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メンタルが安定してお金があったらその人生つまんないなって言うと思う人

むかしむかし、ある村に、揺波(ゆらなみ)という若者が住んでいました。揺波には不思議な考えがありました。「安定した心と豊かな財布だけでは、人生はつまらないものになる」と。
村人たちは揺波のことを不思議がりました。
「安定していて、お金があれば、それが一番幸せなのでは?」
しかし揺波は、微笑んで答えました。
「心が揺れるからこそ、深い感情が生まれる。
お金に困るからこそ、工夫が生まれる。
不安定だからこそ、人は強くなれる」
ある日、揺波は裕福な旅人と出会いました。
旅人は言いました。「私には何不自由ない暮らしがある。でも、どこか物足りない」
揺波は答えました。
「それは、あなたの人生に波がないからかもしれません。
波があるから、船は進むのです。
風があるから、凧は舞い上がるのです。
雨があるから、花は育つのです」
後に揺波はこう語りました。
「心が揺れることを恐れず、困難と向き合うこと。それが人生を豊かにする味付けなのかもしれません」
そして「波立つ海にこそ、真珠は育つ」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年1月30日11時46分に書く無名人インタビュー1001回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは ろく さんです!

年齢:20代後半
性別:不詳
職業:無職



現在:自由なのが嬉しい。

qbc:
今、何をしている人でしょうか?

ろく:
何をしている...難しいですね。大抵、そこで仕事を答えるのが、よくあると思うんですけど、私は今無職なので、そういう意味では何もしてない人ってことになってしまうかもしれないですね。

qbc:
その間に何かをされてますか。

ろく:
結構しています。家の近く、近くにでかい図書館があるんですけど、そこの図書館に行って、本を読んだり勉強したりしてるのと。あとは、音楽仲間と音楽してます。

qbc:
今のシチュエーションっていうのはいつから始まったりする?

ろく:
今と全く同じ感じになってたのは、今年に入ってからなんですけど、無職になったのは、去年の7月ですね

qbc:
無職になってから何かしていましたか。

ろく:
7月以降は、正直あんまり覚えてなくて、自分の記憶としては、何してたっけっていう感じなんですよね。予定というか、一応住んでいる自治体の若者センターみたいなところがあって、そこに通ってはいるんですけど、それ以外本当に何やってたか覚えてないですね。

qbc:
住居と食事っていうんすかね。そのあたりは、ケアできてたんですか。

ろく:
その辺りは、病気で退職しちゃったので、傷病手当をもらって、生活してます。それで一応、成り立たせてはいるんですけど、首都圏に住んでるってのもあってカツカツですね。

qbc:
在職はしてるということ?

ろく:
在職はしてないです。もう籍もないです。

qbc:
7月に退職?

ろく:
はい、退職して、そこからずっと無職です。

qbc:
その間ってどうやって生活してたんすか。

ろく:
その間ってのは、7月からですか?働けなくなった状態から1年半は申請を毎月すれば、傷病手当ってのがもらえるんです。休職期間中はもらえるんですけど、復職したらもらえなくなるみたいな。退職しちゃったらまたもらえる、みたいな。

qbc:
退職しても、もらえるんですね。なるほどわかりました。

ろく:
病気が原因で仕事ができなくなって退職した場合は、失業手当がもらえないかわりに傷病手当をもらえます。毎月申請をすればなんですが。
qbc:
なるほどね。

ろく:
失業給付は就活をしていることが前提みたいになってくるので、それができないから(傷病手当を)受け取るっていう感じです。

qbc:
そうですね、直近の気持ち、今どんな気持ちで日々過ごしていますか。

ろく:
難しいですね。働いてたときよりかは全然楽ですね。将来のこととか、これからどうやって生きていくんだとか考えたら、それはそれは不安なことはたくさんあるんですけど。でもなんというか、これまでの人生で起こったいろんなことを考えて、初めて今自由だなって思いました。

qbc:
自由の味はどうですか。

ろく:
自由な味はどうですか。難しいですね。なんか、難しいですね。すごい難しい質問ですね。自由な味はどうですか。

qbc:
素直に、今の感情はどうなんですか。

ろく:
味で言うとちょっと苦いお茶ですかね。ちょっと苦いお茶...あのセンブリ茶とかそういうのではなくて。

qbc:
その心は?

ろく:
そうですね。のどごしが、舌で味合う味はいいんですけど、のどごしが苦いって感じのイメージで。

qbc:
うん。

ろく:
表面上はすごく自由というか、なんでしょうね。今日私は何をしてもいいわけですよね、
会社に行かなくてもいいし、自分が好きなところに行って好きな時間を過ごしていいって意味ではすごくいいんですけど。

ただお金の面は普通にカツカツだし、これからのことを考えると、まだ全然生きていくだけの目処が立っていなくて、気持ちだけは重くなる、みたいな。そんな感じですね。

qbc:
割合、ポジティブとネガティブの割合はどのぐらいですか。

ろく:
それでいうとポジティブ7割、ネガティブ3割ぐらいだと思います。

qbc:
ポジティブ部分について話してもらっていいですか。

ろく:
やっぱりさっきもちょっと言ったんですけど、今日何やってもいいっていうのはすごく嬉しいです。それが私はとってもありがたくて、もとから時間を守るのが苦手な人間というわけではないんですけど、大学入って半年後ぐらいに鬱になっちゃって。当時は診断とかはもらってないんですけど、あれはもう明確に鬱状態だったと思います。

