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「フィネガンズ・ウェイク」を読む翻訳者の人

記念すべき400回目のインタビューでした。ありがとうございます。
記念すべき400回目が、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」に絡んだ人のインタビューで、この企画もちょっと神がかってるな、って思ってすなおにびっくりしました。
ってまあ、「フィネガンズ・ウェイク」も「ユリシーズ」も読んだことないんですけどね、私は。「ダブリン市民」は読んだはずなのだけど、あんまり記憶に残っていない。
たしか、ダブリンに住む人々の話だったと思う。
wiki見ても、そうっぽいので、そうだろう。
無名人インタビューも人々の話で、ほぼほぼ初対面である話し手と聞き手が出会い、話が聞かれ、それを記録する、ということがえんえんと繰り返される。そういうことがえんえんと続く装置になってくれたらいいなと思っています。
そこでは悪いことも起きるかもしれないし、良いことも起きるかもしれない。まあ、良いことの方が多そうだとは思ってはいるけれども。でもまあ、それが人間のありのままの姿だろう。
ありのままっていうか、実体だよね。
この営為が続くのも、読んでいただいている皆さま、参加いただいている皆さま、そしてインタビュアーをしてくれている皆さま、記事を作っていただいている皆さまのおかげです。
十世紀は持つようにがんばりましょう。
本日の無名人インタビューもお楽しみくださいませ。

【栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 早川健治 さんです!

早川さんの新刊はこちら!

現在:本業と関係ないこの『フィネガンズ・ウェイク』を読むために今一番時間を使ってる状態なんです

石井:今何をしている方でしょうか?

早川:一応肩書きは本の翻訳家というふうに名乗ってます。2019年の頭くらいからはフリーランスの翻訳家として独立しようと頑張ってる状態です。現在はちょうど新しい翻訳書が発売間近でして、その販売促進のお手伝いをしています。

石井:翻訳だけではなくて、そういう別のこともされるんですね。

早川:翻訳家っていうと、皆さん、家でコーヒーやワイン飲みながら優雅にやってるみたいな、あるいは全く仕事がなくて、なんか暇そうにしていたり、あるいはタダ働きしているみたいな、いろんなイメージを抱かれると思います。実際にやっていて思うのは、これを仕事にしようと思ったら、販売促進と翻訳を半分半分ぐらいやらないと仕事にならないんですよね。
本を翻訳してそのまま出版社さんに渡して、はい、じゃあ営業はお願いしますって全部おまかせ状態にすると、今の市場だとですね、全く収入にならないんですよ。積極的に自分が訳した本がその競争に勝って一定の部数売れるように、翻訳者自身が動かないと勝てない市場になっている。
ちなみに、今は販促をやってるんですが、例えば今週は別のフリーランスの依頼もいただいていまして、雑誌のためのインタビュー翻訳をやる予定です。
あとは「フィネガンズ・ウェイクを読む」という、自分で勝手に企画してやってる配信なんですが、こちらも一応有料でやってます。これはまだ始めて2ヶ月ちょっとなのでお金になってないですが、ゆくゆくはアイルランド大使館と提携できたら良いなと思っています。
あと、月1回のペースで、世界中から『フィネガンズ・ウェイク』にまつわる人をお招きしてインタビューをしようと思っています。そういった新しい企画を出してちょっと成長させたいわけです。
それで、お金にもならないし、本業と関係ないこの「フィネガンズ・ウェイクを読む」に今一番時間を使ってる状態なんです。ちょっと大丈夫かなって自分でも思ってるんですけど、そんな感じでございます。

石井:趣味ではなく、仕事として確立していければというような形?

早川:個人営業の人って趣味と仕事の境界線が曖昧ですよね。仕事と趣味の違いは、具体的な収入の目標とか、あと成長の計画をちゃんと立ててやってるかどうか。自分は一応それはやってるので、今のところはちょっとだけ仕事っぽいところもあるけど、そこの境界は曖昧だと思うんです。

石井:聞きそびれたんですけど、翻訳ってどの言語が専門とかっていうのはあるんでしょうか?

早川:英語と日本語ですね。両方やります。英和やるときもあるし、和英をやるときもある。

石井:今お住まいは?

早川:今はアイルランドの首都のダブリンに住んでいます。

石井:アイルランドは英語なんですか?

早川:そうですね。これも結構皆さんご存知ないんですけど、アイルランドの第一公用語はアイルランド語なんですよ。ゲール語とも言われます。実際にゲール語が話せる人ってのは非常に少数で、一応学校でも習うんですけれど、感覚的には日本の古文の授業のような感覚で、実際にそれを話せるようになるには、そこからさらに例えば家族にゲール語話者がいるとか、あるいはそういう人の集まりに定期的に参加するといった努力をしないと、話せるようにはならない。
英語は第二言語で、ここも結構、アイルランドはイギリスから植民地支配を受けた歴史があったりとかですね、英語に対する人々の感覚も独特です。アイルランド英語と言って、いわゆる教科書的に正しいとされるアメリカ英語やイギリス英語とは少し異なっていて、独特の言い回しとかがあり、発音も全く異なります。そういう独特のアイルランド英語っていうものが主流ですね。

石井:さっきおっしゃっていたアイルランドの方の英語に対する感覚っていうのは、どういうものになるんでしょうか?

