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歌う、うたえもん。「ねーねーうたえもん」の人

泥の海を泳いでるんではないのかこの人生は? と思ったりするんですよん。何も前に進まないんじゃないか? 未来なんか見えやしない。いや、そもそも時間が先のことなんてわからない、わかるはずもないものをわかろうとするこの苦痛から逃れたい。
わかるかもしれないなんて思う想像力こそおこがましい。
希望は最後の刑罰なんて言う人がいたけれど、あれは本当だったのかもしれない。
もしかしたら明日は良くなるかも。
明後日ならば良くなるのかも。
明明後日なら、もう、なにもかも、なにもかもから解放されているのかも。
泥のしぶきでかかってくる、泥のかたまりにて視界が汚されます神様。
泥の海を足で踏んばりぬくと、どうしてもどうしたって泥のしぶきがあがって泥のかたまりが私の目のまえに飛んできて目の前を真っ暗にするんです。
ウソだ! ウソだと思いたい。
そう、そんなときに「ドラえも~ん🎵」
いっしょにどら焼き食べようね、ねえドラえもん。真っ青な。
今晩の無名人インタビューも夜明けを待ちながらお楽しみいただければ幸いでございます。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 歌原香菜 さんです!

現在:好きなように好きなことをやってる人

ドット:現在、何している人か、お話いただいてもよろしいですか?

歌原:現在はですね、好きなように好きなことをやってる人です。
元々小学校の教員を2019年までやってたんですけど、”日本の教育変えたいなぁ”と思って、でも現場にいても絶対変わらないから、”外から文化を変えよう”みたいな感じで辞めました。そこから独立して、もうすぐ3年経つ感じですね。

実際何やってるかといったら、占いを自己分析として使ってコーチングやコンサルティングに使ったりとか、あと占いの仕方を教えたりとか、カウンセリングしたりとか。
その人が持ってる元々の強みを発掘したりとか、どういう人生を送りたいのかってところを実現するお手伝いっていうところを結構やってますね。

あとは任意団体でやっていた活動をこの5月にNPO法人化して、そのNPOのメンバーとして、子供の発達に関する啓発の活動をやったりもしてます。
それから最近だと補助金申請の事業計画書のライターとかもやってる。
っていう感じで、好きなときに好きなように自分がやる、みたいな。そんな感じで仕事してます。

ドット:ありがとうございます。今、言っていただいたのは結構生活だったり、その仕事だったりという部分だと思うんですけど、趣味などの部分、もしあればお伺いしてもいいですか。

歌原:趣味はですね。酒好きなんですよ。基本は家で飲んでるんですけど、外飲みも好き。ビールも日本酒も好きです。あと、今は家でほとんど仕事してるんですけど、”パートナーさん(継続セッションを受けてくださっている方)に会いに行こう”みたいな感じで1週間ぐらいかけて旅してます。つい昨日(8/23)、実は東京から帰ってきて。私今大阪に住んでるんですけど、先週1週間は東京にいました。会いたい人に会いに行くみたいなのも好きですね。あとは猫好きです。うちに3匹います。

ドット:ありがとうございます。
結構好きなときに好きなことっていうふうにおっしゃってたので、お仕事的な部分と趣味の部分みたいなのの、割合みたいなのがもしあればお伺いしてもよろしいですか。

歌原:今は仕事=趣味みたいな感じ。やりたくない仕事はやってない。趣味のように働けるっていうのが私が一番目指してるところで、”好きなことやってたら、誰かに喜ばれて、それが価値になっていく”っていう形をやっとできたかなっていう今日この頃ですね。

ドット:ありがとうございます。

ドット:最初の方に占いをビジネスのコンサルティングだったり、やり方を教えるっていうふうにおっしゃってたと思うんですけど、占いに着目されたきっかけとかあるんですか?

