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ヘラブナ釣りで世界を救う人

私と同い年の方に、とある界隈で有名人だった難関大の女子大生がいたのです(人によってはわかるかもしれない)。色々な意味で派手な方で、就職先はどうなるのかしら、と思ったら、彼女、ベンチャー社長と大学4年ごろに結婚してしまったのですが…。

さておき、その方が大学1年くらいのころ、どこかのSNSで「お父さんと釣りしてきた!」というご報告投稿とともに、魚を釣り上げた姿の写真もアップしていたのですね。彼女の華やかな見た目・肩書き・交友関係と「釣り」があまりにも結び付かず。だが、投稿であえて「お父さん」と書いていたことも妙で。

もしかしたら、彼女とその父親との関係は「釣り」でつながっていたのかな、なんてことを思うのです。魚が餌に引っかかるまでの間は長いもの。その長い時間、海の波模様(あるいは川の流れ)をぼうっと見たり、誰かと一緒ならなんとなく話したり、話さなかったり。

この「釣り」がもたらす絶妙な空間を、もしかしたら彼女とその父親はいいな、と思っているんだろうな、そうだったら素敵だな〜。
と思う2024年12月5日19時30分に書く無名人インタビュー960回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:一休誰絵(無名人インタビュー副編集長)】

今回ご参加いただいたのは 佐藤泰東 さんです!

年齢:50代前半
性別:男性
職業:技術専門職

野こころWebサイト:https://nokokorolife.com/

野のへらぶな釣り心整家 Instagram:
https://www.instagram.com/peace_crucian83/


現在:私が苦労したのと同じような状況にある同世代の方にヘラブナ釣りというものをやってもらい、それで心を整えてもらう。自分が大好きなことを仕事にしたいと思って今やってるんです。

ポンプ:
今何をされてらっしゃいますか。

佐藤泰東:
はい。今は会社員をやってるんですけど、複業とのハイブリッドというか二つの仕事をやっているんです。

まず現業としては、自然エネルギーとか再生可能エネルギーって言われてるもの、例えば太陽光発電ですとか風力発電ですとか。
そういった化石燃料ではない自然にやさしい発電所を作る会社に勤務して技術の仕事をしています。

複業は最初にお話したような苦労というか、私自身がこれまでネガティブ経験が様々あったのですが、そこから立ち直ったことをきっかけに、自分がワクワクできるような人生を送っていきたいと考えるようになり、それを実践しようとしてるんです。

私が苦労したのと同じような状況にある同世代の方にヘラブナ釣りというものをやってもらい、それで心を整えてもらう。自分が大好きなことを仕事にしたいと思って今やってるんです。

ヘラブナ釣りの世界に、同世代で苦しい思いをされてる方をお誘いして自然に連れ出して、そこで心を開いて辛い状況を吐き出してもらう。そして気持ちが軽くなった段階で、次に本当は自分ってどういう生き方したかったんだっていうところを深掘りしてもらうきっかけを作ってもらうんです。

ご自身でもおそらく本当はこうなりたかったっていう理想がきっとあったと思うんですけども、そういったものが長い間、会社のためとか、家族のためとか人のために頑張りすぎて自分の理想をずっと押し止めていた状態でやってきた方が、第2の人生にもっとご自身のワクワクすることで活力ある人生を送っていただく・・・その応援するのが複業の仕事になります。

ポンプ:
副業は具体的に何か所属をしている形になりますか。

佐藤泰東:
個人事業でやってるものです。
なので組織には所属しておらず私自身が考え出した仕事です。

ポンプ:
個人事業を始めてどのくらい経ちますか。

佐藤泰東:
集客はこれからなんですけども、考え始めたのがちょうど2022年の2月からですね。

企業のコミュニティに入会して、自分の人生を振り返るところからスタートして、つい最近ようやくお金をいただいたお仕事をトライアル的にやったので。
2年ぐらいかかりましたね、ここに来るまで。

