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みんな何かしら抱えてるものは絶対あると思う人

むかしむかし、ある村に、慧眼(けいがん)という名の若者がいました。慧眼には不思議な力がありました。人々が心の中で抱えている悩みや苦しみを、その人の背中に乗った見えない荷物として見ることができたのです。
慧眼は気づきました。「みんな何かしら抱えているものは絶対にある」と。
ある日、村で最も幸せそうに見える富豪の背中に、大きな荷物を見つけました。話を聞くと、富豪は家族との絆を失っていたのです。
また、いつも明るく振る舞う若い娘の背中には、重い病の荷物がありました。
村一番の力持ちと呼ばれる男の背中には、幼少期のいじめられた記憶という荷物が。
慧眼は、誰もが何かしらの荷物を背負っていることを知り、深く考えました。
ある日、慧眼は村の広場に大きな箱を置きました。そして村人たちに「自分の抱えている悩みや苦しみを、匿名で紙に書いてこの箱に入れてください」と頼みました。
初めは戸惑う村人たちでしたが、少しずつ箱は紙で一杯になりました。
次の日、慧眼は村人たちを集め、箱の中の紙を一枚ずつ読み上げました。
驚いたことに、多くの悩みが共通していました。孤独、不安、後悔、恐れ...。
村人たちは、自分だけが苦しんでいるのではないことに気づきました。お互いの気持ちを理解し、支え合うようになったのです。
富豪は家族との時間を大切にするようになり、若い娘は病気のことを打ち明け、村人たちの支えを得ました。力持ちの男は過去のトラウマを乗り越える勇気を得ました。
やがて、村人たちの背中の荷物は軽くなっていきました。完全になくなることはありませんでしたが、みんなで分かち合うことで、一人で抱える重さは確実に減っていったのです。
後に慧眼はこう語りました。「誰もが何かを抱えています。でも、それを理解し合い、支え合うことで、私たちは強くなれるのです。見えない荷物があることを知り、お互いに優しくすること。それが、この世界をより良くする一歩になるのです」
そして「見えぬ荷物、分かち合えば軽し」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月11日19時57分に書く無名人インタビュー912回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 高瀬將也 さんです!

年齢:30代後半
性別:男性
職業:自営業


現在:表現したいのは、みんな違っていいんだよ、っていうのを表現したいと思ってて。

ポンプ:
現在なんですけど、何をされてますか。

高瀬將也:
今は自営業しながら作家というか、絵を書いたりとか一通り表現活動を同時にしてますね。

ポンプ:
自営業はざっくりどんなことをされてますか。

高瀬將也:
飲食業ですね。1回目のインタビューのときは確か働いてない時期だったと思うんです。
元々、介護やっててそれを辞めて、とあるきっかけで今の飲食業・・・バーなんですけどそれを引き継ぐ形になって今に至るんですけど。

ポンプ:
引き継ぐ流れも教えていただきたいのですがいかがですか。

高瀬將也:
僕が付き合ってたパートナーがいるんですけど、そのパートナーが営んでたお店なんです。
バーが30年以上やってて、病気で彼が亡くなってしまって。
そのとき・・・入院したときに、お店を閉めておくのもあれだったし、自分も無職っていうタイミングだったので事業を引き継いだって感じです。

ポンプ:
引き継ぎで大変なところとかありましたか。

高瀬將也:
全く飲食業の経験がなかったので、わからないことだらけというか。
お店に出入りして見てはいたんですけど、実際それを見るのとやるのでは全然違うので。

やっぱりそれは最初苦労したというか。今でもまだ日々勉強というか、そんな感じで働いてますね。

ポンプ:
逆に面白いところってどんなところですか。

高瀬將也:
いろんなお客さんが見えて、いろんなお話をして。
そういう出会いが楽しいですねやっぱり。

ポンプ:
もう一つの活動で作家さんをされているということだったんですけれども
4年前のインタビュー時から変わったところあればお聞きしたいんですけどいかがですか。

高瀬將也:
前回のときは、まだSNSで発信するぐらいな感じで。
それから個展を開くようになって。来年個展をまたやろうと思ってて。
それに向けて今、作品を作るのと、それと同時にクラウドファンディングをやってまして。
今、岐阜県に住んでるんですけど、岐阜と東京の銀座でやろうと思ってて。2ヶ所で。
同じテーマなんですけど、個展を開催しようと思ってもう場所はもう決まってて。

