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資格ソムリエの人

思い出ってやつはみんな目の前を過ぎさってゆくやつだ。残念なことこの上ない。
わかってます。わかってるってわかってるって何度ゆっても、やっぱりわかってるって思う。もう一度考え直そうと思う。思い出について。結局ね、思い出ですが、思い出というやつが、過ぎさってゆくのだというか、そもそも思い出というのは過去に属するものだから、そもそも過ぎさってなければ思い出ではないのだよ。だから、過ぎさっていない思い出というのがあるわけないじゃないかと。
でもね、人は、思い出の中に生きることもできるのよね。
現在と未来の中に生きるのをやめて、過去の中に生きることもできるのね。
毎日毎日過去のことを考えて、毎日毎日未来ではなく過去のことを考えて、毎日毎日、今今今、この瞬間瞬間を生きるのをやめて、過去に生きることだってね、人間はね、できるんだ。
そうゆう意味で人間って、すごいんですよねえ。すごいすごいすごいわ。
みなさんは、過去に忘れ物はありますか?
私は正直、ありません。まあ本当はあるかもしれません。でも、あっても、取ってこれないから、なかったことにしているんですよ。過去にすがってばかりいても、目が覚めて現実にいることに気づいたときにさ、どうせ絶望するのだから。
うおお。無名人インタビュー、今日も元気いっぱいに始動します!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 林雄次 さんです!

現在:自分のオリジナリティとかを加えて、それをどう活かせるか?っていうのはその人次第。

JYO-RI:今、なにしてる人ですか?

林:今はですね、大きくふたつ、メインの仕事としてはいわゆる士業の仕事で、中小企業診断士、社会保険労務士、行政書士の事務所を経営してるっていうんですかね。何人かスタッフがいて、その事務所を一応やっている、っていうところがメインなんですけれども。
一応、私自身が今、資格を350ぐらい持ってまして。

JYO-RI:はい。

林:その、『資格ソムリエ』で商標取っていて。いろんな雑誌とかで資格の記事とかに登場させてもらったりとかしてます。ラジオとか、そういうメディアに出たりとか。

JYO-RI:多くの資格を取得された中で、思い入れがある資格はございますか?

林:そうですね。思い入れがあるのは、一番、取るまでに時間がかかった中小企業診断士が、5年ですかね。5年かかっちゃったんで。それと、あと合格率がすごく低い2.6%っていう合格率のときに一発で受かっちゃった社労士ですね。社労士は運良く、パチッとそのとき受かったんで。

JYO-RI:今、お仕事されてる以外に、ご自身が時間を使うことは何ですか?

林:そうですね。私自身の今の仕事が、どっちかっていうと、士業の申請みたいなところはあまりやってなくて、どっちかっていうと、いろんな本の執筆とか、そんなものなので。週7日、朝から、ずっとある意味、ずっと仕事なんですよね。

JYO-RI:なるほど。

林:そんな感じで、仕事が趣味でもあり、趣味が仕事でもあり。そんな感じ。もうずっとなんか、仕事してるといえば、仕事してますかね。『ワークがライフ』です。

JYO-RI:週7日お仕事されているとのことですが、よく家でお仕事してるのか、実はお気に入りのカフェがあるなど、場所はどうなんですか?

林:私はもうパソコンさえあればどこでも。なので、家でやっていることも多いですけど、ずっと家だと、あんまり新しいことを思いつかなかったりもするので。時々外に出たりとか。あとまあ旅行行って、旅先で仕事してることもありますね。

JYO-RI:ワーケーション的な感じですかね?

林:そうですね。

JYO-RI:ワーケーション、お好きですか?

林:好きかもしれないです。毎月、月1ぐらいで、1泊とか2泊とかしてるかも。

JYO-RI:最近、行ってよかったところとかありますか?

林:最近行ってよかったところは、そうですね、草津温泉に。
曜日はあんまり関係ないので、平日泊まってもいいし、いつでもいいし、平日に行けるので。だいたい、混んでいるところとかでも、平日は全然空いていて良いですよ。

JYO-RI:仕事以外の方で、仲良くなる方はどんな感じですか?

林:対人関係だと、もともと私、人と仲良くなりにくいタイプではなく、いろんな人ウェルカムです。こういう人っていうのがないぐらい、いろんな人と、誰とでも、わりと仲良くなります。

JYO-RI:対人関係だと、「深く狭く」と「広く浅く」だとどっちとかありますか?

林:仲いい人とは深く狭くになります。
一方Twitterだともう1.2万人ぐらいかな。フォロワーさんがいて。あと、インスタもFacebookもやってます。全部で2万人ぐらいいたりするので。それは、すごい広くなっちゃってますね。

JYO-RI:確かに。なるほど。

林:会ったことがないというか、いろんなメディアで見られたりしてることも。人からは調べられても、こっちがもう覚えきれないみたいな状態にはなっているので。本当はこう、仲のいい人たちとご飯食べに行ったりするのも好きなんですけど。広く浅くなっちゃう部分がありながら、それはそれでしょうがないなと。仲いい人たちと、じっくり過ごすのも好きです。

JYO-RI:最近のマイブームはありますか?