ポンプ:
最近よく耳にするコーチングっていうお仕事があると思うんですけど、それはまた別のお仕事になる感じですか。

佐藤泰東:
そうですね。そういったノウハウを使ってというよりはヘラブナ釣りを教えるものなんです。

プロのような、釣り方のテクニックを教える感じではなくて、学んだ方が試行錯誤して、いろいろ試していただくんですね。基本だけ教えて。
そうすると、やりながらいろいろな気づきが得られると思うんです。そういったものを夢中でやってると、今に集中するっていう状態になるんですね。

この、今に集中した状態になると、いろいろ悩んでいたことが頭の中から解放されるというか、釣りの動作や試行錯誤している間、忘れることでリフレッシュできるんです。
すると、気持ち、心が整います。そこで私が傾聴するような感じですね。
でも、もし話したくないなら無理に話さず、黙って釣りをしてもらってもいいんです。

お客様は、心の中に溜めていた悩みですとか、それを普段誰にも話す相手がいなくて苦しいという思いを打ち明けると、ふっと心が軽くなる。

そこに居るだけで癒される自然の中で、へらぶな釣りをしながら心を整える場を提供するといった仕事ですね。

なのでどっちかっていうとコーチングってよりは、傾聴的な要素が大きいんじゃないかなと思います。

ポンプ:
釣りってヘラブナ以外にもたくさん種類があると思うんですけど、ヘラブナを選んだ理由はどんなところですか。

佐藤泰東:
釣りはフナに始まりフナに終わるっていう格言があるんです。
一番簡単な釣りがフナなんですけどそこから釣りに親しんで、その最高峰として一番究極的なところがまたフナに終わるという。
頂点がヘラブナ釣りに当たるんですね。
我慢する心ですとか、心を動揺させないで落ち着かせるとか、繊細なウキの動きですべてを読み取る、静寂の世界で釣りをするとか。そういう特殊性があります。

ヘラブナって基本的には日本人は食べない魚で、釣っても直ぐ水に返してあげるんです。釣ることそのものを楽しむゲームフィッシュではあるんですが。
一番自分がワクワクできて、情熱をかけられるものなので、自分にはやっぱりヘラブナしかないなと。

ポンプ:
もう一つのお勤め先に関する質問なんですけども、技術屋さんって具体的にどういった内容ですか。

佐藤泰東:
もともと大学で電気工学っていういわゆる電気の勉強して・・・大学院まで行ってるんですけど。
今の会社は3社目なんですが、元々は電力会社の技術職として、新入社員で会社に入ったんです。
そこから会社が二つ変わって今に至るんですけど、一貫して電気に関する技術をやってます。
特に設計ですとか電気に関する技術の検討ですとか、そういったところをやってますね。

ポンプ:
具体的にどういった設計のお仕事になりますか。

佐藤泰東:
最初の会社では、送電線っていう電気を送る大きな設備があるんですけども、その設計ですとか、建設に関係する仕事をやってました。その後は送電線を作る側から計画する方もやりまして。

海外の国々でそういった計画の仕事をやっていた時期もありました。
特に日本の国際協力事業で、発展途上国の経済発展のための電力インフラを整備する仕事ですね。
技術協力っていう種類のプロジェクトがあるんですが、将来的に例えば今から20年後30年後に、経済が発展するために送電網をどれだけどういう形で構築していくかっていう計画を作る仕事をしていました。

その国の地図の上に、将来作るべき送電線の絵を描いていくような感じです。

もっと具体的な仕事の中身は、主に解析シミュレーションを回して、電気がどこにどんなふうに流れていくかといった計算をする仕事をやってました。

ポンプ:
今実際にお仕事されてる内容はそこからまた変わっているんでしたっけ。

佐藤泰東:
はい、そうですね。
2社目までは送電線がメインだったんですけども、現在は太陽光発電所ですとか、風力発電所を作るために必要な検討ですね。発電した電気を電力会社が持っている送電線に繋いで電気を流してあげないといけませんので。

