神が与えた試練なんだな。人
むかしむかし、ある村に、信(まこと)という名の若者が住んでいました。信は生まれつき足が不自由で、歩くのにも苦労していました。
村人たちは信のことを哀れに思い、「なんて不幸な運命なんだ」とよく口にしていました。しかし、信は不思議と明るく、前向きな性格でした。
ある日、村の長老が信に尋ねました。「信よ、そんなに辛い思いをしているのに、なぜそんなに明るくいられるのじゃ?」
信は穏やかな笑みを浮かべて答えました。「これは神が与えた試練なんだな、と思っているんです」
長老は驚いて聞き返しました。「試練だと?どういうことじゃ?」
信はゆっくりと説明しました。「この足のおかげで、私は人の優しさをたくさん知ることができました。また、小さなことに感謝する心も学びました。そして何より、困難を乗り越える強さを身につけることができたんです」
信の言葉に、長老は深く感動しました。そして、その話は村中に広まっていきました。
やがて、村人たちは自分たちの抱える問題や苦難を、神からの「試練」として捉えるようになりました。病気になっても、作物が実らなくても、「これもきっと神からの試練。乗り越えれば、きっと良いことがあるはずだ」と、前向きに考えるようになったのです。
そんなある日、村に大きな干ばつが訪れました。しかし村人たちは、これも試練だと受け止め、知恵を絞って対策を考えました。信も、自分にできることを精一杯行いました。
その結果、村人たちは協力して新しい水源を見つけ、灌漑システムを作り上げました。この経験を通じて、村はさらに団結し、以前よりも豊かになっていきました。
後に、信はこう語ったそうです。「試練は神からの贈り物。それを乗り越えることで、私たちは成長し、より強くなれるのです」
そして「試練は成長の種」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月14日19時00分に書く無名人インタビュー888回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは あっきー さんです!
年齢:40代後半
性別:男
職業:研究員
現在:双極性障害を抱えながら、歴史社会学とジェンダー社会学の研究員をやってます
qbc:今、何をしている人でしょうか。
あっきー:今、研究員です。
qbc:何を研究されてるんですかね。
あっきー:歴史社会学とジェンダー社会学。あーえっと、満州農業移民、満州移民の研究で、1922年~1945年に約27万人の日本の農村から満州、中国東北地方の農村に送出されて入植して、ソ連軍参戦の1945年8月9日から、あの襲撃を受けたり、あとは強姦が発生したり、そういう混乱の中で都市部に出て最後、翌年にようやく引き上げ開始が始まって、翌年の夏かな、で引き上げてきたんですが、こうした歴史に、社会学的にアプローチするっていう部分と、ジェンダーのこと、まぁ今一番主にやってるのはジェンダーのことなんですが、ソ連軍による強姦、日本人女性に対するですね、それについて、そういう事実があったっていうだけではなくて、そこにどういうジェンダーの構造があったのか、っていうのを具体的な事例、えーと岐阜県の黒川開拓団っていう開拓団ですが、そこを対象に調べていくということになります。
qbc:どれぐらい、ちなみに研究されてるんですか。
あっきー:ジェンダーに集中したのは2007年かな、で、もっと広く満州移民について研究し始めたのは1999年、人材の問題もあって、元々はA開拓団っていう、Aから移民を募集して送り出したA開拓団っていうのがあって、それを調べていて、そこでもやはり似たようなことは起こってて、それが初めてだったんですけど、事務の金庫を守るためにソ連兵を事務室ですね、事務室に呼び寄せて強姦させるっていう事例に当たって、そこから、歴史社会学になりました。
qbc:何年ぐらい研究されてるんですか。
あっきー:結局1990年からやってるんで、2024年まで今も続けてるんで、何年ですかね。
qbc:今どちらで研究されてるんすか。
あっきー:今はA研究所で研究しています。
qbc:個人的に研究されてる。
あっきー:今はそうですね、今所属しているA研究所っていうところの研究員として、研究してるんで......一人でやってるって感じですね。
qbc:それはどういうことをされてる?
あっきー:大学に所属している研究所とかではなくて、独立した研究所ってことで、いろんな大学の先生がそこに所属してて、つまり、非営利活動特別法人なので、いろんな方がいらっしゃいますけど、一番多いのは都市の研究ですね、ホームレスとか、都市の底辺労働者、炊き出しとかそういうのを受けるような人たちとか、あとは被差別部落…わかりますかね、被差別部落の問題やってる方とか、そういう方が一番多くて、特にこれをやんなきゃっていうことはないんですが、社長が元々被差別部落を一応研究されていたか、今も研究してる方なんで、そうですね、そういう都市社会学の人が多いです。
qbc:何名ぐらいの団体?