林:マイブームね、なんでしょうね。。。年がら年中、資格とるか仕事するかしかしてないので。最近のマイブーム。やはりずっと勉強するか、本とか書いてるか、どっちかしかしてないですね。

JYO-RI:あと、よく聞かれる質問な気がしてしまうんですけど、何故こんなに資格を沢山とるようになったのですか?

林:もう、全然大丈夫。お気になさらず(笑)

JYO-RI:一番聞きたいのは資格を取るモチベーションについてなのですが、ぜひ教えてください。

林:モチベーションと時間とね。気になりますよね。毎回必ず聞かれる質問です。
なんでこんなに、っていうところだと、私にとってはですね、資格はもう、基本プラスしかないので取っています。まず私自身のモチベーションの源泉が、知的好奇心ですね。新しく知るのって楽しいな、っていう気持ちがエネルギー。多分昔も、原始時代から自分の縄張り外に獲物探しにいったりみたいな、そういうタイプだったと思います(笑)
どんどん新しいことをちょっと見に行きたい、みたいな。そんな感じがあるので、新しいこと知るのが楽しい、っていうのがひとつと。

あと、男性によくありがちな傾向なのかもしれないけど、子供の時ダンゴムシ集めたりとか小石集めたりとか、物集める傾向あるじゃないですか。なので、そういう収集癖が満たされる、っていうのもあります。あとは最近だと、それがビジネスというか、仕事にも繋がっているので。全然、なにひとつ、マイナスがない。プラス中のプラス、っていうのが、たくさんとる理由なのかもしれないですね。バッチとかも何十個も集めてますし。合格証はもっと多く、どこに何の合格証があるかわからないぐらいの感じですね。

それから、モチベーションをどうやって保つか? っていうところだと、自分の場合は、好きでやってるところがあるので大丈夫なんです。
一方、どうしても勉強しなきゃいけないっていう人もいると思います。そういう場合は、まずはやっぱり好きになるようにした方がいいですね。やっぱり好きな人のことって、たいしたことは気にならなかったりするけど、嫌いな人のことって、どうでもいいことまで嫌じゃないですか。
そういうのと一緒で、まず最初好きになるというか。それが一番大事なのかな。

あとそもそもモチベーションってやっぱりこう、波はあるものなので、モチベーションに頼らない、っていうところですね。顔洗うのに「よし、顔洗うぞ」って頑張る人いないと思うので。流れるように勉強をするというかですね。

そういう場合、一番やりやすいのは朝ですね。どうしても夜に勉強する人が多いんですけど、まあ時間術みたいなところにもなるんですけど、夜って自分の時間の中での燃えかすみたいなところなので。いろんな人からね、いろいろなんか言われたりとかして、最後の寝る前の最後のところを、自分の大事な将来かけるのってリスキーかなと思って。
そういう意味でも朝しかないですね。朝だったら30分、1時間早く起きれば絶対その時間できるんで。朝、必ずちょっとでもやると。これ、ちょっとでもってのが大事で。人間、ほんのちょっとだけやると、きりが悪いと嫌なので、もうちょっとやりたくなるんですね。

JYO-RI:はい。

林:別に1分でもいいと思うんですよね。1分やったら、もうちょっと、数ページ進めたくなると思うので。慣れれば長くしていいと思うし。そういう時間の使い方なんかもいろいろと工夫をしていることはありますね。

JYO-RI:個人的に、資格勉強って比較的インプットするみたいなイメージが強く、林さんはそれとは別に、アウトプットのイメージが強い執筆活動もされていると思います。
それぞれのお仕事に関してどういうふうに捉えられてるのでしょうか?

林:そうですね。執筆活動も、小説を書いてるわけではないので。インプットしたことをそれなりに咀嚼して、自分なりのオリジナリティを加えてアウトプットするっていうところでは、資格も執筆の仕事も、全く別のもの、っていう感じは無いかもしれません。
資格の勉強も、学校の勉強の延長線だと考えると、やっぱりインプットがまずあって、っていう感じになると思うんですけど。資格の勉強と学校の勉強って全く別だと思っています。
学校の勉強ってちょっと思い出してみると、勉強して、勉強して、最後にテストがありますよね。
資格の勉強も同じじゃないかと思いきや、学校の勉強は途中の勉強が目的なんです。学校の勉強を半年だったら半年して、その結果テストをします、ということなんですけど。資格の勉強って、途中の勉強は目的じゃないんですよね。最後の試験で通れば、極論どうでもいいんですよね。
なので、私の場合おすすめするのは、最初にまず問題を見ることです。最後の本試験の問題を、最後の敵だとすると、そこで勝てるんだったら、勉強する必要ないんですよね。