そのためにも送電線をどんなふうに繋げるかなどの検討が必要なのですが、その部分を専門的に担当しています。

ポンプ:
電気の技術的なお仕事の、やりがいとか面白さみたいなのってどういったところにあるんですか。

佐藤泰東:
一時期、管理職の仕事もやっていたので送電線の技術面だけをやれてる時代ってそんなに長くはないんですが、やりがいとしては例えば計画したものが実際に出来上がったときに、自分が計画した仕事が実物として残るっていうのが、やりがいに感じたことがありますね。

ポンプ:
二つのお仕事以外の時間ってどんなふうに過ごされてますか。

佐藤泰東:
そうですね今、娘が2人いてそのうち下の娘が高校3年生で大学受験生なんです。
ですので、今年は特に、受験勉強のサポートを夜とか、朝娘が学校に行く前にやってます。

私は昔、海外の大学院に留学していたことがあったので、英語のサポートですとか。
受験も経験してるので大学選びの相談に乗ったりとかですね。

あとはヘラブナ釣りです。
空いた時間があれば週末には近所にヘラブナが釣れる川がありますので、そこに行って釣りをするということに時間を使ってます。

ポンプ:
釣りは、お出かけして帰ってくるまでどのくらいの時間をかける感じですか。

佐藤泰東:
今ですと、日の出ぐらいの時間に現場に行ってお昼過ぎぐらいに帰ってくるっていうのが多いです。

以前、精神的に追い込まれてた時代は、夜中1人で釣りをしてたような時期もあります。

ポンプ:
夜中の釣りもヘラブナを釣ってたんですか。

佐藤泰東:
そうですね。

ポンプ:
魚って1日中起きてるんでしたっけ。

佐藤泰東:
そうですね。夜中も釣れたときがありました。

普通、朝と夕方が一番釣れやすいんですよ。早朝から午前9時位までに釣れる時間があって、そこからだんだんアタリが少なくなってきます。そしてお昼どきから午後昼下がりぐらいにあまり釣れない時間帯があって、また夕方になると釣れるようになります。

夜も数は少ないながらも時期によっては釣れるときもあります。

ポンプ:
餌はどんなものをつけてるんですか。

佐藤泰東:
練り餌っていう、粉末状のエサを水で練って団子状に指で丸く丸めたものを針に付けて釣るっていう釣り方ですね。

材料はお麩です。
よくお味噌汁に入れたりするお麩が粉末状に粉砕されたようなものに、いろいろな集魚成分が配合されてできてます。

過去:釣りに連れて行ってもらうと父がいろんなことを知っていて、それを見ていると楽しくてしょうがなかったんです。

ポンプ:
ちっちゃい頃ってどんなお子さんでしたか。

佐藤泰東:
物心ついた頃から泥んこ遊びが大好きでした。
父の会社の社宅、アパートに住んでたんですけど、近所が砂利道で、草原があったり。
どぶ川っていうんですか、生物が住める堀みたいなのがあって。

そういうところでカエルの卵を取ったり、ザリガニを手づかみにして取ったり。
長靴でジャブジャブ入って・・・長靴の中に水が入っても気にせず水の中にどんどん入ってどろんこになって帰ってきたり。そういうことが大好きでした。

好奇心が旺盛で、いたずらをたくさんしてたんです。
春先にツクシを取ってきて、母親が外出して居ない間に、台所で鍋にツクシと醤油を入れて煮込んで友達に食べさせようとしたり。
後でこっ酷く怒られたんですけど。

