2024年7月30日 ホラー映画が見たい気分 #夏に観たい映画
映画が好きです。
大体どんな映画でもと言いたいところですが、
実は
邦画が苦手です。(小声)
小声になってしまうのは、自国の映画が苦手というのは
どこか、後ろめたいのです。
それでも、苦手なものは苦手です。
両親が海外の映画が好きだったからか
邦画をあまり見たことがないというのが原因でしょうか。
映画は夢見がちな子どもで時代、現実逃避の一つだったので、
見たことあるような風景、見たことあるような建物、
聞いたことがあるような会話で作られている邦画では
物足りなかったのです。
逃避できなかったということかもしれません。
できれば、うんと遠い国、
全く違う文化や言語で進行するストーリーの方が、
魅力的に見えました。
まっさらな気持ちで、物語に飛び込めたからかもしれません。
例えば、
派手な爆発も見たことがある風景、知っているような町並みの中だと不安です。
「これは映画だけれど、○○は大丈夫だよね」などと雑念が沸いてきます。
濃厚なラブシーンも知り合いと似ているとぎょっとします。
感動の名場面も、どこか大げさでコメディタッチに感じられます。
「私たち、そんな風に大げさに泣いたり、笑ったりしないものでしょ」と
思ってしまうのです。
そして、すっと覚めてしまいます。
つまりこれは「偽物なのだ」と思ってしまうのです。
そこから、共感羞恥のようなものが発動し、画面を見るのもなんだか気恥ずかしくなるのです。
そのせいで、映画鑑賞の際は
邦画は避けがちです。
ただ、ホラー映画は別です。
「本当に怖いホラー映画は邦画だけ」と信じているのです。
暗がりから誰かが出てきそう…というスタイルで、
人間を怖がらせるのは
邦画が一番上手な気がします。
日中の明るさから一転、
青白く、もしくは、灰色の空、
襖や扉の奥の暗さ、
ひたひたと迫る足跡や滴る水音。
色彩も音も質感も、
その全てに何らかの意味が仕込まれているようなのに
それが何か、はっきりわからない気持ち悪さがあります。
恐怖が湿っぽく尾を引くのもやっぱり、邦画ホラーでしょう。
そして、さっきまでは敬遠する理由だった「自分が知っている」のに近い風景だからこそ、怖さが増します。
自分の町、自分の家、自分の部屋にも恐ろしいことが潜んでいるかも知れないと思えるからです。
一方、海外のホラーで出てくるシチュエーションは、馴染みのないものが多く、
自分のところまではこないだろうという、謎の安心感があります。
その上、
欧米の映画のホラー(特にアメリカ映画)は、最終的に
暴力で解決できてしまうことが多く、
エンディングでは、妙な爽快感があります。
アドレナリンが出るような結末が多い印象です。
日本のホラー映画の敵、怪異には、
主人公が
銃をぶっ放しても、おそらく勝てません。
そういう敵ではないからです。
ですから、我が国の怪異に立ち向かうには、
銃などの物理的攻撃以外の方法を探すしかありません。
我が国の怨霊は、「殺す」ものではなく、祭りたて、慰め、慰撫して「鎮める」ものです。
「鎮める」には、その存在を知らねばなりません。
祭りたてるにはその名前が、
慰めや慰撫のためには、その存在が好むもの、
そして忌避するものを知って取り決めを交わさねばならないのです。
その結果、邦画ホラーの主人公は、
「謎解き」を絶対的に求められます。
体験談や心霊写真の投稿だけなら、謎解きは必要はありませんが、
映画となるなら、多少の理由づけが必要となるでしょう。
そういう意味では、邦画ホラーは、ミステリ要素が絶対的に含まれているはずです。
ミステリ好きとしてはそれが面白く感じます。
また、謎解きが反撃になるということは
体力的に劣った存在(子ども・女性・高齢者)も怪異を退治できる可能性があるということです。
平凡な人間であっても生き残れる可能性があるのはいいことですよね。
アメリカのホラー映画では
生き残る人間は大体、若く、美形の白人の印象です。
年齢や美醜、人種で生き残る確率が変わるとは思いたくないのですが…、
おそらく、傾向があると思われます。
と言っても、邦画ホラーを見たのはずいぶん昔で、
最近はもっぱら、海外作品を見ています。
本当に怖いのは邦画ホラーだと信じてるからこそ、見たくないと言うことだと思います。
平日に休みをとって、
昼下がりに1人で、邦画ホラーを見るのが最も、雰囲気があるでしょう。
外で遊ぶ子どもの声やご近所さんの声が恐ろしく聞こえること間違いなしです。
その昔、「リング」の再放送が日中にあったか、借りてみたことがあり、
それはそれは怖い思いをしました。
邦画ホラーを見ている時に、チャイムが鳴ると、かなり、怖いですよ。
というわけで、久しぶりに邦画ホラーを見ようかな…と思っています。
もちろん、ほどほどに怖い作品を選ぼうと思います。
これを書いていてもずいぶん、雰囲気が出てしまいましたから。