早川:自分の言ってることの真意を隠す英語なんですね。それに比べると、アメリカ英語では言いたいことを直接言葉にすることが良しとされている(とはいえ、アメリカも地方によりますけどね)。対して、アイルランド英語はですね、婉曲表現というか、ちょっとひねった表現がデフォルトです。

石井:日本語の本音と建前みたいな感じとも、また少し違いますかね。

早川:似てるところも無くはない。でも言葉のレベルで隠すというか。
例えば仕事の話をしていて、取引先と会って話すじゃないですか。そしたら、アメリカ英語だったらおそらく最初から、費用は幾らで、納期はいつでって話を結構直接的にするはずなんですよ。アイルランドだと、納期はいつで費用はいくらでっていう話は、いずれするはするんですけど、「納期はいつですか?」「30日以内です」という言い方ではなくて、「あなたはこの仕事を急いでるんですか?」「いや、そこまで急いでるわけではないけれど、でも早めに上げてもらえたら助かる」「なるほどね」みたいな感じなんですよ。そうなったとき、早く仕事を進めたい人は「結局いつが締め切りなの?」ってなるんですけど。なんかそういう風に、ぼやかしていく感じ。何が約束されたのかわからないっていう。

石井:それは感覚として不便だなと思いますか? それともいいなっていうふうに感じられますか?

早川:場合によりますね。どっちもあります。
口下手な人に対して、口下手だから何も考えてないみたいに決め付ける人っているじゃないですか。そういう態度をとると、アイルランドの人って何も知らないんだなみたいな印象になっちゃうんですよね。
だけどそうじゃなくて、言葉の裏に何があるのかをちゃんと想像しなきゃいけないんですよ、習慣的に。たぶんいつも直接的なことしか言わない人は、そういう習慣がないんで、表面で何か決め付けるみたいな感じになっちゃうけど、アイルランドに住んでると、直接言わないことの方が重要であるということを習慣として身につけることができるというか、そういうプラスはあると思います。

石井:奥深いですね。また話題が変わって恐縮なんですが、さっきおっしゃってた「フィネガンズ・ウェイクを読む」は、Podcastですかね。

早川:配信番組ですね。一応動画も使います。

石井:そちらを始められたきっかけというか、理由あれば伺ってもいいでしょうか?

早川:直近のきっかけとしてはですね、2つあります。
1つ目は『フィネガンズ・ウェイク』の書き始め100周年が昨年の10月31日だったんです。ジョイスは1922年の自分の誕生日に、つまり2月2日に、『ユリシーズ』という非常に有名な小説を刊行しました。これを書くのに、たしか8年か9年ぐらいかかってるはずです。……いや、ちょっと数えさせてください。事実と違うこと言いたくないので。そうか、7年で書いたのか、すごい。正しくは7年でした。
いずれにしても、1922年の2月2日に7年かけて書いた小説が刊行された。それが大作だったので、次は何を書くんだろうと周りの人たちは思っていたわけです。同じ年の10月31日頃に、ホテル・スイスっていう、フランスにあるホテルでちょっとメモ書きを始めたっていう記録が残っているそうです。(これも後でちょっと調べて確認してみます、ごめんなさい)。
ちなみに石井さんって小説お読みになられますか?

石井:子供の頃は好きでしたね、本当に。ただでもあんまり文学とかまではガッツリ入れなかったんですけど。

早川:確かホテル・スイスだったと思いますが、文字起こしでは「はてなマーク」をつけておいてください。いずれにしてもですね、これって結構大イベントなんですよ。100周年で、この機会に何かやりたいなと思ってまして。
アイルランドには、既にジョイスの読書会をやってる人ってのが、私の友人で何人かいます。アメリカでもかなり盛んに読まれてる作家です。それに対して、日本では『フィネガンズ・ウェイク』の読書会ってのはちょっと存在しないんじゃないかと思って、この機会に立ち上げてみようかって考えがありました。
ちょっと付け加えると、この「日本に『フィネガンズ・ウェイク』の読書会がないんじゃないか」っていう考えは、私の無知から来た偏見でした。実際、日本ではアイルランド文学の研究が非常に盛んだということが、この番組を始めてみてわかりました。『フィネガンズ・ウェイク』の読書会をこの機会に立ち上げようという人も他に出てきており、当初の考えは偏見ではあったんですが、それに気がつく頃にはですね、既に準備をかなり進めていた段階だったので、今更中止にする理由もないかということで、10月31日に始めたという経緯でございます。

石井:ありがとうございます。『フィネガンズ・ウェイク』はずっとお好きだったんですか?