あとは買ってもらったばかりの学習机にコンセントが付いてたんですけど、針金を曲げてそのコンセントに刺して。
危うく火事で燃やしてしまいそうになったときもあったり。

ポンプ:
感電しなかったですか。

佐藤泰東:
感電なぜかしなかったんですね。
今だったら絶対そんなことはしないんですけども。
針金だけが赤くなって溶けて、バーンと弾けて。

火事にならずに済んだっていう、不幸中の幸いだったと思うんですけども。

ポンプ:
小さい頃の周りの方々との関係性でいうと、どんな思い出がありますか。

佐藤泰東:
父の転勤の関係で住んでいた、宮城県の石巻市という港町生まれなんですが。

元々父は出身が仙台なんですけど石巻に住んでるときに周りの子供たちが方言というか、港町ならではの荒い言葉を使っていたんです。

それに対して母は厳しくて、他の子供たちと同じような言葉を使ってるとアパートのベランダから睨みつけて手招きして呼ばれて。
行くと、そんな言葉使っちゃ駄目だと。

あなたは将来仙台市の頭のいい学校に行くんだから都会に住むのにそういう方言を使うのはみっともないからやめなさいっていうふうに怒られたり。

自分はやんちゃをしたいのに母親にいつも怒られる感じで、だんだん無邪気なところからいい子じゃなきゃいけないっていう・・・お利口さんで居ようっていうふうに、母にマインドコントロールされた感じで、優等生を目指すようになっていったという感じです。

ポンプ:
インタビュー前にお聞きした、他人軸から自分軸へ変化を遂げたお話というのが、本日のテーマだったかと思うのですが、その他人軸っていうのが親御さんとの関係性のことなんでしょうか。

佐藤泰東:
私はルーツをたどると、おそらくそこが起点になってるんじゃないかなというふうに分析してます。

ポンプ:
分析されたのっていつぐらいのお話ですか。

佐藤泰東:
それが2022年の2月にですね、企業のコミュニティに入会したときに最初の課題で過去を振り返って、最低1万文字は書いてくださいという課題があるんです。
コミュニティメンバーの方には、1万文字を書くのも苦労されている人がいるのですが。

気が付いたら7万字ぐらい書いて。

その中でかなり記憶が鮮明に思い出されたんです。
振り返るとやはり相当、母からこうしろああしろと言われてそれに応えなきゃいけない、自分はそうしないと母から褒めてもらえないっていう思いで、いつもいたんだなって。

改めてわかったという感じです。

そこから人の評価とか、人の顔色をうかがって。
先生の言った通りにすれば真面目ないい子って言われるからそうしなきゃいけないとか考えるようになってました。

ポンプ:
周りの方々との関係性を大事にするっていうパーソナリティをお持ちなのかなと思うんですけどもちょっと小学校あたりのお話に進みまして、その頃はどんな思い出がありますか。

佐藤泰東:
低学年の頃に父に釣りを教えてもらってたんです。幼稚園の年長か1年生ぐらいだったんですけど。

父は教育に関して、ああしろこうしろと言わない人間だったんですね。

母と対極的な性格の人だったので、そういった父がいろいろ多趣味でですね、いろんなスポーツをやっていたり。
その中の一つに釣りがあったんですけど。

釣りに連れて行ってもらうと父がいろんなことを知っていてそれを見ていると楽しくてしょうがなかったんです。

そういうことで釣りを知るきっかけになったんですが、小学校の2年生のときに、都会の学校に転校することになって。
行った先で田舎者っていうふうにいじめられたんです。

しばらくの間友達ができなくて。
そんときに父が毎週、釣りに連れてってくれてたんです。

それで何とか心を落ち着けてたというか、救われたんです。
小さい頃から真面目に育てられたっていうのがあって、どうしても小学生時代だとそういう真面目っていうのを小馬鹿にするようなきらいがあるので。

真面目くさってとか、先生が言ったからって全部言うことを聞きやがって、とかですね。
いじめっ子から嫌がらせをされたり。

私はあんまり転校した先の小学校で、いい思い出がないというか。
クラスメイトに対してあんまり好きな子がいなかったです。要は自分のことなんかわかっちゃくれないとか、目立つヒーロー的な子供に対して自分の中では劣等感だったり、やっかみを持っていったり。

