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宗教のこと、父親の自殺のこと、風俗嬢になったこと、が自分の人生に欠かせない小説を書いている人

むかしむかし、ある村に美緒(みお)という若い女性がおりました。美緒の父は村の神主でしたが、ある日突然、自ら命を絶ってしまいました。
悲しみに暮れた美緒は、村を出て都に向かいました。そこで彼女は様々な苦労を経験し、最後には花街で働くことになりました。
美緒は夜な夜な客の相手をしながら、自分の人生について深く考えるようになりました。父の死、神社での生活、そして今の自分。これらすべてが、彼女という人間を形作っているのだと気づいたのです。
ある日、美緒は筆を取り、自分の物語を書き始めました。それは、悲しみと喜び、苦しみと希望が入り混じった物語でした。
やがて、美緒の物語は多くの人々の心を打ちました。人々は美緒の経験を通して、人生の複雑さと、どんな境遇でも希望を見出せることを学んだのです。
美緒は後に、こう語ったそうです。「私の人生のすべてが、この物語を作り上げたのです。それは苦しいこともあれば、美しいこともある。でも、どれもが大切な糸となって、この織物を紡ぎ出したのです」と。
そして美緒の物語は、多くの人々に勇気と希望を与え続けたとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月24日17時55分に書く無名人インタビュー858回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 久川亜希 さんです!

年齢:50代前半
性別:女性
職業:介護福祉士


現在:家のすぐ斜め目の前にある喫茶店に、子育ての合間合間の休憩にちょっとコーヒー飲みに行ったりしてて、そこの人とすごくエンターテインメントとか小説とかの趣味が合って本の貸し借りとかをしてるうちに、うちで小説を書いてみないかって言われたんですけども。

安東まつ:
現在は何をされてる方ですか。

久川亜希:
会社員で、高齢者福祉のサービス担当責任者をさせていただいて、中間管理職みたいなところなんですけど。あと、プライベートでは小説を書いて発表というふうに。

安東まつ:
まず福祉のお仕事についてなんですけども、一日の流れをお聞きしてもいいですか。

久川亜希:
朝8時半頃に1軒目のお客様に行って、一日中、夕方の18時くらいまで6,7軒を回って、合間合間に事務所に帰って書類作成ですとか、そういう事務的な仕事をしています。

安東まつ:
お客様のご自宅では、どういう業務をされているんですか。

久川亜希:
そうですね…オムツ交換をしたり、お体を鍛えていただいたり、お風呂に入るお手伝いをしたりとか、そういう感じですかね。

安東まつ:
お客様はひとりで暮らしてる方が多いんですか。

久川亜希:
そうですね、半分おひとりで、半分日中は就労されてて家族がいない方のお世話をさせていただいています。

安東まつ:
1人のお客様あたり、どれくらいの頻度でお家に通っていらっしゃるんですか。

久川亜希:
そうですね、割とお身体の症状が重い方が多いので、1日3回を毎日とか。寝たきりの方なので、朝昼晩と訪問してそれを毎日、1週間毎日っていう、そういうケースが多いと思います。

安東まつ:
担当されている方の人数はどれくらいなんですか。

久川亜希:
事務所全体で150名のお客様を、5,6人、私達正社員で割って行ってる感じなんですけど。だからあの、今週は毎日佐藤さん行ってたけど、来週は他のスタッフが毎日佐藤さん行くから私は田中さんに行くとかね、なんかそういう感じかな。

安東まつ:
この仕事はけっこう長い間されてるんですか。

久川亜希:
25年目です。

安東まつ:
先ほど中間管理職をされているとおっしゃってたんですけど、仕事内容は他の方とどう変わってくるんですかね。

久川亜希:
役所仕事みたいな感じで、提出しなくちゃいけない書類ですとかがあるんですね。なんて言うんですかね…これとこれとこれを市役所・自治体に報告しなくちゃいけないみたいな書類を作成したりとか、新しいお客様の契約に回ったりですとか、営業があったりですとか、あとはカルテ作成ですかね、とか。あとコース表ですね、月火水木金土日、このヘルパーさんにここに行ってもらうみたいな。あとはケアマネージャーさんとの連絡、あと月末になったら実績請求とかですかね。そういう感じになります。

