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自分が納得して死にたいADHDの人

過集中くらいで発達障害なんて言う社会のほうがシステムエラーなんだと思ってるけど、かといって障害というラベリングをうけることで、治療やサポートを受けられる局面もあるじゃないか。
そうだよ認めることで恩恵を受けるじゃないか、と言う人もいるが。
じゃあ発達障害じゃない人のほうを障害者って言えばいいじゃん。
正常なのが集中力があって周りの見えなくなるほうで、正常じゃないのが集中力のコントロールがよくできるほうだ、そっちが発達障害だ、って。
って、まあ、50年後には解決している問題かもしれないね。
時間はいつも期待させてくれる。
もしかしたら〇〇年後にはな、とか。
でも、それは、社会に対するロマンと言う名の慰めであって、いち個人の心を保温する毛布にはなりきれないのよね。
例えばADHDに対する社会啓蒙活動に参加して、自分のこと、特性のことを語ったとしても、結局残るのは、個人の人生なんですよ。社会は個人を救わない。というよりも、社会は個人じゃない、人間じゃない。人は人でしか癒されない。
だから、人と人で物語をするんです。人は社会じゃない。社会の構成員じゃない。人は人だ。だから僕らは語りあうのさ。一対一でね。今日も!!!!!! 明日も!!!!! 未来も!!!!! 未来永劫ね!!!!!
と思う2024年8月31日10時55分に書く無名人インタビュー885回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは ADHDに翻弄されるキヅキ さんです!

年齢:30代前半
性別:女性
職業:会社員(休職中)


現在:私、正直合わないと思ってますよ。これからも多分ずっと悩み続けるし、一生合わないんだろうなって思ってます。

qbc:
今何をしている人でしょうか?

キヅキ:
会社員ですが、休職中です。

qbc:
なぜ休職になったのでしょうか。

キヅキ:
鬱になっちゃいました。

qbc:
いつから?

キヅキ:
2ヶ月前からで、私は名前の通りADHD等の発達障害を持ってるんですけど、綺麗に話しかけるタイミングを間違え続けたり、仕事なんか思った通りに全然できない。自分は普通だと思ってたんですけどできていないみたいで、散々罵倒され続け、パワハラで鬱になったと。

qbc:
今はどんな気持ちで過ごしてるんですか?

キヅキ:
今は…そうですね。やっぱり多動なので、いちいち動いてないと不安です。夫が前、夏季休暇だったんですよ。そのときに帰省したりだとか、そういうときはすごく楽しかったんですけど、それから戻ってきて逆に何もない日常が辛くて。鬱病とかって寝るとか休んだりして回復しますけど、多動だとそういうのができないんですよね。だから、そういう意味での苦しさはあります。
ただ、来月9月から慣らし出勤をすることになって、1日まずは短時間から働くというものになりました。最終的にはフルタイムで。それを経たら本格的に復職します。

qbc:
割とADHDには程度があると思うんですけど、どんぐらいなのか何か示してもらえるものがあれば。

キヅキ:
スーパーヘビー級ですね。まず今お話してる中で、私qbcさんとお話しているときに、qbcさんが話し終わるのを待てないじゃないですか。話が被っちゃったりとかもするし。
この前も衝動的に15万円するMacBookを買っちゃったり。もうなんか、自分でも抑えられないんですよね。
一応、障害等級としても2級なので、かなり重いっていうふうには診断をされています。日常でも影響は出てきますね。

qbc:
復職することに関してはどう思っていらっしゃるんですか?

キヅキ:
嬉しさ半分、緊張半分ですね。とにかくやっぱりじっとしてることが苦手なので、家で1人で過ごすのはすごくつらいんですよ。だから、どこかに出かけて何かをするっていうのは、仕事に限らず嬉しいことなんですけど、やっぱ緊張しますよね。2ヶ月間は完全に会社に行ってなかったので、それはやっぱりあります。