あっきー:ちょっと今すぐわからないんで、後で、ホームページあるんで、見ていただければ、人数わかると思います、結構な人数ですね、100人いるかな。あのさっき、先ほど言ったように、その京大に所属してて、こっちも所属してるっていう、そういう方も結構いて、あわせて100人はいると思います。
qbc:今は、この研究所のみに所属されて、
あっきー:そうですね、今は研究所のみに所属。
qbc:お仕事は何されてるんですか。
あっきー:あ、まぁ研究員として、1人で研究したりとか、科研費っていうあの補助金の申請とかしてて、実は私、あの…双極性障害っていう精神疾患を抱えてて、前は躁鬱病というふうに言われてたんですけど、ちょっとあのカウンセラーや主治医の強いすすめで、ちょっとその…仕事を整理っていうか、楽な仕事にした方がいいんじゃないかってことで、研究員に絞って今、働いてるということですね。
qbc:生活…経済的にはどうやって生活されてるんですか。
あっきー:まぁ、あの貯金を切り崩してって形で。
qbc:双極性障害はいつから?
あっきー:2010年から発症してます。
qbc:そこからずっと貯金で生活されてるんですか。
あっきー:いやいや、その前はいろいろA大の研究員やってたりとか、あとはまぁ非常勤講師をこなしてやってたりとか。あとは結婚もしてたんで、元妻は働いていて。社会人向けの教室とかに働いてたりとか、そういうときは、もう私は主夫、夫の方の主夫になっていて、まぁ子育てとか自分がやるみたいな、そういうのをいろいろ経て、今、個人で暮らしてるっていう感じになります。はい。
qbc:今整理すると、とりあえず研究はされている。
あっきー:はい。
qbc:経済活動を行っていない。
あっきー:はい。
qbc:今、家族は、
あっきー:家族いないです。離婚して…2018年に離婚しました。
qbc:はい。研究以外って、何されてるんですか
あっきー:図書館で本を、研究っていうのじゃなく、好きな社会学の本とか、読んでいたり、あとは余暇にカラオケ行ったりとか、それぐらいですね。
qbc:今、精神的にはどういう状況なんですか。
あっきー:結局、波があって。今日は割とフラットな状態ですね。周期で言うと、2週間ぐらい鬱の状態が続いて、そっから上がって、普通の今みたいな状態になったのは3週間ぐらい続いて、それで軽い躁っていう上がっちゃう状態が2、3日あってそれで使い切ってまた鬱に落ち込むみたいなそういう、短期のラピッドサイクルって言われるんですけど、短期で切り替わる感じですね。だから、結構、約束事が難しくて、ドタキャンすることも多いんで、やっぱそういうのを嫌だっていう人とはもう付き合えないという感じですね。
qbc:1型の方ってことですか。
あっきー:あ、2型です。
qbc:その、双極性の方のメンタルではなくて今の生活自体、満足なのか不満なのかでいうと…?
あっきー:難しいですね、つまりは双極性障害の治療の一環としてやってるんで、これで良くなればいいな、良かったと思えるし、今のところはその、フラットな状態が長くなってきてるんで、1ヶ月とか続くようになってきて、まぁその、生活として満足って言ったときは、やっぱ病気が安定すれば満足っていうのが私の考え方ですね。だから、何か例えば、極端に言えば車が持てなくてイライラしてるとか、そういうのはないですね。
qbc:質問は、今の生活は満足ですか、不満ですかって質問なんですよ。
あっきー:あ、じゃあ満足ですね。
qbc:はい。理由は何ですかね?
あっきー:いやだから、今言ったように、あの病気が良くなってるってことですね。
qbc:インタビュー申し込みのときに、人生のどん底って書いてあるんですけど、それはどういう矛盾なんですか。
あっきー:うーん、矛盾って言うか、だから、今は非常勤講師とかやめて、ある意味どん底で、良くなってるって言っても、その劇的には良くなってないんで、何て言ったらいいかな…。まぁだから、ちょっと書き方良くなかったかもしれないんですけど、客観的にはどん底に見えるかなっていうことで、そう書いたんですかね。で、まぁ主観的にどうかっていうと、まぁでもやっぱり、なんていうか100%病気良くなったら、あの満足ってわけではなくて、やっぱり両方相半ばするところはあって、やっぱり社会的地位も、とかお金もあれば、あってその海外行けたりとか、あと前は、まぁその今は研究費もないんですけど、あったときとかは、ノートパソコンを買えたりパソコン買えたりいろいろ出張も全部お金出るっていう感じだったのが、なくなって研究もちょっと難しいっていうか、ちょっと本当にそういう意味では、ほとんどこっちどん底って言えばどん底で…ってことで書きました。
qbc:性格はどんな性格って周りの人から言われますか?
