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ほったらかしノート

いやいや久しぶりすぎるでしょ。
前書いたのが正月て。もうゴールデンウイークも終盤よ。
まあそんな読んでる人も居ませんし、ワテの脳内処理場みたいなもんやからね。

昔からそう。日記をよくつけてた。
小学生の頃、主人公が日記を書く本を読んでからだったと思う。タイトルは忘れてしまった。


主人公が日記をつけるようになって、最初は何でもない事を書いていたけど、次第に愚痴を書いていく。弟が居て、お母さんは弟につきっきりなのが嫌で、その事も書く。ある日欲しいものを書いてみると、翌日、お母さんが日記に書いたものをプレゼントしてくれた!お母さんはどんどん優しくなる、日記に書いた事が現実になっていく…!
でも、段々それが不思議で怪しくなって…もしかして、お母さん、日記を読んでるの?となり、次第にお母さんを試すような内容を書くようになる。いじめにあってるような事も書いたりして、お母さんを心配させてみたり。
最終的に、もうこんなことやめよう。と、最後にお母さんに宛てた内容を書く。次の日の夜日記を開くと、お母さんから中身を読んでごめんねという謝罪と、なぜ読むようになったかの理由が書いてあった。結局主人公とお母さんはちゃんと話し合って、仲直り。めでたしめでたし。

みたいな内容。今思い出しながら書いたけど、子供の頃は「なんちゅうカーチャンや」と思って読んだけど、この歳になるとカーチャンの気持ちも何となく分かってくるなあ。

まあ、兎も角その本が好きで、何度も何度も読んだ。大人になっても読んでたと思う。廃品回収で要らなくなった本達を出す前に、地域の子供達が欲しかったらどうぞ〜みたいな感じで入手した本だったな。

それから日記を書くようになった。ダイソーが出てき出した時期で、100円で(その時はほんとに100円だった)小さなノートを買った。
学校であった出来事や、思った事や感じた事、好きな男の子のかっこいい所や、お喋りした事。嬉しかった事も、まったくもう!と思った事もたくさん書いた。誰にも話す事のない、自分の中での事。
いつからか、最後に「明日も良い日でありますように☆☆」と書くようになった。おまじないみたいなもん。

その日記も、何度も途中で書くことを諦めた。諦めたというか、飽きた。でも、やっぱり書こう!と、…同じノートじゃつまらないから、新しいノートを100円で買って…を繰り返した。最後まで書き切ったことのほうが少ない。半分〜3分の2が白紙の小さなノートは、思い出としてずっとクローゼットの中に置いてある。

大人になっても何度か日記を書こうと思ったけど、大人になるとそんなに書く事はないんだよな。だからスケジュール帳に書いたりしてたけど、それも最近書いてないなあ。

ほぼ毎日同じ事の繰り返しで、そこに大人ならではの仕事のアレコレ、文字を書くよりも考えなきゃいけない時間の方が増えて、クタクタになってペンを持つ事が億劫になってしまう。良くないな、と思いつつ数年が経った。

日記かあ。また飽きるかもしれないけど、また書いてみようかな。


そんな感じでノートも久しぶりに書いた。

またほったらかしになるかな。それでもいいか。


明日も良い日でありますように☆☆

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