会場費が結構するのでクラウドファンディング試しにやってみようみたいな感じで、最近始めたんです。

ポンプ:
描く内容ってどんな変化がありましたか。

高瀬將也:
絵を描き始めた頃に100のひまわりっていう・・・ひまわりをテーマに100種類、作品を作ったんですけど。
そのときはコロナだったのかな。それでも結構多くの人に見に来てもらって。
5年経って自分の変化、それこそ仕事が変わったりとか。
彼が亡くなって今は新しいパートナーがいて。
そういう変わった部分を表現できればなと思って作品作りに向き合ってるんですけど。

表現したいのは、みんな違っていいんだよ、っていうのを表現したいと思ってて。

僕は絵画とか彫刻などさまざまな形で表現していきたいと思ってるんだけど。
それぞれでみんなやりたいことは多分、あるんだけど、なかなか踏み出せない人がやっぱ多いと思うので。

そういう人が一歩でも踏み出すきっかけになれるような作品を作りたいなと思って活動してますね。

ポンプ:
バーは具体的に何時ぐらいのお仕事ですか。

高瀬將也:
夜の7時から1時、2時ぐらいまでの営業なんですけど。

ポンプ:
その時間以外で創作活動されてるんですか。

高瀬將也:
そうですね。

ポンプ:
どんなふうに描かれるんですか。

高瀬將也:
イーゼルに置いて絵の具だったりとか鉛筆だったりとかパステルで書いたりとか、そのときの気分で結構変わるんですけど。

ポンプ:
どの画材が、傾向としては多いですか。

高瀬將也:
今は絵の具が多いですけど前はパステルっていう素材を使ってたこと多かったですね。
今回も100作品作るので、いろんな画材とか素材を使って表現してるのでコレっ、て決まってはないですね。

ポンプ:
作品のサイズってどのぐらいのサイズなんですか。これも色々あるんですか。

高瀬將也:
そうですねちっちゃい四角の5cm*5cmのものから、F30と呼ばれる大きいものも描きますし。
でも部屋で描けるレベルのものですね。壁画とかそういうの手がけたことはまだないので。

ポンプ:
色使いとかはどんな色が多いとかあったりしますか。

高瀬將也:
原色を使うことが多いと思います。
以前のインタビューでお話しをしたんですけど、双極性障害って持病を持ってて。
波が結構あるんですけど、そのときの気分で・・・テンション高いときは原色が多かったりとか。
自分が落ちてると逆に落ち着いた色が多かったりするので、幅があるというか。

ポンプ:
気分によって影響されるとはいえ、同じようなメッセージを伝えたいっていうのはやっぱり変わっていないですか。

高瀬將也:
そうですね基本的にさっき言った、みんな違ってそれでいいっていうのが根本にはあるかなと思います。

ポンプ:
バーのお仕事以外の時間は、創作活動だと思うんですけど、どんな生活になってますか。

高瀬將也:
朝、7時8時とかに起きて制作をして。
ご飯食べて、買い出し行って。
仕事前に休憩で昼寝をして。
夕飯食べて仕事に行く。

みたいな感じが基本のルーティンですね。

ポンプ:
お休みの日ってあるんですかね。

高瀬將也:
定休日は一応設けてて。そのときの過ごし方としては基本そんなに変わらないんですけど旅行行くときはもちろん旅行を楽しむんですけど・・・旅行は好きなんでよく行ってて。

ポンプ:
最近はどの辺りに行かれたんですか。

高瀬將也:
こないだは沖縄の宮古島に行ってきて。
観光やアクティビティを楽しんできたんですけど。

ポンプ:
そういうものもやっぱり作品に影響するんですか。

高瀬將也:
そうですねちょっと海を書いてみようかなとか。

ポンプ:
高瀬將也さんのオリジナリティで言うと、例えばメッセージを絵に表現させたときに、どういう表現の仕方がありますか。

高瀬將也:
動物が好きで表現することが多いんですけど、みんなから目の感じがいいとかいろいろ言ってくださる方が多くて。
それでもだから、今回はひまわりと動物を絡ませた絵を描いてみたりとか、したりはしてますね。