あっきー:そうですね、社交的とか、明るいとか、あとはまぁ…こだわりが強いとか、いろいろ趣味持ってるっていうふうに言われますね、実際結構アニメもいろいろ見たり、音楽聞いたりとかいろいろ趣味があるんで、性格じゃないかもしれないんですけど、そういうふうに言ったら幸せなんだねみたいな、何かに打ち込めるっていうのは何か集中力とかあるっていうふうな感じで、言われますね、ただ双極性障害のやっぱり性格っていうのはやっぱり今すごい懸念してることで、やっぱり躁なときは、すごいなんていうか、自分が偉いとか、万能感とかっていう、あの人を下に見て人間関係が壊れちゃうってことが多くて、これは病気のせいで性格とは違うんですけど、その病気のことを知らない人は、ともすると私はそういう性格だっていうふうに、そう思われるんですよね。鬱のときはもうその中から出てこないんで、周囲の人と接する機会はゼロなんですけど、躁とかフラットな状態になると出てくるんで、その時にはそういうふうに見られてるかなと思います。
qbc:自分自身ではどんな性格だと思ってます?
あっきー:社交的で、ちょっとASDも私持ってるんで、何か一つのことにこだわってずっとやるっていうのが好きっていうのがあって、研究もそれで同じテーマについてやってるっていうところも。
qbc:身近な人から…その家族、恋人パートナー、親友、そういう人から言われる性格の一面とありますかね。
あっきー:そう…ですね、あんまり付き合いがないんで、今ちょっと基本的に父と折り合いが悪くて、完全にあの縁切ってるんですよ。母とはちょっと話すけどっていう感じなんで、母は、とにかく病気が早く治るといいねって、
qbc:社交的っていうのは何に対して社交的っておっしゃってたんですか?
あっきー:なんかこれも、このインタビューもそうですけど、何か面白そうなことがあったら首突っ込むっていう感じですかね。物怖じしないで、ちょっと面白そうだと思ったら、ですし、これあの社交的っていうところで言えば、みんなで集まってるときも、なんか奥で縮こまってるっていうよりもちょっとね、話しかけるみたいな、そういう意味で社交的って言ってますね。
qbc:好きな食べ物は何ですか。
あっきー:納豆ですね。すごい好きで毎日絶対毎食に食べる、っていう感じで、あとは高級なもんだと、お寿司かな。やっぱりこの、焼肉とかよりも、やっぱ寿司が一番好き。
qbc:過去について聞いていきたいんですけども。
あっきー:はいどうぞ。
qbc:子供の頃はどんな?
あっきー:子供の頃はまずは毒舌家でしたね。結構毒ばかり。皆をキレさせてたっていう感じ、あとは集中する反面、注意力散漫なことが多くて、通信簿にはいつも注意力散漫というふうに書かれていて、リーダー格ではないけれど、例えばこういう遊びしようって言って、遊び方を提案したりとか、そういうことしたり。そんな感じですね。
qbc:なるほど、なんか好きだった遊びとかって?