そのときから時間を守るっていうのが極端に苦手になっちゃった。何かそういう決まった時間に来てくださいねって言われるのはいいんですけど、そのためにどう時間を潰さないといけないかっていうのを必死に考えるようになっちゃったんですよ。

だから、例えば仕事だったら9時までに出勤してくださいって言われたら、9時までどう時間を使おうか。をすごく考えるようになっちゃって、それがめちゃくちゃしんどくて、自分の中で。

今までは普通に9時に間に合うように起きて、とかできたのに、睡眠のリズムも安定しないし体調も悪いしってなったら、時間通りにそれをするっていうことすら難しくなってきて。働くことそれ自体が全部しんどいんですよね。その状態で本当は働いちゃいけないんですけど、ちょっと働かざるを得なくて無理して働いたら、案の定崩れたっていう感じで。

そういう経緯を経てると、本当に今日何もやっていいよ、法に触れなければ。
みたいな、それぐらい自由なのが本当にありがたい。ですし、私はそうしてできた時間をそれなりに有意義に使ってる気がするので、そこがすごく嬉しいですね、嬉しい。自由なのが嬉しい。

qbc:
直前は、学生だったんですかね。

ろく:
いや、会社員やってました。

qbc:
会社員の前は?

ろく:
1年フリーターやってて、その前が大学ですね。

qbc:
フリーターから正社員に?

ろく:
そうです。

qbc:
が、大学卒業から何年?ちょっと恥ずかしいでしょ。

ろく:
22卒なので、4年目ですね。今年で大学を卒業して3年経ったという感じだと思います。

qbc:
勉強とか、図書館ではどんな本を読んでるんですか。

ろく:
主に音楽と情報と言語の三つなんですけど、これは、私がすごく大事だと思っている三つのトピックです。大事、というか生活に密接に関わってくる、というか。

qbc:
情報ってコンピュータのことですよね。

ろく:
コンピュータだけじゃなくて、その...社会情報って言ったりするんですけど、機械工学じゃない情報のことも合わせて調べて、勉強してます。

qbc:
社会情報ってどんな感じ?

ろく:
言語化された情報、文字化された情報っていったら大体、あってると思います。文字情報であったりだとか、文字情報だけじゃないんですけど、生活していく上で、人が必要とする情報もそうだし、あとこうやって話す情報とかもそうですよね。手話などもそうです。
それだけじゃないんですけど、何らかのメッセージが付与されたって言えばいいんですかね。何らかのメッセージが付与された情報。

qbc:
それ一般的に言うと情報工学とかじゃなくて?

ろく:
情報工学的な文脈でいえば、情報という概念、英語だとinformationを提唱したのがたしかクロードシャノンっていう人なんですけど。

その人がその情報っていうのを、あまりにも科学的な側面で、情報通信技術的な側面で押しすぎたがために、文字や音声、その他のメディアなどによって得られる情報のほうはどうやって定義するねん、みたいな感じで、混乱が起きたらしくって。
その流れで機械的な情報学と社会的な情報学を架橋する、といいますか、橋渡し的な学問が出来たんですが、それを基礎情報学っていうらしいです。西垣通さんという方が提唱した、はず。

qbc:
へえ。なるほど。工学の情報じゃなかったですか。

ろく:
ある意味工学っちゃ工学ですが、よく想像されるものとは違うと思います。前の会社がIT系で、一応エンジニアをしていたので、コンピュータの方もちょっとは知ってはいるんですけど、情報全般について、もう少しちゃんと勉強したいなって。

qbc:
言語の方はどんな感じで?

ろく:
言語の方は、一言でいうなら、外国語としての日本語、ですね。
私は一応、国籍も両親もその3代前とかも全員日本人なんですけど。
自分のことを日本人だと認められるようになったのがだいぶ最近なんです。
日本語が嫌いというわけではなくて、むしろすごく好き、、ではあるんですけど、なんていうんでしょうね、ちょっと複雑な感情を持っています。それは、関西弁が母語というのも理由としてあると思います。標準語としての日本語は母国語であって母語ではない。ちょっと異質な存在です。
その異質さとどう向き合うか、を考えるために本を読んだりしています。
一応韓国語も数年前から勉強しているのですが、韓国語の方が場合によっては日本語よりもジェンダーギャップが少なくて楽だな〜と思ったりします。

あとは歌を作っているときに日本語の扱いに困ることが多いので、そのやりにくさをどう解消するか、とか...

