皇帝をヨイショする為に野菜で肖像画を描いたんだって
これ、実は皇帝の肖像画なんです。
画家のアルチンボルドは、とんでもない角度から皇帝をヨイショしたのです。
まずは、作品をご覧ください。
アルチンボルドってなにもん?
■ ミラノ編
アルチンボルドは1526年イタリアのミラノで生まれました。
- ちょっと待てよ
って事はあの野菜ニンゲンが描かれたのは400年以上前!?
アルチンボルドの描く野菜ニンゲンは、現代のトリックアートにあっても不自然にならない奇抜さですが、描かれたのはダビンチとかラファエロの時代のちょい後くらいなんです。
- なんてこったい
アルチンボルドの父と叔父は画家でした。
- 若い頃は父のもとで修行したんじゃな
また、15世紀末から16世紀初頭にかけてミラノで活動したレオナルドダヴィンチの影響を受けました。
- つまり、野菜肖像画に見られる徹底した自然観察に基づく写実表現は、レオナルドから学んだってことなんやろ?そうなんやろ?
ところで、この「合成肖像画」はアルチンボルドの完全なオリジナルというわけではありません。
- そうなの!?
ルネッサンス期のメダルや、陶皿などに先例が見られます。
- プチブームだったんかいな?
ミラノでの体験が「さまざまな奇妙なもの」への興味に繋がりました。
- へぇ〜〜!!!
ちなみに、ミラノ時代のアルチンボルドの作品はほとんど残っていません。
- なんてこったい
■ ウィーン編
1562年、36歳アルチンボルド
- なになに
当時ボヘミア王で後に皇帝になるハプスブルク家マクシミリアン2世に呼ばれウィーンに赴きます。
- 大出世しちゃうんかい
この頃から宮廷で"肖像画家"として 生計を立てました。こちらがアルチンボルドの描いたフツーの肖像画です↓
- なんか、えらくマトモな肖像画だなァオイ
アルチンボルドは多忙でした。
- なんせ、肖像画だけでなく式典のプロデュースとか衣装デザインとか、宮廷に持ち込まれた動植物も描いたり、多岐にわたっていたんだって?
これらの仕事を通じて育まれた奇抜な発想が後の野菜ニンゲンに繋がるとは…
- ひょえ〜〜!
■"合成肖像画"という発明
アルチンボルドといえば?
- 野菜とかフルーツとか魚で絵を描く人!
彼の"合成肖像画"誕生の詳しいプロセスは残念ながら分かっていません
- オーマイグッネス!
しかし、ミラノ時代にもこういった作風で描いていたという記述がいくつか残っています
- でも現存しないんでしょ?チェッ!!
アルチンボルドは発明しました。
- なんじゃなんじゃ
皇帝を野菜で描くヨイショを
- 皇帝を野菜で描くヨイショ!?
こちらの《四季》シリーズと《四大元素》シリーズご覧ください。
⦅四季⦆シリーズ
《四大元素》シリーズ
- ま、まさか!!時の循環を象徴する《四季》と世界を構成する⦅四大元素⦆を描く事で、そのすべてを統治する存在である、と皇帝をヨイショしちゃってんのかいな!?
that's right!
- なんて画期的なんだ!
たとえば《夏》
トウモロコシやナスなどは、その頃栽培が始まったばかりのトレンディベジタブルです。
- trendy vegetable!
上流階級の人間でなければ知らない"富の象徴"でした。
- アルチンの絵が"外交"の一環として使われたんだな
こういったコレクションは権力にも繋がりました。
- 権力だいすき!
アルチンボルドは、皇帝が集めた動植物のコレクションを実際に生きた状態で観察し、描くことで、権力の偉大さを演出したのです。
- なんてこったい
↓博物画的楽園風景。↓
他にも、宮廷に仕えた実在の学者などをモデルに、それらのモチーフを組み込んで描いた肖像画もあります。
- 本でできた司書!?