あっきー:好きだった遊びは、あのSケンっていうの、お父さんから習って、それが面白くて。あの地面にSっていうのを書いて、Sのくぼんでるところを陣地に繋ぐんですよ。相手と自分のそこをケンケンでこう攻めにいくっていうようなゲームでしたので。あとはゲームブックを自分で作るっていうのは好きでした。「はい・いいえで1番」とか、6ページ、「1ページとか6ページ飛ぶ」とか、そんなような、あるじゃないですか。あれを自分で作ってました。
qbc:なんか、生まれたところの風景って、どんな感じだったんですかね。
あっきー:あの多摩川に住んでたんで、東京の。多摩川って川があって。実家が多摩市なんで、多摩川の中流の景色ですね、穏やかに流れて。バードウォッチングが趣味だったんで、カワセミがいたり、ヤマセミもいたりして、そういう自然に溢れているイメージですね。
qbc:なるほど。
あっきー:中学校は、あの中高一貫の男子校のA中学・高校なんですが、結構暗黒期っていうか、もうほぼモブっていう、群衆の1人っていう感じで、その地味にちょくちょく何かエピソードありますけど、実は決定的なことはなかった6年間で、それこそ彼女もできなかったし、っていうところですね、はい。
qbc:どんな気持ちでこの子供時代、生活してたんすかね。
あっきー:そうですね、ひどいんですけど、小学校までは本当にのびのび育ててもらって、どんどんそうした八ヶ岳のペンションに家族で泊まりに行くとか、そういう感じだったんですけど、中高はやっぱり家族はちょっと疎ましく思うところもあったりして、その旅行は行くけど、そんな楽しいことじゃないみたいな感じだったと、あとは中高はもう男子校で何も楽しみがないという感じで、本当にあんまり記憶にないですね。なんか文化祭も何か植木市っていうのはやって、その自分で植物育てて、それを売るっていう出し物だったんですけど、それみんな実際に花屋に買ってきて、私も花屋で買ってしまってたんですけど、そんな感じで、その学園もののドラマ・漫画・アニメに出てくるような、お化け屋敷やったりとかそういうのは全然無縁の、何か6年間っていう感じでしたね。
qbc:なるほど
あっきー:小学校と中学校でがらりと変わっちゃったって感じで、はい。高校もそんな感じであと受験があったんで、私はあのB大学のA学部に行きたかったんで、まぁそのための勉強をしてたっていうのが、その、予備校通わず宅浪でやったんで。図書館みんな並んでワーッて席取って、大体みんな席決まってて、毎日勉強してるっていう。受験のときはそんな感じで、とにかく高校もぱっとせずっていうところで、なんかAO入試っていうのがちょうど始まったっていう感じで、それを出願するっていうので、担任の先生に「推薦状書いてくれ」って言ったら、なんか「こういうAO入試っていうのは、サッカーで全国一とかそういう何か非凡な才能みたいのがある人じゃないと取らないんだよ」っていう結構嫌味を言われて、もうこの高校嫌だなーという風に思いましたね。実際はAO入試で受かったんですけど、宅浪で一念浪人して合格したんですけども、結構1人で生きてきたって感じですかね、あんまり友達もいませんね、だから。
qbc:大学生活はどうだった?
あっきー:大学生活ってすごい楽しかったですね。やっぱ自分が行きたい大学でしたし。
qbc:B大学行けたんですか
あっきー:行けました、浪人して。浪人して入試で合格して、だから浪人のときの勉強というのは全部無駄になったっていうか、AO入試で受かっちゃったんで。
大学は楽しかったです、まずはそのインターネットの先端的にやってたんで、まだ企業のホームページとかあんまりないときに、もう学生みんなホームページ、あのアドレス与えられてて作っていて、そのホームページを作るために徹夜したりとか、アクセスランキングとかあったりとか、自分は香港の会社、女性の会社ですけど、そのファンでそのホームページを作ってて、どうしてもやっぱマライア・キャリーには勝てなくて、とかそんな感じで、まずはネットであの楽しく過ごしたのと、友達も結構、WACSっていうWorld&チャイナ、Sはなんだろうな、忘れちゃいましたけど、その世界と中国研究した時かな、研究会っていうのに入って、一員として先輩後輩、活躍まではいきませんけど、いろいろやったりとか、なんか大学は充実してました。大学のとき一番、二つあって、一つはあの酒井直樹っていうコーネル大学の先生は、あのサバティカルっていう1年休めるっていうんで、うちの大学で、地球コロニアルリズムの社食民主主義とそのジェンダーについての授業、やってくれて本当にそれが今も生きてるなっていうふうに思ってます、その「ポカホンタス物語」っていう、植民地のあのリーダーの女の子と、攻めていく植民地化する側ですね、その男性が恋におちて植民地の女の子と、米国帝国側の男性と結婚してめでたしめでたしみたいな、そういう話がごまんと作られてきたっていうのを、授業で実際に作品を見てやったんですけど、それがすごい良かったな、というのと、もう一つはまぁ、ゼミに所属してたA先生っていう、その方がやっぱりいろんな本を読ませてくださって、元々は政治学だったんですけど、結構横断的に社会学に近いこともやっていて、で、まぁ多分その満州移民資料集成っていうのは、うち図書館はすごい小さかったんですけど、ワークステーション、パソコンのワークステーションに占領されちゃって、本はあんまりなかったんですけど、その本が、A先生が言ってくれた本だと思うんですけど、やっぱ今の自分の研究の基礎っていうのは、A先生のところで、あのローンリレーションとか、一番はあとは想像の共同体っていう…
過去:博論を出さなかったっていうのが、ちょっとやっぱり大きな転落する要因だったかな
qbc:ありがとうございます。いいですか。ちょっと時間が足りなくなってですね。大学を卒業した後は?