早川:そうですね。初めて読んだのが2010年だから、13年前です。カナダのバンクーバーに大学の学部生としていたんですけれど、そのときにたまたま『フィネガンズ・ウェイク』の読書会をやっている人たちがいたので。ある日ですね、私は自転車で自宅から大学のキャンパスに向かってるときにラジオを聞いてたんですね。そしたらインタビューを受けてる人がいて、その人が『フィネガンズ・ウェイク』を読んでると。まず、読書会やってるだけでインタビュー受けてるって、どういうこっちゃと思いました。

聞いてみると、『フィネガンズ・ウェイク』というのはどうも普通の本じゃなさそうだった。しかも、それを17年かけて読むとその人は言ってたんですよね。ケビン・スペンストという人なんですけど、彼はバンクーバーの地元の詩人・作家です。彼が17年かけて読んでいる。そのような人が17年かけるって、相当遅いですよね。1ヶ月3ページ程度ですと言ってて。そんな読書の仕方があるのかと興味本位で参加してみたらですね、そこに集まってる人たちが非常に個性あふれる、そして非常に好奇心が旺盛な人々ばっかりで。やっぱり学生にはそういう場はたまらないですよね。そこからハマったっていうか、その出会いがあってからはバンクーバーにいるときは読書会には足しげく通い、そして日本に戻ってきてからも、ちょっと折に触れて、ちょっと本を開くっていうか、そういうことがあって。

ダブリンにやってきてからも、スウィーニーズっていう……。ダブリンの一番大きな大学で、トリニティ・カレッジっていう場所が市内にあるんですけど、そのすぐ隣にジェイムズ・ジョイスの小説にも登場する小さな薬局がありまして、内装がジョイスが生きていた当時からほぼ変わってないんですね。
そこでジェイムズ・ジョイスの読書会なども行われていて、自分もそこでボランティアとして入って、公開読書会の幹事をしていました。幹事と言ったらちょっと大それた感じがしますが、要するに時間になったらちゃんと始めるとか、紅茶が欲しい人に紅茶を作ってあげたりとか、全員分本があるかどうか確認したりとか、その週読むページについて簡単なまとめを作って、今日読むところは簡単に言うとこういう感じですみたいな説明を冒頭でしたりとか、そういう役割をちょっと2、3年ぐらいやらせていただいたんですね。
常にこの本とはアクティブに関わりたいというか、自分にとってすごく特別な作家で、特別な本っていう感じですね。

石井:今は動画配信の活動もされていますが、活動の中で何か感じることってありますか?

早川:いくつかありますけど、うまくいくかどうかって不安は常にありますよね。
今1週間平日が5日あるうちの3日ぐらいをこの配信の準備に充ててるんですよ。2日充てて1日金曜日に配信をやるので、録画をアップしたりとか、予告編作ったりとかで金曜日が潰れるんで、大体週3日潰れるんですね、この企画で。そうするとやっぱりそれなりの収入がないといずれは辞めざるを得ないわけですよ。
で、大体100人ぐらいが月額メンバーとして登録していただくと採算が取れるようになるんですね。今大体26人とか27人ぐらいなんですよ。やっぱり100人まで伸ばすっていうのが番組を最後までやるために必要なことなので、そういう非常に具体的な、金銭面や規模の目標があります。

石井:続けるためにっていうことですね。

早川:最初の1年って、こういう新しいオンラインコンテンツを作る企画だと、一番大変な時期なんです。人数が割と少ない状態で持続的にコンテンツを作らなければいけないからですね。
最近は多くの人が、自分も何かPodcastやってみようかなとか、自分も何かブログをやってみようとか、noteやってみようみたいな人、たくさんいると思います。大体最初の10本ぐらいは誰でもできるんです。だけど、10本ぐらいでなんか満足しちゃったりとか、あるいは疲れちゃったりとか、ネタが尽きたとか。あと単純に、時間の使い方をちょっと見直そうみたいな感じで、いろんな理由で10本ぐらいでやめちゃうんですよ、大体の人って。
そこを動画50本、noteだったら50本長い記事を書くとかね、その50本ぐらいがまず最初のハードルなんですよね。それは実際にPodcastを成功させた人たちが結構口を揃えて言ってることです。その最初の50本っていうのは、私にとっても、これを1つ目標にしてやってみようっていうものです。そういう意味で目標があるんですね。

石井:今何本なんでしょうか?

早川:11本か12本ぐらい。

石井:じゃあちょうど5分の1くらいですね。

過去:子どもの日だからみんなで作りましょうって何かつまらなかったんですよ、発想的に。

石井:どんなお子さんでしたか?

早川:子どものときからですか?

石井:そうですね。

早川:生意気でしたね。結構我が道を行くタイプだったと思います。

石井:いつ頃ですか?

早川:5歳か6歳ぐらいからそういう感じですかね。他の人とあんまり積極的に何かつるんだり遊んだりしないタイプだったんですよ。来る者拒まず去る者追わずみたいな感じで。だから何かいろんな人に囲まれて人気者っていうよりは、3人か4人ぐらいものすごくいい友達がいるっていう感じが結構続いてきてね。

石井:それはいつ頃までだったんですか?