JYO-RI:はい。

林:勉強せずにやったっていい。勉強しないといけないというルールはないので。私、無勉強で試験を受けることも時々あります。
なので、そのゴールですね。ゴール、到達地点を見て、自分の実力との差をどうやって埋めて、いかに、できればギリギリとかでスッと合格するか? っていうのが、資格の試験の一番大事なところだと思います。だから全然違うんですね。途中どれだけ頑張っても、当日に休んでしまったりして落ちたら、誰も褒めてくれないので。

JYO-RI:なるほど。ちょっと失礼な質問になってしまうかもしれないんですけど、お金を払って資格をとりに行くじゃないですか。資格勉強に対する費用対効果みたいなところを考えざるを得ない時期とか、こんなにとって意味あんのかな? みたいなふうになる人もいると思うんですけど。

林:普通の人はね。それがそのままお金にはならないです。

JYO-RI:そこも含めて資格勉強のプロ? になるまでの、苦い思い出的なものってありますか?

林:もうすぐ会社やめて3年ぐらい経つんですけど。会社にいたときは、3、40個だったのかな、最後やめる直前でも。なので、今の10分の1ぐらいの資格しか持ってなかったんですね。でも難易度の高い資格をそれなりに持っていました。
辞めた後、ちょっとしたらメディアに出そうだなというのがあったので、難易度が高くないものも含めてとりあえず3桁ないと、雑誌とかに出たときに格好がつかない。
大きい会社ではあったのですが、そんなに資格を持っているのは珍しいので、そんなに持っててどうするの? みたいな話は、なくはなかったですね。結果、やっぱりそのまま会社にいたら活かせないなと思ったので会社を辞めました。

JYO-RI:なるほど。

林:会社のなかにいると、会社で取り扱っている業務しか提供できないので。システムの会社だったのでシステム関係の資格は使えるけど、社労士とかいろいろ持ってたのを使えなかったんです。会社員としては、できることが制限されちゃうので。
それで辞めようかな、と思い、辞めたところ、ちゃんと持っていた資格を活かすことができました。
あと、難しい資格を持ってるから活かせるんだろう? っていう話も、たぶん出ると思うんですけども。それはそうではなくて。例えば、片付けのこんまりさんが持ってる資格は、整理収納アドバイザーです。ユーキャンとかで、主婦も取れる。じゃあ、それだったら使えないか? っていうとそうではなく、こんまりさんは世界で最も影響力のある100人にも選ばれています。自分のオリジナリティを加えて、それをどう活かせるか?はその人次第。

JYO-RI:一番親しい人からは、どんな印象だと言われますか?

林:最近のプロフィールで見られちゃうと、なんか近寄り難いように見られちゃうことが多いんですけど。親しい人からは全然そんなことなくて。言われたことを忘れてしまうこともよくあります。
一番近い奥さんからも、ほとんど言ってることを聞いてない、だいたい全部忘れてるよね、って言われるので。だいたい全部、忘れてます。今日の夕ご飯とかね、もう一日何回聞くんだ、みたいな。そういう状態です。
すべてを覚えているみたいな、そういう感じではないし。全然普通に、転んだら血が出るし。

JYO-RI:超人、じゃない。

林:なんかね、林、5人とか10人、いるんじゃないか? もう、ロボなんじゃないか? みたいな見られ方をされてしまうこともあるし、実際に、とんでもない忙しさではあるんですけども。でも普通に、あの、普通の人間ということです。

過去:前の世界では最強の勇者だった人が、異世界に転生したら、いきなりもう、村人A状態になったわけですよ。

JYO-RI:子供のとき、どんな子でしたか?

林:子供のときから、今もそんなに性格は変わっていません。ひとつのことに没頭しちゃうと周りが見えないっていうか。
歳がですね、42なので。小学生の前半ぐらいのとき、初代のファミコンの世代なんですけれど。

JYO-RI:はい。

林:そういうの家でやってると、寝るのとか食べるのを忘れて、ずっとやっちゃうみたいな、そういう性格です。集中しちゃうとそこにグって行きすぎちゃって、周り見えなくなるみたいな。止められる、みたいな。やりなさい、じゃなくてやり過ぎを止められるタイプですね。
考え事してて、歩いてたらなんかぶつかる。もう、そういう感じ。危ないです。今も、それは多分、変わらなくて。電車のなかで勉強してると、終点まで行っちゃいますから。危ない。過集中というかね、集中し過ぎちゃう。

JYO-RI:クラスの中だと、どういうポジションだったな、とかって思い出せたりしますか?

林:クラスのなかだと、勉強は、できる方だったと思います。
前から、ただ覚えるっていうよりはその裏側にある仕組みを考えるという、そんな感じでやるので、量をそんなにやんなくても、割とできちゃう、みたいな。

JYO-RI:地頭が良かったって感じですか?