あっきー:大学院、C大の大学院に進みまして。
qbc:何を専攻されたんですか。
あっきー:A専攻に。
qbc:その後は?
あっきー:A大に、日本学術振興会の特別研究員のポストドクターの資格で行きました。
qbc:何歳ぐらいまで?
あっきー:平成17年なんで、1976年生まれなんで…何歳かな。ちょっと計算、すぐできないんですけど、平成17年の4月にA大学の方に移ってます。私は昭和51年生まれで、ですね。どうなのか。
qbc:平成17年度は、2005年ですね。
あっきー:そうですか、2005年。1976年生まれなんで。
qbc:2005年だから、その19年前?
あっきー:10年前、今47歳で、28歳ですね。
qbc:28歳。その後は、
あっきー:あとは…そう。いろんな大学の非常勤講師やってて…、平成29年に、今のA研究所の研究員になってます。
qbc:いつ発症したんですか、双極性障害は。
あっきー:2010年の…
qbc:和暦と西暦がごっちゃになってるんですね。
あっきー:ごっちゃにはなってるんですけど、これはちょっと、学校関係の履歴書書くのは和暦なので、ごっちゃになっちゃってて。発症日は2010年、平成22年の9月14日です。
qbc:なるほど、そっから講師業もできなくなったと。
あっきー:すぐにではないですけどね、やっぱりちょっと辛くなってきたっていうのと結婚もしたんで、それで働きながら家事してとか、夫婦の中の軋轢とかいろいろあって、まぁ病気はあの、治る方向には向かわなかったですね…。
qbc:人生の転換点というと、どこにあったと思いますかね
あっきー:転換点はやっぱり博論を出さなかったっていうのが、ちょっとやっぱり大きい転落する要因で、2005年かな。そこで単位取得退学って形で、C大出てたんですけど、やっぱりちゃんと博論書いてから、出てくべきだったなという、その年に結婚して、しちゃったっていう言い方よくないですけど、やっぱり結婚する前に博論を出しておくべきだったと思ってます。
qbc:そうすると、博士号を取ってないってことですか、
あっきー:そうです、私持ってない。
qbc:なるほどね。なんか、家族からは、ご両親からは、どのように育てられたと思ってます?
あっきー:あーまぁ、自由にやらせてもらった反面、暴言をずっと受けてて、今の病気の原因の一つはそういう、家庭内暴力っていう…言葉の暴力ですけど、殴ったりはなかったですけど、酒乱で2~3時間大声で怒鳴られるっていうのを毎日受けてたので、ある意味虐待なんで、それも、病気の一つ原因かなとは思ってますね、うん、そういうふうに育てられたってこと。
qbc:うん。なるほどね。ちなみにこのインタビューはどういう目的で?
あっきー:あ、何か、Twitterでありますって言われて私インタビューを受けたことないんで、インタビューする側なんで、される側っていうのはどういう感じかなっていうふうに思ってました。
qbc:どうですか、受けてみて、
あっきー:うわー、やっぱり時間がないと難しいなというか、60分だと結構急いでやらないといけないし、私はライフヒストリーインタビューって言って生まれたときからずっと2時間3時間かけて聞いていくんですけど、短いと大変だなっていうふうに思いました。
qbc:その、受け手側としてはどう思いました?
あっきー:まぁ、ちょっといろいろ振り返りにもなりますし、先ほど質問があった、その、「どこが転換期?」っていうのは、やっぱり再認識できてよかったです。
qbc:なるほど。ご結婚はこれ、何歳の時?