それに、休職するにあたって私、カミングアウトしたんです。入社してから初めて職場の人に。私、ADHDなんですよ、実は発達障害でって。
発達障害ってADHDだけじゃなくていろんなのがあるんですけど、例えば変なときに話しかけちゃうとかそういうのも実は、っていうふうにカミングアウトせざるを得なかったんですね。
それは、すごく勇気がいりました。だから、知ってる状態で会うっていうのが、想像できないんです。休職前に最後に上司は配慮するよって言ったんですけど、どこまで配慮するんだろうとか、配慮するよって言われると逆にドキドキするよなっていうのがありますね。

qbc:
シンプルに自分自身は何も変わってない状態、何も変わってないわけじゃないすかね。違う職種の選択肢なかったんですか。

キヅキ:
違う選択肢はなかったです。なぜなら、職場の他の人はいい人ばかりなんですよ。だから、私はそこで働いていきたいなっていう。
そこそこいい会社ですし、だからこそ、自分で掴んだ綱を絶対に離したくないっていうのがあります。

ただ自分自身、qbcさんのおっしゃる通り自分自身は変わらないので、1回転職しようかなとか、そうですね…やめてみるのも一つの手かなとか思ったんですけど、やめてもやっぱり今みたいにモヤモヤしてる状態が続くだろうし。
転職先でここまで配慮してもらえるかっていうと、そんなことあるか?って思うんですよね。なので、今の職場でいようって思いました。

qbc:
それを踏まえると今どんな気持ちですか。

キヅキ:
そうですね、やるしかないなっていう気持ちです。自分の衝動性をうまく仕事に生かしたいけど、そこまで求めるのは難しいかと思ってます。
発達障害ってすごく複雑で、衝動性があってバーンって上司に怒るときもあれば、ちょっと言われただけでシュンってなっちゃうみたいな。どっちが本当のあなたなの?みたいな部分があるんですよ。

だけど、そう。そこをうまく調整できたらいいのかな。そこがやっぱり今後の課題なのかなと思いますね。そしたら仕事もうまく進めやすくなると思うし、上司とぶつかることもないし。私もハッキリ言っちゃうしね。事実合っていることなんだけど、日本社会で言うのはタブーなことを結構言っちゃったりするので。

それはうん、今後も主治医と上手くやっていきたいですね。

qbc:
なるほどね。今、ちなみに治療としては何されてるんすか。

キヅキ:
毎日薬を飲んで生きてます。薬を飲まないと生きていけません。人よりもドーパミンだとかノルアドレナリンみたいな興奮物質みたいなものが少ないんですよ。
ていうのも、依存性はないんですけど、私それ(ドーパミンだとかノルアドレナリンみたいな興奮物質)を上げる薬飲んでるんですよね。一歩間違えば危ない薬です。
もちろん医療用の薬だけど、それを飲むと覚醒が12時間持続するんです。なので、ゆっくりゆっくり、そのカプセルが溶けだしていくので、キマッたっていうような感覚はないんですが、お腹は空かないし、まぶたが開くっていう感覚。
伝わると嬉しいんですけど、水風呂とか入ったりします?

qbc:
そんなに大好きじゃないですけど、何かおっしゃってることはイメージがあります。

キヅキ:
水風呂入ったときみたいにウワッてなるような感覚、あります?

qbc:
あります。実感のお話ですね。

qbc:
そうです、そうです。その薬物治療を15年以上続けています。他の薬も飲んでます。

qbc:
なるほどね。最初の診断というか薬をもらうきっかけっていうのは?

キヅキ:
最初は、診断名が自律神経失調症とかだったんですよ。
もう何か昼も夜も分からない状態が15歳のときに続いたんですよね。だから、両親もちょっと手におえなくなって最初は心療内科に行きました。そしたら心療内科の先生が、「いや、うちでは見れませんよ。こんな重いの無理です。」って言われて、初めて精神科を紹介されたんですよ。精神科に行ったら、ちょっとあなた、発達障害ですよっていうので、そこで診断されました。ちなみに、それきっかけで15歳のうちに障害者手帳も取得しました。

qbc:
シンプルにプログラマーとかそっちの方っていうのを目指さなかったですか。適正なのか…

キヅキ:
ねぇ!それはめちゃくちゃ思います。
ありきたりですけど、やっぱり発達障害の影響なのかクリエイティブな才能が結構大きくて、例えば会社とかで自分が上げたものとか、資料をちょっとこの色工夫してみよう、このフォント変えてみようとかっていうふうにやったりすると「素人感が全くないね」って言われるんですよ。
めちゃくちゃ嬉しくて。でも、そういう仕事には就かないっていう。うん、やっぱ不安なんですよね。
自分をどこまで受け入れてくれるかっていう。自分のところの会社だったら、とりあえずはカミングアウトして受け入れてくれたので。

qbc:
ふうん。なんか私、その手のディレクターをやってた時期がありますけど、むちゃくちゃ暴言を吐かれても仕事ができる人だから全然怒らなかったでしょ。そういう世界観になってくる。できる人ほど、傍若無人なので。

