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女たちの狂宴と執念 (舞台「うみねこのなく頃に Ep5」感想)
キャストが変わったという情報はそもそも知っているし、確かに顔の感じや身長も声も違うのに、それでも前と同じキャストだと言われたら信じてしまうかもしれなかった。舞台「うみねこのなく頃に」のベアトリーチェのことだ。
ベアトリーチェは全8編のエピソードからなるこの作品のエピソード2から登場する。(正確にはエピソード1のラストに現れるが、舞台ではその際は声とシルエットのみであった)
わたしはエピソード1だけ現地で見る機会を逸してしまったが、それ以降の舞台はすべて現地で観劇している。エピソード2でベアトリーチェが現れたときの感動はいまでも覚えている。金と黒の華やかなドレスの大きく開いた背中が美しかった。背筋をぴんとのばし腕をさしのべる仕草はバレエのように洗練されていた。それと相反する下衆で暴力的な物言い、下品に大きくひらいた口が不自然なく両立していて、一瞬で魅了された記憶がある。エピソード2から4まで彼女を演じていたのは稲田ひかるさん。ベアトリーチェというのはこの作品において非常に重要なキャラクターであり、カーテンコールでもいっさい喋らず、その不可侵性を保つためにSNSでの発信をいっさい行わないことがキャストの条件となっていたとかいう徹底ぶりだった。その稲田さんが卒業し、わたしが2/22に見に行ったエピソード5では、あらたに鈴木亜里紗さんが演じられている。そして冒頭の話に戻るわけだ。
「うみねこのなく頃に」という作品において、演じるということには重要な意味合いがある。誰かが別のとある人物Xを演じる、あるいは人物Xがあたかも存在するかのように振る舞って、それらを観劇する側がそこに人物Xの存在を認めたなら、それは人物Xをあらたに世界に生み出した魔法として語られるのだ。エピソード5を見ていて、この法則が作中からはみ出してこの舞台そのものに浸食してきているような感覚があった。異なるキャストが演じているはずなのに、同じひとりのキャラクターとして、以前からの連続性をもってベアトリーチェがそこに生きていると心から思えたから。新しいベアトはエピソード4までよりもほんのわずか幼い雰囲気があり、どことなく小動物的なかわいらしさがある。それも、ストーリー展開上とても納得がいく。
こういうキャスト変更、略してキャス変、2.5次元の舞台ではわりとよくあることではあるし、演劇がそもそも、さまざまな役者によって演じられ続けていく前提の文化なのだけれど、それにしても見事な移行に感動してしまった。
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さて、エピソード5は古戸ヱリカという強烈なキャラクターが登場するが、このヱリカの芝居が素晴らしかった。みなさんとても素敵だったのだけれど、それにしたってとにかくヱリカのインパクトがでかすぎる。3時間半の公演時間で、こいつ腹立つな〜、と思わない瞬間が1秒もない。もともとかなりエキセントリックでどぎついキャラクターではあるのだが、舞台になったことでさらにそのやばさが増幅された気がする。フリルたっぷりのお洋服に艶やかな長い髪、お人形のように可愛らしいのにずっと不自然に見開いた両目とやたら口角をあげた笑顔が心底不気味で、妙に芝居がかった抑揚のついた喋り方、大袈裟でくねくねした動きは毒蛇のようだった。古戸ヱリカ役の遥りささん、底知れない。今回初登場とは思えない牽引っぷりだ。もうひとりの重要な新キャラクター、無表情で動作に無駄がなく、それでも内側のまともさが伝わってくるドラノールとの対比も本当に鮮やかだった。
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エピソード5は逃げ場のない女たちの話だ。怒り、悲しみ、孤独、絶望、矜持、そういうものがずっと重たく沈殿していて、観客であるこちらも息がつまる。やがてストーリーは魔女と探偵を中心にして、特定の人物の尊厳を貶め辱める方向へ、ねっとりと悪意たっぷりに進行していく。反吐が出るほどに下衆な展開。しかし追い詰める立場のヱリカや、不本意ながらそれを支援しなくてはならないドラノールにも逃げ場は用意されていないし、ベアトリーチェにももちろん後がない。全員が腹を括ってあの法廷に立っている。主人公である戦人がようやくその地点に追いつけたところで潔い終幕! まさかここで終わるのか、という驚きはもちろんあったが、覚悟を決めた女たちが命を賭けた話としてこの舞台を受け止めるとすると、そこへ割って入る戦人の別推理は蛇足ともいえるから、やはりあの鮮烈な終わり方が正解だったのだと思える。
しかしいったん下世話な部分を置いて冷静に見れば、この舞台だけでちゃんと推理できるようになっているんだよなあ。これは今までのシリーズもすべてそうだった。どれだけ考え抜いて矛盾が出ないようにこの脚本とこの演出にまとめあげたのか。制作の原作愛を強く感じる2.5舞台は自分がこれまで見てきた中にもたくさんあったけれど、ここまで執念を感じさせられる舞台はなかなかない気がしている。キャストの人数の多さからしても、ちょっと異常だ。兼ね役含めて衣装も毎回素晴らしいし、ここぞ、という原作の音楽の使いどころも。そもそも2025年の今、「うみねこのなく頃に」の新作舞台をやっているというのが最高に狂っているじゃないか。
わたしが原作のゲームをプレイして、ここだけはアニメでも舞台でもいいから絶対に動いているところが見たい、と強く思ったのは2009年のお盆のころだった。わたしのその願いは約16年越しに叶ってしまった。
そして、9月のエピソード6上演の情報解禁がつい先ほど出たところである。なんてことだ! まだまだ執念に満ちた魔女たちの狂宴は続く。観客としてわたしも腹を括った。こうなったら絶対に、なにがあっても最終エピソードまで見届けてやるからな。