あっきー:えっと…何歳…ちょっと、すみません。32歳の時…かな。
未来:病気が落ち着いて博論書いて、どこか大学、常勤で務めて、最後ギリギリセーフで、それなりのお金ももらえるようになって、できれば再婚して2人で一生終えていきたい
qbc:じゃあ、未来についてちょっといきますね。10年20年30年…って未来に向かっていって、最後自分が死ぬまで、死ぬっていうところまでイメージしてほしいんですけど、今どういう未来をイメージされてますかね。
あっきー:そうね、やっぱり病気が落ち着いて博論書いて、どこか大学、常勤で務めて、
で、最後ギリギリセーフで、それなりのお金ももらえるようになって、できれば再婚して2人でまぁ、一生終えていくっていうのは理想…ですね。
qbc:なるほど。何で博論を書かなかったんですかね、書くタイミングがあったわけですよね。ずっと業界にはいて。
あっきー:あったはあったんですけど、やっぱりC大のプレッシャーは強くあって、なんかこんな半端なもので出すっていう感じじゃなくて、もう本になるようなものじゃないと駄目なんじゃないか…っていうふうに、ハードル上げてて、その間に他大学ではもうバンバン博論出てるっていう状態になってて、その辺のやっぱりC大アレルギーかな、なんか別にB大から言われたわけじゃないんですけど、勝手にハードル上げて、書けなかったんですよね。あと、1個1個書いてたものをどう繋げるかっていうのは難しくて、基本的に博論って一気に全部書くんじゃなくて、あの既出の論文を寄せ集めて一つの論文にするんですけど、それがうまくいかなかったんですね。
qbc:なんだろうな、大事なことなわけじゃないすか。キャリアにとって。それを相談する相手っていなかったですか。
あっきー:まぁ、いなかったですね。早く博論出した方がいいっていうことを言ってくれたのは、もうでもいないかな、私の世代がちょうど、あの切れめで、私の上の人は博士号持ってないの当たり前で、下はみんな持ってるっていう、ちょうど大学の重点化の…境で、アドバイスも受けなくて、今になってやっぱり博士号ないと就職できないから取った方がいいよっていうことで、ある先生が紹介教員になってくださって、ようやく本腰入れて、博論を書くっていう状態で、先輩とかも「早く出した方がいいし、もう今書いてあるもん集めて出しな」とか、今になって割と積極的に助けてくれる可能性が出てきたという感じですね。
qbc:でも、誰が何と言おうと、あんまり関係ないじゃないですか。やりたいことをやるんじゃないんですか。誰々さんが取った取ってないとか、正直関係ないじゃないすか。
あっきー:博論っていうのは、私…ここまでの段階に来たら、自分の研究の集大成として位置づけているので、おっしゃる通り、誰が取った取ってないなんていうのは、気にしてないんですけど、どこで集大成にするかっていうのがあって、つまり無限にやり続けるってこともできるわけで、ここで切れ目をつけてもう今あるもので作り上げるっていうのは、ちょっとやっぱり誰かにしてほしい、してほしい欲しいじゃないか、してくれたおかげで、今やっとまとめる方法、だからやりたいことは論文書いてやってたんですけど、それを集大成するっていう気になってなかったっていうことですね。
qbc:博論を通さなきゃっていう、必要性っていうのは、どのタイミングで気づいたんですか。
あっきー:結構早い段階で気づいてて…
qbc:でも20年以上放置したってことですか。
あっきー:そう…いや、放置はしてないんで、
qbc:20年以上とりかかり続けたってこと?
あっきー:あー…先ほど申しました通り、その博論って一気に何か書くもんじゃなくて、ちょこちょこって言ったら変ですけど、何個も何個も書いてる論文をまとめて、一つの論文にして…
qbc:いや、でも後悔してるじゃないですか。後悔してるって言ったじゃないですか。
あっきー:してますけどでも、今からでも間に合うっていうふうに私は思ってるんで、今の状況は後悔してますけど、まぁこの病気を治して打開してくっていうのは可能じゃないかと思ってるんで、まだ博論に、逆に言うと未練があるっていうか、もうできないって言って諦めてるっていう状態ではないですね。
qbc:何か、未来において、こういう気持ちでいたいな…みたいな、そういう気持ちはあったりしますか。
あっきー:そうですね…私、クリスチャンなんでそういう神の平安があるっていうか、心穏やかに、まぁ、もちろん研究がうまくいってて…っていうのが前提ですけど、そんなにお金に執着するわけでもなく、っていうようなクリスチャンとしての生き方が、できればなーというふうに思ってます。
qbc:猪股さんが一番、幸せだなって感じるのはどういうことです?