どの問いも、本に答えそのものは載ってないです。けど、それでもよくて、考えるための材料をひたすら集めているという感じですね。

qbc:
情報の方は何で勉強し始めたんですか。

ろく:
情報は元々、、私は聴覚過敏っていうのがあって、大きい音や高周波数の音が苦手なんです。そのことについて、なんでそうなんだろう。って思ったことを皮切りに、音情報を人間がどう受け取るかみたいな話から興味を持ったのがそもそもの始まりなんですけど。

そこから、自分が退職したときに、こんなに情報化社会って言われてるのに、自分に必要な支援の制度が見つからないみたいなと感じたり、情報はあるけどノイズが多すぎて見つけられないと感じたりして。

そのあたりの、情報の整備がされてないから見つけられないということに相当の課題感を感じました。あと認知特性っていうのがあって、体とか心の状態によって、情報の認知に特性が出たりするそうです。たとえばうつっぽくなってるときに文字ばっかりの資料が読めないとか、何かそういうことがあったときに、それって情報の配置とか社会全体にどのように情報を置くかで解決できるんじゃないの?って思ったことがあって。

そこから深堀りしながら、去年は社会情報学とか音響の本をわからないなりに読んでました。最近は、それを政策課題として扱っていくにはどうすれば?という問いが生まれたので、政策系の本を読むことが多いですね。

qbc:
そんな抽象的に物事を捉えるために、いつ頃からなんですか。

ろく:
難しいですね。どれぐらいでしょうね。そのレベルの抽象的なものは、多分大学入ってからですね。

qbc:
音楽は、何を聞いてるんですか。

ろく:
音楽は何でも聞きますよ。何でも。割と最近は本当に何でもきいています。
クラシックも聞くし、ロックも、最近のJ-POPも聞くし、K-POPも聞くし、あとヒップホップも好きだし、ファンク好きだし、ブルースも好きだし、ジャズも好きだしみたいな。
あんまりジャンルで括ってこだわることはないです、わりと何でも好きですね。
ただ、音響状態によって聞く/聞けないが生まれたりしますが。

qbc:
ご自身でやられてるのは、どんなジャンル?

ろく:
今言ったのは、一通りやってはいます。

qbc:
自分でも?

ろく:
はい。ジャズとかちょっと難しいですけど。

qbc:
今どんな感じで音楽活動されてますか。

ろく:
音楽活動っていうほどのものではないですけど、さっき話した若者センターで出会った音楽好きの人たちと一緒にセッションしたりとか。あとは...最近、25歳になったんですけど、なんかそれを機会にこれまで作ってきた音楽を世に出してみるかあ、と思い立って、作曲とかもしてます。18ぐらいから作曲をするようになったんですけど、そのときに編曲ができなくて放置していた曲を作り直して再録音して、みたいな。

それを出すか〜って思って世に出したり、YouTubeに上げてみたり。そんなことはしてますね。だから、作るのもするし、演奏もやるしっていう感じです。

qbc:
音楽はいつから?

ろく:
音楽を習いはじめたのは、小学校の低学年の頃なんですけど、保育園とかの時点でお遊戯会でもピアニカとかハンドベルとかやってましたし、当時は珍しいですけど、リトミックっていうのもやってたんですよ。私が保育園の頃だから2005年とかなんですけど。
それを通じてクラシック、、作曲家でいうとブルグミュラーとかを聞いていたと思います。
もちろん、その曲がブルグミューという人の曲だ、なんてこと当時は全く知りませんでしたが。

こうやって思い返すと、結構、もうちっちゃいときからずっと音楽に触れてはいたんだと思います。答えになっているかわかんないですけど。

qbc:
ほかに、言い漏らしている趣味とかありませんか。

ろく:
割とその音楽と言語だと思います。絵を描くのも好きですけど、趣味っていうほど頻繁には描かない。

qbc:
文章を書きますか?

ろく:
文章もそんな書かないですね。

qbc:
性格について、人から何か言われたりしますか。

ろく:
落ち着いてるとは言われます。歳のわりに落ち着いてるねって言われるんですけど。私の性格はその真逆です。

qbc:
へえ。

ろく:
全然落ち着いてないし、感情の起伏もめちゃくちゃ激しいし、なんか冷静な人と思われるんですけど。私をよく知る人からは全然冷静じゃないよねっていうツッコミが入ります。おっしゃる通りですって感じで、もう私はぐうの音も出ないんですけど。

qbc:
なんでそのギャップが生まれるのでしょうか。

ろく:
私自身が感情の起伏が激しい自分が嫌いだからでしょうね。だから、そういう人であると思われたくないし、そう振る舞いたくないから、真逆を演じてる...というわけでもないんですけど、演技しようと思ってるわけではないですけど、振舞っちゃってるんですよね。なんか知らないうちに。

qbc:
自分を落ち着いてるように見せないモードのときってありますか?

ろく:
ありますよ、普通に。1人でいるときとかは。

qbc:
そのときどんな感じになるんですか。

ろく:
ずっと憂鬱ですね。何か、重い岩が頭の3/4くらいを占拠してます。
自分が当事者であるといういくつかの社会問題があるんですけど、その属性である自分を意識しすぎて、一時的に感情がガーンとすごく落ちたりとか。あるいはそれに対する怒りとかで手がつけられなくなって、家中のものを蹴ったりとか、叫んだりとか。
恐ろしい、今しゃべってて自分でも怖いなって思いました。

qbc:
なるほど。

ろく:
1人になった瞬間、貧乏ゆすり止まらないし。

qbc:
自分自身では自分の性格はどんな性格だと?

ろく:
激ヤバ君だと思ってます。

qbc:
どういう方面で?