安東まつ:
先ほどお話にあったケアマネージャーさんと、介護福祉士の方のそれぞれの役割ってどういうふうになっているんですか。

久川亜希:
ケアマネージャーさんは、市役所に介護を受けたいと来た方のライフマネジメントっていうんですかね、このお客様はそんなに症状が重くないからデイサービスだけでいいだろうとかだったら、デイサービスの手配、何曜日と何曜日に行きたいかとか。あと症状の重さとか望んでいる生活によって、リハビリに特化した施設とかリクリエーションに特化した施設とか医療に特化した施設とか色んな施設があるので、お客様に合わせて割り振ったりとか。あと、この人はやっぱり外出はしたがってないし、ご家族が自分が日中いないときになるべく人目があって世話をしてくれる人が欲しいので、もう自費が出てもいいからなるべく入ってほしいみたいな方だったら、もうお宅の事業所でどのぐらい入れますか、MAXどのぐらい入れますかみたいにご連絡があって、うちも水曜日だけは人がいないんですとかね、そういう感じですね。

安東まつ:
なるほど、ありがとうございます。

久川亜希:
はい。

安東まつ:
喫茶店新聞で書いている小説についてもお聞きしたいと思います。どんなきっかけで書き始めたんですかね。

久川亜希:
私は30代入ってすぐに演劇を始めまして。演劇を始めたのと一緒に、文学部っていうサークルを立ち上げたんですね、友人と。読書好きな人たちが集まって、定期的に自分が書いた小説を発表し合うっていうのをやってたんですけど。演劇を始めて…割と私は運動神経が鈍くて、なんていうんですかね、色んな役を要領よく器用にはこなせなかったんですよね。それで、とある座長さんの人から専属の脚本家になってくれないかって言っていただいて、そこの劇団の座長さんの板付き脚本家みたいなことをやり始めていて。長男の出産をきっかけに全ての活動を一回休んでいたんです。で、家のすぐ斜め目の前にある喫茶店に、子育ての合間合間の休憩にちょっとコーヒー飲みに行ったりしてて、そこの人とすごくエンターテインメントとか小説とかの趣味が合って本の貸し借りとかをしてるうちに、うちで小説を書いてみないかって言われたんですけども。そこからもう20年というか、演劇始めて産休に入ってっていう、かれこれ20年ですかね。

安東まつ:
小説はその前から書いていたんですか。

久川亜希:
うんとね、書いてはいなかったかな、読むばっかりで。

安東まつ:
小説はどれくらいの文量のものを書いているんですか。

久川亜希:
うーんと、でも短いですね、原稿用紙400字詰めを3枚5枚ぐらいのを定期的にっていう感じで、なんだろう、小説っていうよりも「掌の小説」みたいな。それと並行して文学部でも書いてるみたいな感じ。

安東まつ:
書いていらっしゃる小説は、どういう題材のものなんですか。

久川亜希:
そうですね、私は割と…なんて言うんですかね、自分の生活の半径何メートルっていうよりも、スケールがあれっていうか、例えば古代エジプトのお姫様と今生活している私達がどこかでリンクしてきて入れ替わっちゃってみたいな、考古学だったり科学だったり天文学だったりみたいな、そういうのと絡めながら、現代小説と絡めながらみたいな感じで。本当に表現したいものは壮大なもので、なんていうか、万人に受け入れられやすいようにちょっと年相応の女の子と男の子の恋愛にしてるんだけども、本当に書きたいものはその裏にあってっていうふうに、それをエンタメっぽくしてますね、手に取りやすいように読みやすいようにっていう、そういうふうにして作ってますね。

安東まつ:
考古学・科学・天文学あたりの分野には元々興味があったんですか。

久川に亜希:
そうですね、好きですけども、全然もう詳しくはないです。だけど、詳しくもないし普通のちょっと興味がある人くらいのレベルだから、読みやすいは読みやすいんじゃないかっていう。