そういうヒーロー的な子に茶化されたりちょっといじめられたりすると、家に帰ってきてものすごい剣幕で親の前でこんなことがあったって怒ったり泣いたりっていう感じで。
小学校時代は友達との関係は、良い思い出っていうのは正直なかったと思います。

ポンプ:
勉強との向き合いでいうと、無理に勉強させられてたりとかありましたか。

佐藤泰東:
自分はヒーローになれるような運動神経が良かったわけでもないですし、ちょっと太ってたんですね。なのでそういう自分の体格についてもすごいコンプレックスを持っていて自信がなかったっていうのがあったので。

勉強だけは、いい点が取れれば少しはみんなから認めてもらえるんじゃないかとか。
先生に指されて手を挙げて答えられたら、かっこいいって思ってもらえるんじゃないかってことで勉強の方を頑張ってました。

なのでどっちかっていうと、好きでやってるっていうよりは、どうやったら自分のことが認めてもらえるかを目的として、やってたような感じもします。

ポンプ:
中学校高校生の時間はどういった思い出がありますか。

佐藤泰東:
中学校1年生のときは同じ小学校からそのまま持ち上がりで、同級生たちと同じ中学校に行き、半分は同じ学区から、もう半分が別の学区から合流する形で。

小学校では勉強は、できる部類に入れたんですけど。
中学校に入ってやっぱり頭のいい連中は上にたくさんいて。
勉強しても勉強しても、ある一定の順位から上に行けないっていう状況になってました。

部活でバスケットボール部に入ったんですね。背が小さかったので、バスケットボールをやったら背が大きくなるんじゃないかと思って入ったんですけども、かなり練習が厳しくって。

当時グレた先輩がいて下級生を体育館裏に呼び出して殴りつけたりとかそういう時代だったので。
そういう噂を聞いたり、しごきがきつくて、1年の夏休みの練習中に倒れちゃったんです。熱中症ですかね今で言うと。

それがきっかけでもう部活やりたくないと思って。
そんなとき、たまたまクラスメイトで吹奏楽部に行った友人がいたんですけども、よかったら吹奏楽部見に来てみない?と誘われて行ってみたんですけど。
そしたら運動部と違ってみんな和気あいあいとしていて。

先輩も仲のいい友達みたいな感じで楽しそうな雰囲気だったんですね。
こんな部があるんだと思ってバスケ部を辞めて吹奏楽部に転部したということなんですけど。

そこから本当、吹奏楽部楽しくてですね。楽器が初で全く吹けないんですけど。
文化祭の時期に入部したので、コンサートみたいなのを音楽室でやる1年生だけの舞台があったんです。

そのときにみんな楽器を持って自分のパートを演奏するのに、1人だけ出ないっていうわけにもいかないので、楽器持って吹いてるふりしろって言われましてトロンボーンっていう楽器のパートに入って。
まだ曲どころか音も出せなかったんですけど。

隣に同じ1年生のトロンボーン吹いてるのがいて、それこそ動きを横目で見ながら真似をして。いかにも吹いてる感じで、かっこだけをやって乗り切ったっていう。

そんな痛々しいエピソードもあるんですけどもそんなのも含めて、吹奏楽はとても楽しくて。
勉強は相変わらず、やってもなかなか上がらないっていう状態だったんですけど、友達との関係はすごく楽しかったですね。

このままずっとこういう生活できたらいいなと思っていたんですけども。
1年の春休みに、父が転勤になりまして。

一緒についていく形で転校したんですけれど、またいじめに遭うんじゃないかっていう小学生時代のトラウマがあったので、父に嫌だって、かなりごねたんですけどもそうはいかないということで無理やり連れて行かれて。

そこでどうなるかなと思ったんですけども今度逆に、都会の学校から田舎の中学に転校したんですね。
田舎ということもあって、ほのぼのとした学校で。温かく受け入れてもらえたんです。
転校生なんですけど、都会から来たっていうことで一目置かれるような感じだったんです。

