勘三郎さんと「分身」ミッキー⑥ふたりの権太
勘三郎さんに届けたミッキーマウスを紹介するシリーズ、早くも第6弾です。っていうか、いつまで続くの?と思われてる気がします…(笑)
(えっとね、あと…5…6…?回?? かな??? 何しろ7年分くらいあるんで…気長におつきあいください)
【本編に入る前に:これまでの「分身」ミッキー達】
①黒足袋の十郎(助六所縁江戸桜、白酒売)
②ミッキーNYへ(夏祭浪花鑑)
③カップルシリーズその1:猿源氏と蛍火(鰯売恋曳網)
④カップルシリーズその2:仇ゆめ(狸、蛍火)
⑤弁天小僧~でっかいの・ちっちゃいの
今回は、「ふたりの権太」。
2006年夏~秋、公文協巡業で全国を回った勘三郎さんに贈った権太ミッキーです。
東コース用に「すし屋」の権太を。西コース用に「椎の木」の権太を。
公文協巡業には長いこと勘三郎さんは出てらっしゃらなくて、まさか行かないのでは…と余計な心配をしていたんですが、芝居小屋巡りと合わせて実施され、むしろ通常よりも長い巡業となりました。
公文協加入のホールを回る合間合間に各地の芝居小屋を挟んで、その最後は名古屋市中村区での平成中村座公演(同朋高校体育館を改装する大がかりな公演でした)という中村屋らしい、中村屋にしかできない巡業でした。
狂言立ては「十種香・口上・身替座禅/口上・義経千本桜<椎の木・小金吾討死・すし屋>」。
直前の博多座で勘九郎さんが膝の十字靭帯を故障し、巡業は残念ながら休演になりましたっけね…扇雀さんも途中体調を崩されたこともあり、暑い時期の長い巡業でハードだったようです。
そんな勘三郎さんにエールを送りたいと思い、旅に連れていける小さいサイズで権太を作りました。すし屋のミッキーは熊谷で、椎の木の権太は横須賀でお渡ししました。
巡業の熊谷公演では開演前になかなのハプニングがあったんですよ…幕内の皆さんはハラハラの中、出くわした私達は大笑いになったエピソードです。そのうち機会があったら書きますね。
〇すし屋の権太
さて。まずは最初に作った、すし屋の権太です。
花道で桶を抱えるあの象徴的な姿の再現を試みる。
義経千本桜についてはこちらを参照ください。
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/exp3/exp_new/pages/meibutai/sanyaku_03.html
手のひらに載るくらいのサイズのミッキーを買ってきて、いつものようにまずはむきむき。額にフェルトで黒子を付けて、豆絞りの鉢巻を締め、ふんどしを履かせます。毎回毎回、ふんどしから作るルーチンだな(笑)
黒のギンガムチェックのコットン生地を使って(1m方眼くらいのギンガムチェック)、単で着付けを仕立てます。帯は黒の鹿の子模様のコットンの端切れで作ってます。
後ろは尻っぱしょりに。
さて。
すし屋の権太といえば、すし桶。それも弥左衛門鮨のあの桶。ミニチュア、ドールハウスのコーナーを探してみるものの、こんなのさすがにどこにも売ってねぇ~~~!
作るしかない!!!
作りました!!
ミニチュア用のベニヤ風の板をカットして糊付け糊付け…。
いやー、なかなか安定しなかった…ミニチュア作家さんってほんとすごいです。
じゃじゃーん。すし屋の権太、完成です!
〇椎の木の権太
西コース用に作った、椎の木の権太です。すし屋のミッキーと同じミッキーを連れて帰ってきた。
どうでもいいけど、このミッキー、扇雀さんに似てるよね?
腹掛けの型紙なんてどこにもなかったので想像で作りました。それらしくはできたと思います。うん。
着付は権太役者によっていろんな色のものがありますが、勘三郎さんが実際のこの巡業で使っていた衣装をもとにイメージに近い色味で作ってます。
外は縞と無地の接ぎ合わせ。襟と裾綿は同じ墨色。胴裏は朱!
初めてしっかり袷で作ったんですよね…縫うところ細かくてしんどかったなー。身八つ口もありますよ、ちゃんと。
この着付は歴々の衣装の中でもよくできた衣装でした。お気に入り。
女もの(おそらく小せんのもの)の着付を借りて尻はしょりして着ている、多分、お金がないんですよね…というようなことを作りながら想像するのは楽しい。
片肌を脱がせて、山道の手ぬぐいをかぶせます。
この山道の手ぬぐいは人間用の、本当の山道をカットしてます。
そのままだと脱げちゃうのでさすがに縫い付けました。
我が家の弁天小僧と小金吾討死の立ち回りごっこ。
本当は、合羽も作りたかったんですが、なまこ襟をどうしていいか、調べてもわからずさすがにお手上げで、着付だけになっております。
◆◆◆
前回の記事(弁天小僧)を読んでくださった方はご記憶でしょうが、博多座で中村屋がわざわざ出の前にミッキーとの記念写真を撮ってくださって。
それは期待もしてなかったし、頼んでもいなかったんですが、その次に差し上げたのがこのすし屋のミッキーだったもので、中村屋に何か使命感を与えてしまったらしく…。
熊谷で差し上げて、次に私が巡業に行けたのは岐阜県加子母村の「かしも明治座」だったんですが、帰りがけにバタバタと番頭さんが手渡してくれたのは、このチェキでした。
えーーーーーちょっと待って~~~!!
前回チェキのフィルムが古くなってたので買いなおしたうえに、出番前にまた撮ってくださったんですって。
これね、よく見てほしいんですが、ミニチュアの桶、勘三郎さんが持ってくれてるんですよ。かわいい(笑)
勘三郎さんにお渡しするときに気を付けたのは鉢巻の位置でした。この鉢巻、五代目幸四郎が作り上げた高麗屋の権太の型では真ん中に置きますが、音羽屋のやりかたでは少し左にずらすそうです。五代目への敬意のあらわれなのだそうです。
写真は六代目菊五郎(「藝」より)。
「この鉢巻の留を真中にするは高麗屋流にて、音羽屋流にては左へ寄するを例とすといふ。」(三木竹二「いがみの権太」より)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000792/files/51205_42514.html
勘三郎さんにお渡しするときもそこに注意してお渡ししたんですが、あとで「ちゃんとずらしてあったね」と言われてほっとしたのを覚えています。
そういう役や拵えへのこだわり、特に六代目への傾倒がとても強い方で、小さな工夫に気づいてお伝えすると心底嬉しそうになさる方でした。
それだからこそのあのチェキだったんだろうと思います。
なお、このあとでこの写真撮影が必須になってはいかん!と思い、もう写真はいいです、受け取ってもらえればそれでいいんですよってお手紙に書いてお伝えしたところ、以降はチェキはやってこなくなりました。
今思うと、ちょっともったいなかったかな?…なんて(笑)
いえいえ、喜んでほしかったんであって、喜ばせてもらっちゃうのは本意じゃありませんでしたから、これで正しかったんだと思います。はい。