歌原:元々占いが好きだったんですよ。
自分のことが全然わからなかったってのが長いことあったんですね、”自分がよく考えてることわからないな”、みたいなのが子供のときからあって。人付き合いもそんなにうまくはなかったんだけど、でもある部分ではなんかすごい人から褒められることも多かったり、みたいな。”なんなんだ私は!!”っていうのが結構多かったんですね。

それで占いは本読んだりとか自分で調べる、みたいな程度で好きだったんですよ。それで”私、手相が超変わってる”っていうのに気づいたのが2年前(2020年)なんですね。それまで何回か見てもらったことあったんですけど、ある方の講座に出たときに「よくこの手相で生きてましたね」って言われました。それぐらい”変わった手相と変わった手相がぶつかり合ってる”っていう状態で、”ああ!だからか。”っていうのがわかったんですよ。”だからしんどかったんだな”、”だからああいう考え方してたんだな”っていうのがそれでわかりました。個人で仕事ができるようになって、まぁそもそも生きること自体に共通しているんですけど、”なかなか自分がやってることが人に伝わらない”っていうことがあるじゃないですか。

”個人の資質を見る”っていうのは私がすごくやりたかったこと。そして自分が本当に伝えたい人に伝わらない”もどかしさ”って結構多くの人が抱えてるなって思ったんです。私もその一人だったし。でも”私はこういう生き方がしたいんだ”、”こういう人の役に立ちたいんだ”っていうのは、結構その占いの部分からもわかるっていうことに気がついたんです。占いによって、それが全てではないけれど自分への見方を知ることによって、じゃあ”自分の商品はどういうものが一番力を発揮できるのか?”、”誰に対して提供するのが一番いいのかな”っていうところがわかるんじゃないかな、って考えました。

ドット:「教育を良くするために外から文化を変える」っていう部分を、もう少し具体的にお伺いしても大丈夫ですか?

歌原:はい。私、学校に10年勤めてたんですね。それでいろんな学校に行ったんですけども、最後に行った学校が結構地域的に大変な学校ではあったんですよ。でも別に勉強しづらいのって子供たちのせいじゃない。親御さんのせいでもない。でも何かが今足りないからこういう状況になってるんだなぁともすごく思ってて。じゃあ”学校でどういうことができるのかな”ってことを探しているうちに、いろいろ勉強会とか、セミナーとかも、もう土日祝はもう本当にそこに行きまくってました。”日本って30年遅れてるんだな”っていう感じだったんです。海外の教育の現場から見て。特に特別支援教育って言われるね、障害のある子…ただ、今は子どもたちのほとんどがストレス下の環境に置かれている。だから、別に障害があろうがなかろうが、しんどい子はしんどい。でもそれでも”頑張りなさい”の教育になってるのが、すごく私はもどかしかったんですね。”いや、もう頑張ってるし”みたいな。”それ以上頑張れって言うのか!”っていう感じだったんで、これをもうちょっと、学校で子供に関わる大人が”頑張れ、頑張れ”じゃなくって、”もうちょっとこんな風にしてみるとラクにあなたの力出せるんだよ”っていうところに目を向けられないかなぁっていうのはあったんですよね。

その1つとして、私はブレインジム…今は教えてるんですけども。ブレインジムに出会ったことがすごく大きかったですね。本来のその人の良さを発揮するために何かを無理して頑張るんじゃなくて、楽々ベストを尽くす考え方っていうのがあって。まさに私はそういうことを、学校現場の先生たちもそうだし、親御さんもそうだし、子どもたちにも知ってもらいたい。自分のベストが必ずあるんだと。それを尽くすっていうことは、無理して頑張るよりもよっぽど自分の人生にとってすごく大事なことなんだよっていうことを、もっと知ってほしいなっていうのが、”教育を変えたい”の根本の部分だったりします。

ドット:ありがとうございます。結構その、子供の個人の可能性だったり、資質だったりを伸ばすっていう方向でやってるうちに、”占い”っていうのと結びついたのかなっていう。

歌原:そうですね、そうなんですよ。
逆に占いが、”子どもの発達、これで結構わかる部分あるな”って気づいたんですよ。
特に手相なんかは変わるんですね、子どもは特に、学んだこと・経験したことによって、どんどんどんどん手が変わっていく。”どういう考え方の傾向にあるのかな”、とか、”どういう感じ方するのかな”っていうところは手相で結構わかったりするので。時々”発達と手相の関係”って講座やったりとか、お子さんのことで悩んでいる親御さんとかに「ちょっとお子さんと手を比べてみてよ」って言ったりします。ご相談を受けていると”自分が想像している子ども像と違う”っていう、そういうもどかしさを感じてる親御さんって結構多いなって思っていたんですよね。で、手を比べてもらって「お子さんとあなた、違うよね」って話をするんですよ。「だから、感じ方も考え方も似てる部分があれば、親子だけど違う部分もあります」と。それぞれを尊重するっていう意味でも、「別に”あなたと同じだからいい”っていうわけでもないし、似てるからこそ良いところもあるし、違う考え方だからこそ親子でも学び合えることがあるよ」っていう感じでね、お話したりします。