早川:もうそれは大人になるまでです。そのまま。

石井:性格とかも割と変わらない感じなんですか?

早川:変わらないですね。

石井:我が道をゆくっていうようなところですか?

早川:なんなんでしょうね。

石井:子供の頃印象に残ってる出来事って、何かありますか?

早川:そういう原体験みたいなものはあんまりないんですよ。ただ、何か象徴的な、他の人から見たらこういうタイプか、みたいなものはいくつかある。
例えば、6歳のときだったかな、子どもの日にですね、幼稚園でこいのぼりを折り紙で作らなきゃいけなかったんですよ。子どもの日の折り紙でこいのぼりを作ったんですけど、私はこいのぼりの作り方を知ってたんですね。今更これをまた幼稚園で作る必要は私にはないと。もう知ってるから。
それだったら他のことやりたいってことで、先生に「なんでこいのぼり作らなければいけないのか」って聞いたら、先生がキレまして、私の真似をしながらですね、「なんで、なんで〜?」とか言いながらこっちに歩いてきて。文句を言うなら廊下で立ってなさいっていう感じで。廊下に立たされて。
私はですね、なんて物わかりの悪い理不尽な先生なんだと逆ギレをして、非常階段から建物を出てですね、家に歩いて帰ろうとしたんですね。そしたら後ろから先生が慌てて追いかけてきて、お母さんに電話するからちょっと待ってなさいみたいな感じで。そういう子どもですよ。先生にとっては大変だったでしょうね。今思うと、本当に申し訳ないです。「作れよ、こいのぼり」って思うんですけど、今の私だったら。

石井:反抗でしょうか?

早川:反抗ではないんですよ。

石井:反抗ではないんですね。

早川:ただ、我が道を行くっていうか。

石井:純粋にきっと聞いてみたかったんですね、なぜ作るのかっていうところを。

早川:いや、そこまで理由に興味があったわけでもないんですよ。単に一度作って作り方を知ってるから、あえてもう1回やる必要はないみたいな。

石井:やる必要がないっていう答えは出てたんですね。

早川:そうなんですよ。だけど、こいのぼりも、やっぱり友達と改めて作ることで一緒に子どもの日を祝うとか、そういう意味もあるから、「必要ない」っていうのは自分で勝手にこうだって決め付けてたわけです。そこが今でもちょっと抜けきってないというか。
でもね、だって子どもの日だからみんなで作りましょうって、何かつまらなかったんですよ、発想的に。それってもうみんなが子どもの日だからやってること。自分にはもっとね、こいのぼり作るぐらいだったらもっと他にやりたいことがあるのに、なんでこんなことに時間を使わなきゃいけないんだ、みたいな理不尽さを感じたんでしょうね、そのときに。

石井:何がしたかったんですかね。

早川:わかんないです。たぶん大したことじゃないですよ、6歳ですし。

石井:その頃から本とかってお好きだったんですか?

早川:そこまででもないですよ。一応本は読んでましたけど、いやでもそこまでではないですね。割と普通の少年でした。
小学校入ってからはサッカーにはまってましたし、テレビゲームは好きでしたね。自分の家にはなかったんですけど、ゲームのある友だちの家に集まってゲームやるとかね、親に内緒で。そういうことはよくやってましたね、小学校のときに。

石井:小中高大学ぐらいまででどこが一番楽しかったとか、思い出深いなとかっていうのはありますか?

早川:そうですね、個人的に一番楽しかったのは将棋のプロになるための修行をしてた頃ですね。

石井:いつ頃ですか?

早川:それは12歳ぐらいから16歳までですか。遅いですね。

石井:そうなんですね。

早川:大体有望な人ってのは8歳から9歳ぐらいで頭角を現して、9歳か10歳ぐらいで奨励会に入会するんですよ。私は奨励会には15歳、年齢制限ギリギリで入会してるので、元々あんまり希望はなかったですね。とにかく楽しいから、これがうまくいくかどうかとかとりあえず度外視で、とりあえず挑戦していくかって、奨励会に入会しました。
その時は本当にいろんな人に出会いました。現実の世界って、白黒はっきりつく場面ってほとんどないじゃないですか。だけど将棋って、残酷とも言えるし、潔いとも言えるんですけど、負けるときは負けるんですよね。負けましたって自分で言わなきゃいけないんですよ、相手に。
で、負けた後に相手に教えてもらうんですよ、なんで負けたか。だから将棋の上達で最も必要な素質ってこの謙虚さなんですね。自分の非を認めて相手に教わるという。
それさえやっていれば、もう誰とでも交流できる世界なんですよ。逆に、実力ないのになんか口だけ威勢よくね、口だけの人っていうのはあんまり良く思われないし、将棋も上達しないと。だけど一定の礼節を守っていれば誰とでも仲良くなれて、自分より強い人でも将棋を指してくれて。「負けました、ありがとうございました」から「教えてください」ってことで教わることもできると。
それがやっぱり、特に14歳くらいからそういう交流の場が非常に多かったんですけども。はっきり言って学校さぼってやってたんですが。とってもよく学びましたね、そのときに。

石井:一番面白かったなっていう方、いますか?