キヅキ:
そうそう。いや、多分そういうふうな人も、それ系のあるかもしれないですね。没頭しちゃうんで、とにかく。
何言われようが、自分なりの正しさをどこまでも追い求めちゃうんですよね。そう、それを求めちゃうんで、自分がいいっていうふうに思えばそれは最高にいいもの。
でも、そこに達するのって結構大変で、自分に甘くないんですよ。

qbc:
なんか、納期を守ってくれて要するにその激しいから、その都度我慢してたら壊れちゃうと思ってるんですよ。エネルギーがあるから。それを怒るなって言ったら、多分本当休職っていうか、やってもらった方がいいと思ってるんすよね。

キヅキ:
そうですね。本当はまんべんなく出し切っていくのがいいっていうのは頭ではわかってる。だけどできないから、バーンと出し切って休みます。ていうような、あんまり日本人っぽくないような働き方ですね。今も休職中ですし。

qbc:
うんそうですね。平均的な何か、なんていうか、そうですね。綺麗なグラフにはならない。

キヅキ:
うんうん。そうですね。

qbc:
身近な人やその家族、恋人、パートナー、親友そういう距離の近い人から言われる一面は?

キヅキ:
天真爛漫って言われますね。誰に対しても、人見知りとかがなくガンガン行くタイプなんで、特に夫からはよく言われます。

qbc:
クリエイティブで天真爛漫な人って言ったらすごいパーソナリティとしては、なんかお友達になりたいみたいなタイプのような気がするんすけど。私は今それを感じたんですけど、今の堅いお仕事でやるっていうギャップそれについてどう思われます?

キヅキ:
それはね、私正直合わないと思ってますよ。これからも多分ずっと悩み続けるし、一生合わないんだろうなって思ってます。
本当は試したいです。自分の力っていうのを。だけど、やっぱり障害を持って生きてきた人生だと、みんながみんな、そうかそれはしょうがないねって言ってくれるような人たちばっかりじゃないんですよ。
差別する人もいるし、だったら給料下げろよって、厳しいこと言う人もいるし。
いいとこ悪いところたくさんあるのにそう言う人に出会ってきて、やっぱ100いいねって言われても、1罵倒されたら結構そっちに傾いちゃうんですよ。だから、すごく傷ついちゃって。
もう挑戦するっていうことに私は今、qbcさんと話してみて、ちょっと怖がってるのかなっていうふうに思いました。

qbc:
なるほどね。

キヅキ:
夫も言ってるんですけどね。Xで何か漫画とか何でもいいからやってみたらいいのにとかって。でも、うまくいかないんでnoteでバーって書いてやってますけど。

過去:自分が障害者だって知ったときはもう死にたかったです、本当に。

qbc:
子供の頃はどんな?

キヅキ:
子供の頃は暗かったんですよ、本を読むのが好きだったので。本ばっかり読んで図書館とかにひきこもっているような女の子でした。ひきこもるなんて今の自分からだったら考えられないですね。
いろんな発達障害のグラデーションってのがあるんですけど、人生の中でもグラデーションがあるんじゃないかって私は考えていて。
小さいときにASDっていうんですけど、自閉症スペクトラム。通称アスペの傾向がすごく強かった。だから、結構おとなしくて、あんまり人と打ち解けられるような子じゃなかったんですよ。
だけど、今でもすごい覚えてるのが、小学校3年生のときに転校生が来て、その人は結構クラスの盛り上げ役だったんですよね。だから、その人と一緒に遊んだりしていくと人と話すのが楽しいってなって、そこから覚醒していった感はあります。
ってなるとなんで15歳のときに病んだんだってふうになるんですけど、もうなんかそういうふうになっちゃったんですよね。何の前触れもなく。
うん、だから、そういう運命だったのかなって思います。

qbc:
本は、何を読んでたんですか?

