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碁盤の上を行く(ミュージカル「ミセン」愛知公演感想)
「ミセン」が愛知芸術劇場で上演されるので、土曜の朝に東京を出て名古屋まで来た。大阪公演での感想は以下。こうして名古屋まで来ているわけなので、もう言うまでもないですが、とても面白いです。
どうせ遠出するならと、土曜と日曜の2回見ることに。調べてみると愛知芸術劇場は栄駅の近くにある。名古屋の距離感は正直わからなかったけれど、名駅からは地下鉄東山線で2駅。まあけっこう近いってことだろう。それで名駅と栄駅のあいだにある伏見駅近くに安い宿をとった。
名古屋の街は道路が碁盤目状に引かれている。仕事の色々を囲碁にたとえている「ミセン」を上演するのには、なるほどぴったりの街である。とにかくわかりやすくて迷わなさそうだし、1駅くらいならきっと歩けそうだな、と、ひとまず早めにホテルを出、劇場まで錦通沿いを歩いた。しだいに飲食店の看板が増えてきたころ右手に大きな観覧車が見えて、ふと梅田を思い出す。そこを過ぎた次の信号では公園をかねた大通りと交差し、左手には鉄塔。札幌の大通公園を彷彿とさせる。あまり来たことがあるわけでもないのに、これまでに行ったさまざまな街の面影が至るところにある、名古屋は不思議に安心感のある街だ。その久屋大通公園を過ぎたあたりに劇場はあった。
劇場によって音の聞こえ方はわりと違う。特に耳がいいわけでもなく、特にこだわりのないわたしにでも差がわかるくらいには。音がこっちに向かってくるぞ! なんか歌詞が聞き取りやすい! という感じ。ということで、はるばる愛知公演来てよかったです。
正直わたしはミュージカル鑑賞において、歌詞をしっかり聞き取って理解しよう、みたいなことをあまり思わないのだけれど(どうしても聞き取りには限界があるし、そこにばかり気を取られて音楽自体の気持ちよさを後回しにするのは勿体ないと思ってしまう)、それでもやっぱり歌詞の細かいところが聞き取れるとより理解が深まっていろんな楽しみ方ができる。
がらっと変わったわけではないけれど、舞台上の人物たちには大阪公演からさらに深みが増した気がする。橋本じゅんさん演じるオ次長が、後半でつい感極まったように、部下であるグレとドンシクの頭を撫でる。たぶん、大阪でわたしが見た公演ではやっていなかった。仕事への熱意や人を大切にする姿勢が端々の行動から滲み出まくっているし、わたしもこういう上司でありたいと心から思う。あべこうじさんのドンシクがまた本当によくて、この人が先輩として一緒にいるなら、と慣れない会社で働くグレを見ていても不安にならない。全部が即興なのではないかと思うようなこの舞台のリアリティは、特にこのドンシクとグレの、作り込み過ぎない気のぬけたやりとりが核になっているように思ったりする。
グレの同期たちも少しずつ変化している。内海啓貴さん演じるハン・ソギュルは、採用プレゼンにおけるグレとの熱い戦いにより迫力が増して(お調子者っぽいキャラクターなのに、あのシーンでは意外なほど厳しい表情を見せる)、だからこそあの戦いを経た後はより安心できる仲間の空気をまとっていた。糸川耀士郎さん演じるチャン・ベッキはもとより愛すべき真面目面白人間だったけれど、台詞のない場面での抑えた表情や仕草に、社会に出たばかりの若者らしい揺らぎがみえる。これまで自分の中になかった価値観に触れたことでの戸惑いや成長が、よりこまやかに演じられていると感じた。
そして石川禅さん演じる専務がまた、いいんだよなあ。歌詞が聞き取りやすくなったことで印象が一番変わったのが専務だ。フィクサーの立ち位置にいる人物だが、会社の業績や保身だけを考えているのではなく、有能なのに評価されない部下を引き立てようとわざわざ手を回しもするし、自分が育てたパク課長に対しては冷酷なようでいて複雑な感情がちらりとだけ見える。それでいて美しい低音には圧倒的強者ぶりを見せつけてくる。ミュージカルってすごいんだな、歌だけで力関係まで表現できる。
やっぱり、この作品に嘘を感じないのは、ある一面だけでできている人物がいないからなんだなあ。嫌なところも愛せるところもあって、いいもん、悪もん、みたいなわかりやすい分け方はできない。
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さて、土曜は14時開演で、アフタートークなんかもあったものの、17時くらいには劇場を出た。せっかくの名古屋の夜をどうしよう、と考えて、そういえばまったく時間が取れずに後回しになっていたけれど気になっていたものがあったじゃないか、と思い出した。ガンダムGQuuuuuuXだ!
さっそく検索して、名駅近くのシネコンでちょうどいい時間に上映しているのを確認。さっき1駅分余裕で歩けたことで調子付いて、今度は栄駅から名駅までの2駅分を歩いた。映画館は大盛況。映画の内容についてももう、それはもう本当に色々言いたいことがあるのだけれど、それはまた別の機会におくとして、旅先で映画を見るの、けっこういいな、と思ったことを書いておこう。演劇と違っていろいろな都市で見られるのが映画のいいところだ。今後遠出するときはうまく映画も行程に組み込んでいけるといいかも。まあでも、その場の思いつきで行動したからこその楽しさでもあった気がするから、がちがちに予定を組むのではなくて、時間が空いたときの候補に映画を入れておくくらいがちょうどいいのかもしれない。映画館を出て、小雨がぱらぱらと降るなか、さっそくiPhoneで米津玄師のPlazmaを聴きながら、ホテルまでの道をまた歩いた。この日の歩数計の記録、17000歩。