早川:いやそれはね、一番とかはつけられないですね。将棋やってる人って大体みんな変わってるんで、みんな変なんですよ、多かれ少なかれ。
ただ将棋を指す人に悪い人はいないっていう、格言って言ったら変だけど、言い回しはありまして。それは正しいと思う。基本的に子供に将棋を教えてそこから充足感を得てる大人って、本質的に悪い人はいないんですよ。そういう意味では恵まれてましたね。そういう環境でした。

石井:そこから大学は海外に行かれたんですね。どうしてまた海外の大学に行かれようというふうに思ったんですか?

早川:1つは先ほど申し上げたように、将棋の修行で学校をさぼってたので、センター試験を通過するような学力がなかったんですよ。英語と現代文ぐらいしかいい点数とれなくて、あとはもうボロボロなんですよ。だからセンター試験を受けなくても入れる場所が必要だった。
あともう1つは、自分が大学行きたいと思ってなかったんですよ、18歳のとき。高校は社会問題とかを積極的に生徒に教えるタイプの学校でしたが、世界にこれだけたくさんの問題があるのにね、私なんかがのうのうと4年間大学でまたお勉強して、卒業資格みたいなの振りかざしてオフィスワークの仕事に就いて、っていうレールに乗るのは、なんかちょっとこう、不遜じゃないかと。
これだけ恵まれた環境にいる人間が、そんなことしていいのかみたいなことをちょっと思ってですね。もっと積極的に様々な問題にも取り組めるようにならないといけないんじゃないかみたいな、焦りみたいのがありまして。具体的に何をやりたかったかって言ったら、別に特に現実的な計画があったわけじゃないけど、大学にそのまま行くと何かレールに乗せられるような、それも1つの偏見ではあったわけですが、そういう気持ちがあって。
それで、単に周りの人を納得させるためだけに、カナダのバンクーバーの大学に1つだけ出願したんですね。行きたくて出願したわけじゃなくて、これで落ちて、みんな落ちた、それは仕方ないよねってことで納得してくれるだろうと思って。でも出願したら受かっちゃったってことですね。

石井:受かると思ってなかったんですね。

早川:思ってないですよ。当時は家から出て何か居酒屋みたいなところで働きながらちょっと次何しようかなみたいに考えた時期で。大学に行くなんて思ってなかったですよ。

石井:実際それは行ってみてどうでしたか?

早川:人生が変わりましたよね、やっぱり。やるからにはベストを尽くしたいってことで、1年目は土日も含めて、1日も休まず毎日勉強したんですよ。1日8時間くらいやったかな。勉強以外やってないんですよ、1年目は。それで何とか追いつける程度。

石井:大学では何を専攻されていたのでしょうか?

早川:最終的には哲学を専攻しましたが、文系って専攻はあんまり関係ないですよ。

石井:教養みたいな部分?

早川:そうですね、教養みたいになるのかな。だから哲学科とはいえ、それこそ地理学や心理学とか認知科学とかいろんな学問を少しずつかじるみたいな感じで。

石井:1年目は割とそういったいろんな学問。

早川:いや、4年間通してそういう感じです。

石井:そうなんですね。

早川:そうですね。だから勉強とかするタイプじゃない人がそういう環境に置かれて、「やるからには」ってことで一変したわけですよ。
今では逆に勉強しない日常なんてありえないみたいな感じで、すっかりそこは変わってしまったんですけど。

石井:勉強ってどんな存在ですか?

早川:勉強って言葉、ちょっとよくなかったかもしれないです。むしろ「学び」ですね。そこも時間とともに、なんで学ぶんだろうみたいなところは変わってはきてますけど、趣味的な部分と実践的な部分がありまして。
趣味的なレベルでは……いや、趣味の方が説明は難しい。
実践的な部分はですね、世の中に情報が溢れてますけど、信頼できる情報とそうでない情報を見分ける力がつきます(学びのやり方や勉強のやり方にもよりますが)。ちゃんと学術論文の読み方を身につけてる人は、これだったら信頼できるとか、これはもうちょっと調べないと何とも言えないみたいな区別が、ちょっとずつつくようになってくるんですよ。これが実践的にとても役立ちますね。あらゆる面で役立ちます。それこそ、例えば翻訳の仕事を承るときに、価格がこれで良いかどうかとか、その価格が適正かどうかの裏を取る方法とか。そういうレベルまで役立つ。