動物園で写真撮って、参考にしながら書いたりとか、友達が飼っている犬・猫を描いてみたりとか。そういう感じですかね。

ポンプ:
鉛筆でも動物を描かれることあるんですか。

高瀬將也:
そうですね。あんまり最近鉛筆で動物は書いてはないんですけどサラサラっと書いたりするときもありますね。

ポンプ:
前回1回目のインタビューのときも動物を描いてたんですか。

高瀬將也:
幅広く書いてて、デジタルでもiPad使って書いたりするんですけど。
前回のインタビューではデジタル作品を記事に埋めてもらいました。

気分的にサラサラっと描きたいときはデジタルで描いたりとかしてますね。

ポンプ:
旅行以外に好きなことありますか。

高瀬將也:
ライブに行ったりするのが好きで。
それぐらいですかね。

ポンプ:
音楽はどんな音楽聞かれるんですか。

高瀬將也:
昔から星野源さんが好きで。最近だと藤井風さんとか。
流行りものですけどそういう人たちのアルバムを掘り下げて、聴いたりとかするのが好きで。

ポンプ:
描いているときは音楽かけながらとかそんな感じなんですか。

高瀬將也:
聴きながら描いてるときもあれば、静かな環境で描いてるときもありますし。

ポンプ:
バーでのお客さんとの会話で最近面白かったエピソードありますか。

高瀬將也:
ポジティブな話題というか、パートナーとの仲の良い話とか。
そういうのを聞いたりするのが結構好きなので。

あんまりネガティブなコトよりもポジティブなコトを聞いていたいので。

そういう話を聞いたときは楽しいと思って。
人間なんて、人の悪口だったり愚痴だったり、言うことももちろんあるので、それはそれでちゃんとお話を聞いたりはするんですけど。

ポンプ:
バーはどうやって通われてるんですか。

高瀬將也:
バーっといっても自分はお酒全然飲めないので車で通ってるんですけど。
車で5分ぐらいのとこにあって。近くにありますね。

過去:自分を守るというか、そうやって生きてきたかなと。

ポンプ:
過去の高瀬將也さんについてですが前回お伺いしていますか。

高瀬將也:
前回話したのは多分ブログがメインだったんですけど。
岐阜のススメっていう、岐阜を紹介するみたいなブログをやってます、みたいな話を多分したんですけど。
ブログは今も一応存在はしてるんですけど。

今、創作活動とお店の方で忙しいので、更新は途絶えてて進展はないんですけど一応、SNSでも岐阜のことを発信してますね。

ポンプ:
前回から4年経って、過去を振り返ってみたときに、何か見え方が違うことはありますか。

高瀬將也:
お客さん目線だったのがお客さんじゃなくて、店側の目線になったので。
全く違う目線にはなってるとは思うんですけど。

だから他の物事の見方も変わってるのかなと。そんな意識したことないんですけど。

ポンプ:
1回目の記事は、読み返したりはされるんですか。

高瀬將也:
何度か読んだりはしましたね最近はちょっとその前に読めばよかったなと思ったんですけどちょっと読めてなかったんでそんなとこまで話したかなって。ちょっと曖昧なんですけど。

ポンプ:
わかりました。もう1回ちょっと重複するかもしれないんですけど小さい頃の記憶をお伺いしてもいいですか。

高瀬將也:
僕は7人兄弟の6番目に生まれて。
覚えてる記憶はもう幼稚園ぐらいの記憶だと思うんですけど。
7人いたんで賑やかな環境では育ったと思いますね。でも、6番目なんで上の兄妹とは年が離れてたので。小学校も高学年とかなってくると上の兄弟は就職したりとかで家から出てたので。

テレビとかで見るような大家族のイメージは小学校ぐらいまでの間かなと思います。

ポンプ:
その頃のご自身を振り返ってみて、どんなお子さんでしたか。

高瀬將也:
今とは全然違って、ただおとなしい子供だったと思います。あんまり喋らないし、自己表現も苦手だったので。
クラスではおとなしいタイプの子供だったです。目立たないというか。