占いってその人の行動の”なんでだろう”っていう部分、”なんでこの人こういう考え方するのかな”とか、”何でこういう行動するのかな”っていうのを紐解くのにもすごく役に立つ物だなって。もっとなんか、占いをスピリチュアル的なことじゃなくて現実に使うということを、さっきのビジネスも含めて知って欲しいなっていうのはあります。

過去:合唱一筋→中学教師→民間→小学校講師→講師&通信大学→小学校教員→体調不良→特別支援学級担任。そして、現在へ。

ドット:幼少期、幼稚園・小学校、中学校前くらいまでで、そのときの自分を一言で表すとどんな人だったとか、何か印象に残っている出来事が、もしあればお伺いしたいです。

歌原:白と黒って感じなんですよ。
私は茨城県で生まれたんですけど、小学校3年までは、うちの母方の実家の近くの、茨城の中でも北の方にある町で育ったんですけど、すごくよかったんですよ。本当に自分が自然でいられたし、私が人生で最も尊敬している女性は私の母方の祖母なんですけど、祖母の近くにいられたってのもあって。
でも引越しをすることになって、今度父方の祖母と同居することになったんですけど、私大っ嫌いだったんですよ(笑)。友達も離れなきゃいけないし、嫌だなぁって思ってました。そして転校した先の小学校の4・5・6年の担任は最悪(笑)。小学校後半はいい思い出が全くない感じだったんですよ。だから、本当に白黒はっきりわかれたっていう感じ。

ドット:ああ…ありがとうございます。結構大人の、祖母さんだったりその担任の先生があったりっていうところに影響を受けてるのかなっていう印象なんですけど、同級生とか、自分の趣味だったりとか、そういう部分で何かまた白と黒みたいな部分があったりするんですか。

歌原:転校前の友達はわりと自然に遊べてた感じなんですけど、転校してから、なんか一気になんか周りと話が合わないなっていうのをすごく感じ始めたんですよね。その成長段階にもよったと思うんですけど、ここで私が心を開ける子は…一部いたかな?一部、同じ塾に通ってた子なんかは1人2人ぐらいは仲良かった子がいたんですけど、その子とも学校のクラスは離されちゃったし。
基本的に”学校つまらないな”って思ってたんですよ。音楽の授業は私やらされたし。

ドット:ありがとうございます。続いて、中学生・高校生の話を聞きたいんですけれども、また一言で表すとどんな感じでしたか。

歌原:中学校はさっき白と黒で表したから色で言うと、めっちゃ虹色って感じだったんすよ。小学校がもう嫌だったんで、”このままこの人たちと同じ中学校に上がりたくない”と思って、私立の中学受験したんですね。私立の女子中学校に行くことになって、そこはクラス数も少なかったんですよ。2クラスでそれぞれ40人なんで全体生徒も少なかったんですね。すごく楽しくて、とにかく話が合う友達がすごく増えたんです。話が合う友達ができたし、みんな受験勉強をしてきた子たちっていうのもあるし、なんかこう、話が合うっていうことが楽しかったし、ただそれが同じように話が合うじゃなくって、”みんなそれぞれ持ち味あるけど、何かこれって大事だよね”っていう部分が似てる。だからその1つの調和が取れてるような感じっていうのがあって、さっきの虹色って表現しました。

合唱に出会ったのが、中学校だったんですよ。それがやっぱりすごく大きかったですね。

ドット:合唱は部活としてやられてたんですか?

歌原:部活ですね。もう朝、昼、放課後ありました。

ドット:私立の女子中学ってことは中高一貫だったんですか?

歌原:その時は一貫じゃなかったんですよ。今はね、もう一貫になってるんですけど。私のときはまだ一貫じゃなくって、その流れで、もうちょっと合唱やりたいなと思って、県立のその県内で一番合唱が強い公立の高校に入学しました。

ドット:中高と違うけど、またそれぞれで合唱を続けていたっていう感じ?

歌原:そうですね。

ドット:ありがとうございます。「中高で合唱に出会ったことが良かった」っていうふうにおっしゃってたと思うんですけど、合唱のどういう部分が好きでしたか?

