嫌だとしか思えない今が変わっていく話。

今が嫌だと思う時、そりゃもちろん
その"嫌"を取り除きたいと思う。

たがら"嫌"を取り除いてくれそうな別の
何かや誰かや場所を理想として掲げて
求め出す。

でも嫌だと思う今は自分の在り方、
考え方、生き方によって作り出された
ものなのだから

自分以外の何かや誰かや場所を求めた
ところで"嫌"が取り除かれて消え去って
くれるなんてことはない。

"嫌"は自分以外の何かや誰かが
取り除いてくれるものではなくて

自分の在り方、考え方、生き方が
変わった時に消え去っていくもの。

自分の在り方、考え方、生き方が
今を作り出すのだから

いくら別の何かや誰かや場所を理想として
掲げて求めても

在り方、考え方、生き方を変えなければ
同じ今を作り出すことになるだけ。

作り手が作品の作り方を
一切変えていないわけだから

同じものが出来上がるのは
当たり前のこと。

"嫌"を取り除いてくれると思い込んでいる
何かや誰かや場所に出会ったばかりの頃は
新鮮な気持ちになって"嫌"が消え去って
くれたように思っても

やがては新しい何かや誰かや
場所に慣れてしまい

同じようにまた"嫌だ"という思いを
抱いている自分に気づいて

何も変わっていなかったということに
気付かされるのだ。


理想なんて面倒くさいことから逃げる
自分自身が都合よく作り出したただの
幻想だった。

何かや誰かは"嫌"を取り除いてくれる
都合の良い道具だとしか思っていないから

"嫌"を都合よく取り除いてくれない
と思うようになれば簡単に放り出す。

そうやっていつも何かや誰かとの関係性が
脆いものとなり

ちょっとしたことで簡単に
崩壊してしまう。

いつも大切にしてもらえないとしか
思えなかったのは

自分自身が大切にして
いなかったから。

何かや誰かを"嫌"を取り除くための
道具にしなくなった時

本当の意味でそれらを大切にすることが
できるようになり

自分自身も大切にしてもらえる
ようになる。


理想に'嫌"を消し去っていく責任を
丸投げすることをやめた時

"嫌"が薄れていって
理想が必要なくなってしまう。

そして理想ではなく自分にぴったりの
本当に必要な何かや誰かや場所を
選ぶことができるようになる。


自分自身を見つめようともせず
理想にばかり目を輝かせている
自分自身の目を覚まさせてやろう。

作成する作品を変えることができるのは
理想ではなく作者でしかないのだ。

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