林:地頭的なこと、アプローチなので。区立の小学校に行ってるときには割とできた。できすぎて先生が、できれば、教室にいてほしくない、みたいなタイプ。用事を頼まれて、とりあえずゆっくり、職員室まで物とりに行って来いみたいな。私が、教室のなかにいないで、ぶらぶら学校内を歩いてて、音楽室とか図工室でそこの専科の先生と喋ってる方が、誰も害さないというか、みんながそれを望むというぐらい。ぶらぶらしてましたね、小学生のとき。
中学高校が、筑波大附属、筑附っていうところにいて。本当に変わり者揃いの、ガラパゴス保護区、みたいなところに行ったので。世の中にはとんでもない超大変態がいるって、わかりました。そのなかでは私は全然普通な方です。

JYO-RI:中学校高校は、どんな感じの子供だったんですか?

林:中学校、高校は、やっぱり変わった人が多かったので。そういう意味では、同じように変わったやつが世の中にはたくさんいる。変わった人のなかでも、神が二物も三物も与えちゃったような人がいるんですね。なんだろう、すごすぎて。
僕から見てもすごすぎて、こわい。神なんですか?みたいな。めちゃくちゃ綺麗で、頭もよくて、バスケ部主将で運動もバリバリ、みたいな女子とかですね、いるんです。もう、こわいですよね。もう、勝てる余地が一切ない。
そういう人も、同じような人たちが多くて、自分で好きなことしていいんだっていうのがわかったとともに、調子乗っちゃいけないなっていうのもわかりました。先生たちも含めて、とんでもない人が世の中にはいるので、調子乗っちゃいけないんだなと思いました。
早くにちゃんと、こう、1回折られたというか。ちゃんと、調子乗らない、乗るべきじゃない、っていうリテラシーを身につけた。

JYO-RI:将来の夢、みたいなの、覚えてたりしますか?

林:将来は、なんでしょうね。中学のときは、科学が好きで、最初とった資格も危険物取扱者だったので、科学者のような仕事をイメージしていました。やっぱり勉強で食っていくイメージがあったのかもしれないですけど。それがなんか、科学者的なものだったりとか。医者はさすがにお金がかかるから、実家がお金持ちなわけでもないし、なりたくても厳しいだろうなとか。でも、スポーツ選手になるっていうことは考えないし、勉強方面で食ってくようなイメージは持ってましたね。

JYO-RI:危険物取扱者の資格は、なぜ取ろうと思ったんですか?

林:化学部に入ってて、顧問の先生から取得をすすめられたことがきっかけです。危険物取扱者は、甲乙丙というのがあって、乙は高校卒業程度の物理・科学の基礎知識が必要なので、普通は中学だったら土台がないので、無理なんですけど。
「林、とってみれば?」みたいな。そういう無茶をさせる人たちなので。
なんかとんでもないチャレンジをさせて、それができると、決して褒めるんじゃなくて、お前もっといけるだろう、という。そういう特異な学校なんですね。無茶をさせる。
そこに行ってた人同士だとよく言うんですが、ひとつの芸でお金を稼ぎながら世界一周して帰ってくる、これぐらいするとようやく褒められるなっていうようなレベル感です。

JYO-RI:なるほど。

林:すごいストイックな環境だったと思います。
なんかやると、もっとやれ、もっとやれ、もっとやれ。もっとできるだろう、そんなもんじゃない、みたいな感じですね。

JYO-RI:なかなか想像しがたい世界だと、個人的に思ってしまったんですけど。

林:決して褒められはしないんですけど。もっとできるでしょう、君たち、みたいな。おかしいですね。

JYO-RI:高校生までにすごい影響を受けた先生とかっていらっしゃったんでしょうか?

林:学校の先生はみんなすごかったですね。すごすぎるくらいにすごかったので、誰が、っていうことはないけれども。
例えば、音楽の先生は、歌手なので歌わないんですよ。歌手が本業だから。バリトンとかの、そういうね。歌う仕事は別でやってるから、ピアノで教えると。こういう感じ。
体育の先生は、ハンドボールうまいなと思ったら、なんか2週間くらいいなくて「あの先生どこ行ったんですか?」って聞いたら、アジア大会に今コーチとして行ってる、みたいな。想像を超える人たちが先生なので、みんなすごかったですね。柔道の先生は、乱取りすると29秒ぐらいまで動かないんですよ。
最後の一瞬で、なんかわかんないけど倒されて、やられてる、みたいな。講道館の、1番とか2番ぐらいに偉い人。意味がわかんない。書道の先生は書道家なので、めちゃくちゃうまいです。そういう、規格外ですね。生徒も規格外かもしれないけど、その小悪魔たちを教える先生は、もう、魔王みたいなレベル。みんなすごかったですね。すごいなと思いました。上には上がいるなってことを、つくづく。

JYO-RI:なるほど。

林:大人にさからっちゃだめだなと思って。

JYO-RI:ある意味、挫折までいかないのかもしれないですけど、カルチャーショック的なものを受けたという感じですかね?

