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力への反逆 (「バーレスク黒蜥蜴」感想)


新宿のスペース・ゼロにて公演中の舞台「黒蜥蜴〜Burlesque KUROTOKAGE〜」。わたし個人としては2度目の観劇だ。今回見たのは、島田惇平さん・雷太さんペアの回。やはりというか、先日とはまるで違う作品を見た心地である。


とにかくまずは黒蜥蜴だ。ダブルキャストといっても同じ役柄で、こうもすべてが違うことがあるのか。だいたい、登場シーンからしてまるで違う。ヨロヨロした足取り、舌を出しばけものじみた顔、そして装飾が少なく肉体そのものを強調する、とにかく強さを感じる衣装。そしてこれは雷太さんの黒蜥蜴を先に見ていたからこそだが、「小さい!」とも思った。とにかく全身を使った表現に圧倒されるけれど、この黒蜥蜴はほんとうにその身一つで生き抜いてきているんだ、とそのたびに思える。それと、すこし年齢もいっているように感じる。なんとなく、40くらいにはなっているんじゃないだろうか、と思ったのは、潤ちゃんをはじめとする子分への扱いにどことなく母親っぽさを感じたせいもある。(一味とともにいる際に黒蜥蜴はブーツを履いていて、周りに守られようという気が一切ないことがよくわかる)それから中盤にある車椅子の老人とのやり取りは、それまでに彼女/彼が幾度となく欲にまみれた無遠慮な目を向けられてきたからこその慣れた対応だ。どん底から、とにかくどんな手を使ってでも這い上がって、年月をかけてここまでのし上がってきたのがこの黒蜥蜴なのだ。


雷太さんと神尾さんの回を見た際の黒蜥蜴の印象は、「きれいなものが大好きでお姫様を夢見たお嬢さんが、憧れの人に愛されたくてしでかした命懸けの遊び」だった。このときの感想はこちらのnoteに。


犯人は美しさに固執している、と黒蜥蜴は明智から評されている。
自分の外見に自信がなく(恐らくその体の大きさのせいもあり)、淑女然とした衣装を選んで少しでも優雅に見せようとする雷太さんの黒蜥蜴は、確かに美しさに固執していた。しかし島田さんの演じる黒蜥蜴は、淑やかに振る舞おうとも、エレガントなドレスを身につけようともしていない。ただ、だからといって美しさを放棄しているわけではない。
これは両者の「美しさ」の解釈の違いと言ったほうがいいかもしれない。雷太さんの黒蜥蜴が求める美しさが「人目を強く惹き、深く愛され大切にされているさま」だとしたら、島田さんの黒蜥蜴が求める美しさとは、「誰にも虐げられず、誰の目も気にせず、思うがまま自由奔放であれるさま」のことなのだ。つまりこの時点で、雷太さんの演じる黒蜥蜴と島田さんの演じる黒蜥蜴とではそれぞれに達成すべき目的が違っており、台詞こそ同じであれストーリーもまるで異なるということになる。


本来目立ちたくないはずの大阪城で真っ白なドレスを身につける黒蜥蜴からは、世間に一泡噴かせてやろう、偉そうに踏ん反り返っているやつを嘲笑ってやろう、そういう権威への反抗心が明確に見える。(これは雷太さんの黒蜥蜴からは確実に感じられなかった要素だ)船の中では子分たちをまるでできの悪い息子のように従え、まさに女賊と呼ぶにふさわしい、「黒蜥蜴一味」のお頭としての力強い姿を見せる。左胸に彫られた黒蜥蜴を堂々と見せつけて。これこそが島田さんの黒蜥蜴の美しさだ。こうした美しさ、つまり強さに固執するのがこの黒蜥蜴。暴力的な支配の下に搾取され、尊厳を踏み躙られ、様々なものを奪われてきた経験がなければ、この境地には至らないだろう。これだけの強さを得るまでにどれだけ泥水をすすり、どれだけの苦渋を舐めてきたのだろうか、と思うといくらかつらい気持ちにもなる。


