れで汚れたシータもどれひとつ浮かびません。
なんでや…。
公式との「解釈違い」というやつです。
夏につけていた時は、この反応です。
最近になってからは
よりミルキーな部分が強調されている気がします。
トンカマメアブソリュートを強く感じているのかもしれません。
12月もあと10日の今、グリ シャーネルを嗅いで浮かぶのは次のようなイメージです。
日が登るのが遅く、12月の薄暗い、台所。
灰色の光の中で、寝ぼけ眼で湯を沸かす。
湯が沸くまでの間、ぼんやりと窓の外を眺める。
この暗さでは、今日の天気がまだ、わからない。今日は洗濯物が乾くだろうか、空気が冷えているから、乾かないだろうか、をぼんやりと考えている。
湯が沸いた音にハッとして、マグカップに、とっておきのティーバッグを入れて、注ぐ。紅茶をむらす間に、パントリーを探る。気取った言い方をしたが、要は食料品をしまってある戸棚だ。奥の方は手を突っ込んで、瓶を取り出す。夏に、遊びに行った先の庭でもいだ、いちじくを使って、ジャムを作ったのだ。
ジャムの色は、琥珀に近い色で、ちっともいちじくらしく見えない。大人しくなったものだと思う。
蓋を苦労してあけ、ティースプーンで一口分すくう。
パンに塗るつもりだったが、その甘い香りに誘われて深呼吸する。
いちじくの甘い香り、
表皮が柔らかく裂けて露わになる赤い花、その粒子が、脳裏に浮かび、続けて、
そして,夏に飲んだ、炭酸水の泡が弾けていたこと、
誰かの指輪が光ったこと、
バニラアイスを膝に落としたことを思い出す。
今はあの庭には誰もおらず、
がらんとしているはずで、
あそこに集まったメンバーは皆バラバラなところで生活している。
2度と会うことはないだろう。
それでも、いちじくや炭酸水や指輪やバニラアイスに触れるたびに、
爪で引っ掻かれて、くすぐったいような気持ちが湧き起こる。
そこに残してきたものは何もないのに。
今ここには寒い台所だというのに。
いちじくはすでに琥珀色に煮詰められているのに。