歌原:”平和”なんですよね。この歌ってる側の平和だったり、聞いてくださってるお客さんたちも含めて平和だったり、その何か演奏してる空間って、さっきも言った調和が取れてる感じなんですよ。なんかその調和されている空間の心地よさっていうのは私はすごく好き。もちろんハーモニーであったりとか、その、その音楽自体もね、本当に素晴らしいものばっかりなんですけど、なんかその雰囲気がすごく好きなんですよね。”なんかここが私にとって一番安心安全”みたいな感じ

ドット:ありがとうございます。
では、続いて高校時代に移らせていただきたいんですけど、県立高校に行かれたということで、またもし一言で表すとどんな感じか教えていただきたいです。

歌原:すっごく上質な紺色って感じ。
制服が紺のブレザーだったんで。でもすごくそのイメージが強いんですよね。”あの学校といえば、紺。”みたいな感じ。

ドット:”学校といえば紺”ということで、その高校生活についてまた詳しくお伺いしてもいいですか?

歌原:高校も部活ばっかしてましたね。長期休みも毎日部活あったし、本当に体育会系の部活並みに動いたりしてました。今思ったら高校時代にあんなに考えることができたのも、やっぱり部活があったからだなっていうのはありますね。もちろん他の授業のときもそうだし、部活以外の友達もいたんですけど、やっぱり部活の存在が大きかったですね。

ドット:先ほど”高校時代に考えることができたのは合唱のおかげ”っていうふうにおっしゃってたと思うんですけど、具体的にどんなことを考えてらっしゃったのか、もしお伺いできればと。

歌原:そうですね。中学生の時と比べて少し視座が高くなるというか、扱ってるその曲の内容だったりとか、詩の内容だったりとか、そういう背景の歴史とかもね、いろいろ紐解いていくと「この時代の人たちって、こういうこと考えてたのかな?」とかをみんなで話したり、”もっと深く・多面的に音楽を知ろう”っていう感じがあったんですよね。
だから、単に練習だけするんじゃなくて、曲に対する考え方なんかを高校のときにはやってたなあって感じはしますね。というか、解釈について話すことが自然にできてた。特定の人が考えるんじゃなくって、みんなが、「あの部分ってさ…」みたいな感じで、「どういうふうな解釈にする?」とか、そういうことを自然に話し合えたという感じですね。

ドット:結構、合唱の文脈の中でっていう感じなんですね。なんか普段の生活の中で、何か悩みだったり考えることが多くなったというよりかは、合唱の文脈の中で曲を紐解くっていう部分でっていう。

歌原:そうですね。なんか普段の生活、そんなにこう考えることもなかったくらい楽しかったという感じがありますね。それ以外で考えたことって、その特段の悩みがなかった。

ドット:ありがとうございます。続いて大学時代のお話をお聞きしたいんですけれども。

歌原:私ずっとピアノを習ってたんですよ。ピアノやってたんですけど、本当は一人で弾くピアノはそんなに好きじゃないんですよ。でも伴奏は好きで、ずっとやってました。”大学どうしようかね”ってなったときに、うちの高校からも音大に指定校推薦があったんで「枠あるよ」って言われたのと、子どものころから習ってたピアノの先生が体調を悪くされて、妹さんに高校2年かな?のときから変わったんですけど、先生の繋がりでまさに指定校推薦枠があった大学の先生を紹介されて、”いやもう本当やめようと思ってたんだけど…”みたいな感じなんだけど、周りの大人の人がいろんなお膳立てをしてくれて、なかなか引くに引けなくなりました。

でも1回、両親に言ってみたんですよ、「やめたい」と。でも、「まあまあまあ」みたいな感じで押しきられて、「まあいっかぁ」と思っちゃったんですよね。その時に”自分が本当にやりたいこと”をうまく伝えられなかったし、よくわからなかった。だから、”言ってくれてるし、お金もかけてもらってるし、いいかなぁ”と思って、その大学行きました。でも合わなかったんですよ、結局。ちゃんと4年間で卒業したんですけど。
大学時代もやっぱり合唱ばっかりやってました。単位は落とすことなく、最低限やり、で、あのずっと憧れてた東京の合唱団に入って、歌ってばかりいました。

あとお笑いのライブにめっちゃ行ってました週3ぐらい行ってましたね

ドット:それは何かきっかけとかあったんですか?