あっきー:そうですねぇ、まぁ、一番は、やっぱり論文書けたときが一番…嬉しいですね。あの、あとは小さな楽しみは、やっぱり友達と美味しいもの飲んで、映画見たりとか、そういうのは喜びですけど、やっぱこういう研究員やってると人と会う機会少ないので、最近そういうの付き合ってくれる友達ができたんで、それはすごい良くて…あとはD大学のB先生っていうとこのゼミにも相談して、そこで全部終わった後でみんなでご飯食べるんですけど、そういうのはすごい楽しいなっていうか、その前には学術的な議論をずっと3時間ぐらいやって、終わって、そのことについて話すこともあるし、別にただ飲んでるってだけのこともあって、そういう交わりっていうか、それは幸せだなと思います。
qbc:研究して楽しいっていうのはどんなときですか。
あっきー:それはやっぱりインタビューをすごいして、まとまりがないんですよ。それ、事実があったっていうのが、まぁ、簡単に言うと理論的な枠組みっていうのが見つかったときっていうのは、やっぱり嬉しいですね。それまでは本当、暗中模索っていうか、これだけインタビュー取って、何になってるんだろう…っていうのを、何か例えば哲学者のこの概念が使えるとか、そういうのが見つかった時に、あ、これでパタパタパタッてそのパズルのピースがバーッと合ってくるような時っていうのが、一番嬉しいですね。あとは共同研究で、本出すときっていうのは、やっぱり他の人のその論文と自分の論文がなんか共鳴し合うところとか、やっぱり集中してきて良かったなと思いますね。
qbc:大きくいうと、移民の話になるんですか。満州ですよね。そのテーマを選んだ理由っていうのはなんだったんですか。
あっきー:それは満州移民資料集成っていう大きいのがあって、ちょっと開いたら分村移民っていう、村を分けて移民するっていうのが、出てきて。
qbc:漢字は?
あっきー:普通に分割の「分」に村で、分村移民があって、満州移民っていうのはあの本当に移民して開拓するっていうんじゃなくて、結局侵略だったんですよね。関東軍っていう満州国を守っている日本陸軍ですけど、それの補給とか、あとは中国人のそのゲリラとか、そういうのをなんていうか歯どめ…けん制するために、あのー送り出された、準軍隊的な性格っていうのも結構強くあって、そういうところにその村を分けていくっていう発想がすごい不思議で、そんな侵略行って、どこそこもわかんないところに、何か村を分けるっていうのは発想が不思議で、そんで調べるようになりました。
qbc:何か他に候補ってあったんですか。
あっきー:他に候補はなかったですね。私は今でも覚えてるんですけど、A県とB大学A学部、B先生の研究室が提携してA県の何か調べなきゃいけないっていうことになって、私は何か温泉とかあったり、そういう観光地で過ごしやすいところがいいなと思って、それでAを選んだんですけど、A踊りとかいろいろあるし、と思って、でAの図書館に行ったら、優秀な司書がいて、その人がすごい貴重な資料たくさん持ってきてくれて、「あ、これは、すごい研究できそうだ」っていう風に思ったんで、他っていうのはなかったですね。
qbc:それがもう、20代の頃でしたっけ。
あっきー:そうですね。1999年だから…あとはB開拓団に、あの23歳でそれがA開拓団だったんですけれど、そっからBに軸足変わったりして、それで年数かかってるっていうところもありますね。
qbc:その…結構、開拓団、満州の開拓団って結構多いんですか。何グループぐらいあるんですか。
あっきー:何グループっていうのはちょっとわからないんですけど、27万人が送出されて、そのうち8万人があの引揚げの過程で死亡してるっていう、
qbc:その27-8万人、その残りはどこに行ったんですか。19万?
あっきー:日本に引き上げてきて、都市に出たりとか。あ、あと大事な、1万人が中国残留日本人って形で中国で育って、1983年から訪日調査っていうのが始まって、ようやくその涙の再会みたいな形で、それまではあの中国で消息もわかんなかった、その残留日本人が帰国してくるのが、1990年代なんですけど、そしたら結局は疎まれて、やっぱりもう新しい家族がいるからっていう、形で、みんな日本語も全然できないしっていうので、大変な思いをして、その研究してる人もたくさんいるんですけど、私はあんまり、深くはないですよ。
qbc:はい。まだ満州で生きてらっしゃる人っているんですか。
あっきー:満州で生きてる方、いらっしゃいましたね。
qbc:満州から日本に引き揚げた人って何歳ぐらいなんですか。
あっきー:何歳って、幅広いですよね。今何歳ってことですかね?
qbc:そう。今、何歳?
あっきー:当時、例えば14歳とか9歳とか、記憶はある人…子供じゃなくて、そういう人たちはもう、90を超えていますね。
qbc:そうか、戦後を足せばいいのか。
あっきー:はい、戦争のときなので、もう今、90歳超えの人ばっかりですね。こないだ、あの、Bさんっていう方が亡くなって、その人は「しのぶ会」みたいなのを開いたんですけど、とにかくもうどんどん亡くなってるんで、今はもう本格的なインタビューはもうちょっと無理な感じですね。
qbc:年齢的に?