ろく:
感情の起伏が激しいところもそうだし、感情の起伏が激しいだけならいいんですけど、感情爆発したときの表現の方法が、どちらかというと手が出たりとか、足が出たりするので。
物理的に人を殴ると犯罪になってしまうので、物に当たるんですね。
人を殴っちゃいけないから、ではなく犯罪になるから殴らない、と考えている時点で、なんか激ヤバくんだなと思います。

qbc:
距離の近い人家族、パートナー、親友、その距離の近い人から言われる一面ってありますか。

ろく:
家族、パートナー、親友どれもいないんですが、でも仲良くしてる友達からは全然真面目じゃないよね〜、とは言われますね。第一印象は真面目だと思ったけどそうじゃないんだねとか。論理的な冷たい人なのかと思ったら全然そうじゃないよねっていうのはわりと頻繁に言われます。

qbc:
自分ではそれに対してどう思うんですか。

ろく:
もう、おっしゃる通りで、否定なんて一切しないし、よくわかってるな私のことを、って思います。

qbc:
好きな食べ物について教えてください。

ろく:
好きな食べ物、そうですね、麺類が好きなんですよね。パスタとかラーメンとか。うどん、そば。好きですね。あとはアボカドが好きです。最近高くてなかなか買えませんが。


過去:私自身のしんどさを社会問題に結びつけないでくれ、みたいな

qbc:
子供の頃はどんな子供でしたか。

ろく:
なんか難しいですね、落ち着きがない子供だった。あと、1人で何でもやろうとする子供でしたね。というのはあります。

qbc:
好きな遊びとかありましたか。

ろく:
保育園とかでボールのドリブル、まりつきっていうんですかね、ちょっと違うと思うんですけどとかをよくやってました。あんたがたどこさ、みたいな。あと恐竜ごっことか。

qbc:
どんな遊び?

ろく:
恐竜になりきって、遊ぶんですよ。恐竜がすごく好きな子供だったんですけど、男の子に混じってやってました。

例えば、「俺、スピノサウルスやる」とかって言うから、「じゃあ私、ディノニクスやる」とかって言って、その恐竜の歩き方とかをマネしながら振る舞うんですよ。

でも、どちらかが肉食でどちらかが草食だったらやられるので。大体どちらかがどちらも肉食になるかどちらも草食になるっていう力関係が生まれないシステム。

qbc:
幼稚園ぐらい頃?

ろく:
保育園時代です。

qbc:
小学校時代は?

ろく:
小学校時代は、落ち着きのない子供のままでしたね。

qbc:
落ち着きがないと、どんな感じ?

ろく:
めっちゃ独り言を言う子供だったらしくて、今でもそうなんですけど。宿題しながら1人でずっと喋ってる子供だったんです。だいぶ気持ち悪いなと思いますけど。

qbc:
どんなこと喋った?

ろく:
なんか覚えてるのは、漢字学習帳みたいなのがあるんですけど、それを綺麗になぞれないからってめっちゃ怒ってたってことです。怒ってた。なんでできへんの!みたいな感じで。また間違えたとか、またずれたとかずっと言ってた。そんな子供だったみたいですね。

qbc:
中学の時はどうでしたか。

ろく:
どんな…。いわゆる優等生キャラでした。キャラを作ってたわけじゃなくて、実際に成績も悪くはなかった、かといってよくもなかったんですけど。勉強がすごい好きだったので、それがやっぱりその思春期の子たちと合わなかったっぽくて。いじめとまではいかないんですけど。集団で無視とかは全然ありましたね。

それがあって、ちょっとひねくれちゃった時期だったと思います。自分の、演じるみたいなのが始まった頃ですね。

qbc:
なるほどね。中学時代で落ち着きを、装うようになったと。

ろく:
そうですね。

qbc:
それはいつごろ?

ろく:
中1の終わりからその気があって、中学2年で本格化したって感じです。

qbc:
なるほど。自分の中でそう決意した瞬間みたいのあるんすか。

ろく:
ないですね。なんか、ある日突然ってわけでもなくて、徐々にそれを強くしていったんだと思います。

そこでようやく集団の中で振る舞う集団の中で自分は浮きやすい人なんだ、本来は、みたいなところであったりだとか、割とその、個を削る教育をしてくるじゃないですか。今はどうかわかんないけど。集団でどういうふうに個を消すか、みたいなところを中学校でどんどん体得していったんだと思います。じゃないと生きていけないなって思ったからかもしれないですけど。

qbc:
高校は?

ろく:
ちょっと、それからは自由になりました。中学校の頃からは。そこまで個を消さなくても生きていける環境だったんですよ。

なので、そうですね、ちょっと本来の自分が出始めた時期って感じですね。落ち着きがない状態の自分と落ち着きがあるように振る舞える自分の両方をようやくそこで獲得したんだと思います。できるようになった。スキル的なものとして、そこの行き来がうまくできるようになったと思います。

qbc:
その後は?

ろく:
大学ってことですよね。大学、そうですね。外で振る舞う自分とかよりも、何かもっと別の次元で冷静に考えることを覚えたんです。大学で。なんかそこがすごく自分のメンタルの安定に繋がったぽくて。

割と、それが小学校以来訪れた自由な場所でした。自由な空間だったので、大学が。
本来の自分でいられた場所だったのかと思います。

qbc:
本来の自分っていうのは?