キヅキ:
小学生の時の本はね…『かいけつゾロリ』とか。日本人ならみんな知ってますよね。
いろいろ読んでました。あとはあれ、『ブッダ』とか。

qbc:
手塚治虫?

キヅキ:
手塚治虫の漫画をめちゃめちゃ読んでましたね。

面白いですよ。手塚治虫作品って。最後オチがオチじゃなくて、こっちに問いをかけてくるっていうようなスタイルなんですよね。
だからすごく深くて、大人になって日本で一番の漫画家って誰って言われたときに手塚治虫かなと思ったんですよ、私の中で。

そしたら、手塚治虫の作品を読んでみたい。日本で一番すごい人の⚪︎⚪︎を読んでみたい。日本で一番すごいアニメーターの宮﨑駿の作品、ジブリはたくさん見てきたのに、漫画読んでないのはなんでだろうって、本だとたくさん意見が分かれちゃうからちょっと置いといて、漫画はなんで読んでないんだろうと思ったら、もうそのときに指が動いて買ってました。

読んだらすごい良かった。やっぱりこの人って一番なんだなっていうのを素人ながらすごく感じました。いいですよ。おすすめです。

qbc:
小学校のときは内気だったのにそれが3年生の時に変わる、そのときの気持ちの変化とかって覚えていらっしゃいます?

キヅキ:
そのときはね、なんですかね。誰かに話しかけるって、こんなに気持ちいいんだっていうのに気づいて、でも、今までのことを否定はしなかったですね。なんで今までこんなに内気だったんだろうっていうネガティブなことは思わなくて、新しい世界があったんだって感じるようになっていきました。

qbc:
中学校はどんな感じになって?

キヅキ:
中学校はだんだん引きこもりになっちゃって。そう、結構しんどくてですね。自律神経失調症だとかいろいろと出始めてから。あとは、父親が病気だったんですよ。もう死ぬってわかってたから、私学校休んだんですよね。それでよく行ってました、お見舞いに。
なんで、そういう関係もあって休みがちでしたね。私立校に入れたので、親には残念な思いをさせちゃいましたけど。

qbc:
お父さんはいつから入院されたんですか。

キヅキ:
中三のときからですね。

qbc:
病名って?

キヅキ:
病名は胆管がんっていうふうに言って。
要は、管です。管。そこに癌ができちゃって。だから、一度手術でパカッと切り開いてみたんですけど、手の施しようがなかったんです。結構狭い空間だから、やれることはやったけども全部ひっついちゃってるから、癌が。で、駄目でしたね。
父親も、実は障害者だったんですよ。最後死んだのは病気だったんですけど、お父さんも障害持ってて。
私も障害があるから、お母さんが大変だったなっていうのは、ありましたね。

qbc:
なんだったんですか?お父さんは。

キヅキ:
父はてんかんでした。発作が結構激しくて…。よくてんかんの発作は薬を飲んでいればあまり起こらないとかっていうふうに言う人いますけど、うちは薬飲んでても多くて週に2、3回は発作が起きちゃってて、玄関のドアを開けるのがすごく怖かったです。

qbc:
倒れてるとか?

キヅキ:
倒れてる。帰ってきたら料理中で、焦げくさ〜と思って行ったらね、人参丸焦げだったりして。もうぶっ倒れてて。そういうような状態がありましたね。

qbc:
中高は私立に入ったんですか?

キヅキ:
私立に入りました。私立に入ったんですけど、高校は、父親の容態を看取れるように変えました。休みやすい高校に。そこで2年間休学しましたね。毎日のように通ってって18歳のときに亡くなりました。

qbc:
ご自身が、障害者手帳も診断されたのっていうのが、中三の時?

キヅキ:
15歳、中三のとき。
だから、もういろんなことが重なっちゃって、それで何かしんどい…自律神経失調症とかそれ以外にうつ病みたいなね、そういうのもやっぱりあった。原因として父親がそういう状態だっていうのはかなり影響が大きいです。

qbc:
中高ってどんな感じになったんです?