あっきー:いや年齢的にっていうのと、あと繰り返し私もインタビューしてきたんで、もうこれ以上話すことはない、みたいなところもあったりして。
qbc:もう、網羅されてるような状態?
あっきー:そうですね、大体ははい、聞きましたね。
qbc:結局、どんなもんだったんですか、その満州の移民って?
あっきー:侵略だったっていうのが、大前提としてあって、やっぱり。敗戦後の襲撃っていうのが、現地住民によって起こるんですけど、襲撃っていうのは、カギかっこの「襲撃」で、それはその満州開拓団によって奪われた土地や家屋を再びあの奪取する、取り返すっていう、そういう話で、日本人からすると襲撃ですけど、現地住民の人からすれば、奪還っていう感じですね。最近は私が最初論文にしたんですけど、その黒川開拓団の事例っていうのがすごい取り上げられるようになっていて、黒川開拓団は襲撃を受けたり、食糧不足があったりっていうことで、ソ連軍に自分たちを守ってもらうために、日本女性10数名を、あの、差し出したんですよね。慰安所みたいなものなんですけど、それを作ってそこで交代交代で強姦されるってことになるんですけど、研究、戦時性暴力の研究ってことで私もジェンダー社会学ってことで研究所にしているわけですが、そればっかりになると、やっぱり今さっき言ったその中国人に対する加害というのは、どうしても抜け落ちてくるっていうのがあって、その日本人同士の中の加害被害ってそれはすごい重要な話なんですけど、そこまでに集中するともっと大きな枠組みと前提として、中国侵略だったっていうことをやっぱり忘れてはならないと思ってますんで、それに関する論文を今用意してるっていうところですね。
qbc:ありがとうございます。博論を出してたら、どうなってました?人生。
あっきー:そしたら講師にはなってると思います。
qbc:どっちがベターだと思います?
あっきー:今よりそりゃあ、講師になってる方がいいと思いますけど、ちょっと想像つかないんですね。そういうところで人生どん底っていうのもあるんですけど、うまくやってれば講師になってたけど、今こんな感じだなっていうのは、
qbc:正直、講師かどうかはどうでもよかったりしますか。
あっきー:それはないですね。講師になりたい。研究ができてればいい、役職はいいよと、そんなことはないですね。やっぱり役職ないと、お金の問題はまあいいとしても、やっぱりその、研究費がしっかりもらえるっていうのと、
qbc:もうパトロンがついていて、お金の供給あるよっていう状態であっても、必要でした?
あっきー:だからやっぱり、社会的地位もなんだかんだ言って、やっぱり「先生」って呼ばれたいなっていうのは正直、ありますね。お金はあんまりそれに比べたら、あの普通の、うん賃貸の鉄筋コンクリートのマンションでも本を置ければ別に、それ以上のことは「一軒家じゃなきゃ嫌だ」とか、そういうこともないですけど、やっぱりあとは学生を持ちたかったっていうのもありますね。学生指導はもう、好きだったんで、学生を指導したかったっていうのはあります。
qbc:ありがとうございます。最後は、遺言でもいいし読者メッセージでもいいし、インタビューを受けての感想でも、最後に残したことがあればお伺いしています。
あっきー:難しいですね、そっか。うーん…人生、順風満帆に見えても、博士を取得してない、双極性障害がある、いろんな災難はある。それは、その時はそんなことないと思ってやってて、「自分も博論はそのうち書けるだろう」とか、まさかこんな病気になるとか、病気になってもそんなに深刻なことないんじゃないかっていう風に思うんですけど、最近やっぱりクリスチャンになって洗礼を受けて、そういうのも上の方、ご計画っていうか、その山あり谷あり含めて、神が与えた試練なんだなって思えるようになって、だいぶ楽になったってことで、私にとってはあまり今回語りませんでしたがクリスチャンになったってことは、結構救いに…それこそどん底じゃなくなった理由っていうのは、そのクリスチャンになったっていうことはあると思うので何か、人生の柱、宗教じゃなくてもいいんですけど、何かそういうのを持たれた方が生きやすいんじゃないかなっていうことをメッセージとして、残したいと思います。
qbc:ありがとうございました。
あとがき
社会学は奥が深い。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:りな】
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