歌原:ラーメンズって、今はもう活動してないんですけど、コント師の方たちがすごく好きなんです。それで、高校の時からも単独ライブとかを見に行ったんですよね。それで”画面で見るよりもずっとおもしろい”と。元々好きだったんですけど、もっと違う、やっぱり空間ですよね。空間が作る面白さみたいなのを感じて、それで、”見るんだったら、やっぱりライブで見よう”と思って、他にも好きな芸人さんたちがいたので、次から次へと見に行ったみたいな感じでしたね。

ドット:なるほど。ありがとうございます。
音大が結構合わなかったみたいなお話されてたと思うんですけど、今、言語化するとしたらどういう部分とか、どういうことが原因で合わなかったかとかって、言語化できたりしますか?

歌原:そうですね。小学校のときに感じてた”合わなさ”と若干似てるなぁって今思いました。話が合わないな、もそうだし、エンターテイメントとして、私は音楽を捉えたかったんですよね。人を楽しませる。もちろん自分たちも楽しいけども。音大で勉強すればするほど楽しめなかったっていう感じがあって。なので”大学つまんないな”っていう感じでしたね。

ドット:ありがとうございます。では、そのあと小学校の先生になったんですか?

歌原:そこはね、まだなってないんですよ。

ドット:そうなんですね。

歌原:大学では中学校と高校の教員免許しか取れなかったんです。それで卒業してから私がいた中学校の産休代理で、講師になったんですよ。だから最初は中学校でした。

ドット:何の教科とかって?

歌原:音楽ですね。

ドット:そうですよね(笑)
中学の先生を辞めて小学校に行かれた理由とかあったりするんですか?

歌原:あの…ちょっと話さかのぼるんですけど、小学校の教員だけはやりたくないと思ってたんですよ。これは小学校の教員の担任が最悪だったっていうのがあるのと、私、両親が小学校の教員だったんですよ。それで”大変そうだなぁ”ってのを思ってたので、”私は小学校の先生にはならないな”って思ってたんですよね。

なので大学に行くときには、小学校の免許が取れる・取れないは全然考えてませんでした。中学校で勤めてたときに、大学出たてで子供たちに教えるって、”私自身がもうちょっと世間知らないと駄目だな”ってすごく感じたんですよね。なので1回先生を辞めて民間で働き始めたんですよ。2年くらいいたんですけど。

でもある時「小学校で、中学校とか高校の免許を使って非常勤できる募集あるよ」って話を知り合いから聞いて。それで、ちょっと”非常勤だったらそろそろ学校に戻りたいな”と思って、小学校の講師になったんですね。そこで出会った先生たちが本当に素晴らしい先生たちで、小学校の先生っていいな”って、私のそれまでのイメージをガラッと変えたんです。それで”私も小学校の免許取ろう”って思って、通信大学で小学校教員の免許を取る勉強を始めました。2年弱くらいかかりましたね。その時すでに臨時免許取って小学校で担任してたしたんですけど。教えながら、通信で正式な免許を取っていく、っていう生活をしてましたね。

ドット:おお…。すごいハードですね。

歌原:そうですね。レポート書いて、試験を受けてというのを実際にフルタイムで勤めながらやってました。

ドット:このときは結構、どうでしたか?メンタル的に”辛かった”とか、逆に”やりがいを感じてた”だったりとか、もしあれば。

歌原:いやぁ、つらかったですね。もう物理的に時間が足りなくって、本当に朝も早かったし、担任の仕事やってるので夜も遅かったし。レポート出して、試験を受けてっていうのが本当に何十科目ってありました。休みをそんなに取れなかったと思います。この時期は。

ドット:そうなんですね、この、教えながら通信大学の期間を経て、その後ストレートに小学校に行けた感じですか?

歌原:そうですね。結婚して大阪に来たんですよ。それで大阪で採用試験を受けて、合格しました。

ドット:なるほど。ありがとうございます。
その後のお話…大阪来て、小学校の先生になってからのお話とか、その小学校でのお話とかって聞いても大丈夫ですか?