安東まつ:
なるほど。小説を書かないかって言われたときに、なんでその分野で書こうと思ったのかが気になって。

久川亜希:
これ過去の話になっちゃうんですけど、私小学生のときに祖母に教会に連れて行ってもらっていて、割と天地創造じゃないけども、なんて言うのかな、なぜこの世には悪が存在するのかとかね、なぜこんなに肌の暗い人と黄色い人と白い人がいてとかね、なんで国はこんなに何ヶ国にも分かれてるのかとかね、割とそういうことを子供のときに真剣に考えることがあったっていうか。ただ偶然にできた地球ならば宇宙はどうなってるんだろうとか、なんかそういうのを割と普通に自然に不思議だなと思って、本を読み漁るような子供だったような気がします。

安東まつ:
ありがとうございます。

久川亜希:
はい。

安東まつ:
福祉のお仕事や小説を書くこと以外に、趣味や時間を使っていることは何かありますか。

久川亜希:
そうですね、私は7年前に離婚したんですけども、離婚の2年後ぐらいからボクシングを始めて、それがずっと続いてます。あと毎朝のジョギング、ジョギングっていうのか分かんないけど、2,3km。あとかるーくなんちゃってヨガみたいな、ヨガっていうかヨガもどき、自分ではヨガと呼んでるみたいな。そういうのは趣味って言っていいのか、ですけどやってますね。

安東まつ:
体を動かすっていうのもお好きなんですか。

久川亜希:
そうですね…ジョギングとかボクシングとかヨガとか、自分、さっきも言ったんですけど運動神経が悪いので、なんだろう、集団でやるものとかはあんまり向いてないんですね。ひとりでコツコツ、自分のペースでできるスポーツだったらやりたいなっていうことなんですけど。

安東まつ:
ボクシングについてお聞きしたいんですけど、どんなレッスンをしているんですかね。

久川亜希:
ボクササイズですね。会長とかアシスタントの人がミット持ってて、ワンツーとかジャブ・フック・ストレート・アッパーとか、そういう基本のキを教えてくれるんですよね、ミット打ちとか一緒にやらせてもらったりとか。対戦とかはしないんですけど、ボクサーの人がまず一番に習うようなことをインストラクターさんと一緒にやるみたいな感じ。

安東まつ:
けっこう長年やられていると思うんですけど、続いている理由はご自身の中で何かありますか。

久かわ亜希:
なんですかね…でもやっぱりボクシングやってるってかっこいいな、じゃないですか。なんか私かっこいいみたいな。もうグローブをいつも車のボンネットのところに置いてて、自慢げに置いてるみたいな、そういう感じなんだろうな。ボクシングをやっている自分が好きなんだと思う。

安東まつ:
ありがとうございます。

過去:何が何だか分からない、自分が誰か分からなくて混乱している子供だったと思いますね。

安東まつ:
小さい頃は、どんな子供でしたか。

久川亜希:
私は、父親がアルコール依存症だったんですね。母も父もすごく厳しい人だったので…私発達障害だったので、私が子供のときは発達障害っていう概念はなかったので、クラスでいつも、何もかもが0点、国語と図工だけは良かったんだけど、あとは全部0点とか3点とか。小学校一年生ぐらいのときから、なんていうのかな、他の人と明らかに違ってて、能力は劣ってるんだけども障害者のクラスのメンバーでもなくて。家ではもう本当に怒られっぱなし、ものすごく強く怒られるので。で、学校に行っても、いつもいつも馬鹿にされていて笑われていて、自分の居場所がないみたいな子供時代だったので。なんていうんですかね、ドラえもんでいうのび太みたいな感じで。でもずっと子供のときは、自分は何者なんだろうと思ってましたね。知恵遅れのクラスでもないけども、普通クラスのみんなとも違うっていう。で、絵を書くと表彰されたり飾られたりするから。あとやっぱり国語だけは成績が良くて、本を読むのが好きだったから。本当の馬鹿だったらその2つも駄目なはずなのに、なんでそれだけとか…今思うと学習障害児だったんだなって、アダルトチルドレンと学習障害児のコンボだったんだって今分かるんだけど、あの頃は子供だったし社会もそういう障害を認めてなかったので、何が何だか分からない、自分が誰か分からなくて混乱している子供だったと思いますね。