キヅキ:
中学生のときには明るかったんですけど、やっぱり父親の容態が悪くなるにつれて自分も体調悪くなっていっちゃって。
高校は、父が亡くなるまでの一番暗い時期行ってないんで。
乗り越えてからは、結構融通の利く学校で6年間在籍できる高校だったんですね。
だから、2年間休学しても、あと4年残ってると。だけど、4年なんて、4年で卒業なんて甘いこと考えたら、卒業できないから。お父さんの遺言で、もう本当に高校だけは卒業してくれって言われたもんですから、無我夢中で行きました。
そのときには、もうね考えると涙が止まらなくなっちゃうから、友だちとたくさん遊んだりして、とにかく楽しく過ごしてましたね。
高校のときの友達は今もずっと友達です。

qbc:
その後進路進学どうなるんです。

キヅキ:
その後は、私ね大恋愛を求めて地方に行っちゃったんですよ。

qbc:
なにで知り合ったの?

キヅキ:
詳しくは秘密にしたいけど、今で言う婚活アプリみたいなもんですよ。お互いの共通点で仲良くなって、Zoomみたいな感じで話してって流れで。

qbc:
当時、何歳の時ですか?高卒?

キヅキ:そうですね。
卒業して就職しようと思ったけど、人生の展開が目まぐるしくて無理だって思ったし、それより大学に行きたかったんですけど、高校の先生から辞めろって言われたんですよ。家庭の環境を考えろみたいなね。それは大人になって母親にカミングアウトしたら、いやいやそのとき言ってくれれば、どんな方法でも考えたのにっていうふうには言ってくれたんですけど、私はその時絶望的で、行っちゃいけないんだ、私みたいなのは、大学に行っちゃいけないんだと。多分、その先生は父親のこともあって経済面を考えてくれたんだと思うんですけど、何となく行きたいっていうのを父親が死んだ家庭は言っちゃいけないんだっていうふうに思って、就職活動もいいやって投げやりになったんです。

そうそう。そうね、大恋愛の方は、話して仲良くなって何回もデートに行って、付き合っていた人が地方に住んでたので、飛んでいきました。トータル2年いかないぐらい一緒に居ましたね。

qbc:
同棲?

キヅキ:
はい。相手はすごく良い人だったんだけど、やっぱりどうしても大学に行きたいっていう気持ちが抑えられなくて、別れました。
地方の大学はどうかと彼から提案されたときに、いやそっちの大学じゃなくてって思って、そのときに母親に打ち明けたら、ちょうど私も同じこと考えてたって凄い偶然を知って、円満に別れて帰りました。それから母親の援助も受けつつ、夜間の大学に通いましたよ。
そのときに少しでも母親に恩返ししたくて、昼間働いてました。初めての障害者雇用で。

その障害者雇用の仕事がなんか、コーヒーマシンなんかあるじゃない。そのコーヒー豆を継ぎ足すだとか、コピー用紙の補充だとか本当に簡単な仕事をしてたんですけど、だから全然目が出なかった。自分にクリエイティブなことができるなんて思ってもいなかったし、そういう簡単な作業ばっかりだったからか、合わなかったんですよね。

qbc:
その話聞いてると合わなさそうだなっていう気がします。

キヅキ:
でしょ。

qbc:
コーヒー豆をつぎ足す仕事…。

キヅキ:
そう。もう全然つまらない。
で、その後、大学3年生に入り進路を本格的に考えたとき、正社員になろうかなと思って。
でも、なんでなのかなっていうふうに思ったときに、理由としては、父親が働けなかったんですよ、人生半ばでてんかんを患ってからずっと。
てんかんの家族側からすると、対処法っていうのは案外簡単なんですよね。こうしたらこうすればいいんだって、普通の人から見るとびっくりするのはわかるけど、なんでお父さんは、患ってからきちんと一度も働けなかったんだろうって思ってました。
だからそれがすごく悔しくて、障害者雇用を促進していきたい、って気持ちがあったから少しでも近い仕事をしようと思いましたね。
自分にしては良い会社に入れたからすごく喜んでくれましたよ、母親も。でも、喜ばせるために入ったわけじゃないけどねって言って。