ポンプ:
小学校とか、中学校とか高校とかで、印象的な思い出・出来事をお伺いしてもいいですか。

高瀬將也:
小学校は、その頃から振り返るとやっぱ双極の資質があったのか、登校拒否した時期もあれば、学級委員やった時期もあって。
家庭環境もあまりよろしくなかったので、親と喧嘩したりとか兄弟の喧嘩が激しかったりとかで。
そういうのを見て育ったので。

自分を守るというか、そうやって生きてきたかなと。

中学校もそんな感じで。
中学校はホントに暗い生活送って。高校に入って、陸上部に入って、結構楽しく、好きな人もできて、楽しい学生生活を送って。

陸上部の部長もやって、それなりに充実した高校生活を送ってました。

ポンプ:
陸上は何を得意としていたんですか。

高瀬將也:
中長距離で500mとか3000m5000mとか。あと駅伝に出たりとか。弱小だったんで。

大きな大会には出れなかったんですけど。

ポンプ:
その後の現在に至るまでの高瀬さんの生活の過程はいかがでしたか。

高瀬將也:
静岡県で生まれて、高校卒業まで静岡にいて。
大学は三重県にある大学に通ってたんです。
そこで学びながら寮に最初は入って。寮に入ったおかげでいろんな地方の子と友達になれたので大学生活は楽しく。

遊んでばっかでしたけど。

そうやって過ごしてきて、就職は今のパートナーじゃなくて前のパートナー・・・バーのマスターになるんですけど。
彼が住んでる岐阜に就職して。

仕事の関係で一時、実家に帰ったことはあるんですけどほとんど岐阜で暮らしてますね。

ポンプ:
岐阜との関係性でいうと前のパートナーさんが亡くなられたっていうところで、新たな関係性は今、どういった感じですか。

高瀬將也:
お店に来てくれたお客さんが新しくパートナーになったんですけど。
一緒に住んで今は落ち着いた生活を送ってますね。

ポンプ:
大学は何を専攻されたんですか

高瀬將也:
文学部のコミュニケーション学科っていうところだったんですけど。
資格としては英語の教師になれるんで、英語の授業があったり。
結局、卒業後は関係ない介護職員なんですけど。

でもコミュニケーションという部分では人と関わる仕事に就きたかったんで。
黙々と工場でライン作業みたいなのは、自分には向いてないなと思ってたので。

ポンプ:
岐阜での初めてお仕事だったんですか。

高瀬將也:
介護職だったんですけど。
会社変わりながらも10年は介護職に就てたんですけど。
介護は疲れてしまって。人間関係が。

利用者さんっていうよりは、職員の関係性に疲れてしまって。

どこ行っても人手不足でヒーヒー言ってるような職場が多いので、現実は。
フラフラしながらバイトとかもしてたんですけど。

元々、実家が自営をやってたのもあって独立心もあったので、自分にバーをやるっていう機会が巡ってきて。思ってた通りとは言わないですけど、仕事ができてるので、ありがたいですね。

ポンプ:
もし元のパートナーさんが存命で、バーが続いてたとしたら、何をされてると思いますか。

高瀬將也:
いやあ・・・何してたか全く想像つかないんですよね。

それこそ芸術活動は多分、好きでやってたと思うんですけど。
仕事に関しては全く未知数ですね。

介護に戻れるように資格取って辞めたので、戻る可能性は多分あるだろうなと、当時は思ってましたけど。

ポンプ:
創作活動の兆しっていつぐらいからあったんですか。

高瀬將也:
5年ぐらい前からコロナ禍で仕事辞めて時間ができたときに、前のパートナーがジオラマ製作をして模型を作ってて。
それを見て影響されたと思うんですけど・・・昔、描くの好きだったなと思って。