安東まつ:
先ほど本を読むのが好きだったっておっしゃってたんですけど、子供の頃好きだったことやものについてお聞きしてもいいですか。

久川亜希:
そのときはね、漫画家を目指してましたね。それも漫画家になりたい人の集団を集めてやってましたね。ばーっと、みんなで交換日記みたいに回して、漫画雑誌を自分たちで作って。子供のときから同じことをやってました。

安東まつ:
好きなことを一緒にやる人たちは、どういうふうに集まるんですか。

久川亜希:
やっぱりひとりでやってたら、一緒にやりたがる人が現れて、って感じだったと思います。

安東まつ:
ご自身としては、ひとりでやるのと他の人と一緒にやるっていうのにはどういう違いがありますか。

久川亜希:
そうですね、ひとりでやるのと一緒にやる違いか…一緒にやる人が、やっぱジャンル的に本当にそのことが好きな人たちしか来ないジャンルなので、漫画とかね、演劇とか小説とか。だから割とひとりでやってるよりもみんなでやってる方が楽しいのかなっていうのは思いますね。介護の仕事とかは、もう福祉が好きな人だけが来るところじゃないんですよ。なので、もうこの仕事がしたくてしたくて狭き門で来てるわけでもないし、だからなんて言うのかな、みんなでやる大変さや苦しさっていうのは割と福祉の世界では感じやすいんですけども、やっぱり文学とか絵とか芸術の世界とかは、やっぱり仲間とやってる方がやりやすいです。

安東まつ:
ありがとうございます。

久川亜希:
はい。

安東まつ:
先ほどおっしゃっていた、おばあさんと教会に行っていたのはいつ頃なんですか。

久川亜希:
小学校3年生から5年生です。

安東まつ:
おばあさんとは一緒に住んでらっしゃったんですか。

久川亜希:
父方の祖母とは途中で一緒に暮らし始めるんだけど、そのときは母方のおばあちゃんが高知県から遊びに来て、おばあちゃんがクリスチャンだったから連れてってくれて、教会ここら辺にあるのみたいに言われて、高知のおばあちゃんと教会行ったのがきっかけ。小学校5年生ぐらいまで通い続けたのかな。っていう感じですね。おばあちゃんが高知に帰ってもひとりで行き続けてました。

安東まつ:
ひとりでも通おうって思った理由は覚えていますか。

久川亜希:
なんだろうな…でもなんか惹かれて。妹も弟も3人で連れてってもらったんだけど、妹と弟は行かなかったんですよね、行き続けなかったんですよね。そうですね、でもなんて言うんですかね、教えみたいなものがたぶん自分の価値観とフィットしたんだと思います。

安東まつ:
どんな教えが心に残っていますか。

久川亜希:
病人を救うとかね、貧しい人や苦しんでる人を助けるとか、そういうことがなんか自分の持って生まれた特性に合ってたのかなって思いました。

安東まつ:
ありがとうございます。

久川亜希:
はい。

安東まつ:
義務教育の後はどういう進路に進むことになるんですか。

久川亜希:
私はですね、高校はもう行けるところに行くんですよね。そのときに、次は英語系の短大に行こうと思ってたんだけど、やっぱり親がアルコール依存症で仕事も続かなかったりとか、色んな問題を起こすので、父親の借金を返すだけで精一杯な家なので、進学はやっぱりさせてあげられないみたいな、受かったら考えようねみたいなふうには言われてたんですけど、落ちちゃって、就職して。なんだろう、やりたいことを職業にするとかやりたい高校に行くっていうよりは、もうそこしか行くところがないからそこに行くっていう感じだったと思います。