林:身の程をね、知る。

JYO-RI:振り返ったら学びに繋がってたな、みたいな、ご経験は何かございますか?。

林:そうですね。まあ、学校の面々自体が学びだと。小学校のときはね、自分は、もう学校こなくていいぐらいの感じの扱いだったんですけどね。
でも、中学高校に行ったら、学校に行ったっていくら勉強したって、絶対に追いつかないような人たちがいる。世界が変わっちゃったんですよね。全く異世界に生まれ変わった、みたいな。そういう感覚ですよね。前の世界では最強の勇者だった人が、異世界に転生したら、いきなりもう、村人Aみたいな状態になったわけですよね。

JYO-RI:なるほど。そんなに、そんなに違うんですか。

林:全然違いました。全然普通です、もうその中にいたら。

JYO-RI:筑附に入られるきっかけは何ですか?

林:小学校のときに「林くんはどこの塾に行ってるの?」って聞かれることが多くて。でも実は塾に行っていませんでした。
5年生の秋ぐらいまで行ってなくて。「ええ? 塾ってみんな行ってるの?」みたいな感じで。塾は行かなきゃいけないんだなって、勝手に思って、塾に行ってみました。学校はつまらなかったんだけど、塾には結構張り合える人がいて、あっという間に一番最初のクラスからポンポンって一番上のクラスまでいくことができました。
そこに行くと、ようやくトップの人と、競うことができて、勉強にハマったんですね。いっそう勉強にハマって、初めて張り合いがある人がいて。先生もすごくて、問題も難しいことをやるから、楽しくて。で、ハマりにハマって、楽しいってなって。で、勉強してるうちに、筑波に受かった、みたいな。

JYO-RI:ご自身の地頭の良さのルーツって、見当がつきますか?

林:両親はそもそも大学を出ていません。専門学校や高卒ですね。
なので、そういう意味では、学歴もなけりゃ、たいした稼ぎでもなく。なんでしょうね。でも、父親の方のおじいちゃんは京都で矢を作る職人だったそう。三十三間堂の通し矢の矢を作る職人。人間国宝じゃないけど。
そういう、すごい集中したときに何かをやる素質がどこかに眠ってたのかもしれません。両親は特別ではないですけど、家族のなかで、私だけなんか変な。

JYO-RI:突然変異的な感じだったんですかね。ご両親、驚いていましたか? 普通な感じだったんですか?

林:全然。そうですね。大学に行くっていう選択肢がね、そもそもピンときてないような感じでしたね。親は大学に行ってないし、家はまあまあ貧乏だし。足立区の下町の裕福ではない環境に生まれたんですけど。なんか、何を間違えたか。

JYO-RI:お医者さんになりたい気持ちは、あったんですか?

林:ちょっとありましたけど。身辺の状況的に、まあ無理かなと。

JYO-RI:なるほど。

林:一人暮らしも自分のバイト代でしてましたし、大学は奨学金とバイト代で全部、自分でやったので。

JYO-RI:そうだったんですね。

林:中学卒業した時点から、もうお小遣いなし、みたいな。自分のバイト代で生活する、みたいな。

JYO-RI:いつからバイトされてたんですか?

林:中学の卒業式の次の日ぐらいとか。

JYO-RI:高校のときからやられていたんですね。

林:もう、即ですね。で、ずっとずっとバイトしてました。

JYO-RI:どんなバイトされてたんですか?

林:高校生のときは、近所の小学生の家庭教師とか。お弁当の配達のデリバリーとか。普通のバイトも、ちょっとはしましたけど。家庭教師とか塾の先生が多かったかな。

JYO-RI:大学生は、どんな感じでしたか?

林:大学は、中学のラストぐらいか高校ぐらいから、やっぱり人の役に立つ仕事がいいな、と思い、社会福祉に進みました。
直接的で短絡的なんですけど、人の役に立つ。そっちに進んだんですね。なので大学の勉強はそんなに難しくなかったです。

JYO-RI:はい。

林:社会福祉の学校は、そんなにすごくいい大学に行ったわけじゃなくて。筑波からすると、偏差値的にはぐっと下がるところで特待生になりました。なるべくお金がかからないようにっていうので行ったので。
そこに実は高校の同級生がもう1人いたんですけど、お互い知らずに。気づいたらいて。そこの学校に2人進学しているのに、高校の卒業名簿には その他私立2 って書かれて。

JYO-RI:なるほど。

林:もう多分、歴史としてなかったことにされている。

JYO-RI:はい。

林:名前もアルバムにのっけてもらえない。卒業生の進路として、消された歴史になっていますけど。そんな感じだったので、大学の勉強についていくのは、難しくなかったです。
バイトもたくさんしてたので、しなきゃいけないというかね。なのでもう、分単位ですね。最寄りが千葉駅だったので、大学から駅まで送迎バスみたいなのが出ていて。駅まで歩くと30分くらいかかるような感じだったんだけれども。バイトに間に合わないので、授業が終わる数分前に、大学を出て全力で駅まで走っていました。そういう感じの日々を送っていました。もう毎日、本当に分単位ですね。大変でした。

JYO-RI:大学時代の楽しかった思い出を教えていただけますか?