なんていうんでしょう。大学って基本的には自分の好きなものを好きと言っても否定されない環境なんですよね私は本当はすごく、自分は今こんなものに興味があってこんなものが好きでって言いたい人なんですけど、なんかそれを言うと、否定じゃないけど、「なんでそんなのが好きなの?(否定)」みたいな。そういうことを言われることが多かったので、これまで周りから。

だから、そこを言われずにこれが好きだったら「そうなんだ、なんで好きなの?」って興味をもって聞いてくれる人がいたりとか。特に勉強だと、こういう分野に興味があってって言ったら教授が1時間ぐらいずっと話に付き合ってくれたりとか。

自分っていう存在を尊重してもらえたっていうのが、結構強いのかも。何か聞かれたことと全然違うことを話してる気がするんですが。

qbc:
勉強自体は何してたっけ?

ろく:
勉強自体は政策科学っていうのをやってました。作る方の制作じゃなくて、ポリシーの方。

qbc:
なんで政策科学を選んだ?

ろく:
そうですね。元々社会と理科と英語が大好きだったんですよ。中学時代か、中学時代に社会と理科と英語が大好きな子供で、それが高校になって、プラスで数学が好きな子供というか学生になったんですよ。

qbc:
うん。

ろく:
数学も好きで理科も好きで社会も好き英語も好きって言ったら。結構既に、学際的な性格があるじゃないですか。
だから、特定のこの分野!ってよりもいろんなことを広く学べる分野がいいなと思って。

そういう大学、学部を探したんですよね。当時は関西の兵庫に住んでたんですけど、そもそも兵庫近辺にはめちゃくちゃ大学が多いんです。家の近くに国公立が三つと私学が四つぐらい候補があったんですよ。もっとありました。5校ぐらいあったんですよ。

その中で自分のいろんな条件とか交通のこととか、あとキャンパスの雰囲気とか、勉強できる科目とか、いろいろ踏まえた上で、残ったのがその大学のその学部だったっていう感じです。

qbc:
なるほど。

ろく:
私学だったんですけど、初めは国公立を目指してました。家の事情で、お金の工面が結構むずかしかったから。当時は、今よりもさらに奨学金についての情報が見えにくかって。でも色々あって、民間財団の奨学生になって、学費も生活費も全額支給してもらえることになったので、それなら私学に行こうってなって。私学の方がキャンパスが綺麗だし、学校にお金があるし、絶対いいやんって。そう思って私学に最終的に行ったって感じ。国公立に落ちたってのもあるんですけど。

なんか、オープンキャンパスに行った時点で、「何かこの大学で勉強してそうな気がする」と直感で思って、実際その大学に行ったっていう感じですね。

qbc:
ご両親からどのように育てられましたか。

ろく:
私、両親が2組いるというか、その...里親家庭で育ったんですよ、物心ついたくらいから。それが小一の時なんですけど。それまでが実の親と暮らしてて。実母とメインで暮らしてたんですけど、どっちのことを話せばいいですか。

qbc:
それぞれ。

ろく:
実の親に関しては、どう育てられたかみたいなのを考える以前に、普通に育児放棄だったので。

とはいっても家はゴミ屋敷とかではなくて、普通に綺麗だし、基本清潔なんです。でも夜に親が家にいない。いたと思ったら今でいう教育虐待みたいなことをされる。
そんな感じなので、どう育てられたかみたいなことは語れないと思います。そもそも育てるという親の責任を果たしていなかったので。
ということで里親さんのことを話すんですが、そうですね、どう育てられたか。基本的にはいい意味で放任主義でしたね。

その代わり、自分の人生に責任を持つことについては、割とちゃんと教えられた気がします。私達はあなたの産みの親じゃないし、法的にも親じゃないから何かあっても助けられない、だから、自分の力で、何だろう、自立しろとは言われなかったんですけど何て言うんでしょう。何かその、適切に頼ることを覚えなさい、っていうことを直接的に言われてないけど、間接的に言われて育った気がしますね。割と自由でした。

qbc:
間接的にっていうのは?

ろく:
なんていうんでしょう。言葉じゃないけど、言葉ではないんですけど、なんだろう。それを明確にそのことを言われたわけじゃないんですけど、何かメッセージとして受け取ってたっていう感じって言えばいいんですかね。そんな雰囲気を私が感じていたみたいな。

qbc:
なるほどね。生まれ育った場所の風景ってどんな感じなんですか。

ろく:
生まれ育った場所は、山と海と川です。山と海と川。里親さんの家はその隣の市で、また山と海と川です。

風景っていうかもうそれしか私は印象がないです。笑

qbc:
うん。

ろく:
山と海と川のベッドタウンみたいな。なので、田舎ではないし、都市みたいな「作られた自然」ではなく、ナチュラルに自然がいっぱい。都市部にしては自然が結構多いですね。郊外っていうのかな。

qbc:
その場所を離れたのはどのタイミングだったんですか。

ろく:
一人暮らしをはじめたのは20歳のときで、学生のときでしたね。本当はその里親家庭で育って、22歳までいる予定でした。現役で進学した場合って、措置延長制度っていうのがあって、22まで里親さんのところで生活できる、みたいな。施設も、たしかそうなんですよ。18歳になっても、進学するかあるいは就職する場合だったかな、ちょっと細かいこと忘れましたけど、もう22歳までは家、じゃないや、その育った場所にいていいよっていうのが一応決まりとしてはあって、うん。

私もその予定だったんですが、鬱をこじらせたことで里親さんとの仲がだいぶ悪くなっちゃって、一時的に。それで20歳のときに、もうちょっと私この家に住んでたら里親さんにそれこそ暴力ふるいかねないんで出ますといって、一人暮らしを始めました。

qbc:
鬱っていう話もありましたが、一人暮らしはどうでしたか?