小学校ぐらいは絵が好きで漫画描いてたんで漫画家を考えた時期もあったんですけど。

小学校以降は封印してて。
それがコロナをきっかけにやろうってなって。それが5年前ですね。

ポンプ:
どんな漫画が好きだったんですか。

高瀬將也:
ドラゴンボールとかスラムダンクとか、ジャンプの漫画が好きで単行本を持ってたりしましたね。

ポンプ:
ご兄妹が買ったものを一緒に見る、とかですか。

高瀬將也:
ジャンプとかそういう雑誌は、買ったものを一緒に共有してましたね。

ポンプ:
漫画家を目指していた頃はどんな漫画を描きたいって思ってたんですか。

高瀬將也:
友達と一緒に描いていた時期があったんですけど。ギャグ漫画みたいな感じだったのかな。いま思えば。

ポンプ:
友達と一緒に描くっていうのはどういう役割のすみ分けになるんですか。

高瀬將也:
1ページずつ描いて回してくっていうのをやってたんですけど。
4人で回してたんですけど。そういうふうに描いてましたね。
前の友達の1ページを見て続きを考えるみたいな感じですね。

ポンプ:
何回ぐらい回ったんですか。

高瀬將也:
ノートの半分ぐらいまで行ったかな。それぐらいで止まってしまったと思うんですけど。
中にはやっぱりあんまり描きたくない子もいたと思うので、全員が同じ熱量ではなかったと思うので。

未来:パートナーが亡くなったことを経て、自分の表現はどうしたらいいのか。

ポンプ:
未来のお話なんですけれども、高瀬さんが終わりを迎えるまでの間に、何かイメージされてることってありますか。

高瀬將也:
体が動く限りは今のバーをやり続けたいのと、絵が売れる売れないは関係なしに創作活動を続けていけたらいいなと。
その2本の柱が成り立っていけばいいかなっていう感じですね。

ポンプ:
バーはどんなふうにしていきたいみたいなのってあったりするんですか。

高瀬將也:
今、何とかトントンでやっていけてるので、売り上げももちろん意識しながらではあるんですけど。
今の感じで楽しく、自分も楽しんでできるお店を細々でもいいから続けていきたいっていう感じですね。

ポンプ:
ご自身がお酒を飲めないっていうところで何かやりにくさとかってないですか。

高瀬將也:
みんな理解してくれてるのでそんなにやりにくさは感じてないですね。

ポンプ:
お酒の種類を覚えるとか。

高瀬將也:
知識的には勉強しなきゃいけないんで。勉強しつつお客さんに教えてもらいながら学んでる状況ではあるんですけど。

ポンプ:
創作の方で高瀬さんのメッセージがいろんな人に伝わったっていうことが実感できるとどんないいことがあると思いますか。

高瀬將也:
僕が考えてる「みんな違ってそれでいい」っていうのが伝わってるのであれば、少しでも多くの人がやりたいことに向き合ってるってことだと思うので、それはすごく幸せなことだと思いますし。
自分のモチベーションになってくるんじゃないかなとは思いますね。

ポンプ:
「みんなそれぞれ違ってていいんだよ」っていうことを伝えたいという気持ちのルーツは、どういうところから来てると思いますか。

高瀬將也:
自分がセクシュアリティ的にマイノリティな人間なのでそれもありますし。
双極症っていう病気を持ってるっていうのもそうだし。

パッと見、わからないんですけどそういう違いがあっていいじゃん、って僕は思うので。

みんな何かしら抱えてるものは絶対あると思うので。

ポンプ:
マイノリティで良かった、っていう体験はありますか。

高瀬將也:
セクシュアリティに関して言えば、マイナスには考えてなくて。
単純に人を好きになることって素敵だなと思ってるので。
同性だろうと異性だろうと関係ないと思ってるので。

双極症に関しては難しいですね。薬を飲みながらコントロールしてる状態なので。
気分が高まってるときはいいんですけど周りに害を与える可能性もあるので・・・なかなか難しいと思います。

ポンプ:
他に高瀬さんが終わりを迎えるまでに、これはやっておきたいって思いつくものがあれば教えていただいていいですか。

高瀬將也:
宣伝になっちゃってるんですけど100のひまわりっていう、最初にやった展示、来年やる展示・・・5年おきになってるんですけど、それぐらいのペースで同じテーマで自分の変化を楽しんだりとか。