林:うーん、なんだろう。でも、同級生とご飯を食べに行ったりすることは楽しかったですね。そんなになかったですけど、そういうときは、それはそれでやっぱり楽しかったかな。
忙しすぎたので、普通にご飯食べに、みんなで飲み行く、みたいなことが楽しくはありましたね。

JYO-RI:就活のエピソードはありますか?

林:就活のときは、すごい氷河期だったんですね。50社100社受ける、のが当たり前になってたんですけど。でも福祉系だったんで。社会福祉士を大学卒業のときに、国家試験次第だけれども受かれば取れると。そういう感じだったので、社会福祉方面で最初探してて。病院とかで医療ソーシャルワーカーとかやろうかな、と思っていました。
なんか、病院だとちょっとかっこいいかなと思って。医療ソーシャルワーカーとかやろうかなと思ったんだけれども。やっぱり、お給料が安いんですね。当時はバイトをたくさんやってたので、その半分以下になっちゃうんじゃないか、みたいな状況で。これだとちょっと暮らしていけないぞ、と思い始めました。

民間企業の求人の方が時期が早かったので、ちょっと民間企業受けてみるか、ということで受けてみたんですね。各方面、コンサル方面とかITとか、なんか有名どころ1社2社。いろいろ受けてみたところ、結構受かって。半分ぐらい受かっちゃったりとかして。受かりすぎなんですけど。
会社によっては、選考の途中から別室に呼ばれて、ちょっとこれこれこういう訳で林さん、入れますけど、店舗に配属するのはかたちだけで、すぐに役員のところに行ってほしい、みたいな。そういうのを打診されたりすることもありました。
ええ?逆にこわいな、と思って。スポーツ推薦みたいに怪我しちゃったら、もういらないのか、みたいな。そういうのってハイリスクだなって、その時自分なりに思ったんですね。なので、別ルートをアテンドする会社とか、あとはSPIで点数が満点じゃないけども、出ちゃいけない点数を出すみたいで。同じテスト、直前の会社でやりました? と変に疑われたりする。いや、それ知らんけどと思って。
なんか、変な感じで見られてるなっていう会社は全部やめて。ID、パスワード入れて、結果だけ普通に見る、みたいなO塚商会を選んだんですね。

JYO-RI:へえ。

林:同期300人、みたいな。one of tnemになりたかった。そしてO塚商会のエンジニアになりました。

JYO-RI:なるほど。

林:ITとか、流行ってた2000年ちょっとぐらいだったので。で、大学は福祉だったんだけども、自分で勉強して、情報処理技術者の、今でいうITパスポートぐらいに相当するやつを在学中にとっちゃってたんですね。
ジャパネットたかたの、パソコンの開梱設置、インターネット設定、みたいなバイトを大学時代にやってて。1台やると1万ぐらいもらえるとか、そういうやつだった。朝、午前中はそういうパソコン設定のバイトをして、昼間は大学に行って、そのあと塾とか家庭教師のバイトをやるみたいな。そういう24時間を送っていました。

JYO-RI:なるほど。

林:その流れもあったので、じゃあパソコンの仕事とかやるか、それでO塚商会のエンジニアで就職を決めて。それだったらお金もちょっと稼げるし。福祉よりはいいし、辞めて福祉やることも、できなくはないし。ということで、エンジニアに就職したんですね。

JYO-RI:どんな会社員生活だったなとかってありますか?

林:就職してからはですね。今はもうちょっと、色が薄くなったと思うけれども。就職した当初の2000年ちょっとぐらいは、まだまだハードワーク。今もハードワークではあるんでしょうけど、大変は大変でしたね。
夜中まで働くのも当たり前でしたが、それは幸か不幸か、普通に入社式直前の3月31日の夜中まで、塾で働いてたので、長く働くのは慣れていました。そういう意味では、すぐ辞めちゃう人も多かったと思います。私も3年ぐらい拠点でハードな生活をしているときに、さすがにきついなと思ってやめようと思いました。

JYO-RI:そのあとはどうされたんですか?

林:そのあとは、辞めようと思って、辞めると伝えたら、普通は、はいどうぞ、みたいな感じが多いんですけど、「いや困る」って言われて。
「え?」って。自分はone of tnemになったつもりだったかもしれないけれども、実は会社から見たら、何かマークされたメンバーだったかもしれないです。わからないんですけどね。それで辞められず。「本社に行かないか?」と。これは結局、昔、敬遠したことが結局起こってしまったのかもしれないですけど。

JYO-RI:はい。

林:本社に行きまして。新人の研修とか、そういう業務に就き始めました。10年ぐらい、研修やったり、一応職種はSEのままなんだけど、新しいサービスを作ったりとかマーケみたいな、もうなんでも屋さんみたいな感じですね。便利屋みたいな状態になって。全国出張して、いろんな人の支援をしたりとか。結局、特殊部隊みたいな感じになって、同じような仕事をしてる人はあんまり他にいないような。特殊スナイパーみたいな、なんかそういう。

JYO-RI:one of tnemになりたいつもりだったけど、いつの間にかオンリーワンになってたみたいな感じだったんですね。

林:気づいたら。

JYO-RI:そこからどのように独立されたのですか?