ろく:
一人暮らしが、これがですね、そもそも鬱が結構ひどかったし、私の場合はたぶん躁状態も併発していたので。心の状態は鬱になったり躁になったりと忙しかったんですけど。
ただ、一人暮らしをはじめたその数か月後にコロナ禍が始まって。大学に行かなくてよくなったんですよ。

ろく:
勉強しないといけないけど、家で授業を受けてください、みたいな。オンデマンドになって。

そこでだいぶ楽になったんですよね。そこから多分寛解...じゃないや、治り始めた、というか。ひどい鬱状態から徐々に徐々に本当に少しずつだけど抜けていったんですよ。

鬱のときに絶対にやっちゃいけないのが、無理して働くとか無理して学校に行くことだと思うんですけど。私の場合は、学費も生活費もすべて奨学金でまかなって学校に行ってたので、休学したら奨学金が止まってしまうんですよね。生活の危機が訪れるので、ちょっとこれは休学できない...となりまして、学校に通い続けました。

もしかしたら休学しても何とかなったのかもしれないけど、当時の自分にはそこから生活を成り立たせる方法が見つけられなくて。それで気合いで行き続けてたんですけど、本当にコロナ時代だったから卒業できたなって今は思います、正直。

コロナとかで亡くなった人もたくさんいるから、あんまり全部を前向きに語るのはちょっとよくないと思うんですけど、でもコロナですべてがリモートに切り替わったことで、ようやくある程度ちゃんと休める環境が整ったんです。

授業のときだけ起きればいいしっていう感じで、うつがひどくて寝たいときは寝られるし、元気なときは普通に起きたらいいし、みたいな感じでしたね。

qbc:
大学卒業後はどんな感じ?

ろく:
卒業後は1年フリーターってさっき言ったと思うんですけど、この理由は、就活をしなかったからで。鬱がすごくひどかったっていうのもあるんですが、

そもそも「働くことのイメージもつかめないまま、何を就活してるの?」と思ってしまったんです。私はちょっとひねくれた人だったので、みんなが同じリクルートスーツを着て、その就活をするっていう日本の慣習がどうにもわからなくて。わからないから受け入れることもできなくて、結局、就活しないまま...あ、いや一応したんですけど、本当に心身の調子が悪くなっちゃって、これはやらない方がいいなと思ってやめたんです。でも、就活やらない代わりに、知人のつてでIT系のバイトを始めて、それを、フリーター時代ずっとやってたって感じですね。

そのバイトもリモートだったから、なんとかできたんですけど。

qbc:
このタイミングで1回目のインタビューだったっけ?

ろく:
そうですねその時期だったと思います。

qbc:
2年前?

ろく:
2年前ですね。

qbc:
そのフリーターからどうなったんですか。

ろく:
仕事先の経営方針みたいなのが、仕事をしていくうちに自分と合わないなってことに気づいて。これは転職したいな、そろそろと思って、転職活動して。

ご縁があったので、内定をもらいまして、そのタイミングで上京したんですよ、東京の会社だったので。

qbc:
違う会社に?

ろく:
違う会社です。

qbc:
どうやって入ったんですか。

ろく:
エンジニアとかWeb業界でよく使ってるSNSがあるんですけど。そこで声をかけてもらったんですね。自分のページを雑に作ったら、会社から声をかけてもらって、うん、割とトントン拍子って感じで面接が進んで。一応、元からその、関西を出て東京で働いてみたいなっていう気持ちはあったので。それで、東京に来ました。

qbc:
職種は?

ろく:
一応、エンジニアですね。コードとか全然書かないエンジニアなんですけど。

qbc:
なるほど。それで、東京で働き始めて?

ろく:
そうですね。

qbc:
どんな時間を過ごしていたのでしょうか。

ろく:
どんな時間を過ごしてたんでしょうね。働いたときのことをあんまり覚えてなくて。

でも、その就職はしたけど、本当に無理をしたんですよ、当時。言ったら鬱だから働いちゃいけないわけじゃないですか、本当は。しかも躁も併発するような状態で働いたからもう大変でしたね。朝起きられないときは本当にきつくて、気合いで体を起こして会社行って。躁のときはなんかちょっとテンション上がって変なことをしちゃうし、仕事の出来も悪くなるし、みたいな感じで。

qbc:
それは期間的にはどれぐらいだった?

ろく:
期間的には7ヶ月。

qbc:
ちょうど1年前ぐらいに休職に入った感じ?

ろく:
そうですね。11ヶ月前ですかね。

qbc:
何が一番のストレスでしたか?