安東まつ:
最初はどんなところに就職したんですか。

久川亜希:
最初はね、派遣会社からソニー電子の工場をしましたね。その後にすぐ辞めちゃって、ケーキ屋さんとか塾の先生のアシスタントとか、カメラ屋さんの写真の現像とか、フリーターみたいなことを18から27までやって、その後福祉に辿り着いて、そこから25年なんですよね。

安東まつ:
介護福祉士のお仕事が長く続いている理由って何かあるんですかね。

久川亜希:
自分に合ってたのと、初めてこの仕事をしたときにものすごい厳しい人に仕込まれて、気がついたら、自分でもおかしいんですけど、なんか誰よりも仕事ができたんですよね。例えばその人、デイサービスって言っておじいちゃんおばあちゃんの幼稚園みたいなところがあるんですけど、そこに行きたくないって言ったらもうみんな行かせられないで戻るんだけども、行かせられませんでしたって言うんだけど、私の場合許してもらえなかったんですね。もう1回、デイサービスの先のスタッフの人にお願いしてもう1回車をよこすから送り出して戻ってきてって、もう1回行ってきてって言って、送れなかったらもう戻って来なくていいって。でもすごい怖い人で、もう送り出さなかったら殺されると思って、後々追い込まれると思うから。とか、朝6時に1軒目で夕方最後のお客様が22時で、それをもう一時期は週1回の休みも取れないで7日間やり続けた。あの当時って今よりももっと施設とかもなかったから、民間のもの以外。寝たきりで体が拘縮してガッチガチで、もう腕も足も何も動かない人の浴衣から着替えさせるみたいな仕事いっぱいあって、なんだろう、そういう日々を続けてるうちに、やっぱりそんな厳しい人のところでそんなに仕事してたら、どうしたって誰よりも仕事できるようになる。

安東まつ:
なるほど。

久川亜希:
私子供のときから何かができる人だと思われたことがなかった、駄目な人だと思われてたんだけど。0点の人、泳げない人、ビリの人、ってずっと27まで過ごしてきたのに、それから仕事ができる人…演劇をやったら脚本家になってくれって言われたり、絵を描いたら自分の出すジャケット描いてくれって言われたりとかね。なんていうんですかね、そこから色んなことがうまくいくように、仕事したら必ず次の仕事が入ってくるようになりましたね。だから介護が続いたのって、割と福祉の精神とかがあったんだと思うんだけども、その人のところで働いたことがスタート地点だったっていうことだったんだと思います。なんかどんな仕事も楽にできるっていうか。

安東まつ:
仕事ができるようになったことで、ご自身の気持ちに何か変化はありましたか。

久川亜希:
そうですね…でも私は自分で言うのもなんだけど、心が優しくて腰が低い、ニコニコしてて割と相手を立てるとかそういう控えめなポジションにいるんだと思うんですね。で、舐めてかかってたら誰よりも仕事ができる、むかつくになるんですよね。だからね、なんていうのかな、気に入らない人たちの攻撃をかわすことが大変になったっていうのと、やっぱりそういうデメリットが生まれたことと。あとその人からは仕事の基礎の基礎みたいなものを教わったと思うんですよね。あとサービス担当責任者にならされちゃったので、フリーターで10年近くやってきた人間が。でも人の上に立つことになったら、必死にビジネスの勉強したんですよね、独学で。いざふと周りを見渡すと、仕事の基本のキもみんな知らないんですよね。例えばこんな重大事件が起こったって言われて、「どうしよう明日でいいか」って。明日!?って、これほどのクレームが来てるのに明日ってありえないから、今すぐ所長に電話してくださいっていうのを、自分の2段階ぐらい上の上司にお願いしなきゃいけないんですよ、「すみません何何係長、電話してもらえますか」みたいな。なんかそういう、気に食わないわけですよね、その後ずっとネチネチネチネチ自分がどうしてあのとき電話しようとしなかったか、それがどれほど正当な理由なのかっていうのをずっと言われ続けるみたいな。なんていうんですかね、仕事ができるようになったことが気に食わない人たちの相手をしなくちゃいけないっていう、そういうことも生じるんだなはありましたね。

