オールドデリーの街 | 初めての海外旅行でインドへ行く③
3月23日(土)
インドは初めての場所のはずなのに前々に YouTubeや記事を読み漁り過ぎてあまり現実味がないというか、画面で見てたものが目の前にある、という感覚になってしまう。
スーパーで買ったスナック(トマトスパイスのバナナチップスやクッキー)と水で朝食をとり11時頃にホテルを出た。ホテルのロビーには日本語を話せるスタッフがいて空港以来の換金をしたが、やはりしっかりインド人(?)でツアーの勧誘や商品の高額購入を勧めてくるので適当にあしらってその場を離れた。
朝のニューデリーはまったりとしている。屋根の上で昼寝をしたり、朝食を食べるために屋台の周りで座り込む人たちが大勢おり、至る所からチャイの香りや線香を炊く香りがする。インドは牛や猿が道端に糞をする上に物乞いや食べ物の腐った腐敗臭で信じられないくらい臭いという話を何度も聞いたが、今のところ全くその感じはない。むしろ日本と何も変わらない外気の匂いに線香や屋台のスパイスの匂い、濃厚な人の匂いが混ざりいい匂いまである。
30分ほど歩きジャーマーマスジットを目指す。途中の道はチャンドニーチョックという商店街が広がっていて牛が大量に荷物を乗せた荷車を引いて道路を歩いていたり、人力車が練り歩いていたりする。この商店街はオールドデリーの一角に位置し、古い建物が密集する中、一階を解放して出店を開く所が多い。メインバザールとは違って文房具やタイヤ、調理器具など生活必需品を売る出店が所狭しと並ぶ。その出店が道路まで乗り出しているため車道は車2台がギリギリ通れるくらいのスペースしかない。それなのにバイクや車は逆走し放題で常にブザー音がひっきりなしに聞こえてくる。歩道は歩道で商品を買うために立ち止まる人がいれば全く通り抜けることができないくらい狭い。仕方なく車道の端っこを歩くがスレスレで通り過ぎる車や牛がかなり怖かった。
ジャーマーマスジットはデリー最大のモスクである。イスラム教徒は1日に5回、メッカの方を向いて礼拝を行う。モスクはそのための施設だ。赤いレンガのような硬い素材でできた建物は本殿に丸く窪んだ、アザーンを唱える人たちのためのスペースを持ち、中央の泉を囲むように屋根付きの石の礼拝スペースが設置されている。今の時期はちょうどラマダーンにあたり、ここにいる教徒は皆日没まで食べ物を口にすることができない。ラマダーンの期間は最もイスラム教が活発化する時期であり、その点過激派が他宗教に対し暴動を起こす記事などを見かけるので教徒の集まる祝日(金曜日)に行く予定をずらし、今日行くことになったのだった。
1時からの礼拝、サラートを聴くために1時間ほど屋根のある礼拝スペースで待つ。そこにはすでにイスラム教徒が大勢座り込みサラートを待っていた。私たちが礼拝スペースに入ると、東洋人が珍しいのか周囲の視線が集まってくる。物珍しそうに顔を見たり、写真を撮ろうと言ってきたり、どうして来たのか訪ねて来たり、「なんか知らん人種がいるぞ」みたいなことをこそこそ仲間うちで話したりしていて、転入生がクラスに初めて来た時を思い出す雰囲気だった。居心地が悪くもじもじしていると10歳くらいの女の子と5歳くらいの男の子が喋りかけてきた。女の子は英語を喋ることができ、男の子はヒンドゥー語しか喋れないので女の子が翻訳しながら4人で1時間ほど喋った。2人は私が日本人だと分かると「日本ではタコを食べるって本当?」とか「口裂け女の絵本をこの前読んだ」とか色々日本の話題を出してきた。男の子の方はこの前目を怪我したことや今やっているゲームの話をしたりしていた。また、意外だったのは2人、いや、2人だけでなくそこで礼拝をする多くの人が宗教に固執していないことだった。女の子は、アザーンはBGMと同じだと言っていた。宗教はどこ?と聞かれ、無宗教と答えると、深掘りすることなくさらっと流された。2人と仲良くなり、そのままその家族と一緒に礼拝を行ったが、その時もイスラム教でない私たちにかなり親切に礼拝の仕方を教えてくれた。男の子はサラートの最中飽きてしまい走り回っていた。
礼拝は本殿で唱える声を各所に取り付けられたスピーカーから流す。かなり反響するため、1つのフレーズから次のフレーズに移行するまでに10秒ほどかけていて、そのフレーズに合わせ、お辞儀をしたり手を額に当てたりする。やはりイスラム教の聖典は特別に発音が綺麗で、読み上げるだけで歌になる。サラートが始まった瞬間に教徒は一斉にメッカの方に座り直し礼拝が始まる光景は異質だった。