ろく:
自分の中では、多分働く時間が多すぎたことですね。といっても全然普通の週40時間労働で、完全週休二日制の、いってみればホワイト企業なんですけどね。でも、週40時間働くことに全てを持っていかれると、それこそ知りたい欲を刺激されたり、とか業務でちょっと引っかかって深掘りしたいなって思っても、それを深掘りする時間がなくなっちゃうんです。それが一番ストレスだったと思います。
自由がないですよね。資本主義に負けている感覚。

しかも、私の場合は、大学の勉強が楽しかったから、その勢いで院への進学も一瞬考えてたんですよ。
でもそれは同時に、どっからお金持ってくるんや?みたいな話でもあったし、社会人経験もないまま院に行ったときに、食いっぱぐれたら終わりじゃない?ということを考えて1回就職したというのもあります。そういう経緯もあって、とにかく勉強したい、知りたい欲がすごく強くて。でもそれを満たせないことにストレスを溜めてましたね。

だから、これは前職の会社の名誉のためにも言っておきたいんですが、私が働くことによるストレスを感じていた部分は職場の人間関係とかそういうことじゃなくて、、「働くことで知的好奇心を刺激されてもそれを満たせない状況になってしまったこと」というきわめて個人的なことなんです。
最終的には、ちょっとばかしハードじゃない?みたいな案件を担当していたのもあって、それが多分決定打となって崩れたんでしょうけど。
qbc:
自分の人生の中で一番大切なポイントって何だと思いますか。

ろく:
一番大切なポイント。転換点だといくつか、「一番」って言われているのにいくつかっておかしいですけど、里親家庭で暮らすようになったこと。あとは大学進学ですね。

qbc:
大学1年生はどんな転換点?

ろく:
大学という環境に身を置いたっていうこと自体です。

qbc:
一人暮らしはそんな大きい転換点じゃないんだ。

ろく:
そうですね。大きな転換点ではあったんですけど。なんていうんでしょう。人生全体で考えたときはそこまで大きくない、というか。
ただ、そのときはすごくしんどかったっていう記憶があります。

今みたいに里親家庭とか児童養護施設で暮らした子どもたちが退所後困ってるっていうこともあまり世に知られてなかったし。今でこそ、その現状がちょっとずつ知られるようになって、支援制度が充実してきたみたいですが。

私が一人暮らしをして最初の数年はちょうど制度の制度のはざまみたいな感じで。支援機関はあるけど、「信頼できんの?ここ」みたいな、そういうのばっかりだったんですよ。
今もそうかもしれないですが。
しかも、ちょうど住んでいたエリアがどの支援機関からも微妙に遠くて。
それで行けなかったりだとか。

それに、私の場合は、自分がしんどいと思ってたこと、感じていることが、出自に関係するものとは思ってなかったので。
でもそこにラベルを付けられて、あなたは里親家庭とか児童養護施設って社会的養護出身だよねってラベルを付けられて支援されるのがすごく嫌で、それがしんどかったかもしれないですね。私自身のしんどさを社会問題に結びつけないでくれ、みたいな。そういう気持ちが結構あった気がします。

あとこれはちょっと話が脱線するんですが。最近は、「親がいても親に頼れない」状況の若者もたくさんいますよね。比較するわけではないですが、そっちの方がよっぽど制度的な制約が大きくて大変そうだなと感じます。私は「頼れる親がいないです。助けてください」と言えるけど、彼らはそうじゃない。児童養護施設や里親家庭出身の人たちの声が大きすぎて、そういう人たちのしんどさはまだまだ可視化されていないなと感じることが多いですね。そもそもなんで成人してもなお親に助けてもらうことを前提とした社会なんだ、という根本的な疑問もありますが。


未来:すごく前を向いてるっていうか、割と明るい未来を望んでるし、そこに行きたいのに、現実的な側面で考えるとそれが難しいかなっていう感じ

qbc:
5年10年30年40年、50年と、最後に自分が死んでしまうっていうところまでイメージしてどんな未来を今イメージされてますか。

ろく:
ちょっと質問からは脱線するんですが、このインタビューを受けるにあたって、2年前の自分のインタビューを読み返したんです。そしたらなんか、暗い靄の中にいるけど光が見えない。光はあるはずなのに見えないみたいなことを言ってた気がするんですが。

それと比較すると、今はおそらく光はあります。あって、見えてもいて。前ほどひどい靄の中にいない感じはして、割と視界は良好ではあると。

ただ、だいぶすごい霧がかかってるって感じですね。

何て言うんでしょう、薄い霧がずっとかかってるみたいなイメージです。自分の生きたい生き方もわかったし、多分こうすれば自分は幸せに生きれるんだろうなっていうのはわかるけれども。その方法がうまく見つけられなかったり、とくに資本主義的な社会の中で、その行動はよしとされるのか?と考えてしまうところがあったり。

あとは制度的な制約で自分の人生の選択肢がせばまってしまわないか、とか。出自と関連付けて話をしないで欲しいっていうのはさっきも言ったんですけど。

とはいえ、やっぱり家を借りるとかそういう生活の根本的なことさえ、制約がかかりますよね。一番厄介なのは保証人という制度?です。実の親とは連絡を絶っているし、そもそも彼らに保証人になるだけの経済力はないし、里親さんとは金銭的な援助をしない/されないと合意をとっているので、借りたい家を借りようと思っても保証人になれる人がいないとか。

一番意味がわからないのは、知人が保証人を引き受けてくれると言っていても管理会社がそれを許可しないパターンですね。里親は法的には「親」じゃなくて赤の他人ですが?と何回言っても納得してもらえないとか。