対する明智は、20代半ばくらいの青年に見えた。基本的にどこか様子がおかしく、人を舐めていて、デリカシーがなく、とにかく才能と若さだけで突き進んでいる。以前世話になったとはいえ、岩瀬氏もこの人に大事な娘を頼むのはやや気が引けたんじゃないだろうか。しかしこの、推理とスリルを楽しむことに全振りした明智の姿勢は、自由奔放を希求する黒蜥蜴とはかなり重なるところがある。

縁川夫人として接していた黒蜥蜴は、この明智にだいぶ苛ついているように見えた。若造がポーカーごときで調子に乗りやがって、という表情を、明智に面と向かって見せはしないものの、隠しもしない。一方の明智も、ものすごい格好で現れた緑川夫人のことを一種のばけものだと思って接しているくらいの感じがある。ただ、明智の視線にはこれまで黒蜥蜴が晒されてきたような欲が含まれていない。それどころか、黒蜥蜴が仕掛けてきたことにはまるで引くことなくすべてに乗っかっていく。仲がいいかはさておき、性質が近く、ある意味で対等で、非常に気の合うふたりであるように見える。この相性のよさがコミカルな笑いを誘う。

明智が黒蜥蜴に対して抱く感情は、この出会いから本当に少しずつ、じわじわと深まっていったように思う。他人とは思えず、ただの好敵手と言ってしまえるほどドライでもない。お互い響き合うものを感じてはいたのだろうということが、船の中での会話からなんとなく感じられた。美術館にて、身内をやられた黒蜥蜴の虚勢がもろく崩れてからは、明智が黒蜥蜴に向ける視線や言葉はいたわしげですらある。
強さを失った自分をほかの誰にも見せたくない黒蜥蜴のために、最後、明智はひとりで部屋を訪れる。当初はわからなかった黒蜥蜴の心の機微がわかるようになっているのだ。ひとりの男の変化が、ここにはっきりと見える。自分と一緒になれたかもしれない相手。どれだけ弱っていても、ほかでもない自分だけは受け入れてくれるだろうと思える相手。そう思ったのだとしたら、それはもう、恋だ。

黒蜥蜴を失わないためにどうにかしてワインを取り上げられないかと画策する明智は、やはり若い。若いからこそ、出会った当初のような余裕はもう見せていられないし、どうにかすればまだやり直しがきくのではないかと考える。
しかし明智と出会うよりずっと前から、黒蜥蜴はもうとっくに賊として、子分たちをやしない、他人から多くを奪い取り、精一杯の虚勢を張って生きてきた。とっさに口走る戦争や苦しめられる庶民の話、あれらはすべて自分の過去にあったことなのだろう。あまりにも負ってきた傷が深すぎ、それ以上に重ねてきた罪が重すぎる。もう若くはない黒蜥蜴は、いまさらその生き方を変えることなどできない。警察の手に落ちるのは、ふたたび権威に支配されることと同義だ。そうした力への反逆心を糧に立っていた黒蜥蜴は、そうなればもう生きていられない。
持たざる者として生まれることが避けようのない運命だったとしても、せめて明智がもうすこし早くこの世に生まれていれば何かが変わっただろうか、と思わずにいられない終焉だった。ふたりが出会った瞬間から、黒蜥蜴はとうに手遅れだったのだ。


本当に、同じ「黒蜥蜴」でもまるで違う作品だった。雷太さん・神尾さんペアの回では、わたしは最後の部屋を「囚われの姫を迎えに行くシーン」として見た。手をとって逃げることこそかなわなかったけれど、この島田さん・雷太さんペアを見てしまった今では、あれはとても幸せな結末だったと思えてしまう。それほどに、島田さんの黒蜥蜴の終わり方がひどく悲しかった。

最終日は島田さん・平野さんペア、そして雷太さん・平野さんペア。こうなると何が起きるかまるでわからない。それぞれの黒蜥蜴が相手役によってどれだけ変わるのかも楽しみだ。心して見たい。

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