そこで警戒をしながらも、いい先生が揃っていて今思っても奇跡かなと思うんですけど、すごくいい学校で。
そこで転機になる出来事が一つあって。

初めてその学校に行って受けた中間試験があったんですけど、結果がいきなり学年で2番だったんですね。これに自分自身が驚いてしまって。

いくら勉強しても50番より上がれなかった自分がいきなり2番だと。

それも一番の子と1点しか違わなかったんですよ。「豚もおだてりゃ木に登る」って漫画がありましたけど、そんな状態で有頂天になってしまってそこから勉強が大好きになったんですよね。

人のためっていうよりも自分がこんないい点が取れるんだと思ったら勉強が楽しくなって。
そこからどんどん自分から勉強を積極的にやるようになって。

部活の方は吹奏楽部もあったんでやっぱりそのまま吹奏楽に入ったら先生からもだいぶ認めていただいて、副部長やらせていただいて。

部長が問題がある子供で、その子と仲がたまたま私よかったので、その部長を支えてあげてくれって。
あなたが副部長やりなさいと言われて。

それで二人三脚でやんちゃな友達と、部長副部長で吹奏楽部引っ張っていったと。
その後、生徒会の副会長にも選出されて。

おそらく若いときで一番輝いてた時期がこの中学校時代じゃないかって今でも思います。

ポンプ:
現在と過去を通じて、釣りっていうものが佐藤泰東さんの心のよりどころになってるんですか。

佐藤泰東:
そうですね。
やはりつらいときにいつも自分のそばに釣りがあったっていうのが、振り返った中で改めて感じました。

ポンプ:
心の拠り所があるっていうことは、どんな気持ちになれるものですか。

佐藤泰東:
やっぱり釣りをやって浮きをジッと集中して見てると無心になれるんですよね。
他のことが完全に頭の中から消え去ってしまう感覚です。

未来:野のへらぶな釣り心整家の仕事をしながら、将来的にそういった本を書くような仕事ができたらいいなと。

ポンプ:
未来のお話に行きたいと思うんですけどもその手前に、いまのお仕事はなにか呼称あるんですか。

佐藤泰東:
はい。肩書きが「野のへらぶな釣り心整家」という名前でして。

ポンプ:
なるほど!ありがとうございます。
野のへらぶな釣り心整家として力を入れていくにあたって、こんなふうになれたらいいなみたいなイメージってありますか。

佐藤泰東:
何百人、何千人っていう人に、自分を知ってもらうというよりは、お客様ではなくて、ご縁をいただいた方と友達のような、密度の濃いお付き合いをしていけたらいいなと思ってます。

それによってお互いにですね、自分の好きなもの、共通の趣味を持ちながら、心を支え合って、お互いに自分らしく、ワクワクした人生を送っていく・・・そういった仲間が1人でも増えたらいいなと思ってます。

ポンプ:
もし、ヘラブナが言葉を話せるとすると、その釣りの時間て何かしらかけてあげたい言葉だったりとか、会話してみたいことってあったりしますか。

佐藤泰東:
ヘラブナという魚があってのお仕事っていうこともありますし、その姿を見させてくれるからこそ、のめり込めるっていうのがあるので。
いつもありがとうっていう感じですかね。

いつも遊んでくれてありがとうっていう感じだと思います。

ポンプ:
釣った後は返すんですよね。

佐藤泰東:
そうですね釣ってもすぐに針から外して水に返してあげます。

ポンプ:
野のへらぶな釣り心整家っていう活動以外に、ご自身が終わるまでの中で、こういう活動したい、こういうことをちょっとやり遂げておきたい、とかありますか。

佐藤泰東:
仕事という面では野のへらぶな釣り心整家ではあるんですけども暮らし方としてこういう暮らしをしたいっていうのがありまして。

私は山の中というか、自然に囲まれたところで、自分で小屋を建てて、自給自足的な生活をして。
そこで野のへらぶな釣り心整家の仕事をしながら、将来的にそういった本を書くような仕事ができたらいいなと。自分の人生とか生き方とかヘラブナ釣りの世界とか。