林:そのまま、いろんな全国のお客さんを支援するなかで、仲のいいというかね、そういうお客さんに、身の上話的に「最近社労士取ったんですよ」と話したら、「社労士とったんだったら林さん、うちの労務もみてよ、うちの社労士できるんじゃないの?」みたいな。
「でもそれって会社が社労士法人じゃないから、個人の林と契約することになりますけどいいですか?」っていって。「そうだよそうだよ、そりゃそうでしょ」って言って。先にお客さんができちゃったんで、会社に、すみません、兼業申請しますって、申請しました。引き合いがあって副業が始まったみたいな。

JYO-RI:はあ。

林:珍しいですよね。

JYO-RI:なるほど。できる人にはどんどん仕事が来るみたいな感じなんですね。

林:そうなのかもしれませんね。

JYO-RI:そこからどんどん広がってって、今のように、というか独立された、みたいな感じですか?

林:そうですね。2018年の頭に始めて、例えば、O塚商会の収入が例えば1,000万ぐらいあるとしたら、2018年に、その上にプラス3割、300万ぐらい増えたんですね。副業の初年度としては、まあまあ。

JYO-RI:そうですよね。相当ですよね。

林:ただ、2年目、副業の部分が、300万から1,500万になったんですね。

JYO-RI:え!

林:もう死にますよね、本業で1,000万があるのに、副業が1,500万になったら。まあ本当に危ないんですけれども。本業を追い抜かして。
最終的にはもう、年の後半になってくると、会社に週5日行けなくなってきちゃって。5日を4日に減らしてくれと。3日に減らしてくれと。ずっと正社員の身分ではあったんだけれども、有給使いまくって。しばらくすると有休もなくなって。欠勤控除とかをしながら、4日、3日、2日ぐらいになったのが2019年。

JYO-RI:なるほど。

林:その頃になると、本の執筆依頼とかも来ました。そういう仕事は無限に時間を使うので。もうだめだと。
会社に、「すいませんがもう無理です。辞めます。」と伝えました。辞める直前までは週1、2日は会社に行ってましたけど。
で、辞めたのが2020年。2020年は自分の仕事がさらに3倍ぐらいになって。4~5,000万ぐらい。もう、辞めてよかったですね。辞めるか死ぬかっていう状態ですから。自然とスイッチした感じです。
2019年はちょっと無理したけれども。本業をちゃんと追い抜いてから辞めた方がいいかな、安心して辞めれるかなと思ったので、短期間だけど、無理しましたね。

JYO-RI:今されてる仕事と、O塚商会とかでされてた仕事って、自分的にどっちが好きだった、とかってあるんですかね?

林:今も、当時やってたようなお仕事が継続している部分もあったりして。辞めたけれども、頼っていただける古いお客さんも、たまにいます。実は士業事務所でもありながら、システムを作る仕事とかもちょっとやったりしてたんですね。だから、今も両方やっています。お仕事のかたちを絞ってるわけじゃないので。なんでもやるっていう感じ。

JYO-RI:うん。なるほど。

林:O塚商会で、サービスの企画開発、提案資料作るとか、サービスを生み出すっていうこと自体をいちから自分でやったりしてたので。
そういうときのスキルセットが一通り身についちゃったっていうのは、会社のときの経験が、すごい助かりました。会社としては誤算だったんだろうけども、便利だからいろんなことをやらせすぎた結果、自分のなかに、スキルが、商品企画から一通り身についちゃって。独立できる環境というか材料を与えてしまったんですね。

未来:猫型のロボに、お経は読めないと思いますし。よんでもらおうという人もいないと思うので。

JYO-RI:5年後とか10年後、あるいは死ぬ時を想像して、未来についてどんなイメージをお持ちですか?

林:そうですね。今は、本を書いたりして、デジタル、DXみたいな軸で、士業のDXっていうところは、本当、今のミッションっていう感じでやっていて。東京都の社労士会のデジタルIT化推進特別委員として、全国の社労士会などで講演もしています。
昨日か、一昨日は福島へ行って、その前は京都へ行きました。デジタル化とか、DXとか効率化っていう流れも、この先3年~5年ぐらいは、まだまだトレンドかもしれません。でも、20年ぐらい先の、次の時代まで見据えると、もうそうじゃなくなってくるだろうなと思っています。みんなが嫌になっちゃうか、それが空気のように当たり前になるか、どっちかですけれども。
どっちにしても今のトレンドのような、効率を上げるソリューションで何かやりましょうみたいな、デジタル化! っていうところじゃなくなると思っていて。
そんなときのために、なくならないものは何だろう? といろいろと考えて、去年、僧侶になりました。