保証人なし物件になると治安が悪くなったり、防犯面が危なっかしくなったりして、それはそれでこちらの「居住の権利」はどうなるんや?とか、そんなことを思ったりします。

私自身はすごく前向いてるっていうか、割と明るい未来を望んでるし、そこに行きたいのに、現実的な側面で考えるとそれが難しいかなっていう感じですね。

30年後とか、20年後とか、どういう人になってるのかはあんまり考えたくないかもしれないです。なんか未来が明るいとは言いつつも、今は本当に数年後のことも考えられるかっていうぐらいちょっと切羽詰まってるのかもしれないですね、本当は。

自由とは言ってるし、すごく前向きな気持ち、前向きでポジティブな気持ちではいるんですけど。

ただその人生をどうやって実現したらいいのかな、みたいなのがわからなかったりとかしてて。そこは不安だったりすると思いますね。

qbc:
もしも未来っていうのを聞いていて。もしも、安定したしなやかなメンタルと潤沢なそこそこ困らない金額が銀行口座にあったとしたら、何をしていますか。

ろく:
まずメンタルが安定してるんですよね。それを考えることすらめちゃくちゃ難しいですよねどういう状態になる...でも、すごくつまらない人生だっただろうなと思います、正直。

逆にメンタルが安定しててお金もあったら、それこそありきたりな人生しか送らなかったんじゃないかなって思うんですよね。

qbc:
そうなんですね。

ろく:
なんか、私のこのメンタルの不調や情緒不安定っていうのは、おそらく小さいときの経験が原因だし、そうでなくても多分両親のどっちかからの遺伝もあると思ってます。それを考えると、精神疾患の症状がない未来ってそもそもほぼほぼ現実味のない話だなって。
qbc:
うん。

ろく:
実際、数年前、5、6年前はひどい鬱で苦しんだんですけど、いろんなことを経て、少しずつ少しずつ、症状が改善されていくなかで、これまでの人生でどれだけ無理をしてたかとか、実はこれ苦手だったのにやってたんだなとか、そういういろんなことに気づけることができて。その上で、この自分という人間の人生を、どうコントロールしていくかっていうのを考えるとなんでしょう、メンタルの調子がよろしくないことが全ての基本条件になっちゃってるところがあります。

でも、その不調に苦しんだから、現実逃避として音楽に依存して、曲作りとかもするようになった。厳密には、脳内に音楽が流れるようになっちゃった。し、楽器や音楽活動に関しては、もちろん小さい時から親しんだというのもあるけど、ここ数年はうつがひどすぎて、その反動でやってるところがあるので。一種の音楽療法ですね。
でもうつになってからの方が、前とは違った形で音楽に真剣に向き合うようになりましたし、もちろんそれによって新たなストレスも増えてしまったんですが、とくに新しい楽器に触れることを通して、音楽って楽しいと感じられるくらいには回復した、というのがあると思ってて。

本当にメンタルが安定してお金があったら、ありきたりな人生しか選んでなかっただろうし、私はその人生つまんないなって言うと思います。なんかすごい喧嘩売ってるみたいですけど。想像ができないんですよね、うまく。

qbc:
何が今、一番楽しい?

ろく:
今一番楽しいのは、2個あるんですけど同率で1番みたいな感じで捉えてもらって。やっぱり好きなときに好きな分野の本を読むことと、音楽仲間と一緒に楽器を演奏したりすることですね。

そのときだけは本当に純粋に楽しいですし、何か、そういう機会が与えられたことも、そういう仲間に思いがけず出会ったということも含めて感謝してますね。

qbc:
ありがとうございます。そしたら最後に、最後の質問は最後に言い残したことはっていうので、遺言でも読者向けメッセージでも、インタビューを終えての独り言でもいいんですけど、最後に残した事があればお伺いしております。

ろく:
そうですね。そういえば...音楽やってます!っていうわりに自分が何の楽器をやってるか言ってない気がするので。言っておきます。ベースやってます。4弦ベースです!
大学の2年生ぐらいのときから始めたんですけど。スランプとかもありますが、基本的にたのしくやってます。

インタビューしてくださり、ありがとうございました!

qbc:
ありがとうございます。


あとがき(編集)

とあるドラマを観ていたときに「The personal is political」という言葉を聞いたんです(直近のドラマなので、ご存じの方も多いのかな、と思います)。個人的なことは政治的なこと、という意味。私自身、社会学についてはほとんど勉強してこなかったので、勉強不足民の戯言だと思って読んでください。

その言葉を聞いたときに、確かに行政で具体案で解決できるものは対処しなければならないし、制度を受けるために壁となってしまうことは改善していかなければならないのはもちろん。だが、世間が個人が抱え込む悩みに対して、どこまで踏み込むべきなのか。そこの線引きがすごく難しいものでもあるよな、と思ったのです。

自分は特段大きな問題と思っていないのに、どうやら世間では立派な問題だと認識されていて、自分は”不幸”とされる1人になってしまうこと。個人の不幸について、よく知らない誰かに認定されるなんて、なんか知らないけれどモヤってしまいます。何らかの属性にカテゴライズされてしまうと、本人がどう思っているかなんてお構いなしに「この属性にいるからかわいそうだよね」とされるのがなんとなくいやだな…と。

そんなモヤモヤを考えつつ、とりあえずカレーを食べたい。


【インタビュー・編集:qbc】

【編集・あとがき:一休誰絵】

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