そういったものについて自分の考えを文章にまとめたものを、いつか本という形に残せたらいいなという夢を持ってます。

ポンプ:
今何かそういう書き起こし中のものがあったりするんですか。

佐藤泰東:
まだですね書籍にできるようなレベルでは全くなくって。
noteをやってる中で野のへらぶな釣り心整家としての気付きをつらつらと書いてるんですけど。
自分がネガティブでひどい状態だった頃からスタートしたもので、今300本とか400本ぐらい書いてるのかな・・・
そういったものがありますので、いずれ綺麗に章立てて並べていったら何かができるんじゃないかなというぐらいのレベルで。
まだ全然構想としてがっちりしたものはないです。

ポンプ:
となると、その出来上がったものを誰かに見てもらいたいということだと思うんですが、なぜ見てもらいたいんですか。

佐藤泰東:
私がお客様像として1人のお客様を描いてるっていうのが、まさにその一番自分がひどい状態だったときの自分自身なんですね。

そのときに今の自分がいたら、こんなふうな声をかけてあげられるのになというふうに思うところがあって。

なので私が一番どん底だったときの状態と、同じ状態にいる人・・・自分を投影したような方々に、こういう生き方があるんだよっていうのを知っていただきたいっていうのが、読んでいただきたい理由だと思います。

ポンプ:
その書籍が世に出たら、もう思い残すことないですか。

佐藤泰東:
やっぱり文章を書き続けていきたいなと思ってます。自分の山小屋で、野の景色を見ながら、ヘラブナ釣りをして帰ってきた日の出来事を書いたり。
ライフワークっていうんですかね。
生きるのと、そういう中に文章を書いて、それを文字として形にして、見るっていうのが自然なサイクルの中に織り込まれるのかなという気がしています。

ポンプ:
山小屋における、ご家族の関係性ってどんなイメージですか。

佐藤泰東:
子供2人とも娘なんで、いずれ結婚して家から出て行くと、妻と2人になるんですけども、妻も私がやろうとしている仕事に興味を持ってくれていて。
サポートとして妻もワクワクするようなコンテンツを作り出したいということで今、動き始めているんですね。
で、私とコラボしていろんなことをやりたいねと言っていて。

ただ田舎にずっと住むのはヤだと。都会の方が好きだからって。

なので、パパはそっちに居てもいいからたまに遊びに行くぐらいにするねっていうふうに言われているんですけど。
私はどっちかっていうと山が拠点で、たまに街に帰ってくる。妻はその逆みたいな感じで。

そういう感じで二つの拠点を持って、都会と田舎を行き来するような生活を、体が動くうちは、何年かやっていきたいなというふうに思ってます。

ポンプ:
そういったゆくゆくのイメージの中で、例えば死ってどんなものですか。

佐藤泰東:
自分の死っていうものがどういう状態かっていうのは、考えたことはないですけども。
おそらくワクワクする人生を送っていたら、最期の日に自分の人生楽しかったなっていうふうに思って世を去れたら最高だなと思いますね。

ポンプ:
例えばもしそこでヘラブナを思い出すことになったとすると、どんな気持ちになると思いますか。

佐藤泰東:
そうですね、川の近くで死ねたらいいかな。
ヘラブナ釣りをしていた川だったり沼だったりそういったところを見ながら、そういう環境で天に召されたら、幸せかもしれないですね。

魚の隣にいながら、自分の人生楽しみつくしたなという思いを持って、一生を終えたらいいだろうなと思います。

ポンプ:
なるほどやっぱりそうすると、ヘラブナっていう存在は未来の佐藤泰東さんにとっても、かなり重要な存在感を持ち得る、というふうに期待もしている感じになりますか。

佐藤泰東:
そうですねヘラブナ釣り自体が他の釣りに比べると、ご高齢の方でも体が動く限り、目が見える限り、手が竿を握れる限り、やってる方っていうのはいらっしゃるので。