歌原:はい。小学校は最初音楽専科だったんですけど、さっきちょっと冒頭の方にお話したみたいに結構しんどい子が多かったんですね。自分にできることないかな?と思って、土日関係なく勉強したり仕事したりしてました。大変だったけど子どもたちはかわいかったですね。でも、働きすぎて身体壊しました

ドット:そうなんですね。

歌原:そのときに、すごく自分の無力さっていうところを感じたけども、逆にそうなるまで自分を”まだまだいけるだろう。”って自分で自分を追い詰めてた部分はあったんですよね。だからあの時期に、自分にストップがかかったっていうのは、すごく大事だったなって。ちゃんと身を守るために身体を壊すという出来事が起こってたなって今は思います。

ドット:ありがとうございます。「最初は音楽専科」っておっしゃってたと思うんですが、そのあと何か変更したりとかあったんですか?

歌原:特別支援学級の担任をやりたいって管理職の方に言いました。休んでたときもそうだし、その前からもあったんですけど、もっと一人一人の子供に関われたらいいなって思っていました。『一斉に授業をする形』はそれはそれでいいけど、『個別で子どもと関わりたい』っていうのがあったので、休んで復帰した後は、特別支援学級の担任になりました。

ドット:その後、今、独立するまではもう特別支援学校っていう感じですか?

歌原:地域の学校です。特別支援”学級”の担任ですね。

ドット:ありがとうございます。この過去の部分で、”ここがターニングポイントだった”とか、”もう少しここ詳しく話しておきたい”みたいな部分あったりしますか?

歌原:やっぱり休んだときですね。ほんっとにメンタルもやられちゃって、身体も言うこと聞かないし、”ああ、このままじゃ私、駄目だ”って思ったんですよ。自分を許せなかったんですよね。自分への怒りが一番強かった。でも、”子どもたちのために使いたい”と思ってやっていたブレインジムを自分のために使ってみたんですよね。あとは一緒にブレインジムを勉強してた人たちも、応援してくれたり、サポートしてくれました。それでやっと“私、しんどかったんだ。”って気づいたんですよ。ブレインジムを自分のために使ったことで。初めて自分と対面できたというか、面と向かってしゃべれた。”ああ、そうか。しんどかったんだね。”って初めて言えた。自分に。これがターニングポイントの一つではありますね。

ドット:ありがとうございます。ここの部分で自分と対面したりだったり、しんどかったって気づけたそのブレインジムが、占いだったりとか、今されてることに繋がってたりするっていう感じですか?

歌原:”自分が自分の一番の応援者である”っていうことを、多くの方に知って欲しい。そのために”今の自分ってどうなんだろう?”って目を向けることを、占いとか、ブレインジムとか、他の方法ももちろんそうなんですけども、何かそういう自分を見るツールとして、1個知っておくといいんじゃないかなってのはあります
なので、”このツールを使えばいい”というよりも、”この方法も使ってみると、別な面からも見れるね”という感じで色々知って使えるようになりたいんですよ。

未来:『うたえもん』として、すべての人が”自分の本音がわかる”世界を実現したい。

ドット:では、続いて未来のお話させていただきたいなと思うんですけれども。
5年後、10年後、あるいは死ぬときに、こう思っていたい、こういうことしていたいなっていう部分あったりしますか?

歌原:いろんな人から「うたえもん」と言われてます。ドラえもんみたいに、困ったら何か出てくる、みたいな。”とりあえず困ったら、この人に聞いてみよう”みたいな存在でいたいなと思ったんですよ。子供のときにも仙人になりたいってずっと思ってました。それがやっと形になってきたなっていうのがあるんですね。なので死ぬ日まで、「ねーねー、うたえもん!」っていうふうに、誰かが訪ねてきてくれるというか、声かけてくれるような。そんな存在でいたいなって思います。

ドット:ありがとうございます。では、そうですね。1つその無名人インタビューとして質問があるんですけど、もし合唱に出会っていなかったら、どんな人生を送っていたと思いますか。

歌原:いなかったんじゃないですかね。
多分、自分にとっての理想の世界だったりとか、自分の生きる意味ってところに、なかなかたどり着けなかったかなと思います。周りの人とも、自分自身とも平和で調和が取れている状態であることを知ったのは、合唱に出会ったから。多分合唱がなかったら、もう何もないと思います。今頃ね。

ドット:ありがとうございます。そうですね。では、最後に、過去でも現在でも未来でも、ここのお話もっとしておきたいなとか、何かここもうちょっと聞いてほしいなみたいな部分、もしあったら教えていただきたいです。

