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良い人になろうとすればするほどに悪い人になっていき、願いが遠ざかっていった。

良い人になろうとすればするほどに
悪い人になっていき

願いがどんどん
遠ざかっていった。


一見すると皆に笑顔を振りまいて
優しい言葉掛けをしていて

誰のことも傷つけない
いかにも良い人のようなのだけれど

本当は周りのことなんて
一切考えてはいなくて

ただ自分が

嫌われたくないだけ。
気に入られたいだけ。
認められたいだけ。
褒められたいだけ。


嘘の笑顔を振りまいて
嘘の優しい言葉を発した分

無視された本音は怒りや憎しみや
嫉妬心となって膨らんでいく。

でも

"私は良い人なのだから
そんな感情は私の中には無い"

と主張して

怒りや嫉妬心を露わに
している誰かを見て

心の中で得意気に裁いたり
非難したりする。

でも

"私はいつも皆に笑顔を振りまいて
皆に優しくしている良い人なのだ"

なんて言って心の中でやっていることを
決して認めない。

それじゃあ願いなんて叶わない。

願いは本音こそが握っているのであって
その本音は怒りや憎しみや嫉妬心の
奥にあるもので

そんな感情を否定して良い人になろうと
する限りは本音に辿り着くことなんて
できないのだから。


自分の中に出来上がっている
良い人になるためのマニュアルの中に
願いを叶える道なんてない。

マニュアルの中にある言葉や行動こそが
人生を虚しくてつまらないものに
しているんじゃない。

本当は得意になって非難したり
裁いたりしている誰かのことなんて
どうでもいい。

ただ幸せになりたいだけ。

でも幸せは要求することでは
やってこない。

良い人を演じて

私のことを認めてよ、
私のことを褒めてよ、
私に感謝してよ、
私のことを幸せにしてよ、

そうやって要求することをやめて

本音にたどり着いてその本音を
満たしていった時にこそ
幸せが分かるようになるのだ。


得意になって裁いたり非難したり
している誰かと同じものが自分の中にも
あるってことを認めてしまったら

急に冷めてきて
必死になって良い人になろうとする
自分のことが馬鹿らしく思えてきて

良い人になろうとすることが
どうでもよくなってしまった。

そうして良い人になろうと
することをやめたら

敵だとしか思えなかった人が
仲間になって

虚しくてつまらないとしか思えない
毎日が楽しいものになって

いつの間にか幸せが分かるように
なっていたよ。


本物の善人は、
自分が善人であることをアピールして
他人に幸せを要求することはない。

要求なんてしなくても
幸せが分かっているから。

幸せになるためにも
善人になろうとすることを諦めて
本物の善人になっていこう。

善人になることを諦めたって悪人には
ならないし何も困ったことは起きないよ。

本当の幸せが分かるようになれば
なろうとしなくてもどうせ勝手に
善人になっていくのだから。

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