周りの変化も楽しみながら自分の表現方法がどのように変わってくのかなっていうのを見ていきたいというのもありますね、一つのテーマを続けていく・・・。

ポンプ:
具体的に描いてみたいイメージは、なにかありますか。

高瀬將也:
人物だったり風景を・・・岐阜の街の風景をもっと残したいなっていうのは。
苦手で向き合ってないんですけど、今後はそういう幅を広げていきたいのはあります。

ポンプ:
ご自身がいなくなるっていうことに対する準備みたいなものって何かされてたりしますか。

高瀬將也:
特に現状ではしてないけど、パートナーに対して伝えたいことは残しておかないといけないなっていうのは前のパートナーを亡くしたときに思ったので。

早いうちに出来るだけしたいなと思ってます。

ポンプ:
どういうふうに伝えるのが一番良さそうだと思いますか。

高瀬將也:
すごく現実的ですけど遺言に残すとかそういうことだと思うんですけど。

もちろん日々伝えていくことはコミュニケーションとして大切だと思うので伝えていくとは思うんですけど。

自分が死んだときのことは、そういう遺言とかで残したいなとは思いますね。残しておいてもらう方がよかったなと、前のパートナーのときは思ったので。

・・・前回、ハザマっていう名前でインタビューしていただいて。
一度、見ていただいた方がいいですよね、きっとね。

ポンプ:
(インタビューしながら過去記事をおさらいしました)
今更ながら拝見していますすみません・・・2回目のインタビューを受けてみて、どんなふうに思われますか。

高瀬將也:
頭が整理されてきてるような気がするので・・・。

やっぱり話を聞かれて答えるっていうのは、そういう役目もあるのかなと思ったりするので。

ポンプ:
整理ができたっていうお話でいくと、どの辺りがモヤモヤされてた感じですか。

高瀬將也:
パートナーが亡くなったことを経て、自分の表現はどうしたらいいのか。
まだカタチが確立してない部分もあるので徐々に確立させていきたいというか。
自分の画風であったりとかそういったものですね。

ポンプ:
改めてマイノリティのお話なんですが、ご自身ではどんなふうに受け止めてらっしゃいますか。

高瀬將也:
いろいろな人に出会うので別にそんなに珍しいものでもないと、最近は思ったりします。

みんなそれぞれ抱えているものがあるので。
そんなに自分は違うかっていうと・・・違うんだけど。

やっぱそれでいいかなっていう感じです。

ポンプ:
最後に。言い残したことをお伺いさせてください。

高瀬將也:
来年、個展を頑張りますので応援よろしくお願いします。
今クラウドファンディングを11月末までやってるので、インタビューがもし早めに公開していただけるんであれば、それで宣伝できればなと、ちょっと目論んではおります。

ポンプ:
改めて、冒頭で触れたかもですが。
2回目を受けようと思われた経緯ですが、どういう気持ちの持ちようだったんですか。

高瀬將也:
自分の振り返りをしたいなっていうのは、やっぱりあって。

私がどんなことを喋るのかっていうのも、前回のインタビュー記事からの変化があるのかっていうのは気になったのもあって。

ポンプ:
喋ってみた印象としては変化みたいなものって何か感じられましたか。

高瀬將也:
人間としてそんなに変わってないような気がするというか。

もちろん色んな変わったことはあるんですけど。喋ってる内容、そんなに変わってないような気がします。自分の中ではするんですけど。

客観的にはちょっとわかんないんですけど。

あとがき

やってみたい仕事の一つに僕も、バーが挙げられます。

これまでに何人かのバーテンダーと出会って、話をして、繰り返した先には人生が変わることもありました。

また、バーで出会うお客さんとの会話も面白い出来事だったりして。いまもご縁が続いていることを振り返ってみると嬉しい偶然だなーと思います。

そういえば最近、音楽を聴いてないなーと、ふと思いました。

好きな曲を聴きながらゆーっくり、お酒を飲むのってたまには必要ですね。
【インタビュー・編集・あとがき:ポンプ】

#無名人インタビュー #インタビュー #自営業 #バー #絵 #双極性障害


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無名人インタビュー@12/1文学フリマR-04 (西3・4ホール)
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