【序: ツタンカーメンの装束を着たムーミン 】くすぶり人間と3人の尻叩き
本日の記事は星見当番さんの記事からインスパイアされたものです。
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もうすぐ9月だというのに、温度は下がらず、ジリジリと日が照りつける昼下がり、エアコンでよく冷えた部屋に人間が1人床に落ちている。
日々、ひたすら仕事に明け暮れながらも、この日、その人間は、休みであった。床に落ちているのはひんやりして心地よいからであり、何もする気が起きないからであった。
何もする気が起きないと言ってもその人間のスマホの上の指だけはスワイプを繰り返している。スマホでひたすらに更新されるのは本人には何の関係もない雑多な情報であった。
どれだけその情報を得ても、本人の人生が満たされることはなく、空虚なスワイプが未来永劫繰り返されることになる。
なぜなら、心の奥底に自分でも認め難い野望を持つ人間が、床に寝転がりながら、スマホでネットサーフィンをしていたからである。
「自分でも認め難い野望を持つ人間」言い換えると、くすぶり人間は、晩夏の昼下がり、はたとその事実に気がついた。
事実とは以下の2つである。
第1に、自分には認め難い野望がある。
第2に、その野望を実現するための行動をしていないから、空虚なのである。
くすぶり人間は子どもの頃、国語が得意であった。テストだけでなく作文も得意であった。書く作文のほとんどは褒められたし、読書感想文などをコンクールに出されたこともあった。そのため、子どもの頃は文章を書くことで、生活していくだろうと信じていたのである。
現在、くすぶり人間は、文章を書くことは書くが、それは報告書であるという、類の別の仕事についており、それで糊口をしのいでいる。その仕事に不満はなく、むしろ誇りにもしている。今後もその仕事を続けていくつもりでもある。
しかし、くすぶり人間の心の底には、野望がまだ燻っていたのである。「文章を書いて生活をしたい」という、子どもの頃からの野望が。
口に出すのも気恥ずかしく、認め難い野望である。何が最も恥ずかしく、認め難いのかといえば、自分が表現や創作を望むのに、その実力がなく、下手であることだ。まあ、端的に言えば文章力がない。
だからと、くすぶり人間は思った。「実力があれば、これまでに何らかの形になっているだろうし、形になっていないということは実力がないということだ。書き続けられなかったということは所詮その程度の思いと実力だったということで…」
その前をツタンカーメンの装束を着た白い妖精が駆けていった…気がした。
くすぶり人間は、ツタンカーメンの装束を着たムーミン、白い妖精のアイコンで占星術界隈ではお馴染みの、星見当番さんのファンである。
10年ほど前から、占星術について調べている際に辿り着き、ツイート(今ならポスト)やブログをちょこちょことのぞいていた。
キレのあるわかりやすい文章で、読みやすい。なおかつ、アイデアが実に豊富な方である。そして何より、楽しそうに活動されている。
感心していたところ、ここ2、3年は雑誌に寄稿されたり、オンライン講座の講師になられたりとさらに活躍の場を広げておられる。
雑誌や同人誌を購入したり、講座を受けたり、アストロお嬢様部に参加してみたりした。どれも期待通りの楽しさ、わかりやすさであっあ。
くすぶり人間は「私の目は確かだった。やはり、面白い書き手は日の目を見るのだ」とニンマリした。好きなアーティストがメジャーになったような喜びである。
また、先に述べた通り、星見当番さんは、企画力と発信力がすごい方であり、最近も頻繁にX(Twitter)で占星術に関する楽しいお題を現在も無料で提供してくれている。
(くすぶり人間は、占星術万年1年生であるが、たまに、それに便乗している。このお題というのも秀逸で、ハッシュタグがつけられている。同じお題に参加した同志はハッシュタグを辿れば発信を読むことができるし、交流も可能である。自由参加であり、思いつけば参加できるというのも良い。星見当番さんによれば、「12星座1セットで出した方が良い」「対の概念がある場合はそれも出した方が良い」と言うことであった。こういう助言まで無料でもらえる可能性があるのはSNSの素晴らしいところである。)
くすぶり人間がぐだぐだと自分の実力の無さ、根気のなさに耽溺している間も、ツタンカーメンの装束を着た白い妖精もとい星見当番さんは、楽しい発信を続けている。
そしてX(Twitter)の動向が不安定なので、noteにそのログを移していかれるという。noteをのぞいてみるともうすでに、かなりの量の記事がある。普通これだけの記事を書くにはかなりの時間がかかる。しかし星見当番さんの場合わこれまでのツイートをまとめていくとそれだけで、記事になると言う。
くすぶり人間は自らのこの10数年を振り返った。くすぶり人間が「生活に余裕ができたら」とか「心に余裕ができたら」とか呟きつつ、スワイプだけをしている間に星見当番さんは着実に発信を続け、山ほどの記事の種を作ってこられたわけである。文章がわかりやすく、上手いのも当たり前だ。毎日、書いており、不特定多数から感想をもらっているのだから。スポーツに例えれば、毎日自主練習をしているようなものである。
一文字も書かず、「何かを書きたいなぁ」というくすぶり人間とは練習量が違うのだ。
また、くすぶり人間は自らのキャリアのことを思い出した。現在くすぶり人間は、何とか仕事についているが、仕事を始めた頃、その分野では、ずぶの素人に毛が生えた状態だった。ほとんど何も知らないところから、研修を自腹で受け、本を読み、教えを乞うて、どれだけ恥をかいても現場に立つことによって、仕事としてある程度評価されるまでになったのだ。そして、現在は、子どもの頃、得意だった、文章を書くことよりもずっと苦手な分野を生業にしているのである。
書くことだってそうならないとどうして言える?
とにかく、書きたいなら、書くしかないのではないだろうか?
書かずして、「何かを書く」ということが達成されることはない。しかし、下手だとしても書き続けていたら、自分が求める何かを書き上げる日は来るかもしれない。もしかしたら…。
ツタンカーメンの装束を着たムーミンがしゃべっている声が聞こえる気がする。
「このまま2024年を迎えるのつまらないでしょう。こんなに面白くない人生でいいのですか。尻叩き妖精を連れて参りますわ」
「尻叩き妖精?」
「明日から3日の間、3人の尻叩き妖精が代わる代わるあなたの尻を叩きに参りますの。尻叩き妖精と共に一歩でもいいから前に進むのです。さもなくばあなたは10年経っても尻込み野郎のままでしょう」
2023年晩夏に床に落ちていたくすぶり人間は、
白い妖精がこの時点ではまだ言ってもない言葉に、弾かれたように、飛び上がった。
ほとんど似たような言葉が自分のうちから聞こえてきたのは、本当である。
次回「第1夜・優先順位の妖精」