ジャーマーマスジットを出ると外は物乞いの子どもであふれている。お風呂に入ることができずすすけた格好で何人もの子どもがお金をせがんでくる。私が英語を喋っても、その子供たちには全く通じない。デリーへ来て、子供たちの貧富の差がここまで顕著であることに驚いている。綺麗な衣服が与えられ、ヒンドゥー語と英語の教育、そして日本の文化まで知っている子どもがいる一方でご飯を食べることが出来ず飢餓でお腹が膨れ上がり、ヒンドゥー語もままならない子どもが隣り合わせで生きている。物乞いはキリがないから絶対にお金をあげないように、と地球の歩き方に書いてあったため一度も彼らに何かをあげたことはないが、現地の人たちはよく物乞いにお金を渡している。インド人全員に当てはまるわけではないだろうが、日本に比べると随分物乞いや他の動物に対して親切で、お金や食べ物を分け与えている様子をしょっちゅう見かける。それは宗教関係なくヒンドゥー教徒もイスラム教徒もシク教徒もそうだった。
モスクを出てスパイスマーケットと呼ばれるオールドデリーの市場へ向かう。この通りでは道端に木のみやスパイスを並べて売っている。アメ横に近い空気感で、土曜日だったこともあり現地の人でごった返していた。露店には見たことのない、全然美味しくなさそうな食べ物が不衛生なまな板の上に並べられ、それを現地の人は美味しそうに食べている。飛行機に乗らなければいけないこともあり今は食べることができないが、ラスト2日間でこの辺の屋台料理は食べていこうと思う。
昼食は通りの一角にあるマクドナルドへ行った。本当に同じマクドナルドの味がするのか気になっていた。メニューはインド仕様の商品もあったがオーソドックスなポテトとチキン、ハンバーガーを頼んだ。合計で日本円でいうと400円ほど。現地の価格からするとかなり高級な食べ物である。味はポテト以外全て薄味、激辛という感じだった。ここでもまた子どもたちに話しかけられマックの味の違いについて話したりした。この二日間で話した人たちは大人子ども関係なくほとんどが字を読めていなかった。説明できずにGoogle翻訳でヒンドゥー語や英語にして説明しても誰も読むことができない。識字率は相当低いようである。
スパイスマーケットは路地がいりくんでいて一度大通りから中に入るとなかなか出ることができない。私たちも迷い込み30分ほど迷路をさまよった。古くて狭い路地裏は地元の独特な雰囲気が漂っていて開けっぱなしのドアから生活の様子が見られる。犬や山羊がくつろぎその間をリキシャーや手押し車が通り過ぎていく。狭い路地に無理やり押し入る手押し車や荷車のせいで要所要所で怒鳴りあいの喧嘩がおこっていた。周囲の人たちは喧嘩に加勢するべくニヤニヤしながら集まってくる。渋滞が起き、そろそろ困って来たな、というくらいで誰かが仲介に入り収まる、という流れを3回ほど見た。渋滞で立ち止まっていると手押し車の人たちは私たちを親切で先に通そうとしてくれる。しかし喧嘩にまきこまれたくないのでゆっくり後ろの手押し車と共に動いた。
大通りに出たところではじめてリキシャーを呼んだ。マジュヌカティラまでの距離と相場を調べ、120ルピーから値段交渉した。相手は300ルピーないと乗せられないと言っていたが、私たちが一度リキシャーから離れると200ルピーまで下げてくれたのでそのまま乗り込んだ。
マジュヌカティラはチベット仏教徒の難民街で、中心の寺院を囲むように家や店が並んでいる。ここは中国やチベットの人たちが多く住むため、文化が日本に近い。さっきまでの喧騒から急に静まり返り、東アジア人の顔が多く見られるため安心感がすごかった。頭上には経文の書かれたカラフルな旗、タルチョーが吊るされ、本殿では定期的に僧侶によるサンスクリット語の般若心経が読まれる。各所にマニ車が置かれ、礼拝に来る人は本殿のお経を聞いた帰りにマニ車をまわして帰っていく。お経は倍音のホーミーが加わり複数人で唱えられる。リズムはバラバラだが日本の般若心経より早口でラップのようにも聞こえる。経文が読まれると線香の香りのする水を手に垂らされ、それを皆で飲んだ。
難民街は建物と建物の間が90センチほどしかなく、その薄暗く狭い路地は犬や難民の憩いの場となっている。埃の被った室外機や電線の下を潜るように通るのは私にはとても難しかったが、この暗くて狭い路地の風景はとても好きになった。
市場で水を買うとマジュヌカティラを出てリキシャーを探した。できるだけ勧誘してこない人の方が信用できそうだということで、やる気なさそうにスマホでゲームをしてるリキシャーの運転手に声をかけると言い値でニューデリーまで運んでくれた。
デリーに着くと市場通りまで出て、そこで夕食(ロティとパリパリの何か、細長い米とパクチーを茹でたもの、3種類のカレー、ジャレビというドーナツのシロップ漬け)のプレートを食べてホテルへ戻った。