qbc:
お仕事自体はどうだったんですか?働いてみて。

キヅキ:
仕事は、最初はやっぱりわけもわからないんで楽しかったんですけど、だんだんなんかやっていくうちに私事務合わないなあと思うんですよ。
本当に事務が全然合わなくて、第一じっとしてるの苦手だし、何書いたって誤字脱字がすごいんですよね。私も自分のnote見ててびっくりしちゃうぐらい誤字脱字がすごくて。まぁそのままにしてるんですけど。

qbc:
でも、その働いてる間ってどんな感じだったんですか。

キヅキ:
働いてる間は結構コミュニケーションを取れてたし、自分で言うのも何だけど先輩とか同期とかからめちゃくちゃ好かれてます。
反対に上司とか年が離れてる年代たちとあまり合わないっていうのが結構顕著に出てて。
同期だとか、1個2個上ぐらいの先輩とかだとすごいよくしてくれて、そういう意味でも私は辞めたくないのかなと思いますね。同期に関しては、旅行とかも行ったりとかして、友達みたいな感覚です。

qbc:
なるほどね。ご両親からはどのように育てられたと思いますか?

キヅキ:
本当に愛情たっぷりに育ててもらって。私に障害があるってわかっても、全然変わらなくてむしろ理解に努めてくれて。嫌な思いした?って聞いたことあるんですよ。私は障害を持って生まれてきたけど本当は普通の人として生まれてきて欲しかったんじゃないのみたいな、ちょっとヤケになって聞いたら、いや、そんなことないよって。あなたがあなたとして生まれてきてよかったんだよっていうふうに言ってもらえて、生まれたこと自体が奇跡だから。そういうふうに言ってくれたんですよね。うん、それがすごく嬉しかった。

愛情たっぷりに育ててくれたし、そう、あなたはあなたのままでいいって言ってくれました。どんなときも、選択肢を与えてくれる親でしたね。
高校を変えるとか、就職はこうするだとか、そういうのも全部自分で決めてきて、相談をしても絶対助言は言わない。どれもいいと思うよって、肯定だけはしてくれる。だから人生選択の連続でした。
それがすごく良かったです。

qbc:
人生バーっと駆け足で振り返ってみて、自分の人生の転換点ってどこにあると思うんです?

キヅキ:
転換点はやっぱり15歳のときですかね。
父親のこともあるけど、自分が障害者だって知ったときはもう死にたかったです、本当に。
あり得ないだろうと思ったし、だけどそこで、障害者って知ったからには何か動かなきゃいけないと思ったんでしょうね。そこからゆっくり障害を受け入れていく。このステップが複雑なんですよ。最初は否定から入っていって、だんだん受容に近づいていくみたいなんですけど。
そこが私には、最初の否定の期間が長かったんですけど、やっぱり少しずつ受け入れていこうっていうんで、今のnoteでも発達障害のことも書いてるし名前にもADHDって入れてる、だんだん受け入れられるようになってきたなって思いますね。

未来:自分が納得して死にたいですね。こんな人生じゃなかったって終わりたくないです。

qbc:
5年10年30年…最後に自分が死ぬっていうのを見据えた上で、どんな未来をイメージしますかね。

キヅキ:
ええ。自分が納得して死にたいですね。こんな人生じゃなかったって終わりたくないです。だから今、qbcさんと話してても、今の仕事本当にいいのかななんて思っちゃったりとかしたし、自分の可能性についても、もっと考えてみてもいいのかもしれないなって思うようになりました。
今の仕事を続けるにしても、後悔のないように何とかうまく上手に暮らしていけるようにしなきゃいけないなって思いますね。

qbc:
パートナーさんってどんな人?

キヅキ:
うん、すごいもう神様みたいな人ですよ。こんな私を受け入れてくれた。すごく賢くて、でも
ちょっと内気っていうか、だから私のこういう天真爛漫なところが大好きなんですって。自分の憧れっていうのかな、内気な分、こんなふうに自分じゃ表現できないところも好きなんですって。
私のそんなところに惹かれたみたいですよ。

