ヨミガエル、貧乏エピソード
今日は、大好きな納豆を1週間ぶりに食べました。
納豆を冷蔵庫に切らしたまま、
買い物にずっと行けてなかったからなのですけども。
久々に納豆をパックから、器に移し替えて納豆を食べたら、
結婚当初のことを思い出しました。
私たちは、結婚した当初、本当にお金がなくて。
納豆をひとり1パックずつ食べるのが勿体無くて、
1パックを半分ずつ食べていました。
だから、器に納豆を移し替えたら思い出したんですね。当時のことを。
夫と二人暮らし、1万円生活をリアルにしてました。
後先考えず会社を辞めて、会社を始めて、全然お金がありませんでした。
野菜もお肉も買えるのは特売品でした。
「業務用のスーパーで大量に入ってるけど安い商品」を
美味しいかわからんが、イチカバチか買っては失敗して、
結構いい量を「まずい」と言いながら二人で食べていました。
いただいたお米に虫が湧いて、捨てるのも勿体無くて、
天日干しして虫を退治して食べたこともありました。
死ぬほど不味かったです。
あの米の味は忘れられません。
さんまも1本買って、半分こしてました。
お肉はほとんど買えなかったのですが、
買うとしてもひき肉かバラ肉しか買えなくて、
塊肉は買えませんでした。
あまりにも肉が食べられないので、
テレビに出てきたステーキを見て、
「肉食いてーなぁ」と夫が呟いたら、
私が「そんなお金どこにあるのよ?!」とブチ切れたこともあります。
それから、10年で家を建てるまでになったのですから、
私たち、結構頑張ったなぁ、としみじみ思います。
生活水準が上がって、不便はなくなりました。
でも、あの時より幸せになってるかなぁ、と思うと、
疑問が残ります。
確かに物質的には豊かになりました。
でも、あの時はなんだかもっとハングリーだったし、
私ももう少し夢を語っていたような気がするのです。
10年後、夢のひとつだったマイホームは手に入れました。
大満足の出来の家です。
大満足なのに、
でも胸の奥にちょこっと隙間が開いているような、
虚しさは10年前からずっと変わらず持ち続けている気がします。
そうして、私の夢は私だけでは叶わないことに気づいてしまいました。
生きていくには金銭は必要だけど、
私は、金銭で手に入らない何かをずっと求めているのだと思います。
その何かを見つけるために、
私は文章を書いたり、
絵を(上中下さんに)描いてもらったりしてるのかもしれません。
なんてことを思いました。
では、また。
この記事が参加している募集
励みになります。ありがとうございます。