歌原:小学校の教員のときに、パニックを起こしやすい子を担任してたんですよ。その子は友達と喧嘩して殴っちゃったんですよね。それで、私に対して「本当はしたくなかった」っていうことをポロッと言ったんですよね。その衝動をなかなか抑えられないっていう特性があった子なので、「ああ、そうだよね。」て思いました。

”本当はやりたくないんだよね。でも止められないからあなたも困ってるんだよね”って思う場面が多かったですそんな時に周りの人が“なんでだろう”と考えて理解したり、自分が自分のことを理解するっていうことって本当に大事なんですよね。

そうすると自分とも仲良くなれるし、周りの人も、”だからかー!”っていう感じでね。なんていうか、何やっても許される免罪符じゃなくって、”あなたが困ってるんだとしたら、どうしたらいいか一緒に考えようよ”って仲間ができる。何でもかんでも許すのではなく、一緒にいい状態を作っていくためにあなたのことを理解したい、ということが当たり前である世の中にしたいんですよ。それは私が今まで会ってきた子たちがいたからこそ、そんな考え方になれたなっていうのはあります。

ドット:ありがとうございます。
自分の中で、こういう存在でいたい・その結果こういうことを実現したい、っていうビジョンみたいな部分を、改めて歌原さんのお言葉でお聞きしたいなと思います。

歌原:歌う、うたえもん。「ねーねーうたえもん」ですね。
他の表現で言うと、コンビニに近いと思うんですよ。専門店じゃなくてコンビニ。
“これないな”と思ったら、近くにあるコンビニ行くじゃないですか、専門店は敷居が高いけども、“あそこに行ったらば、歯ブラシあるし…”みたいな感じで、とりあえず私のとこ来てもらったら「あなたの困ってる部分って、こんな解決の仕方があるよ、必要だったら人紹介するよ」とか「こんなんあるよ」とか「知りたい情報、ここにあるよ」とか、そういうのを提供できる存在でいたいんです。
自分だけがいい思いするんじゃなくって、みんなが幸せになるために自分が何を提供できるのかな、っていうのを常に考えられる自分でありたい。

私が目指してるのは“すべての人が生きやすい世の中”なんですね。それを実現したい。”生きやすい世の中”っていろんな解釈がありますけど、一つは自分の本音がわかるし、本音が言えるということ。だから”これやりたいんだよね”って思っててもなかなか人に言えなかったり、“どうせダメだろう”って思ってしまってるところを、”いやいやそんなことない。あなたがやりたいこと、あなたにしかできないんだよ”っていう応援ができる存在でいたいし、”自分にはこんな才能がある!”とまで思わなくても、”やりたいことやってみよう”っていう考え方をたくさんの人が持てたらいいな、と。そのために私自身が『自分のことを知る。自分に気づく。自分と仲良くする』ということを通して、今悩んでいる方に”なるほど!自分ってこういう所があるんだ”って気づいてほしい。ていう感じですね。

ドット:ありがとうございます。では最後に疑問点であったりとか、やっぱりもうちょっとここ、しゃべっておきたかったとか、もしあればで構わないので、もしあれば。

歌原:そうですね。「もっと自分と仲良くしてね」っていうのを最後に。無理して頑張るんじゃなくて、もっと自分と仲良くして、自分が本当にやりたいことをやっていきましょうよ!で終わります。

あとがき

お話を聴いていて、率直にすごく人生経験豊かな方だなぁと思いました。
語り口調もハキハキとしていて、次から次へとエピソードや違う経験が出てくる様子からも、まさに『うたえもん』だと思いました。教員時代に土日祝返上で子供たちのために色んな知識を身につけていたり、今後も周りの役に立ちたいという、そのサービス精神が魅力的な方だな、と思います。

また、個人的に歌原さんの占いと”すべての人が生きやすい世の中を”というビジョン、自分の心理学と”誰もが生きづらさを抱えない世界をつくる”というビジョンが似ていて親和性を感じながら、一方で、その実現のためのアプローチが違うことに”ああ、こんな方法もあるんだなぁ”とおもしろさを感じていました。私自身、自己実現のためには幅広い知識と経験が必要だと感じているので、歌原さんのように【学ぶ姿勢】と【やりたいことに忠実に取り組む気概】を持った人間になりたいと思います。

改めて歌原さん、ありがとうございました!

インタビュー・編集担当:ドット

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