パートナーの人は本当に優しくて、とにかく障害から何から全部受け入れてくれること。
複雑な私と結婚するってすごいなって自分でも思いました。

qbc:
もしもの未来って聞いていて。もしも、転職するとしたら、どうしますか?その生活保証金みたいで200万もらって、退職していいよって言われたら。

キヅキ:
しちゃうかも。
デザイナーとか、クリエイティブな仕事がいいです。
キャッチコピーでもいいし、とにかく自分で何かを作るっていうのがすごく好きなんですよ。だからそこに没頭したいっていうのはありますね。

qbc:
何がいいですか?作るっていうのは。

キヅキ:
作り上げるっていうのは、自分の子供みたいに跡が残るから、それを見返すと自分が行ってきた努力ってのが目に見える。それがすごく好きです。
私はこれだけ努力してきたんだとか、qbcさんが自分で書いてきた記事とか見てみるとそう思いません?

qbc:
私はもうあれですよ。いろいろ日こもごもが入ってるから、そう単純に嬉しいだけっていうのは…。もう、苦しみと苦しみと。

キヅキ:
私はそう思うんですよ。自分の頑張ってきた証としてね。

qbc:
おっしゃる通りだと思います。そういう気持ちはね。どんな気持ちになるんですか?それを振り返ったときは。振り返ったときっていうのは。

キヅキ:
眺めてるときは本当に「愛でてる」っていう言葉が一番ふさわしい。私、頑張ってきたんだ。こんなときもあったんだよねっていうふうに自分をヨシヨシしているようなそういう気持ちになれる。
いいデザインをかけたときだって、このときはこんなことがあったなって、なんかね記憶が連動してるんですよ。だからこんなことがあったなって思って愛でてます。

qbc:
そういう意味で言ったら、キヅキさんは自分が何をしてるときが一番幸せなんでしょう。一番自分らしいんだって言う瞬間ですか?

キヅキ:
全然今までの答えと連動してないけど、やっぱり主人と一緒にいる時が一番楽しい。
どこにでも連れてってくれるし何でもしてくれる。だから私にとっては本当に神様みたいな人です。

qbc:
出会いは?

キヅキ:
出会いは職場です。職場で私の方から話してみたら面白いじゃんこの人ってなって。それからは私からアプローチをかけてかけてかけて、告白させました。

qbc:
ありがとうございます。
はい最後に残した言葉っていうので、遺言でも読者向けメッセージでも喋り終えての独り言でもいいんですけど、最後に残したことがあればお伺いしております。

キヅキ:
qbcさん、聞いてくれてありがとう!

qbc:
はい、こちらこそ、ありがとうございます。

キヅキ:
そうだな、遺言ではないですけど、すっきりしました。聞いてもらえてスッキリしたし、自分ってこんなふうに考えてきたんだって思ったし、意外と人に自分の気持ちを話すってないからすごくすごく良かったです。
いい機会でした。

あとがき(編集)

めちゃくちゃ刺さりました…。カミングアウトすることへの恐怖感とか、クリエイティブな作業が好きなところとか…。話している声を聞いていると楽しそうな人という印象を受けますが、話の内容を聞いていくと、社会での適応などにおいて、生きづらさを抱えているんだろうなと共感する部分がありました。
そして、私が起業したいと思っているのは、こういった部分において生きづらさを抱えている人たち(自分含め)がいることに課題感を持っているからだと気づきました。
あと、パートナーさんとのお話がすごく素敵だなと!結婚願望とか今までなかったのですが、天真爛漫みたいなところをいいって思う男性がいるのだとなんて知り、結婚いいなって思えましたし、今の自分のままでいいんだって思いました!

あとがき(インタビュアー)

ある朝目覚めた時、もう会社に行けないなと思ったときがあった。
そのあと、病院にいった。うつだった。会社に連絡した。
でも、会社には何も起こらなかったし、社会の事件にもならなかった。
わたしは、誰かのためにがんばっていた気がしたし、会社のためにがんばろうとおもっていたが、それはとても一人よがりなことで、なんにもなかった。
ゼロではなかったが、わたしはそのときに自分はすこし甘えん坊なんだなと思った。社会に期待して、組織に期待して、会社に、友人に、家族に。
でも所詮、人は一人じゃない?
一人です。
でも、その一人であるということを認めてから、そこから心細く、コミュニケーションを始めて、そうしてわたしたちは、一人一人が、ひとつずつの、一人になっていく。
一人になれなければ、二人だということも、認識が、できないから。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:むん】
https://note.com/npochammm

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