安東まつ:
そういうデメリットも。

久川亜希:
でも私はやっぱり、幼少期のこともあって自分に自信がない人だったので、なんだろう、できる自分が妬まれてるっていうことに全く気づかなかったんです、長い間。何か悪いことしちゃったのかなっていう、何がいけなかったんだろう私のっていうのでずっと来たんですよね。だからね、今思うと本当に笑ってしまうんだけど、なんか自分が悪いに違いないってずっと思ってきたっていうのがあります。ただのマウントだったってことに気づいて、自分に自信がない人が仕事ができるのが腹が立ってしょうがないっていう人たちのマウントだったってことが分からなかったんですよね。

安東まつ:
なるほど、ありがとうございます。

久川亜希:
はい。

安東まつ:
7年前離婚されたっていうふうにお話しされてたと思うのですが、そこから生活はけっこう変わりましたか。

久川亜希:
変わりました。なんて言うのかな、今日はこれからガラスが割れたり、そういう大喧嘩が始まるなっていうのが分かったので、お風呂から出て、ブラジャーしてTシャツ着て、もうパンツ履かないで短パン履いて、娘と息子の名前呼んでアイスクリーム買いに行こうって言って出て。早く行くよって手つないで、そのまま道でタクシー拾って警察に行って、施設に連れてってくださいって言って、それで施設に行って。施設に弁護士紹介してもらって、もう夫とはやり取りしないように、弁護士に入ってもらって離婚したんですよね。なので、登校拒否してた息子がどうしても転校した先の新しい中学校に通いたいって言ったんですね。あんなに学校行きたくないって言って泣いてた息子が学校に、この学校だったら行きたいって、だから帰りたいって言ったので、もう無理無理言って、その息子が行きたがってる学校のすぐそばにアパートを借りて。ってことは職場も戻ったんですよね、戻してもらったんです。そしたらやっぱりちょっと生活も変わったっていうのもあるけども、周りの人の見る目が変わったかなっていうか。子供たちを守るためにここまでやる人なんだっていう、だと思われるようになったんですよね、ちょっと一目置かれるようになったっていうんですかね。で、割となんて言うんですかね、なんかちょっとそれから人生が生きやすくなった。

安東まつ:
はいはい。

久川亜希:
あと離婚したそのことがきっかけで、そこから私何かを変えようと思ってジョギングと筋トレを始めたんです。ですから14kg痩せたんですね、4ヶ月ぐらいで。そこからすごいもうマツエクしたりとか、なんか服とかもガラッと変えたりとかして、なんていうのかな、なんか暗くて自信がなさそうな人だったのに、ちょっと見方、周りからの評価が変わりましたね。だから生活が変わったのもあるし、すごく人当たりが、周りからの扱いが変わったので生きやすくなったっていうのがありましたね。

安東まつ:
ありがとうございます。

未来:とりあえず、娘と一緒に1年に3回、娘は漫画を投稿して、同じタイミングで私は出版社に小説を持ち込むから、娘も持ち込みでもいいし応募でもいいから、とりあえず1年に3回作品をちゃんと持っていこうっていう約束をしていて。

安東まつ:
直近でもいいですし、死ぬときまで想像していただいてもいいんですけれども、未来に対して何かイメージはお持ちですか。

久保亜希:
はい。とりあえず、娘と一緒に1年に3回、娘は漫画を投稿して、同じタイミングで私は出版社に小説を持ち込むから、娘も持ち込みでもいいし応募でもいいから、とりあえず1年に3回作品をちゃんと持っていこうっていう約束をしていて。今、娘は初めて漫画書いて、私も今Xで発表してる作品が8月で終わるので、9月に出すねって言って。そういう、あやねは20歳までそれ続けよう、ママは60歳まで続けるからって言って、プロになる・ならない、将来何になる・ならないじゃなくて、何にも考えないでその生活を10年間続けてみようって言ってて。でもそうですね、なんか私は自分1人でも食べていけるくらいの収入が得られるようになったらいいなって思ってます。なんだろう、このぐらい稼いでたら副業って言っていいのかなって言えるぐらいまでは、小説好きな人だったら私の名前は一応聞いたことあるよぐらいまでは、いけたらいいなって言ってます。