石井:実用的ですね。

早川:すごく実用的です。だからほら、そういうことができない人って、やっぱりどうしても相手との駆け引きになっちゃうんですよ。この人だったらいくら払ってくれるかなみたいな思考回路になるんですけど。そうじゃなくて、マーケット的には幾らで、平均的な仕事に比べて私は何が提供できていて、その場合付加価値として幾らぐらい上乗せできるか、あるいはもし自分の力が足りないって感じていたら、幾らぐらい割り引いた方がいいかっていうことを、一つ一つちゃんと資料や根拠を提示した上で決定していくっていう。それはやっぱり、学問をちゃんとやったからこそできる。
だけどそれはたぶん、学ぶことの意義の30%ぐらいで、70%ぐらいは趣味なんです。世界との接点を保つ方法なんですよ、私にとって。世の中にはいろんな現象があり、他方では、世の中で実際に起こってることから人々の目をそらすような作用を持つコンテンツもたくさんある。映画やアニメとか小説とか、漫画とかゲームとか、例えば雑誌でも結構同じようなことを毎月やってる雑誌とかもたくさんありまして。それが悪いとは言いませんけどね。私もリラックスするときに将棋の棋譜を粛々と並べたりとかはしてます。そういうのは悪くないですが、やっぱりあまりにも多くのことが世界で起こってて、それと常に関わっていくためには、やっぱりちゃんと文献にあたるべき。

例えば、ウクライナの侵攻があったじゃないですか、昨年の2月。大抵の人は、たぶんニュースを見て、それをもとに自分の考えをまとめようとするんですけど、ニュースキャスターの人って、現場で起こってることを歴史的な文脈で考えるとか、そういうことをする余裕はないんですよ、時間的にも、番組で。だから、今日はどこどこでどれくらい爆弾が落とされて、これだけの被害がありましたみたいなことを見せて、それで終わりなんですよ、大体の場合。
あるいは、なんかちょっと専門家とか招いて、この戦争がいつまで続くんでしょうかとかそういうことを聞くわけですね。もちろんそういうことは知るべきだけど、どういう歴史があってこの戦いが起こってるのかっていうところは、やっぱりちゃんと1冊その歴史の研究をした人が書いた本を読むことでわかることです。
これは感情的にも今、人々の関心を相変わらず集めている現象だから、専門じゃない人でも、発言をしたりとか、ちょっとした本を緊急で出版して売ろうとしたりとか、そういう人もいっぱいいるわけですよ。その中から、ウクライナ侵攻が起こるはるか前からちゃんとその地域の歴史や争いを研究してる人ってのは誰で、その人の書いた本の中で一番入門者に優しいというか、何も知らない人はまずどこから読むべきかみたいなところからちょっと調べて。例えば、メアリー・サロッティという人が書いたNATOの歴史の本とか、そういうものを読みました。一段情報の質を上げて世界と関わるっていうのは、学問の醍醐味であると思います。
実際、そのレベルで本を読もうとすると、実はわからないことのほうが多いってことが大抵なんですよ。ウクライナにおける戦いにしても、例えばどっちが正義でどっちが悪かみたいなのは全くはっきりしないんですね、ちゃんと調べると。そういう曖昧さというか、物事の複雑さみたいなものを正面からちゃんと見据えるっていう作用もありますね。
そういうところが、たぶん私にとって魅力なんだと思います。

未来:ちょっと具体的にどうなるかわかんないですけど、本当に面白いと思います。

石井:今目指しているのは、やっぱり動画配信で目指しているものを達成することなんでしょうか?

早川:そうですね。

石井:翻訳のお仕事も、独立っていう目標がありますよね。

早川:そうですね。結構ね、目標は低いというか、持続なんですよ、何事も。
だから本の翻訳をするとしたら、自分の出した本が一定数売れると次ができるようになるわけですね。この配信の番組にしても、やっぱり一定のペースで視聴者が増えれば持続できるようになる。だから常に今の段階では、何かをやるときは持続が目標になることが多いですね。

石井:持続できないことがもしこれからあるとしたら、それってどうしてだと思われますか?

早川:いろんな理由があると思いますけど、結局やっぱり自分の経験不足とか準備不足とか、あと戦略の甘さっていうのが主な理由になってくると思います。

石井:逆にでもそれ以外の部分では、特に大きな懸念点はないっていう。

早川:いや、本当にいっぱいありますよ。だから、例えば今回の「フィネガンズ・ウェイクを読む」でも、結局ニッチすぎたんだよ、もうちょっとみんなが読んでるような本だったらうまくいったかもね、みたいな側面はあると思います。
ただそこもやっぱりほら、その本が読まれないからうまくいかないっていう考え方だと、それってやっぱり他の人のせいにしてるっていうか、なんかもっとこういう本が読まれていさえすればいいのに、というふうに考えが引っ張られる。
そうじゃなくて、読者層が小さくてうまくいかないっていうことを見極められなかった自分の甘さが問題。そういうふうに考えると次に繋がるんですね。次やるときはもっと広く読まれてる作品かどうかちゃんとチェックしてからやろうということになる。
ただ逆にね、ニッチとはいえ、『フィネガンズ・ウェイク』って日本語訳が出たのが1991年から93年なんですけど、5万部売れたと言われてるんですよね。普通文学作品の和訳なんてのは5万部売れないんですよ。だから棚でその本を眠らせてる人ってのが一定数いるはずです。だから、単純に読者層が小さいからうまくいかないっていうのは、おそらくうまくいかない理由としてはありえない。やっぱりやり方が悪かったっていう方が、たぶんうまくいかないとしたら原因としてあり得ると思います。

