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犬の死と、元日

2024年1月1日

父、母、わたし、息子の4人で近所の神社まで歩く。これは私が幼い頃から続く元旦恒例の行事。

3年前までは実家の犬も一緒だった。
去年の年の暮れ、お空に旅立ってしまった。

大型犬に近い大きさの犬だったから、16年半という長い間いてくれただけでありがたいのだけど、最後は一年近く寝たきりになってしまい、母は介護疲れしているように見えた。

16歳と言うと、高校生の年だ。
わたしの人生の半分くらいに相当するから、歳の離れた弟くらいの気持ちがある。

最初に後ろ足が弱り、次に深夜徘徊が始まり、最後は痴呆になり、そしてついに歩けなくなってしまって寝たきりだった。
誰よりも溺愛していた父の心が犬の死を受け入れられるのかを家族全員が心配していたのだけど、2年という月日をかけゆっくりゆっくりと老いていく様を見せてくれたおかげで、受け入れざるを得なくなっていた。

穏やかで、心が優しく、ビビリで、誰が呼んでも絶対に寄ってこない、そんな犬だったけど、時にはヤンチャに走り回ったり、父の靴下を噛んで振り回したり、息子とソファの定位置を争ったりしていた。

家族みんなに、愛をくれた。
わたしは全部合わせても3年くらいしか一緒には住めていないけど、帰省のたびに会えるのを楽しみにしていて、その暖かさにいつも癒されていた。

旅立ちの朝、それは土曜日で、いつもなら犬は父と母に連れられてわたしの曽祖母が残してくれた田舎の家に出かけるのだ。

だから毎週末両親と犬が田舎へ行くたび、もう会えないかもしれないと思っていた。

その前の日の金曜日は部署の忘年会で、わたしも息子も楽しみにしていた焼肉で、予想通りとっても楽しくて、2人でうきうきな気持ちで帰って寝ていたら、珍しく朝早く母に起こされた。いつもなら何も言わずに出かけるはずなのに。

低血圧で朝が弱いわたしは、こんな時間(早朝6時)になに?と少し怒り気味だったのだけど、「お空にいったよ」と言われてすぐ号泣してしまった。

ただならぬ空気に呑まれて起きてきた息子にとっては、犬の死よりも母の号泣が衝撃だったらしく、ものすごく冷静な声で
「かあか、大丈夫。どうしたの?」と背中をさすってくれていたのだけど、わたしはそのままフラフラと犬が眠っている父と母の寝室に行き、亡骸にすがりついてお礼を言った。

「ありがとね、ありがとね、ありがとね」
よく頑張ったね、ありがとうね。
もうこの言葉以外は何も出なくて、冷たくなった身体に顔を埋めてわんわん泣いていたら、
「かあかやめて。離れて。かあかまでお空にいっちゃうよ!!」と息子が言うので、なんだかその言葉でふと我に帰って、リビングへ行って紅茶を飲んだ。

母と抱き合って泣いて、何もできなくてごめんね、お疲れ様と母を抱きしめると、驚くほど小さく思えた。

運良く時間が空いていて火葬場に連れていくというので、車に乗る犬を見送る。
顔を近づけるとまだ生きているような匂いがするのに、ただスヤスヤと眠っているような顔なのに、もう二度と起きてこない。
分かっていたけど、それでも寂しい。悲しい。

空は綺麗に晴れ、美しい日だった。
もう今頃先にお空にいってしまった犬友達と走り回っているだろうと思いながらその昔の姿を思い浮かべるとまた泣けて、もうその日1日パジャマのままぼぉっとしてたまに泣いてとしていたら、母の友人が訪ねてきた。

犬が食が細くなったと聞いたけど…と言われて、今朝亡くなったことを告げるとまた来るわねと言って帰って行かれた。

その後宅配便の人が父の友人から届いたお歳暮を持ってきてくれて、なんか、母も父もちゃんと友達がいて、悲しみを共有できる人たちがたくさんいるから、大丈夫だ、きっと大丈夫だという気持ちになって、でもそれでも悲しさは悲しさのまま心の中に居続けて、結局日曜日の昼過ぎまで頭がぼぉっとしていた。

