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「わかるよ」という安心 (ミュージカル「ミセン」感想)

大阪新歌舞伎座で、ミュージカル「ミセン」初日公演を見てきた。個人的に、2025年の観劇初めになる。元になったコミックやドラマについては知らず、ほぼなんの情報もない状態でこの舞台に触れることになった。


「みかん」と同じイントネーション


タイトルの意味やあらすじはいろんなところに書いてあるのでわざわざわたしが書くことでもないが、韓国で囲碁のプロ棋士を諦めた主人公が、学歴も社会経験もない中コネで商社のインターンとなり、本採用目指して奮闘する中でのさまざまな出来事を描いている。ミセンは囲碁用語。
囲碁というフィルターを通して世界を見ている主人公のイマジネーションを具体化するように、舞台上の人の動きを碁石に見立てた演出がおもしろい。周りから舐められていた若手がその思考力で一矢報いたりやがて大きな仕事に繋がっていったりと、痛快な展開ももちろんあるけれど、どこかもやついた部分を残しながら話は進み、最後までそのもやつきは晴れない。それでもなんとかやっていこうかなと思える、そんな作品。


見終わったあと、ミュージカルを見たなあ、という印象になっていないのがなんだか新鮮だった。どちらかというと、歌やダンスの表現が多めの演劇を見たという感覚だ。役者さんたちのお芝居がかなり自然でさりげなく、演劇的誇張をだいぶ抑えてあるからかも。特に主人公チャン・グレを演じる前田公輝さんは、そのへんからうっかり舞台に迷い込んできたかのような、どこまでも普通の人のたたずまいで、だからこそ終盤に自宅でちらっと見せた彼の内面に心を打たれた。
リアリティのある仕事ものでエモーショナルな会話が繰り広げられているところを想像してみると、たしかに違和感がある。仕事をするときって、個人的な感情の外側に社会的な人格をコーティングしている感覚があって、どれだけ嫌なことがあっても淡々と(淡々として見えるように)対応するものだと思うし。大声あげて感情剥き出しにして言い合ったりするのとかって、現実ではそう発生しない。チャン・グレの同期3人も、人物としてのクセは色々とあるけれど、喋り方や立ち振る舞いは「そのへんに実際にいそう」と思える範囲におさまっている。


この「ミセン」という作品をわざわざミュージカルにした意味ってなんだろう、と考えている。意味がなかったと言いたいのではなく、むしろ逆である。意味は確かにあった。だって仮にストレートプレイだったとしたら、あんなに見やすかっただろうか? と思うのだ。

たとえば観客側の感覚として、劇中に出てくる案件のガチの市場調査の具体の情報はさすがに要らない。自分のペースで読んで戻ったりできる書籍の形なら、そのへんまで書かれているのもすごく面白いと思うけど、どんどん流れていく音声情報をスピーディーに頭で処理しないといけない舞台においては、情報量は適切に減らさないとストレスになる。
あの場面においては、愚直に正当な手順を踏んでいること、そこから導いたファクトとロジックに基づいたアイデアであること、そのアイディエーションこそ囲碁の経験を活かしたものであり、死にかけていた石で逆転を仕掛けるその痛快さ、これらが印象として感じられればよくて、つまりそれは軽快なリズムとメロディがあればよい。それらをチームで成し遂げたということは、ハーモニーで示せばよい。
気持ちが昂ったときに急に歌うだけがミュージカルじゃない。ミュージカルにおける音楽は、おそらく.zip みたいなものなのだ。情報や時間経過そのものの情報を圧縮し、それらの正確性よりも、それらを踏まえた「印象」を最優先に、こちらに届けてくれる。

それに、もうひとつ。ミュージカルにして情報を粗くしたことで、観客が共感できる幅が広がっている気もしたのだった。ストーリーの詳細を語りすぎずに、そのときの感情や雰囲気にフォーカスすることで、自分の仕事や置かれている状況への置き換えがしやすくなっているように思ったのだ。
個人的には、インターン4人それぞれに対してまんべんなく「わかるなあ」という感覚を持てた。営業3課の2人にも。そして仕事のあとにみんなで乾杯するお酒のまあ、うまそうなこと。わかる。あの舞台は、そういう数々の「わかる」で出来ている。そして観客からの「わかる」だけでなくて、舞台側もこちらに対して「わかる」の手を差し伸べてくれている。

この作品では会社というものの抱えるさまざまな問題を描いてはいるけれど、それを解決することはしていない。解決していない状態こそが現実だからだろうと思う。ただ、これまでミュージカルというフォーマットではなかなか扱われてこなかったであろう問題をああして取り上げて描くことによって、この苦しみがあることを分かってくれている、という安心を観客にくれる。なんの解決にもならないとしても、わかるよ、と言ってもらえることが、どれだけ心の支えになるか。この作品を見終わったあとの、まあ、自分もなんとか頑張っていくか、という気持ちの源には、きっとそういう、寄り添われたことへの安心があるんだと思う。

ということで、ミュージカル「ミセン」、おもしろかったです。大阪公演は1/14まで。2月に愛知と東京でも上演されるので、軽い気持ちで見に行ってみてもいいんじゃないでしょうか。予習とかもいらないと思います。


そういえば、どうして職場をテーマにした際に女性には「母」との両立の話が出るのに、男性に「父」の話が出ないんだろうな、と、こういう話題のときは毎度気持ち悪さを感じるのだけれど、これも今の現実の反映なんだろうと思う。

しかし、今「未来の見通しが立たないままなんとか生活のために働いている」を象徴する仕事ってウーバーイーツなんだなあ(先月「Birdman」でも見た)。ビジュアルが特徴的だし、舞台の表現として使いやすいんだろうな。

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