石井:5万部売れてたら5万人本を棚で眠らせている人がいるっていうのは面白いですね。

早川:今ジェイムズ・ジョイス100周年ってことで盛り上がってるんで、検索してる人とかもいるかもしれないし。なんかうまくそういうところへ届けたいとは思ってます。
あと、ハードカバーが5万部売れたんだけど、その後文庫本にもなったんですよ。だからもっと潜在的にはいるはずですね、読者。

石井:聞きそびれたんですけど、『フィネガンズ・ウェイク』の一番の魅力というか、逆に日本語訳になってもそこまで売れた理由みたいなものって、どこだと思われますか。

早川:やっぱり日本語に何ができるか見てみたいっていう好奇心があったんじゃないですかね、読者の。言語をね、限界まで引っ張るような本なんですよ。だから曲芸を見るような感じですね。

石井:怖いもの見たさではないですけど。

早川:それもあると思います。

石井:理想の生き方ではないですけど、そういったものってあるんですか?

早川:理想の生き方ですか。

石井:はい、生活ですかね。生活、生き方。

早川:なんかあんまりね、規範意識に縛られないっていうのが理想的ですね、私にとっては。

石井:誰か、こういう人みたいなロールモデルっていうのは?

早川:やっぱり言語学者のノーム・チョムスキーは尊敬しますね。

石井:それはどういった点で?

早川:彼の世界との関わり方は参考になるというか。先ほど学問で、学びの醍醐味の1つが現実世界との関わりを保つっていうふうに申し上げたんですけど、やっぱりチョムスキーってそういうところ一貫してて、自分の思い込みなところと、ここまではちゃんと証拠に基づいて言えそうだってところの線引きをしっかりやる人なんですよ。
彼は言語学者なので、そこが仕事だっていうのはあるんですけど、だけど他方で、最近では例えば気候変動に関する社会活動に積極的に協力したりとか、あと彼は反戦活動家としても有名で、様々な戦争に反対してきたし。ちょっと一般常識に反するような意見とか立場でも、証拠や専門家の意見を聞いた上で、いや、一般的にはこう言われてるけど、実際にその文献を見てみるとこっちの方が妥当だっていうことで、一般常識に流されないで、何が妥当かを、この専門家の言ってることに基づいて、こっちに決めるっていう。他人まかせにしないところ、何かを考えるとき、そういうところはすごいなと。

結構危ういんですよ、そういうのって。ともすれば周りが悪いんだ、自分が正しいみたいな感じで独善的になってしまうケースもあって。そこもちゃんとバランスをチョムスキーはとっていて。そこをどうバランスとるかっていうのは、ひとつの技術というか、習慣によって徐々に調節して体得していくものなので。最初は皆さん失敗するんですよ、何か自分の頭で考えるって、失敗を重ねて徐々にできるようになっていくことだと思う。そういう意味でもチョムスキーは参考になりました。こういうバランスのとり方があるんだっていうのが、見ててよく思います。

石井:ありがとうございます。人生の中で絶対にやってから死にたいことってありますか?

早川:これだけはやっておきたいってことですか?

石井:そうですね。

早川:難しいですね。究極的にはないですよね。自分が死んだら自分にとっては、それはもう一生が終わるだけなので。
夜寝るときに、私たちって別に不安にならないじゃないですか。眠ったら8時間から12時間意識がなくなるみたいなことで、不安になったりしませんよね。そんな感じで、そのときが来ればみんな死ぬわけで、死ぬってのは要するに眠りに落ちてもう起きないっていうのと、たぶん経験的には似てるんですよ。だから、死んだ後で後悔するっていう現象は存在しないので、別にどういう生き方をしても、ある意味では良いと言えば良いんですが。

ただ、今世界にある社会問題とかも、例えばアイルランドってホームレスの問題が今すごいんですよ。あるいは世界的に環境問題はかなり深刻になってきてますよね。IPCCも本当にあと2年ぐらいで、CO2排出量がピークに達さないと、ちょっとパリ協定の目標の達成は難しいとかね。そこまではっきり明言してるわけなんで。そういう問題の解決のために個人ができることってたくさんあるので、自分にできることを続ける、そして新たに見つけてやっていく。
例えば自分の消費のレベルでね、一例を挙げると、自家用車は私は買いたくないと思っている。できれば公共交通を利用してなるべく長く生きていきたいと思います。それはもちろん自分が、翻訳家っていう割と移動する必要がない職業だからできることだけど、そういうところとか。あと食生活でも、例えば牛肉はなるべく食べないようにしていて、ほぼ食べてないんですけど。牛肉は食べないとかね。乳製品を食べないとか。この辺は環境への負荷がもう桁違いに大きいんですよ、牛肉って。
あと、本を翻訳するときは、自分の訳した本が読まれた場合に、読んだ人がどういう影響を受けるだろうか、それは例えば環境問題とかホームレス問題とかそういう問題にとってどういう影響を与えるだろうかっていうのは、常に意識して、翻訳の仕事を選ぶようにしてますね。
そういうことって、もちろんね、全員がこうすれば解決するとかそういう問題ではない。やっぱり、個々人が自分にできることをちゃんと理解して、それを粛々と実践するしかないんです。自分にとってできることってのを見つけて、ちゃんとやりたいなとは思ってます。
それって死ぬまでにやっておきたい事って言うよりは、死ぬまでやり続けたいことみたいな感じですよね。どっちかというとね。