私自身にとってはヘラブナ釣りは生きてる限りやるものだっていうイメージを持ってます。

ポンプ:
実際引きって強いんでしたっけヘラブナって。

佐藤泰東:
そうですねやっぱりおそらく、80代とか90代になると竿を持っていても、魚の重さに耐えるのは結構大変かもしれないですね。

大きいものだと40センチ以上になるものもありますし1キロ、2キロぐらいになるものもいますので。
それが命をもって動いてますから、かなり重いなっていう感じが、私50代でもします。

ポンプ:
もし未来にヘラブナっていう存在がなかったとしたら佐藤泰東さんはどんなふうになると思いますか。

佐藤泰東:
思いつかないですね。
ヘラブナがいない生活っていうのは思いつかないです。

ポンプ:
改めて、野のへらぶな釣り心整家と山小屋の他に未来でこうしてみたいとかっていうのがあればお伺いしたいなと思ったんですけど、いかがですか。

佐藤泰東:
アウトドアが基本好きなんですよね。釣りもアウトドアですけど。
キャンプも好きで、特に焚き火をするのが好きなんですよね。

木々を集めてきたり、薪を割ったり。そういった準備をするのも好きですし。
妻に怒られますけど1人でキャンプがしたくて。
軽のワンボックスカーを買って車中泊をしながら現場に向かって、そこでソロキャンプをして焚き火をしながら美味しいお酒を飲み、朝から釣りをできたら最高だなと思って。

ポンプ:
キャンプのどこが具体的に楽しく感じられるんですか。

佐藤泰東:
騒々しいところが非常に苦手なタイプで。
人里離れた静かなところですとか森の木の匂いとかが大好きなんですよね。

そういう環境にいると気持ちが落ち着きますし、昔ながらの日本の原風景に憧れを持ってるというか。
そういう中に行ってみたいっていう思いが強いので。

そういうところが日本全国まだ自分が見ていないところがたくさんあると思うので、自分の目で見たいっていう好奇心がありますね。

ポンプ:
最後に何か言い残したこがあればお伺いしたいんですけど、いかがですか。

佐藤泰東:
そうですね。なかなか一言で言うのは難しいんですけども。
野のへらぶな釣り心整家になろうというきっかけになった出来事っていうのが、メンタル不調を一時きたして会社を長期休んでた時期があったんで。
どん底から這い上がるきっかけになったっていうのが、自分軸で生きるっていうことだったということを強調しておきたいなと思ってます。

ポンプ:
自分軸で生きるということを強調したいということですが、その自分軸をもう少し詳しくおしえていただけますか。

佐藤泰東:
やっぱり本当に自分がやりたいことは何だっていうところをしっかりと見つめ直したことで、他人と比べたり裕福になるとか偉くなるとか、そういうことじゃないもので自分は幸せになれるっていう。その軸が好奇心を満たすということだったんですね。

自分のワクワク、好奇心を満たす。
それだけで幸せに生きていける。

他人と比べることなんかないし自分がやりたいと思うことを全力でできれば、幸せな人生だってことですね。
それが自分の軸って分かったのが、人生を変えるきっかけになると思ってます。

あとがき

もっと真面目に釣りやっておけば良かった!
あでも、今からでも全然遅くないですね。よかった。

無心になれる対象があることの豊かさを、教えてもらいました。

昔、近所の川で友達と釣りをしてたんですが、
アブラ(ハヤ)とかウグイが釣れて楽しかったことを思い出しました。
夏は泳いだりもして、絶好の遊び場だったんですがある時、重機が入ってなんの面白みもないのっぺらぼうの川になってしまいました。
魚たちももうおらずで。

もちろんその工事によって川の氾濫リスクは減ったのですが、ボクらの楽しかった記憶がいまもう現実に無いことにノスタルジーを感じます。

あでも、それはそれで悪くないですね笑
【インタビュー・編集・あとがき:ポンプ】

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