安東まつ:
娘さんと年に3回作品を応募しようって決めた経緯をお聞きしてもいいですか。

久保亜希:
そうですね、娘が小学校1年生のときに離婚して、小学校4年生から全く学校行かなくなって、全くっていうか、たまに時々行くようになって。でも小学校1年生からずっと漫画家になりたいって言ってて、もうすごい量のスケッチブックがあって。で、中1になっても学校行かなくて、やっぱり漫画家になりたいって言ってて。なんだろう、とりあえずもう漫画家になる道を本気で目指してみようよっていうことを言ったんですね。あんただって、高校どうするの、中学校もね、たぶん突然毎日通うようにならないと思うよ、小学校4年生から今まで学校行ってなかった子がOLになって就職して毎日会社行くとは思えない、なってもいいけどね、意外となっちゃうかもしんないけど。でももう漫画家になりたいって言って、ずっと中学校1年生から頑張り続けてきたんだったらもうなろうっていうふうに言って。で、なんだろう、結局私がやってることを真似してるんですよね。私がボクシングやってるから息子もやってるし、私が筋トレしてるから息子も筋トレしてるし、私が絵を描いてCDのジャケットに使ってもらってきたから、娘もそれを見てきたから絵を描いてるし。真似するんだな、親のしてる通りのことをするんだなと思って、だったら私は応募し続けようと思って。母親が小説書いて持ち込んでる、そういう日々を過ごしてる、何年も何年もその姿を見てたら、自分の作品て持ち込むんだって思うんだろうなと思って。っていうことなんですけど。

安東まつ:
小説はご自身がやりたいことでもあると思うんですけど、娘さんの目標との両立にもなってるんですかね。

久保亜希:
そうですね、お母さんが当たり前にやってるから、書いたものは持ち込むもんなんだなって。娘の道を作ろうっていうか、そういうことですね。

安東まつ:
もしこの生活を続けて、娘さんが漫画家としてやっていけるってなったとしたら、そこから亜希さんの動きは少し変わるんですかね、変わらないですか。

久保亜希:
そうですね、でも私は...時代的に出版社を通さなくても売ろうと思えば売れるじゃないですか。だからなんて言うんですかね、どんな方法でもやっぱり世に出していく努力はすると思います。

安東まつ:
世に出していきたいって思うのはなぜなんですかね。

久保亜希:
やっぱり承認欲求とか、自己顕示欲とかじゃないですか。

安東まつ:
それって元々持ってるものなのか、それとも人生の途中で何かきっかけがあって芽生えたんですかね。

久保亜希:
いや、元々持ってたと思う。小学校4年生のときに演劇部に入って、でもやっぱり演劇部に入るってやっぱり何かそういう欲求がある子だった気がしますね。

安東まつ:
認められたいという欲求って色んな種類がある…例えば何でもいいから目立てればいいみたいな人もいると思うんですけど、小説を通して名前が知られたいと思うのはどうしてなんですかね。

久保亜希:
やっぱり創作活動をしているときに評価されて道が開けるから、自分ってこっちなんだなっていう。小説じゃなくてもいいんだけどね、絵を描いても依頼が来るから絵でもいいと思うんですけど。なんていうんですかね、何かクリエイティブな活動をしているときに、評価されて開けるので、ただ小説はもう20年間休まず続けてきちゃったので。絵はね、出産を機に1回中断してしまったんですけども。例えば、最終小説より絵の方がいけるよって、小説は趣味でいいじゃん絵でいきなよって言われたら、絵の具買いなおすかって思うと思うんですよ。そういうことだと思います。ただもう続けてきちゃってるから、小説の方は、ある程度やっぱり小説描いてれば開けるので、じゃあ磨こうかなっていう。