石井:ありがとうございます。最後に一点、もし『フィネガンズ・ウェイク』に出会ってなかったら、今どんな生活だと思いますか?

早川:出会ってなかったら、2ヶ月半前に配信番組は始めていないですよね。他の分野にもうちょっと時間使ってるのかな。
もう1つね、特にここ数年で、注意力経済について興味を持ってきています。注意力経済って、日本語でよく言われてます? メディアとかで。あんまり聞かない言葉ですか? アテンションエコノミーって言うんですけど。

石井:不勉強で、初めて聞きました。

早川:例えば、SNSはお使いになりますか?

石井:そうですね。

早川:そしたら、SNS企業って何で競争してるかっていうと、人々の注意力の獲得を競ってるんですよ。注意力っていうのは、具体的には、例えばそのアプリを1日何時間使っていたかとか。従来は、テレビ番組だったら視聴率とかで表されていたんですけれど、特にスマホが普及したことで、非常に市場も多様化した。あと、1日1時間テレビを見るときだけではなくて、もう日常生活のあらゆる場面で、スマホを経由して人々の注意力が商品化してるって言えばいいのかな。だから本当に朝起きてから夜寝るまで、場合によっては寝ている間すらもですね、人々の注意力を企業や団体や、場合によっては個人が獲得しようと、いろいろ画策してる。
そのゲームと言えばいいのか、場と言えばいいのか、市場と言えばいいのかわかりませんが、その注意力の取り合いが行われている場所を注意力経済って言うんですよ。アテンションエコノミー。

これはね、新しい現象なんです。やっぱりスマホの普及が大きいですね。例えば、この注意力経済のルールをわかってる人とわかってない人では、全く振る舞いが違うっていうか。
企業でマーケティングとかやってる人は、もう大体わかってるますね、このルールも。どうやって人々に何かを売り込もうかとか、周知しようかっていうのは、従来みたいに大手メディアに広告出せばOKみたいなのがうまくいかないってのわかってるんで。意識して、その多様性についていってると思うんですけど。
大体の人は、まだ私も含めて、ちょっとそこのメカニズムがどうなったのかってわかんないんで。ちょっと私もそこは勉強したいなと思ってまして。たぶんこの先、どんどん重要になってきますね、人々の注意をどうやって獲得するかっていうことがすごく。あらゆる場面で関わってくるんじゃないかな、いろんな人にとって。
注意力経済について勉強して、何らかのね、それに関する本を翻訳したりとか、インタビューやエッセイをちょっと翻訳して、雑誌とかに載せてもらったりとか。あるいはあわよくば自分が大学の博士号をその分野で取ろうってことで、そういう博士号の課程に何か出願するかもしれない。ちょっと具体的にどうなるかわかんないですけど、本当に面白いと思います。
でもね、これもなんだろう、結構マニアックなテーマでもあるので、面白いって言われても何が面白いのって感じではあると思うんですけど。リアリティあるし、理論化が進んでないってのが、面白さの理由ですね。

石井:なるほど。そういうあまり開拓されてないところをご自身でいろいろ探索されるとか、そういったところはお好きなんですかね?

早川:そうでしょうね。開拓されてる分野で何が言われてるのかを知るのもかなり好きなんですが。安心感があるというかね。

あとがき

インタビューをする時、予習をしないんです。
それが無名人インタビューなので。

だからフィネガンズ・ウェイクっていう単語が飛び出した時、聞き取るのがまず大変。
さらに聞けば聞くほど不思議な世界で、正直に言うとインタビュアーは終始混乱していました。

でもその不思議なフィネガンズ・ウェイクの世界すらも早川さんの世界の一部に過ぎない。
次々に飛び出すトピックに翻弄され続けながら、なんて広くて大きな世界を泳いでいる人なんだろうと思いました。

小さな水槽を泳ぐので精一杯な私が、フィネガンズ・ウェイクを読もうと思う日は来るのでしょうか。
まずは早川さんの翻訳した本を読んで、水に足をつけてみるところから始めたいなと、企んでいます。

ありがとうございました。

【インタビュー・編集・あとがき:石井】

【文字起こし:生きにくい釘】

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