こちらは法律家。宮廷ではアンチも多かったとか。
- きっと本人の特徴を鳥とか魚で例えて諷刺してるんだろうなぁ
そして《庭師》や⦅コック》などのさかさ絵- 凄い発想!
■プラハ篇
お待たせしました
ここで、
変わり者皇帝ルドルフ2世の登場
です。
- 変わり者皇帝だいすき!
1576年、アルチンボルド50歳。
- なになに
マクシミリアン2世が逝去。
- 南無阿弥陀南無阿弥陀
息子のルドルフ2世が跡を継ぎ、神聖ローマ皇帝に即位しました。
- わーいわーい!
君主でありながら政治的に興味ナシ、生涯独身、錬金術や天文学に強い関心を示しました
- 珍しいもの大好き!美術品や自然物大好き!政治はどうでもいい!
1583年、変わり者皇帝ルドルフ2世は首都をウィーンからプラハに移し、アルチンボルドも連れて行きます。
- プラハへお引越し!
残念ながらプラハでのアルチンボルドの作品は1枚も見つかっていないです。
- なんてこったい
ルドルフ2世から絶大な信頼を寄せられていたアルチンボルドは骨董品の買い付けなど、さまざまな仕事をしていました。
- 皇帝の偏愛コレクション《脅威の部屋》作りに貢献したんだなァ
プラハへ引っ越してから4年後、アルチンボルドはルドルフ2世に願い出て25年にわたる宮廷生活を終えました。
- 故郷ミラノに帰りたくなったんだなァ
引退して、地元でのんびり過ごすと思いきや…
- え、ちょ、なになに
「記者会見」を、開きますっ
- なんてこったい
地元で文人らを集め、自らの功績を猛アピールしました。
- 人間らしい一面があっていいじゃねえか!
建築や音楽にまで手を出したり、色々やりたがりだったのでしょう。
- 色々やりたがり!わかる!
そして、晩年に至っても筆を置く事なく、描き続けました。
- それで出来たのが《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世》ってわけ
こちらは彼の芸術の到達点というべき作品でしょう。
- 描かれた野菜、フルーツ、花は50種類以上!正面向き!堂々とした野菜ニンゲン!!
アルチンボルドは、《ウェルトゥムヌス》《フローラ》の2枚と共に、自作の詩を添えて、ルドルフ2世に献上しました。
ルドルフ2世は大満足!
- 大満足!
翌年、アルチンボルドは「パラティン伯選帝侯」という爵位を授けられます。
- 権威だいすき!
アルチンボルドの『野菜ニンゲン』の小噺でした
如何でしたか?
- アルチンボルド最高!!
他にも晩年の傑作に、こんなのがあります。
どん!《四季》
- 4つの季節を一人の人物の中に描いちゃっているぅ!
こちらの作品の雰囲気はレオナルドの影響が色濃く、老いたアルチンボルドの自画像とも言われています。
- アルチンボルドの集大成じゃな!
続いて、こちらの《紙の自画像》
- 髪、髭、襟がpaperになってる!いったい何を食べて生きていたらこんなの思いつくのかね!
アルチンボルドと彼のパトロンである皇帝ルドルフ2世の死後、この芸術家の遺産はすぐに忘れ去られ、作品の多くは失われました。
- ……………
- なんてこったいを100個並べたいよォ!
17世紀と18世紀の文献に彼の作品は記載されていないのです。
- ちくしょう!くやしいよ!おいらは悔しさのあまり、涙を流しそうだ!
しかし、シュルレアリスムの出現とともに彼の作品は再発見されます
- わーいわーい!
過去、現在、未来を繋ぐ奇想の芸術家たちのDNAはこうして脈々と受け継がれていくのです。
- ありがとう!アルチンボルド!あんたに礼が言いたいんだ!嫌いなピーマンもブロッコリーもちゃんと食べるよ!アルチンボルドのおっちゃんよォ!
ウノドレ。