「かあか、今日はお外行こう!!!!!」

こういう時、元気なエネルギーの塊が家にいることが救いだ。

しぶしぶ着替えて公園に行く。

青空の下思いっきり身体を動かすと少し心もスッキリした。

次は人間に生まれてきてほしい。
わたしが犬に生まれてもいい。
一度でいい、話してみたい。
どんなことを思って、どんな風に感じて、幸せだった?楽しかった?みんな大好きだったよ、大好きだよって伝えて、
俺は嫌いだったけど?とか言われてえー!とか言って笑って、うそうそ大好きだったよありがとうって言われてまた泣いて、そんなことをしたい。

神社までは2キロ近くあって、父は前をずんずん歩いていて、散歩カバンを斜めがけにしたその姿を見ていると、その横を歩いている犬の姿が見えるみたいだった。

すると突然隣で息子が、
「ねぇ、〇〇くんはお空で何してるかな?あの雲、〇〇くんに似てる。一緒に神社に行くのかな」と言い出して驚いた。

そうねぇ、お空でたくさん走ってるねえ、と言いながら、ああもう二度と戻らない、一緒に神社に行った元旦を思い出す。

二度と戻らない。
二度と戻らない。
それは死に関わらず、この世の全てはもう今この瞬間でできている。
いま、ここ、それが通り過ぎていって、過去になって、もう戻ってこない。

暖かい、春の日のような元日で、道を歩きながら鼻がつんとした。

いつもは人混みが嫌いな犬と父は神社の傍で私たちを待っていてくれたけれど、父が列に並ぶと言うので驚いた。
後から母が言うには、元気でやってるからそっちで元気に走れと犬に言いたかったらしい。
それ、神社で合ってる?家にあるお骨に言ったほうが…と思って少しおかしかった。

せっかちな父と母と別れて、のんびりおみくじを引き、御守りを買って、息子と川沿いをぷらぷら歩く。

息子はさすがに往復4キロも歩けないでしょうとスマホでバスを調べようとして、スマホを忘れたことに気づいた。あらあら。

バス停までたどり着いたけれど、何時かもわからない。
お正月ダイヤで、1時間に一本に減便されている…。
ベンチに座って途方に暮れていると、
「かあか、今日ここで寝るの?」と息子が言い出して笑ってしまった。
もうこれは、タクシーか20キロを抱っこして歩くか…と思うと公衆電話が目に入った。

息子がいつも行く公園に公衆電話があるのだけど、実際に使うのは初めてで大喜び!
実家に電話をかける。先に帰った父と母に迎えにきてもらおうと思いついたのだ。

ツーツーツー…。

何度かけても無慈悲な音が鳴り響く…。

かからない、、、と息子に告げると、いつもの公園(公衆電話がある)まで行こうよ!!と言い出して、その公園はそこから家よりも遠いので、それなら家に帰れるわ!!とつっこんで笑った。

ふと、わたしは元旦から何をしているんだ?という気持ちになってふにゃふにゃ〜っと体の力が抜けて笑えてきた。

年をとってリタイアしたら携帯電話を解約して世界中を旅したいな、ということが頭に浮かんだ。
携帯ないの、めちゃくちゃ楽しそうだな。

結果息子は家まで自力で歩き(!)、夜に大熱を出していた。

次の日はすっかり元気になっていたけれど、なんだか不思議な1日だった。

色んなことが起こる。
これからもきっと、悲しいこともある。
でも目の前のこの笑顔だけ、それだけを守るくらいの力しかわたしにはない。
それしかいらない。
どうか元気で大きくなって欲しい。

どうか、息子は無事に健康にすくすくと大きくなりますように。それだけを毎年神様に願う。

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