饗宴にしばしのお別れを
DisGOONieSが3月末にて閉店する。
演出家である西田大輔氏がプロデュースするレストランだ。
かなり直前にスケジュールが発表されることも多くて、興味があっても見に行けない作品もあったけれど、好きな場所だったので残念だ。
銀座のマロニエ通り沿いを行くと、地下に降りる階段がある。数段降りるとすっと空気がつめたくなる気がする。コンセプトである帆船の大きな絵画が飾られており、その先にレストランがある。
店舗スタッフは揃って黒い服を着ている。入って右側にはバーカウンター、奥にステージがあり、グランドピアノが置かれていることもある。ホールは丸テーブルの席が中心で、あとはカウンター席がいくつかと、左奥の壁沿いにはソファ席が並んでいる。
わたしは演劇系のイベントでしか入店したことがないのだが、そういうイベントの際は、案内された席にてドリンクと食事をいただく。オープンからしばらくしても、ホールの中央のテーブルだけは空席だ。主役のための席だからである。
イベントの日の主役は我々ではなく役者だ。
イベントは食後に行われる。主には前方のステージと中央のテーブルを使いながら、当然、通路でも芝居が繰り広げられる。最近イマーシブシアターに関する話題を目にするようになったが、それが近いだろうと思う。すぐ隣で、すぐ真後ろで繰り広げられる芝居は、なんだかよくないところに居合わせてしまった気まずさがある。店に入ったら近くの客が深刻な喧嘩を始めたみたいな。
銀座という土地柄もあり、落ち着いた店内の雰囲気も好きだった。しっかりドレスアップして行きたくなる店。作品にちなんだカクテルがあるのも嬉しかった。
はじめてわたしが足を運んだのは2020年10月、饗宴「Führer」だ。何度も繰り返し見に行った、今でも特に思い入れの強い作品のひとつ。
タイトル通りの題材で、ドイツ労働者党を多少なりとも青春のように描いていることもあり、恐らくはあまり大々的にやるべき作品ではない。あの地下レストランという規模、閉鎖感、雰囲気、あの場所だったからこその作品だった。
冒頭は、西田さんの「知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し」とたしか同じ脚本。コールドプレイの楽曲を非常に印象的に使用しているのも同じだし、タイトルの人物あたる役は特定のひとりが担うのではなく、各役者が持ち回るというのも同じ。ただし「知り難き」とは明確に違うのは、個人的な思い出、思い入れ、こだわり、友情、美学、そういうものに要素が絞り込まれていた点だった。くるりの「カレーの歌」が使われていたのが印象深い。名もなき一個人のセンチメンタルな思い出でなければ使われないだろう曲だ。昔から好きで聴いていたくるりが流れてきて、急にわたし自身の個人的な思い出にまで切り込まれた気がした。
千秋楽ではWキャストのおふたりともが最後の挨拶にて舞台に上がられた。窪寺昭さんを見たのはあれが最後になった。
少し空いて2021年6月、饗宴「夜鷹無限上昇」を見に行った。とても暑い日だったから、地下の空気の冷たさにほっとしたことを覚えている。天才にしか到達できない地平の話。我々は想像するしかない。坪倉康晴さんが演じていた、性自認が曖昧な感じの弟が印象的だった。
ラストにて空へ撒かれる楽譜。白い紙が頭上に舞うのを見上げた、それが鳥の翼のようだったことを覚えている。
次に見に行ったのは2021年11月、饗遊「歌姫~少年探偵解奇異聞 其ノ壱~」。よくよく考えると、これがわたしにとって人生初のマーダーミステリー参戦だったと思う。
富豪刑事BULの舞台で見たすわいつ郎さんが出られるというのも楽しみだった。まさかあんなに直接会話して情報を聞き出す形のプレイスタイルだとは。
同じテーブルの見ず知らずの方々と相談しながら進めていったのだけれど、マーダーミステリーにかなり詳しい方がいてかなり助けていただいた。ひとりひとりに役割が振られていたのも楽しかったな。
そこからしばらく間が空いてしまい、次に見たのは2023年7月の饗宴「深海のカンパネルラ」。
瀬戸祐介さんと葉山昴さんの組み合わせの回を見た。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜の要素を拾って再構成したような筋書き。間近で見た瀬戸さんの涙が一粒落ちる光景が強く印象に残っている。店内の暗めの雰囲気は、深海の幻想空間に居合わせている感覚をくれた。
今日、最後の饗宴を見る。感想はまたあらためてnoteに記録しておきたい。今、これをまさにDisGOONieSの店内で書いている。もっとたくさん来ればよかったなあと思うけれど、こうして振り返って書くとそれなりに来られてはいたのかもしれない。いや、そうかもしれないけど、やっぱりあの作品も、この作品も見たかった。そういう後悔をしないために、わたしは劇場に足を運んでいる。