JYO-RI:はい。

林:なので今、お坊さんでもあるんですね。

JYO-RI:へえ。それはちょっと。

林:浄土真宗の。京都の東本願寺の僧侶ってことになっています。

JYO-RI:へえ。

林:もともと西洋圏だと、キリスト教のなかに、音楽とか芸術とか文学とか。そういったものが全部あったわけで。
東洋だったら仏教が、本当は根っこにあって。そのなかにいろんなものがあった、っていうのが本来の、昔からのかたちなんですね。それが日本だと、仏教の教育はされない。歴史的な流れで宗教教育しなくなっちゃったんだけれども。全部のハブになってるものがその地域ごとの。西洋だったらキリスト教、東洋だったら仏教、みたいな。本来、勉強がわかれていった流れの根っこにはそれがあるので。
未来のためにそこを学ぼうかなと思って、1年間ぐらい、学校のようなところに週末通って、去年得度して、お坊さんになりました。

JYO-RI:ほう。

林:差別化っていうか、ブランディングの要素でもあるんですけれども。ロボットね、猫型のロボに、お経は読めないと思いますし。読んでもらおうという人もいないと思うので。そういう究極のアナログで代替不可能なものに、デジタルの仕事をしながらも、くさびをちょっと打ち込んで。将来に向けた活動を常に考えています。

JYO-RI:どんなふうに死にたいなとか、ありますか?

林:なんでしょうね。もう忙しすぎて。そこ、考えられないんですけども。
できれば、もういいやって思うときまでは生きていたいですね。今は、やらなきゃいけないことがたくさんあるので、それが終わらないといろんな人に迷惑かけちゃうから。なんかやること、やるべきこと、ミッションが一通り終わったら、もうバシって。もうバンって死にたいですね。

JYO-RI:なるほど。

林:苦しむことなくね。電源、ブレーカー落ちる、みたいな感じで死にたいですけど。迷惑をかけないようにね。いろんな人から期待されていることを一通りやりきって、バチっと死にたいですね。
やることが終わるのかどうかわからないけど。

JYO-RI:もしも、学生時代からかなりバイトとかされたと思うので、お金を気にしなくていい人生だったら、どんなふうな人生だったと思いますか?

林:お金のことを気にしないで良かったら多分、堕落してたでしょうね。

JYO-RI:ああ。

林:良くも悪くもその、お金がそんなにないっていう環境の制約があったから勉強したし、環境の制約がなかったらきっと、勉強しなかったと思います。そうなると自分の強みもきっと見つからなかっただろうし。全然、よくない。逆によくない結果になっていたような気がします。
恵まれていたかって恵まれていないかってふたつで言っちゃえば、恵まれていない環境ですけれども。そのおかげで、逆によかったのかなと。見つかったという気はしますけどね。

JYO-RI:one of themになりたいみたいな根源って、どういうところなんですかね。

林:小学校のときとかもね、そうですけど。目立つのっていい面、悪い面、常にあって。
やっぱり、妬まれるじゃないですけど、そういうところも常にあるわけですよね。それを小学校のとき、いじめられるわけではないけれども、ほら、と指さされるみたいなところがあったので。できればあんまり目立ちたくないな、と思っていました。
目立つようにいろんな仕事していながらいうのも何ですが、目立つことの大変さを身をもって感じています。Amazonのレビューとか、いろいろと書かれたりするわけです。目立つことは、リターンも大きいけれどもリスクもあるので。そこで就職するときは疲れちゃって、隠れたいなと思ったんでしょうね。隠れたんだけれども、結果、隠れられていなかった。

JYO-RI:なるほど。

林:最近はもう、個人というかね、会社でもあるけれども、そういうなかでは、目立った方がいいと割り切ってやってます。仕事としてそれをやっているだけで、目立ちたがりでしょうがないっていうわけではないです。

JYO-RI:何か最後に言い残したことありますか?

林:そうですね。大丈夫だと思います。昔の話も含めて、最近喋ってないような話もたくさんできたので、ここまでの話で、いろいろな人たちに喜んでいただけるような話ができたと思います。

JYO-RI:わかりました。ありがとうございます。

あとがき

林さんインタビューさせていただきありがとうございました!現在のご活躍につながる過去のことをお聞きすることができて、とても楽しかったです!
もちろん「The 超人」である事実は変わりないですが、その根幹を作るマインドセットは経験に裏打ちされた確固たるものでした。今、大変だったり、苦労していたりする学生にぜひ読んでほしいですね。
さてさて「可愛い子には旅をさせよ」、「若いうちの苦労は買ってでもしておけ」そんな諺ありますよね。どちらも人生の成功やら幸せやらを掴む重要な教訓です。ただどちらも結局、"運命"みたいなところがあって、親ガチャ子ガチャ、そういう次元だと思います。今、何を嘆いても始まらないですが、他人に嫉妬したり、羨ましがったりする前に、「ああ、あの人も見えないところで苦労してるんだろうな〜」そんなふうに捉えて平和に生きる人が増えるといいなと、いつも考えてます。ま、そんな聖人君主で、毎日居なくていいんですけど、たまにそんな自分も偉いと皆さん褒めてくださいね。ではでは。

【インタビュー・編集・あとがき:JYO-RI】

【文字起こし:あおい】

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