安東まつ:
小学校の頃から図工や国語で褒められたりとか、別の場でも創作して開けてきたっていう経験があって、それで今やってるのが小説っていう。

久保亜希:
でも私あんまりね、作家がそんな向いてるなって思わないんですけど、センスがあるなとは思わない。だけどなんだろう、センスとか才能とかはないけど、続けてきちゃってある程度は…子供のときから本読んでるし続けてきちゃってるし。あとなんていうのかな、甘いんだろうけど、専門性があるとかいうよりも、大衆よりすごくないから分かりやすいみたいな、だから読みやすいみたいな部分はあると思います。だから本当はすごいんだけど簡単にしているっていうところまでいければ、ちゃんとお金になるのかなっていうか、プロになれるのかなっていう。今はすごくないから分かりやすくて、たまたま欲しいと言ってくれる人がいるけども、本当に本当に極めてるけど、大衆に向けて作れるところまでいかなきゃいけないんだろうなとは思います。

安東まつ:
今後書いていきたいのは、自分が専門性も持ちつつっていう。

久川亜希:
そうですね、言葉と文章の専門性。分かってないしプロフェッショナルでもないのに…なんかなんだろう、それこそさっきの基礎わかってないけどやり続けてきたからやってる先輩たち、報告明日でもいいよねって言ってるような人たちと同じだと思うんですよね。だから私の小説見て、こんな基本的なことが分かんないで書いてるのって思って読んでる人いっぱいいると思うんです。だからやっぱりそこなんだろうなっていう、私の作品ってやっぱりあれだと思います、報告明日でもいいかって言ってる人の作品なんだと思う。

安東まつ:
なるほど。

久川亜希:
私は基本知らないけど、ずっとやり続けてきた人みたいな感じがしますね。だから、ゼロになって一から出直せるかどうかだと思う。

安東まつ:
ありがとうございます。

久川亜希:
ありがとうございます。

安東まつ:
インタビュー全体を通して、話し足りなかったところはありますか。

久川亜希:
そうですね、記事にしないでいただくことってできるんですか。

安東まつ:
はい、大丈夫です。

久川亜希:
高校1年生から26歳までキリスト教系のカルト教団に入ってて、父が26歳で自殺するんですね。自殺した年にそのカルト教団を脱会するんですね、洗脳から醒めて。また話が変わって、離婚した後に障害者のお客様専用の風俗嬢になるんです。今はもう辞めたんですけれど、それから自分はもう恋愛は生涯しない、したくないっていうことがストンと腹に落ちて、そこからやっと子供たちが安定しだしたっていう感じがあって。だから、宗教のこと、父親の自殺のこと、風俗嬢になったこと、この3つは自分の人生にすごく欠かせない、一番大きいことだったなと思って。

安東まつ:
最後に、インタビューの感想でもいいですし、これから小説読んでもらいたい方へのメッセージでもいいんですが、何か一言あればお伺いしています。

久川亜希:
じゃあ、このインタビュー記事を読んで、私の作品を載せてもいいよっていう媒体の方がいたら教えてください。お願いします。

安東まつ:
ありがとうございます。

あとがき

好きなものについて語るとき、「〇〇より好き」という言い方をしなくていい。
私の大好きな人がラジオで言っていた。〇〇が一番好きな人だっているだろうし、そもそも自分の好きな気持ちを伝えるために他を巻き込む必要はない。ただ自分が好きだっていうことを淡々と言葉にすればよいのだ。好きの伝え方は多様であっていいと思うけれど、そのものにだけ目を向けた言葉はすっと入って来るし心地よいなとも感じる。
それは、負の感情や大変な経験を語るときも一緒なのかもしれない。今回のインタビューは壮絶な苦労話になってもおかしくないぐらいの内容だと思うのだ。でも亜希さんの選ぶ言葉や話し方なのだろうか、誇示したり脚色したりせずに淡々と語られたのが印象的だった。それがすごく好きだなと思ったのだ。
もちろん渦中にいるときや今回話していない人生の中で大きな感情の動きはあっただろうが、それを押し付けられている感じは全くしなかった。不思議なことに穏やかな気持ちで話を聞いている自分がいた。インタビューの内容に触れずにここまで来てしまったが、面白かったので小説もぜひ読んで見たいと思っている。

【インタビュー・編集・あとがき:安東】

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